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15-33 狩り合い

 広間を抜けて通路に出ると、一面水浸しだった。天井と言わず壁と言わず、至るところから水が染み出し、場所によっては筋になって流れ出て、それが床で合流し、勢いを増して走ってくる。行く手では土嚢を組んで桶で水を掻き出しているが、水の出所を封じない限り、やがて広間も浸水するだろう。濡れることを嫌ったのか、ワンが足を一本持ち上げて後込みした。ジュウゴは桶を手渡されるも突き返す。助走を付けて水流に踏み込み、勢いをつけて土嚢を飛び越えた。


 流水に逆らって階段を上る。扉はいつも以上に重く、取っ手を握っただけでは開かない。全体重をかけて押し開け、勢いをつけて押し寄せる水流に足を取られては手をつきながらジュウゴは地上を目指した。最後の扉にたどり着く。体当たりするようにそれを押し開け、洞穴を抜けて地上に出た。


 地上はひどい熱気に包まれていた。雨は重たく空は暗い。太陽などどこにもいないのに地面からは湯気が立ち込めている。怒号と血飛沫と金属が奏でる轟音が辺り一面を覆っている。


 銃声が響いた。ジュウゴは顔を上げる。小銃を構える男たちが、一斉に弾を装填して再び引き金を引く。

 頭上をイシガメとクサガメが駆け抜けた。見上げた先のヤマカガシが弓を胸前で引いて矢を放つ。射抜かれた男が振り返ってそれを抜こうとした瞬間にイシガメがその頭を叩き割った。崩れ落ちる男をクサガメが捉える。


「よし」


 言いながら次の矢を構えようとしたヤマカガシはジュウゴと目が合う。驚いて動きを止めたその背後に黒い影が迫った。ジュウゴが声を上げるよりも早くトカゲが短刀でその喉を掻っ切る。真っ赤な弧を伴って太い巨体が眼前に落ちてきた。


「何してる!」


「悪い」


 目も合わせずにトカゲとヤマカガシは背中を合わせた。ジュウゴは足元を見遣る。横たわる男の周りに赤い水溜まりが流れていく。


「ジュウゴ!」


 ヤマカガシがが叫んでこちらに矢を向けた。驚くジュウゴの目の前に矢で貫かれた男が倒れ込んでくる。すかさずトカゲが飛び降りて来て下敷きの男の首を切った。取っ手が壊れた蛇口のように血液が飛び散ってジュウゴの頭から降り注ぐ。


「おま…ッ、なんで!」


 鼻筋に皺を寄せてトカゲがジュウゴの眼前で怒鳴った。ジュウゴは男から視線を上げ、トカゲを見た。


「トカゲッ!」


 ヤマカガシが叫ぶ。見るとイシガメとクサガメが二手に分かれている。舌打ちしてトカゲが走り出した。ジュウゴは出遅れる。


「お前は動くな!」


 ヤマカガシに怒鳴られてその場に立ちつくした。

 トカゲがクサガメに加勢する。イシガメが後方から殴られる。ヤマカガシが慌てて弓を引き、男は背中の矢を抜こうと体を捻った。イシガメは起き上がらない。クサガメが背後を振り返って叫ぶ。離れた場所からリクガメがイシガメの名を呼び、迫りくる男をなぎ倒しながら走る。イシガメの上に刃が光る。トカゲの義手が飛ぶ。

 ジュウゴは誰の声も聞かずに駆けだしていた。体当たりで鉈の持ち手を押し倒し、すぐさまイシガメに飛び付いた。


「イシガメ! イシガメッ!」


 揺さぶってもイシガメの目は開かない。後頭部は大きく抉れて流血が始まっていた。酷い損傷だ。ジュウゴは患部を押さえる。止まってくれ。指の間から熱い液体が滲みでる。止まれよ、早く。止まらない。


