15-29 決闘
その日は珍しくリクガメが呼びに来なかった。
いつもは作業の途中に乗り込んできてはジュウゴを引っ張っていくのに。
「したらさ、今日は休みにしとくべ? 俺ら向こうの方ば何も見てねえし」
イシガメの言う『向こうの方』とはリクガメ達が何かをしている作業室のことだ。普段は口を開けば喧嘩しかしないイシガメとクサガメが、この時ばかりは平坦に合意して連れだって行ってしまった。
「授業はないけど補習はするのか?」
ジュウゴはヤマカガシに尋ねたが、イシガメがいないとヤマカガシはやる気も明朗さも半減する。
「なーん、いいが。自分も今日は休まれま」
それだけ言うとさっさとジュウゴを置いて部屋に帰っていった。
発酵し始めた堆肥の前でジュウゴは考える。『はたけ』の方を自分でやってしまおうかと思った。鍬も鋤も一通り使い方は習ったし。しかし、それらがどこに仕舞われていたか確認していない。出来ることを探してみるが何も思いつかない。
ここに来てからはとにかく周囲からの要求や指示が多くて、考える間もなく半ば強制的に身の振りを決められてきていたから、急に自由を与えられるとどうすればいいのかわからなかった。そこで思い出したのがワンのことだった。そう言えばあれ以来、ほとんど姿を見ていない。コウと分かれてからずっと不機嫌そうに怒鳴ったり歯茎をさらして睨みつけてきたり鼻筋に皺を刻んだりしてばかりいたけれども、あの時は妙にあの少女に懐いていて、そして少し笑顔だったと思う。
ワンはどうしているだろう。ワンを探そう、そう思った。
そのまま出歩くと臭いとリクガメに言われるので、作業着を着替えて通路を歩く。すれ違う男達にワンのいる場所を訪ねながら言われるままに進んでいくと見覚えのある女の後ろ姿があった。確か、
「シマヘビ?」
ジュウゴは駆け寄る。シマヘビは振り返るとおもむろに嫌悪感を全面に出してきた。せっかくの顔が台無しだ。
「何か用け? 変態男」
「『へんたい』ってどういう意味?」
シマヘビは更に醜い顔になって舌打ちし、「カッちゃんの言うとったがこれけ。歯がやしいわぁ」
ジュウゴは後頭部をぽりぽり掻き、「なんか、ごめん」と謝っておいた。理由は不明だが自分がシマヘビを怒らせていることはよくわかる。
「それで、その、『へんたい』ってどういう意味?」
シマヘビは少し考えると顔を上げ、
「気色悪い趣味しとる胸くそ悪いくそ男言うたらわかるが?」
「……君に嫌われていることはよくわかったよ」
声をかける相手を間違えた。
ジュウゴは軽く会釈だけしてその場を去ろうとした。しかし今度はシマヘビの方から袖を掴まれた。
「ちょお、待たれま。自分から声かけといて何け? 用もないがに絡んできたが?」
「絡んできているのは君の方だろう?」
舌打ちされる。ハチでさえこんな態度はとらなかった。
「……ワンがどこにいるか知らないかと聞こうと思ったんだ。でももういいよ」
「なんでけ? 聞けばいいにか」
「……彼がどこにいるか知っている?」
「随分偉そうな態度で物聞くんやね」
「どんな態度ならいいんだよ」
「これけ! 噂の開き直り」
「……教えてください。知っていませんか」
「うぅわー、棒読み!」
イシガメ、助けてくれ。
ジュウゴがうんざりしてそれ以上口答えしないとでも踏んだのか、シマヘビは手を離してくれた。
「ヤモリと一緒におったよ。スジが面倒見とったわ」
「ヤモリ達はどこ?」
「はあ?」
答えてくれたから詳細を尋ねただけなのに。シマヘビはため息をつくと「こっち」と言って元来た道を戻り始めた。
「道案内はありがたいけど、君の用事はいいのか?」
「見つからんから」
「何が?」
「スーちゃん」
あの異常に膨らんでいた女のことか。
「もういつ生まれてもおかしくないのに、誰もおらんとこで産気づいたりしたらどうするつもりなん」
シマヘビはぶつぶつと文句を言う。ジュウゴが声をかける前からすでに腹を立てていたのかもしれない。
