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15-21 約束

 走り去る四輪駆動車を見つめながら、クマタカは足を止めた。不本意に見送る。運転を教えたことを後悔した。子どもだからと事実を隠して曖昧にやり過ごしていた自分を恨んだ。老婆心からではあったが、目の前の光景が、それらが間違いであったことを裏付ける。


 説得に失敗し、父母を亡くした時のように取り乱し、父親への恨み事と自分への不信と不満をぶちまけて、コウヤマキは家を飛び出した。ワンに託すことしか出来なかった。もしもあの子に何かあれば……。そこまで考えて目を瞑る。想像さえしたくない。してはいけない。悲観するくらいなら対策を。後悔よりも計画の軌道修正だ。とにもかくにもコウヤマキの保護だ。


 ネズミか。クマタカは傍らを見遣った。いくつかの横たわる体の中に、呻きながら起き上ろうとする者がいた。置いてきぼりを喰らったのだろう。横倒しになった自動二輪が砂に埋もれている。クマタカは男に近づき、太刀を抜いた。



 ネズミなど潰して捨て置くだけの物だった。病気持ちだから食糧にもならないし男ばかりだから生かしておいても意味も無い。太刀を振って刃先に付着した血を払う。

 しかしこれからは捕獲しなければ。コウヤマキが混ざっている可能性がある。間違って怪我などさせられない。しかしネズミか。迂闊だった。他の地下の連中を近付けないことばかり苦心していた。まさかネズミがあの子に接触してくるとは。奥歯が軋んだ。


 歩きにくい脚を見下ろす。左大腿から夥しい出血がある。かすり傷とは言え足止めさせられたことは事実だ。

 仕留めるつもりだった。ちょこまかと動きまわるネズミは切りづらかったが、あと一太刀で十分だった。室内を荒らされて頭に血が昇っていたクマタカではあったが、ネズミ一匹仕損じるなどあり得ない。だがコウヤマキに止められた。追いこんだネズミの前に飛び出してきてネズミを庇った。何するの、お兄ちゃん。やめてよ、どうして? ヤチのお兄ちゃんは地下じゃないよ。ワンもそう言ってるよ。コウはヤチのお兄ちゃんたちが来てくれて楽しかったんだよ。お兄ちゃんにお兄ちゃんたちを会わせたかったんだよ。なんでヤチのお兄ちゃんをこんなにけがさせるの?―



 ネズミは殺さねばならない。病気をばらまく。女を持ち去る。狩る。生かしておいても意味はない。それをどのように柔らかく説明したものかと躊躇した刹那、ネズミが撃ってきた。コウヤマキを盾にしてその死角から。コウヤマキを避けさせることには間に合ったが自分が被弾した。驚いて振り返りかけたコウヤマキを押し退けて、ネズミは窓の外に逃げた。クマタカは逃げたネズミよりもコウヤマキとワンをまず気遣ったが、しかしコウヤマキは自分よりもネズミを追った。ワンも動揺していた。

 玄関の前でクマタカは空を見上げる。


―お兄ちゃんにはわかんないよ。ずっとコウとワンだけで家から離れちゃだめなの。お兄ちゃん以外、誰も来ないの。毎朝お父さんにお花持っていくの、でもお父さんいないの―


 安全ばかりを考慮して、あの子の心情を慮り損ねていた。そこまで追い込まれているとは思わなかった。訪れればいつも笑顔で迎えてくれていたから。奥歯が軋んだ。


「ワン」


 頼む。コウを、どうかあの子を守ってくれ。


 物音にクマタカは我に帰る。まだ残党がいたか。そう言えばあのネズミの他に若い男と女がいた。若いというよりも、まだ年端もいかない子どものような顔をしていた。はっきりとは思い出せないが何であろうと不要であることに違いはない。クマタカは太刀を鞘から引き抜き、目を細めて刃を眺めた。あと数匹くらいなら切れるだろう。


 玄関から居間を見渡し廊下の先だと見当づける。ぐちゃぐちゃに荒れた室内の中で、家主の寝室から音がする。クマタカは憤った。先は扉が閉まっていたから素通りしてしまったが、その部屋に入ることは許せない。薄闇は外からの明かりか。窓も扉も開けたままで、侵入者は寝室を物色している。左足を引き摺り奥歯を軋ませながらクマタカは中を窺った。

