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15-31 リクガメの憂鬱

 まとわりつくイシガメをシマヘビに預けて、絡んでくるクサガメもシマヘビに押し付けて、ジュウゴはやっとのことで広間を後にした。トカゲにいてもらえば良かったかもしれないという思いもよらなかった後悔と共に。


 そのまま寝床に直行しようかとも思ったがトカゲに約束した手前、嘘をつくのもどうかと思い地上に向かう。これでリクガメがいなかったらそのまま寝よう、会えなかったのなら仕方ない、きっといないだろうと願って地上への通路を歩いていると向こうから誰かがこちらに向かってきた。誰だろう。知らない顔だ。だが自分が知っている顔の方が少ないことをジュウゴは思い出し、きっと彼もこの地下の誰かなのだろうと合点した。


地上(うえ)にリクガメはいなかった?」


 向かってくる男に声をかけた。しかし男はジュウゴから顔を背け、「さあ」と言ったきりだった。


「さあって君は上から来たんだろう? リクガメがいたかいないかくらいわかるじゃないか」


 ジュウゴは立ち止まって男に不満を告げたが、男は相変わらず壁の方を向いたまま、そそくさとすれ違っていってしまった。ジュウゴは男の背中を恨めしそうに見送る。感じの悪い奴もいたものだ、と鼻で息を吐いて地上への階段を上った。

 扉を開ける。寒さに目が冴える。こんな寒さの中にいるはずないと思ったのに、ジュウゴの願いとは反対にリクガメはいた。


「なんでいるんだよ……」


 ヤマカガシまでいるし。出来れば誰もいないでほしかったのに、という言葉は辛うじてのみ込んだが、本音の前半は口をついていた。


「ジュウゴ? どうしたのさ。トカゲちゃんとは間が持たなかったかい?」


 リクガメが笑顔で尋ねてきた。対照的にヤマカガシは怒りを噛み締めたような顔でジュウゴを一瞥した。リクガメと会話をしていただろうに、そちらを見もしないでジュウゴの方に向かって早足で歩いてくる。びっくりするほど怒っている。


「ヤマカガシ?」


 ジュウゴの呼びかけも無視してヤマカガシは地下に駆け下りていった。


「彼はどうしたんだ?」


 他の皆は箍が外れたみたいに笑い転げて騒ぎまくっているのに。


「ジュウゴはどうしたのさ」


 ジュウゴの質問には答えずにリクガメが尋ねてきた。ジュウゴは首を傾げながら頭を掻きつつリクガメのそばに行く。


「まあ、座りな」


 リクガメは自分の隣の地面を手のひらで叩いて見せた。ジュウゴは言われるままに腰を下ろす。


「どんちゃん騒ぎは嫌いだったかい?」


 騒がしく騒いでいる様子はリクガメも知っているのだろう。『どんちゃん』が何なのかはわからないが。


「嫌いではないよ。楽しげでいいと思う。でもあの臭い液体を飲ませられるのは耐えられない」


「そのうち美味くて仕方なくなるよ」


 言ってリクガメは笑った。


「リクガメはどうしてここにいるんだ? 皆と一緒に飲めばいいじゃないか」


 リクガメの手元にあるのが、トカゲが飲んでいたそれと同じものだったと思い、ジュウゴは地下への扉を見やる。


「静かに飲みたい時もあるっしょ」


 同意を求められてもジュウゴにはどうしようもない。飲んでないし飲みたくもない。どう答えようかと悩んだが、リクガメはジュウゴの返事を期待してはなかったようだ。


「体は? 大丈夫かい?」


 先の決闘のことを言っている。ジュウゴは背中を伸ばして首を回してから「肩が上がらない」と答えた。


「派手に固められてたからねえ」


 リクガメは思い出し笑いに肩を揺する。


「でもあの逆転は凄かったよ。正直、全く期待してなかった。トカゲちゃんを負かすとはねぇ」


「あれはイシガメのお陰だよ。正攻法じゃない。卑怯な方法だ。あれを勝ちと言ってしまったら…」


「実戦では何でもありだよ。気を抜いたトカゲちゃんが悪い」


 リクガメが真面目な声でジュウゴの愚痴を遮る。「あれはジュウゴの勝ちだ」

 言うと再び優しげな笑顔に戻って「自信持ちな」とジュウゴの背中をイシガメがするように平手で叩いてきた。ジュウゴは痛みに体をよじる。体中痛いと言っているのに。多分リクガメはわかってやっている。