「そう思わんけ?!」
「え?」
突然、シマヘビが振り返って同意を求めてきた。これ以上機嫌を損なうのも嫌だったジュウゴは曖昧に賛同しておく。
「あんた、思ってもいないがに『そうだね』とか言ったろう! 腹立つわぁ~、変態やし」
何を言っても駄目だったのだろう。ジュウゴは項布巾を掻きながら、黙ってシマヘビに付いていくことにした。
大部屋の戸を開けてシマヘビが声をかけると、走り回っていた子どもたちはぴたりと止まった。子どもたちの中にワンの姿もある。
「ワン!」
ジュウゴはシマヘビが何か言うよりも先にそのまま部屋に入った。ワンに駆け寄り見下ろすが、特に言うべきこともなかったことを思い出す。頭を掻きながら思案する。
「……久しぶり」
ワンはジュウゴの靴の爪先に鼻を押し付け、臭いを嗅いだ後で、汚い物でも吸い込んでしまったかのように顔を振って鼻息を吐いた。
「そんなに臭い?」
一応上から下まで着替えてきたのだが。
ヤモリがワンに歩み寄り目線と指差しと首の動きだけで何かを伝え合っている。ヤモリは一度ジュウゴを無言で見上げたが、その頬をワンが舐めて破顔させた。しかしジュウゴと目が合うと、ヤモリはまた黙ってジュウゴを見つめ、そっとワンの背後に隠れようとする。
「なんで隠れるの?」
疑問をそのまま口にしたジュウゴに対し、ヤモリはワンの背中にしがみついて鼻から上だけを覗かせ、ジュウゴを見上げるだけだ。
「自分、怖がられとるからやにか」
シマヘビが近づいてくる。「ヤモリは賢いの。この男は変態やから近寄らんくて正解やわ」
「『へんたい』ってあんまりいい意味じゃなかったよね」
「この『気色悪い趣味の最低男』からは離れとかれ」
シマヘビはよほどジュウゴが嫌いらしい。
「シマぁ! そいつが『よぎしゃ』の奴け?」
ヤモリよりも背の高い少年が近寄ってきた。
「そや。夜汽車の最低くそ男」
「…その呼び方やめてくれないか?」
ジュウゴの懇願を遮って子どもたちがわあわあと囲んでくる。
「自分、ワンより弱いんやろ?」
「こいつなまら臭くね?」
「リッくんに『けいこ』つけてもらっとるってほんとうけ?」
「父ちゃんとなにをはなしとんが?」
「なあ、なんでワンよりえらそうなんだよ?」
「クサがわるぐちいっとったぜ」
「『ず』がたかい! 『ず』が!」
四方から責め立てられる矢継ぎ早の質問と意見にジュウゴは目が回る。早口だ。質疑応答ならば質疑と応答の間をとってほしい。
「頭が高いって」
横からシマヘビも言ってきた。
「どういう意味?」
「言うと思った」シマヘビが呆れたように天井を仰いでから「とりあえずしゃがまれ」
「しゃが、む?」
言われたとおりに膝と腰を曲げた。上を向いていた子どもたちの顔がジュウゴに連動して顎を引く。
「これでいいの?」
「これでいいが?」
シマヘビが子どもたちを見回しながら尋ねる。子どもたちは互いに顔を見合わせあって、黙った。
何なんだよ、ジュウゴは疎外感と不可解さに途方に暮れる。
子どもたちの中でワンは一際大きく黒く、姿形も全く違っていて異質なのに、その場で一番浮いていたのはジュウゴだった。ワンを挟んでヤモリと目が合う。
「どうやったらワンとそんな風に仲良く出来るんだ?」
ヤモリが微かに眉根を寄せた。子どもたちとシマヘビが注目する。ジュウゴはヤモリも含め、子どもたち全員の顔を見ながら尋ねた。
「彼は僕の頼みも忠告も聞いてはくれないし、言葉を話さないから何が言いたいのか僕にはわからないんだ。でもイシガメはワンは僕よりもよく喋るとか言うし、君たちもワンと仲が良さげだ。でも君たちとワンは会って間も無いはずだろう? だったらなんでそんなに打ち解けられるのかと気になったんだよ」
ワンにしがみ付いていたヤモリが首を伸ばした。隠れていた顔の下半分も見せてジュウゴを見つめる。ジュウゴもヤモリを見つめ返す。