 侵入者は床の上に胡坐をかいて、窓からの薄明かりの下で背を丸めていた。手元で何をしているのか。こちらに気付く様子はない。侵入者の背後に立ち、太刀を首筋に当てる。


「外に出ろ」


 侵入者は反応しない。手元の作業に没頭している。耳が悪いのか。馬鹿なのか。

 クマタカは侵入者の胡坐の前に刀を突き刺した。ようやく顔を上げる。


「立て」


「…脚が、無い」


 耳は聞こえているらしい。声からして男の方だ。だが自分に突進してきた子どもは二本の脚で歩いていたと思った。クマタカは子どもの脚を見下ろす。なるほど、確かに左脚が途中から無い。包帯を巻かれているところからして、先の子どもとは別者か。


「一本あれば十分だろう」


 子どもはしばらく無言で刀を見つめていたが、当たり前のように下を向いて作業を再開した。馬鹿なのだろう、とクマタカは納得した。説得する義理も必要性も無いので、刺した刀を床から抜き、反対の手で子どもの腕を引き上げる。子どもは手にしていたものを床に落とした。それが端末の一部分だということがクマタカにもわかった。見ると床には粉々に砕け散った機械の残骸が散乱している。子どもは、クマタカに握られた腕と反対の腕を伸ばし、落とした端末を指先で触れた。剥き出しの基盤が小さく赤い光を点滅し始める。


「アイ」


「…はい…」


 クマタカは子どもの顔を見た。こいつか。こいつがネズミを集め、コウヤマキを唆し、家の中を滅茶苦茶にした元凶か。


「ジュウゴとサンが、いた。けれども、行った。ジュウシは、砂の下…」


 クマタカは子どもを放り投げ、壊れかけのその機械を破壊しようと刀を振りあげた。


「夜汽車では、ない…のか?」


 刃先が端末の眼前で止まる。


「僕は、ここは……」


 クマタカは子どもに振り返った。星明かりのほの暗い部屋の中でじっとその顔を観察する。端末は先の衝撃で再び不具合が生じたのか、震えるように光る赤い点滅と、ざりざりした音を発するだけだ。

 クマタカは太刀を握る手を下ろした。反対の手で端末を拾い上げ、露わになっている導線を指で押さえた。ちくっと不快な電気が走る。赤い点滅が振動をやめ、耳障りな音も納まった。


「そちらには、あなたと誰がいますか?」


「僕と…」


「クマタカだ」


 子どもの声を遮り、クマタカは義脳に答えた。数秒の沈黙。声帯と名前認証をしている。想定外の返答に義脳が一瞬、混乱したのだろう。何か言いかけた子どもを睨みつける。ぼんやりとした顔で子どもはクマタカを見つめる。


「こんにちは、クマタカ。珍しい場所でお会いしますね」


「ネズミ駆除だ。少し遠出をした」


「お迎えにあがりましょうか?」


「何が来る。ネズミを寄こすか」


「声色が暗いですね。何かありましたか?」


 都合が悪くなるとこちらの体調を心配するような声掛けが始まる。どこの女を模したものなのか。張りぼての気遣いが気色悪い。


「回収なら好きにやれ。そこら辺に転がっている」


「ネズミ以外には誰がいますか?」


「誰もいない。俺ももう直、ここを出る」


「こちらの端末は夜汽車に帰属します。近辺に夜汽車がいると推測されます。捕獲を提案します」


 クマタカは虚ろな子どもを見遣った。


「見分けがつかない。全て捨て置くから早く次の夜汽車を送れ」


 ネズミが横取りした夜汽車は約半数だった。この子どもはその生き残りだろう。


「夜汽車の生徒から、夜汽車以外の子どもを見かけたという報告がありました。なにか御存じではありませんか」


 コウヤマキを探している。


「見てない」


「何かご存知ありませんか」


 しつこい。


「知らない」


 言ってクマタカは端末を放り、そのまま切り捨てた。

 子どもがのそのそと床を這って近づいてきた。ばらばらの破片を見つめ、無言で拾い上げると再び胡坐になってそれらを組み立て始めた。そのように教育されてきたのか。何か目的があるのか。そういう習性なのか。