「で? 聞けそうかい?」


「何が?」


「何がってお前、仲間のことだよ。それを聞くためにトカゲちゃんに決闘、決闘言ってたんでしょや」


 ジュウゴは言われて思い出した。トカゲの視線が鋭すぎて恐ろしくて、慌てて退散してしまった。再び決闘になって痛くされるのが嫌で、それを回避することばかりに注意が向いていた。


「忘れていた」


「忘れてたのかい!?」


 リクガメは素っ頓狂な声で呆れて、しかし「そんなもんかもね」と言って手の中の液体を飲み干した。

 ジュウゴも愕然とした。最重要項目だったはずなのに、何故あの時は失念してしまっていたのだろう。


「そんなことは…その程度のことなんかじゃなかったんだけど…」


 呟き始めたジュウゴの隣でリクガメが手酌する。


「ここのところ、正直に言うと、みんなのことを思っていない時間があることがある」


 ジュウゴは両手の指を絡めて項垂れる。


「あんなに早く行かなきゃって早く探さなきゃってずっと思っていたはずなのに、気がついたらどうすれば君から一本取れるかを一番考えていたり、イシガメと話しているとおかしくってつい笑ってしまったり、ヤマカガシに腹が立ったり子どもたちとの『おにごっこ』が楽しかったり」


 自分などが笑うなんて不謹慎だと思っていたのに。


「イシガメは死なないのなら無表情ではいられないみたいなことを言っていたけれども、だからと言って愉快に笑っていたらジュウシやハチに後ろめたくて」


 シュセキだって置いてきてしまった。


「それに」


 コウ。

 ジュウゴの手指に力が入る。


「サンは本当に死んでしまったの?」


「だから俺に聞くなって。わかんないって言ってるっしょや」


 リクガメが息を吐く。

 そうなのだ。だからトカゲに聞くために決闘して勝ったのだ。それなのに。


「最悪だと言われた」


「誰に?」


「トカゲ」


 あの子なら言いそうだ、とリクガメは口中呟いた。


「彼女は目付きが悪いし態度も悪いし言葉はきついし目付きも怖いけれども、」ジュウゴは項垂れ、「でも彼女は正しいことしか言わないと思う」


「あのさあ、」


 リクガメが呆れたように息を吐いた。白けた目でジュウゴを横目に見て、


「慰めてほしいだけなら他あたれや」


 ジュウゴは唇を閉じる。顔を上げることもかなわず唾を飲み込む。


「何? 『そんなことないよ』とか『お前はがんばってるよ』とか言ってほしいわけ? トカゲちゃんに言われたことにへこんでるみたいだけど、あの子のが正しいって思ってんだべ? だったら直接聞いてくればいいいべや。俺に聞いてもわかんないって何回言わせんね」


 ジュウゴは押し黙る。


「ネズミに連れてかれた女探してるっつってたけどさ、そんなバカな事本気でやってるなんて骨のある奴かなって思ったけどさ、お前、口で言う割になんもやってないよな。そんなに大事な女ならなんで手、放したんだよ。しっかり掴んどけや」


 怖かった。笑いながら殴ったり蹴ったりしてくるリクガメも恐ろしいし、真顔のままで笑い声をあげるリクガメにも何度も背筋が寒くなったが、今日のリクガメはいつもと違う。本気で怒っている。機嫌が悪いのかもしれない。赤い子どもが増えた前後もそうだったけれども今はもっと刺々しい。

 委縮して押し黙ったジュウゴに気付いたリクガメは、はっとして顔色を変えた。ジュウゴに声をかけようとして思いとどまり、下を向く。手の中で転がしていた温くなった酒を見つめ、一息で杯を空けた。

 しばらく互いに無言だった。ジュウゴは反省している。トカゲも正論だがリクガメも同じく正しくて、言い返す言葉も出てこない。

 リクガメも反省していた。完全な八つ当たりだった。こんな子ども相手に何をやっているんだと自己嫌悪に頭を抱える。しかしジュウゴから沈黙を破ることもないと悟ると、意を決して空になった杯を地面に置き、息を吐いて顔を作った。