「なりゆきではあるけれども一応僕だって彼とそれなりに長い時間を過ごしていると思うんだ。冷たくされるよりは仲良くしたいだろう? 何か、彼と関わる時に取るべき法則とか技術とかがあれば教えてほしいなと思って」
ヤモリが背の高い少年を見る。少年はヤモリの視線を受けとるとワンを見てらそれからジュウゴを見た。
「お前、鬼な」
「お?」
「年上やし枷つけられま」
「彼は何を言っているの?」
シマヘビに尋ねた。シマヘビは再び呆れ、ジュウゴではなく子どもたちに向かって言った。
「誰かおんぶされたいのおる?」
背の高い少年以外の子どもたちは無言で視線を交わす。
「肩車でもいいぜ?」
ジュウゴは彼女が何をしているのかわからない。
「スジ、誰もおらんよ。自分やるが?」
シマヘビは背の高い少年に何かを提案している。どうしたものかとジュウゴが尋ねようと立ち上がりかけた時、ヤモリがワンから離れてジュウゴの背後にやってきた。振り返り、驚くジュウゴを無視してその背中によじ登る。
「ヤモリ! 勇気あるぜぇ?」
シマヘビがこの日初めて笑顔を見せた。
「彼女は何をしようと…」
ヤモリの行動に圧倒されながらジュウゴはシマヘビに質問する。しかし言い終える前にシマヘビはヤモリに手を貸し、ヤモリはジュウゴの首にぶら下がった。ここでも補習?! ヤマカガシの絞め技を思い出して動揺したジュウゴの手をシマヘビが取り、ヤモリの両脚を後ろ手に抱えさせた。
「しっかり持たれ。落としたら許さんよ」
きっと睨みつけられてジュウゴは頷く。
「ワンは全員捕まえるがに十分かからんかったぞ。自分、目標、五分な」
「え? 何? 何の話?」
「はじめっ!」
子どもたちが一斉に部屋中を走り回り始めた。
『おにごっこ』と言っていた。リクガメからはひたすら逃げることを叩き込まれたが、今度は子どもたちに追いかけることを求められた。しかもなぜかヤモリを『おんぶ』して。そしてワンはひたすらまとわりつく。走ろうとするジュウゴを邪魔したいのか、五本目の足を左右に高速で振り回しながらヤモリ目がけて飛び跳ねる。ジュウゴはワンの爪と息と唾液に顔をしかめ、極力それらを避けながら、踏まないようにばたばた動く。
さらに追いかけ、追いつくと、次はその子どもも抱きかかえて次の子を追うように指示される。ジュウゴは背中、両腕、右脚にそれぞれ子どもたちにしがみつかれ、さらに走れと急かされる。左脚も子どもにしがみつかれた時点でジュウゴはついに音を上げた。
「むり……もうちょ、きゅうけ……」
「まだまだ!」
「アオもおるよお」
「早くつかまえてみろよ!」
「もう一時間も経っとるやにか! 次もジュウゴが鬼やぞ」
「おに!」
「おに!」
「ちょ、ちょっとまっ、てって。ほんとに、も…」
「さすがにもう無理やろ」
途中から参加していたシマヘビが息を切らせて言った。「あんたらだけで遊んでこられ」
「なんや、もう終わりけ」
スジオナメラがつまらなそうに口をとがらせた。それからジュウゴを見下ろすと指差して、
「ジュウゴ! 今日は勘弁しちゃるわ。明日出なおしてこられ」
「明日も?」と声を上げてからジュウゴは首を横に振り、「明日は無理だよ。きっとリクガメの授業がまたあるしやま…」
「言い訳せんが!」
―お前のは言い訳だ―
「……わかったよ」
突然物わかりのいい返事をしたジュウゴにシマヘビが首を傾げた。
シマヘビと並んで壁際に腰を下ろす。子どもたちはまだ走りまわっている。
「どや? ワンとは仲良くなれそうけ?」
シマヘビが尋ねてきた。ジュウゴ同様、息を切らしていた。ジュウゴはぽかんとして見つめ返す。
「あんただらやねえ。せっかくスジが気ぃ利かしてくれたんに」
「…何の話?」
「気付かんかったが? それはそれですごいぜえ?」
シマヘビが呆れ果てた。ジュウゴは子どもたちとワンを見遣って考える。
「『おにごっこ』をすればいいのか?」