 クマタカは子どもの襟首を掴んだ。否応なしにこちらを向かせる。


「機械が得意か」


 夜汽車は何も言わない。どんよりとした目でぼんやりとクマタカの方を見てから床に視線を向ける。

 クマタカは夜汽車の脚を見下ろす。触れた指から伝わる体温は、おそらく感染症の予兆だ。あと数日もあれば勝手に死ぬだろう。

 クマタカは夜汽車から手を離した。高熱の子どもはぺたりと床に腰を下ろしと、また緩慢に動き始めた。



* * * *



 四輪駆動車は砂煙と耳障りな音を撒き散らして走った。車体が揺れる。揺れが凄まじい。ヤチネズミの運転も荒かったがコウはもっと酷い。というかこれは、


「これは大丈夫なのか?」


 車軸が定まっていない。前後左右に車体を揺する。


「これは大丈夫なのか!」


 ジュウゴは運転席のコウに向かって怒鳴った。コウは不安そうな顔を真正面に向けている。


「原動機が晒されている! 何か覆いの代わりになるものは無いのか?」


 ジュウゴは身を乗り出して叫んだ。ワンがジュウゴの上着の裾を口で引く。ジュウゴは上着を力づくで引っ張ったがワンは離す素振りは無く、両手でワンの頭を押さえた。途端に手の甲を齧り付かれた。


「何をするんだ!」


 ジュウゴは齧られた手を押さえてワンに抗議したが、ワンも負けず劣らず言葉になっていない大声を張り上げる。ジュウゴがさらに怒鳴ろうとした時、背中に重力がかかって前のめりに押された。ジュウゴは舌を咬む。額をぶつける。コウを止める前に自動車が停止した。


「動いて! 動け!」


 コウが四輪駆動車を叩く。しまいには座席に背中を預けて両足で蹴り始めた。ジュウゴは慌てて運転席に上半身を乗り出し、コウを抑える。


「何をしているんだ! 四輪駆動車が死んでしまうじゃないか」


「はなして!」


 コウが叫びながら体を揺する。コウの肘が顎に当たり、ジュウゴはのけ反って手を離す。

 コウが四輪駆動車をさらに蹴る。ジュウゴがやめさせようと顎を抑えて立ち上がった時、再び原動機が動き出した。瞬間、物凄い速さで走り出し、ジュウゴは尻から座席に落ちる。


「コウ、一度止めるべきだ! この四輪駆動車は危ない」


「お兄ちゃんがどうなってもいいの?」


 ジュウゴは一瞬、口ごもる。


「良くないよ! 良くないけれどもこの四輪…」


「お母さんみたいに帰って来なくなる!」


 コウが全身で叫んだ。


「あいつらすぐに逃げるんだよ。早く捕まえないとお兄ちゃんも一緒にいなくなっちゃう。コウ、やだよ。お兄ちゃん、早くしないと…」


 硬質な音がして足元で何かが跳ねた。ジュウゴはほとんど光源の無い空の下で目を細めて手を伸ばす。またさらに別の何かが車体の床を叩いた。


「氷?」


 コウが空を仰ぐ。ワンが空に向かって大声で叫んでいる。それがどこからやって来るものなのかとジュウゴが周囲を見回した時、体中を物凄い速度で叩きつけられ始めた。思わず頭を腕で覆う。


「何だ、これは!」


「降ってきた」


「『降ってきた』?」


 コウは片手で操縦梱を握りしめ、反対の腕でワンをかばうように抱き寄せながらも前を見据えた。


「どうすればいいんだ!」


「このまま行くよ!」


「無理強いは…、危ない!」


 ジュウゴがコウを止めようとした時には遅かった。がくんと全てが一段下がった。四輪駆動車が陥没した地面の坂を滑り始めた。

 ジュウゴは運転席の背もたれに胸を打ち付けられる。コウが操縦梱を握りしめたまま、その上に額を置いている。ワンだけがひょっこりと顔を上げ、コウの横で鼻声を出した。ジュウゴは顔を上げる。胸部が痛い。背筋も痛くて背中に受けていた氷の粒が目や口にも容赦なく入って来る。くらくらしながら立ち上がって運転席を覗きこむと、コウが頭から流血していた。