「でもさ、出来ないこともあるもんだよね。わかっててもさ。理屈通りにはいかないのが現実ってもんでしょや」


「現実…」


 とジュウゴは繰り返した。リクガメの雰囲気がいつものそれに戻ったことに少しだけ肩の力を抜いて、ジュウゴは少しだけ顔を上げる。


「トカゲの胸の中には現実が入っているのかな」


 リクガメがきょとんとする。


「ほら、スッポンやシマヘビの胸の中には夢と希望が入っていて、スッポンは未来を外に出しただろう? でもトカゲは女子なのに夢と希望が入っていないから…」


「その話、また続いてたの」


 リクガメが呆れる。


「いや、だって入ってないだろう? 僕たち同様に彼女は胸が真っ平らじゃないか。だからトカゲの胸の中には夢と希望じゃなくて…」


「夢と希望かあ」


 リクガメはジュウゴの戯言を最後まで聞かずに、胡坐を組んでいた脚を投げ出して空を仰いだ。


「だったら俺のは現実と絶望だ」


「現実と絶望」


 ジュウゴは繰り返す。彼女もそうなのかもしれないと思う。だからトカゲは正しいことを言うのかもしれない。


「まあ、現実的な話をするとさ、」


 考えこんでいたジュウゴをリクガメが体を起こして覗きこむ。「お前、うち入んない?」


「打ちに入る?」


 呟いてからはっとして、ジュウゴは身構えた。リクガメは一瞬きょとんとしてから合点がいったのか、失笑した後でくしゃりと破顔する。


「違う、違う、そっちじゃない。今は殴らないから安心しな」


 ジュウゴは首を傾げる。リクガメはひとしきり笑った後で、ジュウゴを正面から見つめて、


「俺らの仲間になんないかって言ってんだけど」


 ジュウゴは眉根を寄せてリクガメを見つめた。


「僕はリクガメたちは仲間だと思っているよ」


 今度はリクガメがジュウゴを見つめた。そして再び破顔すると、イシガメにするようにジュウゴの頭を手の平で掴み、左右に乱暴に揺すった。


「何をするんだ…」


「そっか。何だよ、そっか! だったら話、早いな」


 リクガメは嬉しそうに言うとジュウゴの頭を揺するのを止め、手のひらで掴んだままでジュウゴの顔を覗きこんでにやりと笑った。


「今日からお前は一番弟子改め、俺の下僕四号だ」


『でし』って何? と聞く前に、良からぬ気配を感じてジュウゴは尋ねた。「『げぼく』って?」


「下僕はいいよ~。俺の手となり足となり働きまくれるんだから、嬉しいっしょ? やー、増えるってのはいいねぇ!」


「嬉しい要素が見当たらないん…」


「ちゃんと名前ももらわないとね。いつまでも番号で呼んでられないしさ。やっぱカメかな? ヘビにはやりたくないな」


 リクガメはジュウゴの物言いたげな視線に、抜けるような空みたいな笑顔を向けた。


「シュウダには俺から言っとくからさ。心配すんなって」


 言ってジュウゴの頭を勢いよく解放した。



* * * *



 長方形の卓を挟んでヘビと対峙する。ヘビ達は眠そうだ。ヒバカリとジムグリが欠伸を噛み殺している。ヘビ達だけではない。隣に座るリュウキュウヤマガメは舟を漕いでいる。タカチホヘビが物凄い形相で睨んでいるのさえ全く効いていない。リクガメはリュウキュウヤマガメの爪先を踏みつけた。悲鳴とがたつかせた椅子の音に部屋中の冷たい視線が集中する。リュウキュウヤマガメが咳払いをして取り繕おうと無駄な努力をした時、シュウダがようやくやってきた。


「待たせたのう」


 ヘビ達の背後をどすどすと大股で歩いて、長方形の短辺の席に座った。シュウダも眠たそうだ。こんな日くらい会議など休みにすればいいのに、とリクガメは思う。

 ヘビとカメの親睦を深めるための情報交換の場だと言ってシュウダが始めた報告会は、実際はヘビからの要望をカメが一方的に引き受けるだけの場と化していた。言うなれば『命令会』だ。各班の責任者が召集され、シュウダが進行役を務めたが、深まるのは親睦ではなく互いへの嫌悪感ばかりだった。