「知らんわ」
「ワンも『おんぶ』すればよかったのかな」
ジュウゴが呟き、思案顔で俯いたところにやって来たのはヤモリだった。
「どうかしたのか?」
ヤモリはにっこりと歯を見せて笑うと、ジュウゴの背中と壁の間に無理矢理割り込んできた。ジュウゴは押しやられる形で前屈みになる。
「また『おんぶ』?」
「なーん。肩車やわ」
「『かたぐるま』?」
シマヘビの言った通り『おんぶ』ではなかった。ヤモリはジュウゴの背中をよじ登り、その両肩に膝をかけて頭にしがみ付いた。見上げるジュウゴの額を叩き、身ぶり手ぶりで何かを伝えようとしている。
「立ってやられ」
シマヘビがヤモリの意図に気付く。ジュウゴは言われるまま立ち上がる。「これでいいのか?」と尋ねるとヤモリは嬉しそうに何度も頷いた。
「ヤモリとは仲良くなれたみたいやね」
言ってシマヘビが笑った。ジュウゴはまじまじとシマヘビを見下ろす。
「何け?」
「笑っている方がいいよ」
「は?」
「君は絶対に笑った方がいいって」
本音だった。思ったことを思った通りに伝えただけだ。ジュウゴにとってはごく当たり前のことだったのだが、シマヘビには違ったようだ。
シマヘビが顔を真っ赤にすると勢いよく立ち上がり、無防備なジュウゴの頬を拳で殴った。ジュウゴは打たれた頬を反射的に手の平で覆い、驚いてシマヘビを見る。
「何だよいきなり!」
「自分こそ何け! 気ッ色悪いわ、だら! 変態!」
「だからその呼び方はやめてくれと言っているじゃないか!」
「ヤモリ」
揃ってふり返るとトカゲだった。戸口に立って子どもたちの中にヤモリを探している。シマヘビがジュウゴを押し退けて声をかけた。
「ちょお、聞いてトカゲ! この変態、えらい変態で…」
シマヘビの呼びかけに振り向いたトカゲは、シマヘビの背後にヤモリの姿を見つけ、その真下にジュウゴの顔に気付くと、瞬時に形相を変えて大股で近づいてきた。ジュウゴは咄嗟に後ずさりする。その拍子にヤモリの重みで後ろに倒れかかり、慌ててヤモリの両足首を両手で握りしめて前傾姿勢をとった。トカゲの回し蹴りが目前に迫っていて、ジュウゴは寸でのところでそれを避ける。トカゲは一瞬目を見張ったが、すぐにまた凶暴な視線に切り替えた。
「避けるな」
「避けるって!」
「トカゲ! ヤモリおるって!」
シマヘビの注意でトカゲが止まる。「あんたそんながしたらヤモリが落ちるやろ!」
しかしジュウゴたちの懸念をよそに、ヤモリはジュウゴの肩の上で声なく笑っていた。大きな揺れが楽しかったのだろう。
「ヤモリに触るな」
トカゲが凄む。
「ここを掴んでいないと落としてしまいそうだったんだよ!」
ジュウゴが説明する。
「また言い訳か。くず」トカゲが顔を背けて吐き捨てるように呟く。
「今のは言い訳じゃないだろう! それにこれは君が完全に悪いだろう?」ジュウゴはトカゲに顔を近付けて喚き立てる。
「降りろ、ヤモリ」
トカゲがジュウゴと会話することをやめてヤモリに向かって注意した。「こんな下衆に関わるな。腐る」
「そんな言い方ないだろう?」
「否定しないのは腐ってる自覚があるからだろう?」
トカゲの白眼視でジュウゴは言い淀む。
「変態やしね」
シマヘビがトカゲに賛同しながら頷いた。しかし、
「でもジュウゴに肩車せがんだんはヤモリやぜ」
シマヘビはトカゲに事実を述べた。トカゲがシマヘビに振り返る。
「みんなで遊んどったが。ジュウゴが鬼でぶっ通し耐久枷付き鬼ごっこ。最初にジュウゴにおぶさったのがヤモリ。それからその子、ジュウゴの肩が気に入ったみたいやわ」
ジュウゴは首を回してヤモリを見上げた。ヤモリは不安そうにトカゲを見つめている。当然だろう。女たちが睨みあっている。ジュウゴだってトカゲの理不尽な怒りの理由は量り知れないが、声を発せないヤモリならば尚更、言い訳も聞いてもらえず意味もわからず、緊迫した状況に恐怖しかないのではないだろうか。