「コウ!」


 ジュウゴは何度もコウを呼ぶ。ワンもひたすら騒いでいる。四輪駆動車が死んでいる。

 ジュウゴはコウに呼びかけながらその体を持ち上げた。頭が痛い。目を開けていられない。いくら小さな粒だとしても、これほどの量と速度で何度も叩かれ続けると立っていられない。ジュウゴは狭い視界の中で屋根になりそうなものを探した。廃屋は? 研究所は? なんで無いんだ。どうして探している時に限って見つからないんだ。

 ワンもいない。いつの間に消えたのだろう。ジュウゴはワンを呼ぶ。返事も無い。コウに呼びかける。こちらも。ワン、どこ? コウ、死なないで。コウ、コウ、


「お兄ちゃん、うるさい」


「コウ!」


 騒がしいと拒絶されているのに、ジュウゴは歓喜した。腕に力が入ってコウの顔に自分の頬を押しつけていた。それから我に返って慌てて頭を上げる。


「ごめん」


 反射的に接触を謝罪し、それから直前の行動を省みた。


―どのような状況であの衝動に駆られたかと聞いている―


 何も考えずに接触したいと思ってしてしまっていた。


「ワン」


 コウが不明瞭な視界の中に手を伸ばした。黒い闇みたいな塊が近づいてくる。ジュウゴはワンに導かれるままに、狭い浴室と便所を合わせたくらいの小さな空間の中へと進んだ。後に『洞穴』と呼ばれる地上の形の一つだということをジュウゴはコウから知らされた。



 大小の氷の粒は地面を叩きつけるように降り続けた。雷鳴が轟き、稲光が不定期に辺りを青白く照らす。轟音はどこまでも続き、ずっと聞いていると思考さえも奪われてしまいそうだ。空は何にこれほど苛立ちを募らせているのだろう。見当もつかないまま、ジュウゴは縦縞の景色を茫然と見つめた。

 コウが火を起こした。大破した四輪駆動車の前の運転者を叩きつけた鞄の中から、見たことも無い道具をいくつも取り出し、あっという間に洞穴の中を光と温かさで包んだ。


「着火剤だよ。お兄ちゃんって何にも知らないよね。何にも出来ないし」


 コウが不器用ながらに包帯で巻いた額の上の頭髪は、糊でもつけたかのように乱れたままで固まっている。

 炎を挟んでコウに向かいに腰を下ろし、ジュウゴは言い返そうとした。だがコウの言い分は的を射ていて何も言えず、「そんな言い方、ないだろう?」といつもの愚痴を呟いただけだった。


「サンはどこに…」


 言って頭を抱えた。大勢が頭上で足を踏み鳴らすような爆音と、目の前で小さく火の粉が爆ぜる音が穴蔵に響く。


「この天気だもん。多分もう地上にはいないよ」


 コウが答えた。


「地上じゃなければどこに?」尋ねておきながらジュウゴはすぐに思い至る。「地下?」


「たぶん」コウが頷く。「地下の奴らだよ。お兄ちゃん、言ってたもん。お母さんもそうだったもん」


「『おかあさん』って何?」


「お母さんはお母さんだよ」


 コウは当然だと言わんばかりに説明になっていない説明をする。ジュウゴはそれ以上、質問しても無駄だと諦める。


「どこ行くの?」


 外に向かって歩き出したジュウゴの背中にコウは尋ねた。ジュウゴは首から振り返り、「サンたちを追うんだよ。そのために僕たち走って来たんじゃないか」と当然のように答えた。