「逃げろォッ!!」


 リクガメが叫んだ。ジュウゴは顔を上げる。頭の上に鉈。両手は塞がっている。血濡れた刃が振り下ろされる。

 黒い影と共に鉈の男は倒れた。カエルたちが一度に後ずさりした。動揺が走る。


「ワン……」


 ワンは鉈を手にしたままの男の首筋にかぶりつき、首を左右に振って地面に叩きつけていた。


「起こすぞ」


 見るとクサガメがイシガメを挟んで屈んでいた。ジュウゴはうなずき、イシガメの肩を持ち上げる。クサガメと左右から担いでヤマカガシの下まで急いだ。


「イシ、しっかりしろ、イシ!」


「壊れないんだろう?」


「手ぇ離せま」


「目え開けろよ、イシぃ……」


「落ち着け! クサ!」


 クサガメは見たことも無く動揺し、濡れた頭髪の先を震わせて呼吸をしていた。ヤマカガシがイシガメの体を裏返して仰向けにし、膝の前に座らせるようにして後頭部を見る。


「大丈夫やって、絶対大丈夫…」


 クサガメに語りかけるより自分に言い聞かすようにしてヤマカガシはイシガメの後頭部に当て布をした。イシガメの目元が引き攣る。


「イシ!」


 クサガメがジュウゴを押し退けた。ジュウゴは肩を洞穴の壁面にぶつける。半身に雨が当たる。ジュウゴは振り返った。トカゲが囲まれている。リクガメが足止めを食らわされている。「女?」「女…」という男達の声。


「ジュウゴッ!」


 ヤマカガシの制止を振り切ってジュウゴは駆け出た。大粒の雨に打たれながら声の限りに叫ぶ。横たわる体の手から使い方もわからない棒きれを拾い上げ、振り上げながら突っ込んだ。折り良く振り返った男の横顔を棒が打つ。男の顔が砕けてそのまま倒れた。両手に残る感覚と動かない体を見下ろして、ジュウゴは我に返った。


「てんめぇッ!」


 別の男が恐ろしい脚力で飛んできてジュウゴは押し倒された。喉を締めつけられる。苦しい。両足をばたつかせて力の限りもがくが男もジュウゴを離そうとしない。ジュウゴは閉じかけた瞼の隙間の中で男の腕の位置を確認した。左手でその手首を握り、右手の拳でその肘を打つ。男の片腕が曲がったその隙に腕を巻きこんで形成を逆転させた。数秒間分の酸素を大急ぎで吸いこむと、起き上がりかけた男に跨って襟を掴み、右手の拳でその頬を殴りつけた。骨が軋む。男の顔が回る。男の顔が戻る前にさらに殴りつける。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。男が憎いわけじゃない。腹など立てていない。腹も減ってないし別に今すぐ必要なわけじゃない。ただ、ただ……。


 握った拳の指の間がねっとりと不快に濡れた頃には男は動かなくなっていて、ジュウゴはようやく手を離した。肩で息をしながら両手を見下ろす。男は動かない。ジュウゴも動けない。突如、呼吸器官が痙攣を起こした。壊した。僕が? 僕が! 僕だ! 僕が殺…



 頭を振った。すべきことから手をつけろ、外側から流れ込んでくる情報のみに集中する。三方から攻められている片腕のトカゲが視界に飛び込んできた。左手首を掴まれる。開かれた手指から短刀が落ちる。振り上げた足も取られ、軽々と荷物のように担がれた。


 地面を見回す。足元の動かない男を担ぎあげ、その体を投げつけた。鈍い男が背中で受け止めて、折り重なるように地面に倒れる。あと二つ。鍬を拾い上げて走り出した。振り向きざまの顔に上から叩き下す。飛沫が舞って絶叫を響かせて男が膝をつく。あと一つ。


 トカゲを抱えた男が反対の腕を振り回した。鎖の先の鉤型が飛んできてジュウゴはその場にしゃがみ込む。背中を掠る。歯を食いしばる。勢いのままに男の膝に両手を回し、全身を使って頭から突っ込んだ。たたらを踏んだ男が横倒れしてトカゲも地面に投げ出される。背中の痛みに顔を歪めつつもジュウゴは手をつき立ち上がり、男の腕を払ってトカゲを立たせた。


「早く!」


 目を見開いたトカゲがジュウゴを見る。


「すぐ戻るんだろう?」


「え?」


「ヤモリに言っていたじゃないか!」 


 どうも動きと反応の鈍いトカゲにやきもきしながらジュウゴはその手を引いて地下への改札に戻ろうとした。しかしすぐに立ち止まる。鉤型の男と最初に倒れさせた男が行く手を塞いでいた。ジュウゴがトカゲもろとも一歩後ずさりした時、左手の男が突然空を仰ぎ、白目を剥いて倒れた。振り返った鉤型の男は背負われ投げられ地面に叩きつけられ、仰向けのまま胸を一突きされて、数秒間の痙攣の後で完全に動きを止めた。