「大丈夫だよ」
ジュウゴはヤモリにしか聞こえないように、そっと小さく声をかけた。ヤモリがジュウゴを見下ろす。ジュウゴは「降りよう」と言って膝と腰を曲げた。ヤモリが床に降りる。
「これでいいんだろう」
腰を伸ばしてトカゲに言った。トカゲは無言でジュウゴを睨む。
「もうちょっとヤモリの気持ち、聞いてあげられ」
シマヘビが窺うようにトカゲを諭した。トカゲは「ちゃんと聞いてる」と不貞腐れたように俯き、呟いて踵を返した。ヤモリがトカゲを追おうとして立ち止まり、ジュウゴに振り返る。
「どうかしたのか?」
ヤモリが一直線にジュウゴに向かって走って来た。両手を開き、ジュウゴの脚に抱きついて、満面の笑みで顔を上げた。それから走ってトカゲの後を追いかけた。後ろからトカゲの左手を握り、ふり返って反対の手でジュウゴに手を振った。
「ほんとに仲良くなったの」
シマヘビが息を吐きながら言う。申し訳なさげにちらりとジュウゴを見遣り、すぐに顔を背けて、
「今のはトカゲの早とちりやわ。許してあげられ」
「許す?」ジュウゴがシマヘビに尋ねる。「何を?」
「何をってだから!」言いかけてシマヘビが肩を落とした。「なーん。何でもないが」
「シマ、トカゲの奴、なーに怒っとったが?」
子どもたちが恐々尋ねてきた。皆、緊張していたのだろう。
「なーん、何もないっちゃ」
シマヘビがジュウゴには見せない笑顔で言った。「それより自分ら、そろそろ帰らんまいけ? 遅くなったらお頭も怒ろう」
子どもたちから不満そうな声が上がる。シマヘビが腰に手を当て説教を始める。子どもたちの中からワンがジュウゴを見つめていて、それから戸口の方に歩きだした。
「僕は行くよ」
シマヘビに告げてジュウゴは戸口に向かった。シマヘビが「え?」と顔を上げた。
「今日はいろいろありがとう」
それだけ伝えてジュウゴはトカゲたちの後を追った。
「トカゲ!」
通路の先を行く二つの影に向かって声を張る。小さな影はすぐに振り向いた。大きな影は時間差で振り返る。既に凄まじい形相だ。あの目が不機嫌な時のシュセキに似ていると思ったのだ。
ジュウゴに駆け寄ろうとするヤモリの手をぐっと握って引きとめて、トカゲは力づくでヤモリを自分の後ろに追いやる。気迫だけでジュウゴを近付けまいと顎を引く。
ジュウゴも少し顎を引き、睨み返しながら近づくが、正面まで来た時に視線を逸らした。側頭部を掻きながらちらちらと前髪の隙間から窺う。
「腕、大丈夫?」
「あ?」
どうしてこの地下に住む女はこうも皆、粗暴で恐ろしいのだろう。
「だから、その、右腕だよ。それ、その義手? ってリクガメが言っていた」
トカゲの片頬が痙攣した。ジュウゴは下を向いて後頭部を掻く。ヤモリと目が合い「がんばれ」と言われた気がして手を下ろし、顔を上げる。
「頼みがあるんだ。僕と『けっとう』してくれ!」
「……は?」
「僕が勝ったら本当のことを教えてくれるんだろう? 君は嘘つきだと皆、言っている。だからこの前の、僕のサンの仲間が死んでいると言ったことも嘘かもしれないなら、いや、嘘だって言ってほしいから僕は勝つ!」
静寂。と、呆れ顔。と、たった一つの大真面目な挑む顔。
「…つまり」
トカゲが思案顔で口を開いた。
「お前は死にたいんだな」
「死にたくないよ?」
どうしてそうなる? とジュウゴは慌てる。「本当のことが知りたいだけだ、サンの居場所が。ちゃんと死んでないって、『生きてる』って聞きたいだけだ。勝ったら教えてくれるんだろう?」
トカゲが侮蔑以下の、関わらない方が身のためだと言わんばかりの拒絶の表情で目を細める。
「だってリクガメが言ってたしイシガメだって!」
「行くぞヤモリ」
「『けっとう』してくれ!」
「聞くな。耳から腐る」
「トカゲ!」
* * * *
その日からジュウゴによるトカゲへのつきまとい行為が始まった。