「無理だよ」 


 コウは何度目かのため息をついた。「お兄ちゃんが死んじゃうよ」


「どうして?」


 ジュウゴが顔を突き出してきて尋ねる。「ここを出たら小銃が飛んでくるとでも言うのか?」


「氷が飛んできてるでしょ」


 コウはほとほと困り果てた。絶対に自分よりもお兄ちゃんなのに、このお兄ちゃんは何も知らな過ぎる。ヤチのお兄ちゃんがいらいらしていたのがすごくよくわかる。


「痛いだけなら我慢すればいいだろう? それにこんなところで待機しているうちにサンたちはどんどん遠くに行ってしまうよ」


「がまんって…」


 コウはそれ以上言葉が続かない。ワンは組んだ前脚の上に顎を乗せて、明後日の方を向いている。完全に目の前の夜汽車に呆れ果て、愛想を尽かしている。


「…女のお兄ちゃんはヤチのお兄ちゃんにまかせよう? きっと連れ戻してくれるよ」


 約束してくれたし、とコウは自分に言い聞かせる。


「相手は大勢いた。ヤチネズミは圧倒されていた。彼だけじゃ彼らを追い払うのは難しそうだった」


「じゃあお兄ちゃんは何ができるの?」


「それは」ジュウゴは口籠る。


「待ってようよ。お兄ちゃんがきっとつれて帰ってきてくれるはずだよ」


 お母さんはまだ帰ってこないけれども。


「でもサンたちを追おうと言ったのは君じゃないか。待っていればいいと言うならば、何故ここまで来たんだよ」


「だって!」


 コウは声を張り上げてから俯いた。置いていかれたくなかった。離れたくなかった。

 コウが突然押し黙り、ジュウゴは外を見遣った。コウが言うように氷の礫が音を立てて空から落ち続けている。我慢し切れるだろうか。もし我慢できなかったら? もしハチのように損壊したら?

 ジュウゴはコウに向かい合うように炎を挟んで座った。両手で頭を抱える。どんどんはぐれていく。皆、いなくなる。皆、死んでしまう…。


「夜汽車は」爪が頭皮にくい込む。「僕たちは絞られて飲まれたの?」


 すりよって来たワンを脇の間に招き入れてその喉元を撫でていたコウが、ジュウゴを見た。それから頭を少し右に傾げて、視線も斜め下を向く。


「夜汽車は缶詰になるために夜汽車なんだよ」


「絞って? 吸いだして?」


 コウは唸る。実際に見たことはない。お兄ちゃんは絞ると言っていたからそうだと思っていたがヤチネズミは違うと言っていた。曖昧に頷いておく。


「僕も死んだら絞られる? ジュウシも、君がヤチネズミたちと一緒になって埋めた夜汽車も飲まれる?」


「飲まれたくないから埋めたんでしょ」


 そうなのか、とジュウゴは思った。あの時のヤチネズミとコウの会話を思い出す。


「君はジュウシを飲もうとしていたのか?」


 コウはジュウゴを見つめた。困っていた。夜汽車と言えば飲むものだがそれがどのようにして缶詰になるのかは知らない。ヤチネズミが何でも知っていそうだったから、彼が何かするかと思ったのだった。


「飲まないよ」


 コウはジュウゴに言った。ジュウゴは混乱する。


「だって、さっき夜汽車は飲むものだと君が…」


「ヤチのお兄ちゃんと約束したんだもん。だからコウはもう飲まないの」


 

* * * *



 ジュウゴたちが制止も聞かずに突然駆け出した。植物たちの中でヤチネズミは舌打ちする。あの原動機の音が地下の追手かも知れないのに。あるいは塔からの使いかも知れないのに。ヤチネズミは後を追おうと走りかけ、立ち止まってコウに怒鳴った。