「リクガメ…」


 すがるようにジュウゴは呼んでいた。雨と血と汗でどろどろのリクガメがジュウゴに真顔を向け、一直線に向かってくる。思わず肩をすくめたジュウゴの頭をリクガメはがちりと掴むと、前後左右に揺らした。


「さすが俺の下僕だ」


 見上げると、どろどろの顔の中で白い歯が覗いていた。


「リクガメ…」


「意外な組み合わせが割と上手くいくもんだね」


 言ってジュウゴから手を離すとリクガメはトカゲを見下ろした。


「大丈夫かい? トカゲちゃん」


 トカゲが無言で頷く。リクガメはジュウゴたちにやるようにトカゲの頭に手を置くと、


「大丈夫だよ、トカゲちゃん」


 言って二回、軽く叩いた。


「リクガメ…」


 呼ばれたジュウゴにリクガメは頷き、周囲を見回した。


「あらかた片付けたけど最後の悪あがきで狙ってくるとしたらトカゲちゃんだ。死守して戻るよ」


 『ししゅ』って何? と聞こうとしたがとりあえずついていこうとジュウゴは頷く。


「忘れたの? さらし」


 リクガメがトカゲを見下ろす。


「時間がなかった」


 俯いたトカゲが久しぶりに声を出した。


「まあ、そうだよね」


 リクガメは優しく頷く。


「完全な奇襲だ。宣戦布告もなしにさ。あっちも相当切羽詰まってるんだろうね」


 言って息を吐くと、


「今後は改札に常時見張り置いて、あとはどんちゃん騒ぎも交代制かな? 窮屈になるけどさ、カメとヘビで分けちゃうとかすれば何とかなるっしょ」


「リクガメ!」


 ジュウゴは笑みまで浮かべて寛いでいるリクガメを呼んだ。指差す先には原付の一団。こちらに向かって走ってくる。リクガメの顔と声が途端に厳しくなった。


「イシの言ってたやつか」


 昨日みたいに本気で怒っているリクガメをジュウゴは二度見した。


「戻るんじゃないのか?」ジュウゴは確認する。


「戻るけどさ、」リクガメが指の関節を鳴らした。「『あれ』は返してもらわないとね」


「『あれ』って?」ジュウゴは焦りながら尋ねる。原付の一団はもうすぐ傍まで迫っている。


「元々はおっちゃんの技術だ」リクガメが歯茎を剥き出しにした。


 ジュウゴは混乱する。どうやら原付のことを言っているらしい。今まさに相手が跨がっているその乗り物を『返してもらう』?


「どうやって…」


「ジュウゴ、」


 リクガメが冗談を一切含まない顔で、「それとって」


 手のひらを見せて顎をしゃくったその先は、横たわる男が握る、鉤型のついた鎖だった。


「俺があれ止めてる間にお前はトカゲちゃん連れて(した)に戻んな。お前、足は速いっしょ」


「リクガメは?」とジュウゴ。「君だけであの団体から逃げまわるというのか? 無理だろう。君は足が遅いじゃないか」


「言うねぇ」リクガメが片側の頬を引き攣らせる。「お前と違って馬鹿じゃねえよ。まかしとけや」


 依然として迫り来る一団を睨んで動かないリクガメには何を言っても効かなそうだ。ジュウゴはトカゲの手を解き、言われた通りに鉤型付きの鎖に手を掛けた。抜けない。


「離れろ!」


 トカゲが叫んだ。ジュウゴは顔を上げリクガメは振り返る。死んだとばかり思われていた男は鎖を握ったまま起き上がろうとしていた。

 鎖を引かれる。握りしめていたジュウゴはがくんと顎から引き寄せられる。トカゲが踏み出そうとしたその横をリクガメが駆け抜けた。ジュウゴが握る先の鎖を掴んで両足を踏ん張り、肘と肩でジュウゴを押し戻す。腹にリクガメの肘が入ったジュウゴは短い吐き気と共に手を離して地面に尻をついた。