作業の合間、授業終了後、おにごっこの後で、補習の前に。日が暮れて目が覚めるとトカゲを探し、見つけたら決闘を申し込んだ。その度にトカゲは足を振りまわし、時には蹴られ、時には避けて、ヤモリに肩車をせがまれながらもジュウゴは諦めなかった。
「お前、いい加減にしろよ」
クサガメに何度襟首を吊るし上げられたか知れない。
「筋金入りの変態やね」
シマヘビは再び笑ってくれなくなった。
スッポンは見かけると無言でジュウゴを避け、他の班の面々からも後ろ指をさされた。
「特別扱いが腹立つんだよな」
イシガメが頬杖をつきながらぼやく。
「あいつがいろいろ大変だったっつうのはわかるんだけどさあ、でも、だからって何でもかんでも好き勝手に振る舞っていいのかっつう話だろ。シュウダまで腫れもの触るみたいだし、スーちゃんとシマなんてあいつが何やっても完全にあいつの味方だべ? そこまで気ぃ使わせて平然としてるところが気に食わねえんだよ」
「イシは逆に気ぃつかわな過ぎやけどな」
ヤマカガシがジュウゴの左腕の手当てをしながら言う。今日はリクガメの蹴りをいなそうとして失敗した。
「みんながあいつに甘過ぎるんだよ」イシガメが顔の中央に皺を寄せる。
「だからジュウゴ、」イシガメは目力強くジュウゴを見つめ、「俺はお前を絶賛応援するぞ。あの女に思い知らせてやれ。てめえが世の中の中心じゃねえんだよってな! 決闘でも闇打ちでも何だって手伝ってやる」
「ジュウゴ、」イシガメを追いやってヤマカガシが顔を寄せてきた。「自分、柔法よりも剛法の方が得意やんねえ。でも女は打っていいところが決まっとんが。やりにくいぜ?」
「打っていいところ?」
リクガメからは教わっていなかった。「攻撃してはいけないところがあるのか?」ジュウゴは身を乗り出してヤマカガシに尋ねる。
「顔と胸と腹と脚」とヤマカガシ。
ジュウゴは上を向いて少し考え、「全部じゃないか!」
「だからやりにくいんよ」
「なんで脚も?」イシガメがヤマカガシに尋ねる。
「脚は女の命やろ」
「そりゃヤマの趣味だべや」
イシガメが呆れてのけ反った。
「じゃあ僕は彼女のどこを攻撃できるんだ?」ジュウゴは真面目に尋ねる。
「どこでもいいって! あれは女の皮を被った鬼畜だ。うんこだ。痛い目の一つや二つや三つや四つ…」
「いや、駄目やろ。女は大事にせんなん」
冷静にヤマカガシが訂正する。
「……僕、柔法をがんばるよ」
ジュウゴが自分に言い聞かせるように呟いた。「倒せばいいんだろ? 倒れさせるなら柔法の方がきっといいよ」
「あいつがお前に体を掴ませると思うけ?」ヤマカガシが首を横に振りながら言った。「トカゲは絶対に男に触らんし触らせんよ?」
「じゃあどうすればいいんだよ」
自分で決闘を申し込んだくせにジュウゴは困って動揺する。
「逃げろ」
イシガメが真顔で言った。
「どんな方法を使ってもいいから、とにかくお前は打撃を防げ」
「『防御』か?」ジュウゴが言う。「でも防いでるだけじゃトカゲは倒れないよ」
「あいつを倒す前にお前が倒れないのが先だろ」
イシガメが真っ当な事を言う。
「そうだけれども……」とジュウゴは頭を掻く。
「何の解決にもなっとらんの」とヤマカガシ。「そういうことや。やめとかれ。諦められま、決闘なんて。第一、リクさんが許さんやろ」
「そうだった」とジュウゴ。まだリクガメからも一本も取っていない。
「それについては任しとけ」イシガメがにやりと笑った。「リクの攻略なら俺にいい考えがある」
リクガメとの授業。リクガメは相変わらず楽しそうに笑いながら突進してくる。ジュウゴはいつも真っ正面から構えて打たれて蹴られて終わる。だがこの日はイシガメに言われた通りに動いた。
―リクが仕掛けてくるだろ? したらお前はまず逃げろ―
くるりと背を向けて全速力で逃げる。リクガメが笑顔を崩して目を丸くした。
―とにかく逃げろ。走って走ってリクをばてさせろ。お前、足は遅くないからさ。少なくとも足ではリクに負けてない―