「これが例のやつけ」


 リクガメから受け取った小銃を眺めながらシュウダが言う。


「そっちは俺たちが作った複製品です。でも性能は劣らないはずです」


 リクガメはシュウダにジュウゴの小銃も手渡しながら説明する。


「試し撃ちはしとらんがか?」


「なんであの夜汽車は小銃なんて持っとったんかのう」


 ヒバカリたちはカメが作った小銃を断りも無しに手にしていた。リクガメは努めて静かに一つひとつに答えていく。


「俺が受け取った時には弾薬は三発しか残っていませんでした。貴重な弾を試しで使うのはどうかと思ったんで二発はそのまま残してあります。それに試し撃ちならそちらも一緒に見た方がいくないですか? 小銃がどこから来たかって話ですけどジュウゴはワシのところから逃げてくるときに『コウ』と『ハツ』という協力者がいたそうです。あいつの話は俺もいまいち理解出来てないんですけど、おそらくその協力者たちから受け取ったものかと」

「夜汽車に協力者? なんやそれ」


 嘲笑のような息を吐いたジムグリをリクガメは横目で見た。


「俺もよくわかりません。ちなみに夜汽車でなくて『ジュウゴ』です」


 いまだにジュウゴを夜汽車と呼ぶジムグリに釘を刺したつもりだったが、ジムグリは都合の悪いことは聞こえない耳のようだ。


「弾がなけりゃあ性能も何もなかろう」


 ヒバカリが呆れたように顎を上げて三白眼で見てくる。リクガメは微かに口元に笑みをたたえ、


「うちは物作りを生業にしてきましたけど、弾薬は門外漢です。むしろ薬ならヒバさんの方が専門なんじゃないんですか?」


 皮肉を込めて放った一言は、リクガメの思惑通りにヒバカリに届いたようだ。ただ、予想以上に効果があり過ぎた。


「薬は薬でも治療が目的やにか。弾薬なんて触ったことあるわけなかろう!」


 俺だって小銃なんて扱ったことねえよ、という言葉は飲み込んで、リュウキュウヤマガメに目配せする。


「あ、俺の班で作った試作品ならあるんすけど…」


 質問がリュウキュウヤマガメに集中し始めたのを見て、リクガメは腰を下ろした。どうせまた、次の報告会までに性能を高めろだとか弾をもっと用意しろだとか、そんな結論で終わるのだろうと予想しながら。

 (かしら)が健在であれば、ヘビとカメの頭が話し合って何でも決めてくれてさえいれば、リクガメもこんなところに引きずり出されることはなかった。だが頭が不在なのと変わらない今の状況ではそうも言ってられない。シュウダの試みならば聞き入れるしかない。完全な隷属化も出来ただろうに、自分たちを対等に扱おうと尽力してくれているシュウダには感謝しかない。

 そうだ。シュウダには世話になっている。


「撃ち方は俺の班でやりますよ」


 ヒバカリがシュウダに言った。まるで誰もやりたがらない仕事を引き受ける責任感の塊みたいな顔をして。逆だろう、とリクガメは顔に出さずに憤る。矢よりも飛距離のある小銃の撃ち方なんて、高みの見物みたいなものではないだろうか。そうしてまた、前線はカメに押し付けるつもりなのだろう。セマルハコガメが何日寝なかったと思っている。アカウミガメの苦労も知らないで。