「俺の小銃どこだ?」


「何に使うの?」コウは言ってからはっと顔をあげ、「お兄ちゃん、あのお兄ちゃんたちを飲むの?」


「あいつらはネズミだ」ヤチネズミが怒鳴った。コウは戸惑う。


「でもさっきは夜汽車だって」


「今はネズミだ」ヤチネズミが言いきった。「だから俺から時機見て話す。お前は余計な事言うな。わかったか」


 不服そうにむくれてコウはヤチネズミを見上げた。「わかんない。お兄ちゃん何なの? ネズミって言ったり夜汽車って言ったりわかんないよ」


 ヤチネズミもコウを見下ろした。やがて黙ってコウの正面まで歩み寄る。ワンが喉の奥から唸って威嚇している。


「俺もわかんねえことがある」


 言ってわずかに腰を屈めた。顎を引いて上目でコウを見据える。


「地下か? 塔か? お前は何なんだ」


「地下じゃないよ! 一緒にしないでよ!」


「じゃあなんで、あんなもん飲んでんだよ」


「あんなもんって?」


 コウは首を傾げる。

 ヤチネズミはちらりと背後を見てからコウを睨んだ。「夜汽車」


 コウはぽかんとしてヤチネズミを見つめた後で、「だって飲むよ。夜汽車ってそのためのものでしょ?」


「あれは地下の飲みもんだ。どうやって手に入れた」


「お兄ちゃんが持ってきてくれるの」コウは顔を突き出した。「それにお父さんとお母さんだって飲んでた。でもお父さんたちも地下じゃないよ」


 ヤチネズミは上体を引いた。コウの言い分と態度から嘘ではなさそうだと思う。

 だが、ヤチネズミは考える。だがコウが|地下の食糧(缶詰)を飲んでいたのは事実だ。そして夜汽車も。夜汽車はおそらく単に与えられたものを口にしていたのだろうと推測できる。何も知らずに義脳に言われるままに。ではコウは? コウも同じことが考えられるだろうか。この幼い少年も、得体のしれない『お兄ちゃん』に言われるまま、与えられるままにそれを受け取って疑うことなく生きてきたのではないか、と。しかしそれでも疑問は湧く。コウは夜汽車が何かを知っている。あの中身が夜汽車だと知った上で、且つジュウゴたちが夜汽車だと聞きながらも自分を含め、夜汽車を受け入れ匿った。


「お前、」


 ヤチネズミが口を開いた。コウは睨みつけていることに疲れていたから、少し力が抜けた。しかし慌ててもう一度、怒った顔をする。


「お前、なんで俺らを中に入れた?」


 コウは今度こそ力が抜けた。きょとんとしてヤチネズミを見つめる。ワンを見下ろして頷き、ヤチネズミに向き直る。


「『たすけて』って言われたから」


 ヤチネズミが眉根を寄せる。


「誰かが困ってたら助けてあげるんだよってお母さん、言ってたもん」


 今度はヤチネズミが脱力した。それから横を向いて息を吐くと、突然吹きだし、小さく笑った。コウはワンと目を合わせる。ワンも戸惑っている。


「なあ、コウ、お前…」


 ヤチネズミに呼ばれた。コウとワンは同時に振り返る。

 ヤチネズミはちらりとワンを見下ろしてから、「お前ら、ずっとここにいるつもりか?」言い直して尋ねた。


「寂しくないか? こんなところで」


「お兄ちゃんが来てくれるもん」


「『お兄ちゃん』がいない時は、お前らしかいないんだろ?」


 ワンがコウを見上げた。コウは顎を胸に押しつける。

 寂しい。それはもう本当に。いつも寂しい。お母さんにお父さんにお兄ちゃんに会いたい。でもお母さんはお出かけ中だしお父さんは死んじゃったしお兄ちゃんはお仕事が忙しい。それにお父さんの『けんきゅう』を成功させようってお兄ちゃんと約束したし、コウもそう思ったし、お父さんもそうすれば喜んでくれると思っている。でも、成功しない。全然しない。お兄ちゃんががんばっているのは知っているけれども、もう成功しないんじゃないかと思う時もある。