「いつまで逃げんのさ」
イシガメが言った通りリクガメが音を上げた。ちらりと振り返るとかなり息が上がっている。
―リクがばてたあたりで振り返れ。焦らした挙げ句にやっと迎えうってやるって顔して構えとけ―
ぐっと腰を落としてリクガメを待つ。リクガメはジュウゴが止まったことに気付くと、少し距離を置いて立ち止まり、膝に手をついた。
「足、早くなったなあ」
―跳びかかって来るリクは疲れてるから大振りになるべ? したっけお前は一発目を下から抜けろ―
リクガメは腰を曲げたまま横腹をおさえ、息を整えながら「ちょっと待って、ちょっとだけ」と弱々しく頼みこむ。
―もしもリクが本気で駄目だめの大振りしてきたら、いちいち相手にすんな。お前は回り込んで背中取れ―
「まさか逃げるなんてね。いや、まず逃げろって教えたのは俺だから間違ってないか。にしてもいつもと全然違うからさ、ちょっとびびったわ。やージュウゴが考えたのかい? 戦法練るなんて成長したね。嬉しい限りだよ」
―後ろ取っちまえばこっちのもんだ。リクはまだ、お前が柔法使えるって知らないからまさか絞め技で来るとは思ってないべ? その隙をつくんだよ。間違っても剛法で攻めんなよ?―
「っつうかさ。こんなに走ったのひさしぶりだわ。駄目だね、体が重い、重い。やー、年はとりたくないもんだわ。それともジュウゴの体力がついたってことかな? 結構走り込んだ…」
「早く来いよお!」
ジュウゴは待ち切れなかった。
「何、くちゃくちゃ喋っているんだよ。いつまで待たせるんだよ。君が大振りで打ちこんで来てくれないと技をかけられないじゃないか! せっかく順番を覚えたのに段取りを踏んできてくれないと忘れてしまうだろう!?」
リクガメがぽかんとして固まった。イシガメが顔を手で覆って俯いている。ヤマカガシがトカゲみたいな目をして「だらやわ」と一言、呟いた。
「えっと…、技、『かける』?」
「そうだよ!」とジュウゴ。
「どんな技?」
「こういうやつ」
言ってジュウゴは歩いてリクガメの背中に回り、リクガメの右手首を掴んで、反対の手で二の腕の中央あたりを手刀で押し込む。「おお…」と感嘆の息を漏らしてリクガメが片膝をつく。
「どしたの、これ」
「ヤマカガシが教えてくれたんだよ。補習で」
「ヤマ君の技か」
リクガメが納得して頷いた。「でもさ、手の内見せちゃ駄目だよ」
言うとリクガメは、気を抜くと同時に力も抜けたジュウゴの足の甲に靴先をめり込ませた。ジュウゴの手が離れる。右手が解放されるとリクガメは体を捻り、ジュウゴの腹に肘打ちし、腰が曲がったジュウゴの上衣を掴んで背中越しに投げ飛ばした。背中をしこたま地面に打ち付けて、ジュウゴはしばらく動けない。
「作戦はイシだろ」
立ち上がりながらリクガメが言う。イシガメがぎくりして「何の話? 俺は別に…」
「逃げるところとかがイシらしい」
ヤマカガシが小さくなったイシガメを横目で見た。
「ヤマ君もさ、どうせならもう少し実用的なの教えな」
ヤマカガシもびくりとする。
「実戦で使えなきゃ意味ないっしょや。これじゃあ前線になんて行かせられない」
イシガメとヤマカガシの立場が逆転した。
「そしてジュウゴ、」
リクガメは手をさしのべながらジュウゴを呼ぶ。ジュウゴはリクガメの手を握って起き上がるのを手伝ってもらう。
「お前は作戦とか考えないでいいわ。お前、頭、悪いっしょ? 考えるだけ無駄っつうかさ」
「そんな言い方…」的を射すぎていて言い淀む。
リクガメは楽しそうに笑ってから「でも反応はいいよ。直感と瞬発力はいい線いってる。だから作戦とか小賢しいのはいらないから、思うように動きな」
「小賢しいとか言うなよ」イシガメが不満を漏らす。
「イシはさ、」リクガメがイシガメたちに向かって声を張り上げた。「仲間の長所と短所をちゃんと把握してるよな。誰をどう動かすべきかが見えてる。そういうのって大事だしすごく重宝するんだわ」