「操作は作り手の方が熟知していると思います。万が一の暴発なんかも考慮して俺たちがまず使ってみるべきじゃないですか?」


 リクガメは自分に出来る限りの抵抗を試みた。リュウキュウヤマガメも同意する。しかし数の上でヘビに劣るカメは、その分、声も小さい。


「マタを前線に送れ言うがか?」


「いくらカメの女言うても、新婚早々独り身は辛かろう」


 ヒバカリの提案をジムグリが肯定する。タカチホヘビが痛いところを突いてくる。昨日の宴の主役を贔屓するのは当然の流れだった。


「マタはまだ寝とるがか?」


「随分飲んでましたしね」


「嫁さんと子どもはどうしとる?」


「シマが甲斐甲斐しくついてましたわ」


 シュウダもヒバカリの提案を採用した。トカゲちゃんも付き添ってるよ、頑張り屋の女の子のことを思いながらリクガメは椅子に深く座り直した。



 よほど気に入ったのかヒバカリは小銃をなかなか手放そうとせず、リクガメ達はそのまま預けておくことにした。手荷物が軽くなるしちょうどいい。

 リュウキュウヤマガメに声をかけて部屋を出ようと立ち上がったリクガメはしかし、シュウダに呼び止められた。話の内容は案の定、ヤマカガシのことだった。


「あいつどうけ? ちゃんとやっとるがか?」


「ヤマ君のおかげでうちはちゃんと回ってるんですよ。ジュウゴの面倒も見てくれて俺も助かってます」


 多少のおべっかは使ったが半分は本当だ。シュウダは安心したように目尻を下げる。この様子だと、


「いつから会ってないんですか?」


「昨日も顔出さんかったし、半月くらいか」


「俺からも言っておきますよ」


 昨日の事があったからヤマカガシが自分の言うことを聞くかどうかは微妙ではある。だが睡眠不足からか実年齢以上に老いて見える保護者を前にして、リクガメは同情を禁じ得なかった。シュウダはリクガメの厚意を素直に受け取り、詫びの言葉で礼を述べた。


「月命日くらいは顔出せ言うてくれんけ」


「俺も同行しますか?」


「気の毒な」


 見ているこちらが気の毒になるほどシュウダはリクガメに感謝した。


「シュウダ…」


「お頭ぁ!」


 タカチホヘビだった。腕を組んでまるでワシでも相手にしているかのようにリクガメを睨んでいる。


「何け?」


 シュウダが顔を上げた。タカチホヘビは別に何か用があってシュウダを呼んだわけではない。だた阻止したかったのだ、自分の頭がカメに謙ることを。


「シュウダ、俺からも一つお願いしてもいいですか?」


 リクガメは形成を変えようと試みる。しかしここで痛恨の失敗を犯した。


「うちのかしらを呼び捨てけ!」


 タカチホヘビの怒りが爆発した。今日は何事もなく終わらせられると思ったのに。


「ごめんね、タカチ君」


 リクガメはタカチホヘビに謝罪してからシュウダに向き直る。


「すみません、シュウダさん。ジュウゴのことで一つ…」


「呼び捨てにしろって言ったのはシュウダなんだけどなー」


 リュウキュウヤマガメがとぼけた風に呟いた。せっかく消しかけたタカチホヘビの怒りが再び燃えあがる。


「だら。カメに何、本気になっとんが」


 ヒバカリが言った。その一言にカメに対するヘビの全ての感情が凝縮されていた。たかだかカメだ、本気で腹を立てる価値もないだろうにと、リクガメにはそう聞こえる。


「タカチ、ヒバ、いい加減にせい」


 シュウダの一喝でヘビ達は押し黙った。まだこちらを睨み付けているタカチホヘビをジムグリが顎で追い立て、ヘビ達は退散する。


「すまんの」


 ヘビ達が出て行ってからシュウダはリクガメに頭を下げた。「リクガメには苦労させる」

 それだけ言ってヘビ達を追ったシュウダの背中に、リクガメは会釈した。ジュウゴの件はまた日を改めた方が賢明だろう。


「すったらことすんなや」


 リュウキュウヤマガメが舌打ちした。


「余計なこと言うなや」


 リクガメも睨みつける。「せめてヘビの前では『さん』付けしろよ」


「付け忘れたのはどっちだよ」


 リュウキュウヤマガメがもっともなことを言う。


「大体、呼び捨てにしろって言ったのはシュウダだべや」


 リュウキュウヤマガメの言い分は間違ってはいない。同盟を組むと言ってカメの元に現れたシュウダは確かにそう言った。俺とお前らは対等だ、俺のことは呼び捨てでいい、と。

 気さくな男だ。カメたちはすぐに打ち解けた。親を亡くしたばかりの子どもたちには父親代わりの存在になった。

 しかしそれが徒となった。カメにとっては家族の一員になったとしても、ヘビ達にとっては立てるべき頭だった。面白いわけがない。ヘビ達の鬱屈した感情はカメへの嫌悪に繋がり、カメの頭が倒れた後からは侮蔑へと形を変えた。