「一緒に来るか?」


 ヤチネズミの言葉にコウは驚いて顔をあげた。


「ハツはお前らも受け入れるよ。文句言う奴がいたら俺が黙らせてやる」


「でも、お兄ちゃんが、コウはここにいないとだめだって…」


「お前、誰かの指示と自分の意思とどっちが大事なんだよ」


 コウは固まる。ヤチネズミは横を向いて息を吐き、


「自分で選べって言ってんだよ。『お兄ちゃん』の言うとおりにここにずっといたいならそれでいい。でもここから出たいなら手伝う。ついてこい」


「行く」


 コウは反射的に答えてからはっとした。お兄ちゃん、怒るかな、と。

 ヤチネズミは少年の素直な返事に笑った。


「お前らもネズミだ。いいな」


 ネズミが何なのかいまいちわからなかったが、コウはヤチネズミの笑顔が嬉しくて頷いた。


「でもコウ、一つ約束しろ」


「なに?」


 コウは顔を突き出す。何だって聞き入れようと思った。外に出て行けることが嬉しかった。ワンとお兄ちゃん以外の家族が出来るかと思うとわくわくした。

 ヤチネズミは真面目な顔になってコウを見据えた。


「夜汽車は飲むな。それがネズミの条件だ」


 コウは面食らう。「じゃあ何を飲めばいいの?」


「山ほどあるだろうが、ここに」


 ヤチネズミは植物たちを顎で指した。コウは少し困る。野菜は好きだがそれだけで腹は膨れない。それにワンはほとんど野菜を食べない。だが、


「わかった」


 ヤチネズミと一緒に行きたいと思った。あのお母さんみたいな女のお兄ちゃんにもっとくっついていたいと思った。

 ヤチネズミは頷くと腰を伸ばし、「じゃあ手始めに」言って手の平を突き出した。「俺の小銃返せ」


 コウはさっと表情を曇らせる。


「何に使うの?」


「ネズミの仕事だ。夜汽車を守るんだよ」


「夜汽車を守る?」


 首を傾げたコウに対して、ヤチネズミは腰を屈めた。


「お前、あの女好きだろ?」


 コウが力強く頷く。


「手伝え。『オヤ』の二の舞にはさせないから」


 ヤチネズミは微かに口元を持ち上げてコウの頭を小突いた。



* * * *



「コウは夜汽車を飲んでたよ。だって飲むものだから。でもヤチのお兄ちゃんが飲むなって言ったの。だから約束したの。だからコウはもう飲まないの」


 コウの真っ直ぐな視線を受けた。しかしジュウゴは引っかかる。


「でも今までは夜汽車を飲んでいたんだろう? それって死なせていたということじゃないか」


 コウが首を傾げる。


「飲めば死ぬってわかっていながら飲んでいたなら、君は夜汽車をずっと死なせ続けていたということだろう? なんでそんなことしてきたんだよ」


「だって飲むものだもん。飲まなきゃお腹空くもん」


「それくらい我慢しろよ!」


 ジュウゴは怒鳴った。コウが目を丸くして固まる。

 ジュウゴは奥歯を食い縛り頭を掻き毟った。納得いかなかった。腹立たしかった。許せなかった。なんでそんなことするんだ、なんて酷いことをするんだ、許せない、絶対受け入れられない。


「そんなことのためにジュウシは死んだって言うのか? そんなくだらない、そんな欲求くらい我慢すれば…」


「じゃあ聞くけど!」コウは怒った顔で言う。「お兄ちゃんたちだって普通に缶詰飲んでたでしょ? 飲んだよね」


「……うん」


 ジュウゴは顎を引く。


「あの中身は何?」


 知らなかった。中身が何かなど考えたことも無かった。

 コウは息をつく。


「他の夜汽車を飲んでお兄ちゃんも生きてたんでしょ? 飲まなきゃ死んじゃうでしょ? だから飲むんでしょ?」


「じゃあ飲まない」


「え?」


 ジュウゴは顔を上げる。


「僕はもう飲まない。これからはもう何も絶対口にしない。それでいいだろう?」


「水も? 野菜も?」


 コウは呆れる。「無理だよ、死ぬよ?」


「なんで?」


 ジュウゴは真面目だ。コウは開いた口が塞がらない。


「なんで死ぬんだ? 飲まなければいいだけだろう? 簡単じゃないか」


「お腹、空くでしょ?」


「我慢するよ」


「できないよ」


「やってみせるよ」



「無理だって」

 コウは困り果ててワンに助けを求める。ワンは顔を背ける。そんな男は放っておけと言いたいのだろう。でも、コウは顎を引く。ヤチネズミと約束したのだ。ネズミは夜汽車を守るのだと。


「じゃあ君が見ていてくれ。絶対やってやるから」


 ジュウゴは立ち上がって宣言した。ヤチネズミがなかなか夜汽車たちに本当のことを話したがらなかった理由が、何となくわかったような気がした。



 雹はやがて雪になり、昼夜問わず白い空の下から降り積もった。雷は止んだが風は一向に勢いを弱めず、ジュウゴたちは吹き溜まりを避けて洞窟の隅に肩を寄せ合った。次の朝にはジュウゴはコウとの約束を後悔し、その夜にはコウとの約束を早速破って水を飲んだ。

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