「走れジュウゴぉッ!!!」


 リクガメが怒鳴る。目を開けたジュウゴが見たのは走り来る原付の一団。片や腕に鎖を巻かれたリクガメ。

 トカゲが駆けだした、リクガメの方に。迫る原付。伸びる手。サン。

 ジュウゴは立ち上がるとトカゲの手を掴んで引き戻した。離せと叫ぶトカゲを無視し、改札に向かって一目散に走りだす。


「リクガメが囲まれた!」


 トカゲが叫ぶ。


「あの数はリクガメでも無理だ、戻れ!」


 横たわる体を避けて瓦礫を迂回して、


「離せ!」


「しっかり掴めとけってリクガメが言ったんだ!!」


 改札になだれ込む。壊す勢いで扉を開く。階段を駆け上がってきたヤマカガシと目が合う。


「イシは大丈夫やちゃ。麻酔で寝とる…」


「ヤマカガシ!」


 ジュウゴは最後まで聞かずにヤマカガシの腕を掴んだ。


「トカゲ! 返してヤモリの! 離さないで!!」


「は? なに…」


「待て!」


 ヤマカガシの手にトカゲの手首を握らせて、ジュウゴは再び土砂降りの中に舞い戻った。

 走る。走る。飛び越える。つんのめりながら手をつき走る。リクガメ! 囲まれながら応戦している。だが多勢に無勢。


「リクガメぇ!!」


 叫びながらジュウゴは一団の中に走り込んだ。原付に跨がったままの男、リクガメと殴り合っている複数の男、倒れ込んだいくつかの体と鎖にまみれた血だらけのリクガメ。ジュウゴは手を伸ばす。届かない。リクガメ…


 手首を掴まれる。捻り上げられ転ばされる。背中から落下して息が滞る。足首に鎖が巻きつく。引き摺られる。両手と片脚で抗うが背中は滑りの良い地面から離れない。曳かれる。引かれる。


 眼前が暗くなってジュウゴの体はその物体にぶつかり止まる。ジュウゴの足に絡みついた鎖を踏みつけ、握り手を殴り倒したリクガメだった。広い背中が丸く固まったままふらつき、膝をついた。仰向けのまま肘と腕で起きあがろうとしたジュウゴはしかし、目の前に見慣れた拳が迫ってきて反射的に上体を反らす。潰れかけた顔で低速の拳を繰り出したリクガメは、それを見事に避けたジュウゴを見つめて、笑った。嫌味も冗談も意地悪もない、底が抜けた青い空のような笑顔で、


「いいね」


「…リクガメ?」


 ジュウゴの呼びかけは届いたのか。一瞬の笑顔の後でリクガメの顔は再び鬱血し、首に巻かれた鎖の先を二台の原付が引いていく。


「リクガメ!!」


 ジュウゴは立ち上がりながら走り出す。足が重い。鎖だ。邪魔だ。しかし巻き取る時間も惜しい。そうこうするうちにリクガメはどんどん離れていく。丸い体が地面の隆起に呼応するように揺さぶられ、瓦礫に当たってはおもしろいほどよく弾む。


「リクガメ! リ…」


「朝ぁ!!」


 どこかで怒鳴り声が聞こえた。そこかしこで血まみれの戦いを繰り広げていた塊が徐々に解体し始め、一方は地下に駆け込み、もう一方は原付に跨って退散していく。見ると雨はいつの間にか止んでいて、灰色の雲間からは真っ青な空と残酷な光が射していた。


「リクガメぇッ!!」


 ジュウゴはなおも叫びながら手を伸ばした。リクガメはどんどん離れていく。代わりに原動機の音が近づくのをジュウゴは気付かない。


「ジュウゴ!」


 トカゲの声に振り返った時には側頭部を殴り倒されていた。右の内耳が機能障害を起こす。くぐもる音の中で、止まりそうな拍動だけが頭に響く。自力では起き上がれなかったジュウゴの胸ぐらを掴み上げた男の半面はまっ赤に染まり、片方の耳は跡形も無くなっていた。


「聞こえんげんて、右の方。返せま、俺の…」


 何重にもなって回る男の顔にジュウゴは見覚えが無い。何を言っているのかもわからない。


「リ、ク…」


 ジュウゴは震える指を開いて胸ぐらを掴む男の手首に手を伸ばした。もう一方の男の手指も近づいてくる。ジュウゴの指先が男の腕に触れた時、左の視界が暗転した。頭蓋の中で音がした。


「ああああああああああああああッ!!!!」


 誰かの声が絶叫の後ろに響いていた気がした。右側の視界が赤く染まる。左側は、左側が、


「ジュウゴッ!」


 左が、左ッ!


「麻酔は?」


「イシので最後!」


「じゃあどうする!」


「押さえれ!」


「やめて!」


 悲鳴の後に鈍い感触を覚え、ジュウゴの意識はそこで途切れた。

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