 もちろん個別には上手くやっているところもある。ヤマカガシもシマヘビも、イシガメたちとは兄弟のように仲良くつるんでいるし、リクガメのことも慕ってくれていると感じる。カメとヘビの夫婦もあるし、アカマタはいい奴だとリクガメも思う。それでもカメとヘビという括りになった時、そこには断絶と高い壁がどうしても存在する。


「細工でもすっか。指の一本や二本吹っ飛ぶくらいのさ」


 リュウキュウヤマガメが扉の向こうを睨み付けて悪態を吐いている。


「ばーか」


 リクガメは卓を回りこんで扉の前まで行き、取っ手に手を掛けて、「どうせなら全滅の勢いで暴発させれや」と呟いた。

 立ち止まって動かないリュウキュウヤマガメにリクガメは振り返る。


「なした?」


「こわ」


「あ?」


「こぉわっ!!」


 言うとリュウキュウヤマガメはリクガメから最大限に距離をとり、足の指でも踏まれたみたいに顔を歪めてリクガメを見下ろした。


「怖いんだよ! お前はいちいち。どっから出てくんだよ、その発想」


 リクガメは年甲斐もなくはしゃぐ同輩を白眼視する。


「お前が甘っちょろいだけだべや」


「シュウダ! リクが! リクがあー!!」


「ばかやめろって!」


 子どもの頃のようにじゃれ合いながら会議室を後にした。



「やっぱし弾も準備しといて正解だったな」


 作業場に戻る通路でリュウキュウヤマガメが言った。「お前の読み当たりまくり」


「ヘビの出方なんて大体わかるっしょ。何年見てきてんだよ」


 吐き捨てるようにリクガメは返す。笑顔を作りすぎて疲れた顔筋は完全に弛緩していた。


「俺、ヘビに興味ねえし」


 リュウキュウヤマガメが鼻で笑った。


「そうやってお前は面倒くさいこと全部こっちに回しやがって。つうかお前の嫁さんはヘビじゃなかったのか? ワシか? カエルか?」


「ヘビの『男』には興味ないんだよ」


 へっへっへ、とリュウキュウヤマガメは笑った。リクガメは呆れてからつられて笑う。


「調子いい奴」


「要領がいいと言え」


「押し付けが上手いだけだろ。ヘビと同じだべや」


「お前のその顔、ヘビの奴らに見してやりたいわ」


 リュウキュウヤマガメが声を上げて笑った。


「そういやお前、昨日、いなくなかった?」


 リュウキュウヤマガメが思い出したように聞いてきた。


「いたよ」


 リクガメは顔色一つ変えずに嘘をつく。


「まじで? 見た覚えないんだけど」


「お前が飲みすぎてただけだろ」


「そうだっけ?」


 リュウキュウヤマガメが首を傾げ、「リクがいたらイシはもうちょっと弁えてたと思うんだけどな。ヘビもいたのにさあ、あんな…」


「あいつ、また何かした?」


 リュウキュウヤマガメはリクガメを横目で見て不敵に笑う。


「やっぱしいなかったんだべや」


 はめられたリクガメはあからさまに不機嫌になってリュウキュウヤマガメを睨んだ。


「どこいたんだよ。手酌酒でもしてたか?」


 にやけ顔がリクガメに尋ねる。


「餓鬼のお守りだよ」


 憮然としてリクガメは答える。


「お守りねえ」


 言うとリュウキュウヤマガメはにやにやとリクガメの横顔を下から眺めた。


「…んだよ」


「あのスーが母親だよ? 感慨深いっつうかさ」


「まあな」


「アカマタは大丈夫だよ。ありゃべた惚れだ」


「んだな」


「俺はてっきりスーはお前とくっつくと思ってたわ」


「俺もそう思ってたよ」


「ん?」と聞き返したリュウキュウヤマガメに「読みが外れたな」とリクガメは言い直した。それから、


「で? 昨日あのバカは何した?」


 リュウキュウヤマガメは半笑いで、


「何っていつも通り。飲んで酔って吐いて寝た。でも昨日はクサも出来上がってたからさ、バカ兄弟そろってつぶれて大変だったよ」


「バカ兄弟とか言うなや」


 自分が馬鹿にするのは構わないが、他の口が同じように言うと腹が立つ。独占欲が強いのだろう。年下の前では見せない顔でリクガメはリュウキュウヤマガメに舌打ちした。リュウキュウヤマガメはリクガメの気持ちを察して、笑って誤魔化す。