イシガメが唇を閉じて目を見張った。
「ヤマ君の博識と医術にはいつも助けてもらってる。ヤマ君が俺の班で本当によかったなっていつも思うよ」
ジュウゴを連れて、リクガメがイシガメたちのもとに歩み寄る。
「後方支援なのもヤマ君に怪我されちゃ困るってのが実際のところだしね」
貶された後の誉め殺し。簡単な話術にヤマカガシもまんまとはまり、照れくさそうに俯いた。
イシガメたちの前にジュウゴを連れだってやってきたリクガメは、三者三様に嬉しさを噛みしめている年下たちを見回した。「さて、」と息を吐く。先までの眼差しを激変させ、イシガメ、ジュウゴ、ヤマカガシの順に頭頂部にげんこつを落としていった。
「揃いも揃ってこの程度の作戦とは笑わせるねえ」
本当に笑ってリクガメは言う。
「つうかさ、何、全速力で走らせてくれてんの? 疲れたべや。どうしてくれんの?」
「それが作戦だったんだよ」とイシガメが頭を押さえながらぼやく。
「え? 何?」
「……なんでもない」
「理不尽」と蹲ったヤマカガシが呟いた。
「ん? 何か言った?」
ヤマカガシが無言で首を振る。
乾いた笑いを鼻から漏らして、「お前らが俺に勝とうなんて百年早いんだよ」
リクガメが、時々見せる恐ろしく意地悪な顔で言い放った。ジュウゴたちは視線を交わす。
「で?」
リクガメがジュウゴたちを見下ろしながら息を吐いた。「俺を負かして何がしたかったの」
「まず一本、取ろうとしたんだよ」とイシガメ。
「ははは。無謀」乾いた声で意地悪く笑う。「やる気だけは誉めてやるよ」
「誉めとんのやったら殴らんで下さいよ」
ヤマカガシが苦情を漏らす。
「走って疲れたんだよ」とリクガメは説明にも何にもなっていない理由を笑顔で告げた。
「君に勝てたらトカゲにも勝てると思った」
ようやくジュウゴが腰を伸ばした。頭を擦りながら、「トカゲに勝って本当のことを聞き出すのが本当の目的だった」
「本当のこと?」とリクガメ。
「彼女は嘘つきだけど自分を負かせた相手には何でも正直に答えると教えてくれたのは君じゃないか」
ジュウゴが、何を言っているんだ? とでも言いたげにリクガメを諭した。「何だそれ?」とイシガメが首を傾げる。
リクガメはしばらくぽかんとしてから、自分がかつて言った出任せを思い出した。
「決闘、決闘うるさかったのってそれか!」
大きく何度も頷いて、それから、「はは、どうするべ…」と顔を背けた。
「リク、担いだべ?」とイシガメ。
「『かつぐ』?」
ジュウゴはこの場合のその言葉の使われ方を知らない。
リクガメが困ったように眉根を寄せつつ、照れたように笑った。そして、
「わかった、わかった。決闘やろう。トカゲちゃんには俺から言っておくよ」
「よっしゃあ! やったなジュウゴ! やってやるぞ!!」
盛り上がるイシガメに肩を掴まれ揺さぶられたが、ジュウゴは複雑な思いだった。決闘させてもらえるのは喜ぶべき事だ。勝てば本当のことを聞ける。サンを探す手がかりになる。でも勝てるのか? 不安しかない。痛いのも気が進まない。
「リクさん、本気け?」
ヤマカガシが呆れ顔でリクガメを見上げた。リクガメは顎を指先で掻きながら困ったように笑っている。
「俺も一番弟子がどれくらい成長したか見たいしね。トカゲちゃんなら手加減しないしちょうどいい対戦相手じゃないかい?」
「ジュウゴってリクの一番弟子だったの?」
イシガメが尋ねる。『でし』って何だろう? と思いながらもジュウゴの頭の中は勝てるか否かで一杯だった。いや、勝たなければ。勝つんだ、絶対。でも……。
「そうでしょや。こんだけ手取り足取り最初っから教えてやってんだから」
リクガメがイシガメに言う。
「ジュウゴが弟子なら俺らは?」とイシガメ。
リクガメは斜め上を見て少し考えた後で意地悪く笑い、「下僕?」と言った。