「でもあのヘビの子、なんつったっけ? あの子がちゃんと介抱してたわ」


「ヤマ君?」


「いや女の子の方」


「シマちゃん?」


「そうそう! その子。あの子いい子だねえ」


 リクガメは少し機嫌を直す。リュウキュウヤマガメはそれに気づいて小さく笑う。


「ごちゃ混ぜのくせに仲いいよな、お前んとこ。ほんっと上手くやってるよ」


「んなこともねえよ。反抗期、始まって参るわ」


 上機嫌になったリクガが謙遜した。


「ああ。例のあの…」

 リュウキュウヤマガメが言葉を濁す。何年前の話を引きずっているのかとリクガメはため息をつく。


「トカゲちゃんは万年反抗期だよ。あれが正常だからもう慣れた」


「じゃ、誰?」


 リュウキュウヤマガメが目を丸くする。「イシが? クサの方? あいつらがお前に歯向かうとかまじ想像出来ないんだけど」


「ヘビの方」


 リクガメは簡潔に答える。


「そのシマちゃん?」


「男」


 はいはい、とリュウキュウヤマガメは頷き、


「シュウダの! …何だっけ?」


「シュウダの従姉妹の息子」リクガメがため息まじりに答える。


「……はとこ?」


「さあ? なんて言うんだべな」


 親戚筋でいくない? と互いに納得した。


「なんにせそんな面倒くさい奴、見てるってだけで尊敬もんだ。俺には出来ねえわ」


 リュウキュウヤマガメが天井を仰いだ。


「お前はやらないだけだべや」


 リクガメが冷たく指摘する。


「いやいや、お前だから回せてんだって。シュウダからも頼られてるしさ、もうお前、早く頭になっちゃえよ」


「おっちゃんはまだ健在だろ。滅多なこと言うなや」


「健在じゃねぇだろが」 


 リュウキュウヤマガメの口調が荒くなってリクガメは黙った。リュウキュウヤマガメは壁に向かって大きく息をつくと、「なあリク、」と真剣な面持ちになって歩みを止めた。リクガメも立ち止まって振り返る。


「お前が一言やるっつったら俺は何でもやるからな。それだけは忘れんなよ」


 そう言うとリュウキュウヤマガメは再び歩きだし、すれ違いざまにリクガメの肩を叩いた。


「とりあえず今日はうち来いや。飲み直すぞ」


「幸せ家族時間に邪魔する馬鹿はいねえよ」


「かみさんと子どもは実家に帰すからさ」


「今度は何の宴だよ」


 うんざりしながらリクガメがリュウキュウヤマガメの手を払って歩き出す。


「決まってるべや!」リュウキュウヤマガメはリクガメの前に躍り出た。


「傷心リク君の慰め会」


 すかさずリクガメはリュウキュウヤマガメに向かって拳を振り切った。しかしそれは空振りに終わる。げらげら笑うリュウキュウヤマガメがひらりとかわしたからだ。


「なんだよ、照れんなや。何でもやってやるって言ってるべや」


「ざけんな、お前」


「怖い怖い!」


 リュウキュウヤマガメが面白そうに跳ねて歩く。


「ま、それは冗談として」


 リュウキュウヤマガメは再び歩くリクガメの隣に並ぶ。


「何でも言えよ。数少ない生き残り組なんだしさ」


 八年前のことを思い出しでもしたのだろうか。リュウキュウヤマガメが一瞬、遠くを見る目でそんなことを言った。そう言えばあの日も宴の翌日だった。

 リクガメは唯一の同輩を横目で見遣ってから壁の方に視線を逸らし、「忘れなければ覚えとくわ」と言った。

 その視線の先に目をこらした。


「リュウ」


 立ち止まって声をかける。


「あれ」


 リクガメが指さした先をリュウキュウヤマガメも見つめ、走って行って確認する。


「なんだそれ?」


 排水管に取り付けられた見慣れない箱。リクガメは屈んだリュウキュウヤマガメの背中に尋ねた。と、リュウキュウヤマガメが振り返りざまに飛びかかってきた。

 リュウキュウヤマガメに覆いかぶさられながら後ろに倒れるリクガメが見たのは、昼みたいな眩しい光だった。

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