15-17 銃死
ワンが物凄い勢いで怒鳴っている。うたた寝しかけていたジュウゴはサンと目を合わせた。
「何だろう?」
「コウ、見て来る」
言うとコウは握っていたサンの手を離し、走って部屋を出て行った。ジュウゴはまだ動きが緩慢だ。コウにだいぶ遅れて立ち上がり、半開きの扉を開けた。
瞼を擦りながら廊下に出る。ジュウイチが同じように顔を覗かせていて、互いに首を傾げあった。
「お兄ちゃんたち! お兄ちゃんが!」
コウがばたばたと走って来てジュウゴの袖を引いて走り出した。
「え、ちょっと、なに?」
ふり返るとサンも顔を覗かせ、ジュウイチが怪訝そうに眉を寄せていた。
外に出る。刺すような冷気に体中が震えてジュウゴは完全に目が覚めた。
コウに導かれるまま走る。ヤチネズミの怒鳴り声が徐々に大きくなっていく。ワンの叫び声も。ジュウゴたちを追い越して先に傾斜を上りきったジュウイチが、「何? 何事?」とワンたちを見比べた。遅れてたどり着いたジュウゴも同じ行動をとっていた。
ジュウシが仰向けに砂の上で横になっていた。目を開けて空をぼんやりと見ている。星も月もないのに、曇り空など何が楽しいのだろう。口元には……、血液? それに砂がこびりつき、吐しゃ物を塗りたくっているみたいで汚らしい。
ヤチネズミがジュウシの胸の上に両手をついて一定の間隔で叩き続けている。片方の腕は肘まで捲られ、一本の赤い筋が出来ていた。ジュウシは叩かれる度に体が揺れて、それがかなりの振動に見えるのに一向に文句を言わない。痛ければ必要以上に痛がって見せるジュウシが何も言わないのだから痛くはないのだろう。それに接触の方法によっては相手の痛みを取り除く効果があるかもしれないとナナも言っていた。
でも少し乱暴だな、とジュウゴは思う。だがジュウシは瞬きもしないでされるがまま体を揺すっている。
「汚いよ、ジュウシ」
ジュウゴは率直な感想を述べた。実際そうだったから。だがその時のジュウシは、鼻筋に皺を刻むことも呆れ声をあげて睨みつけて来ることもなかった。ジュウゴは微かに違和感を覚える。
遅れてサンがやって来て、喉の奥で擦れた悲鳴をあげた。ジュウゴたちを押し退けてジュウシの横に膝をつき、大声で呼びかけている。ジュウシはサンをよく思っていないとジュウゴは感じていたし、サンもジュウシは苦手だと思っていたからジュウゴは少し驚いた。
「何しているの? あれ」
ジュウイチに尋ねられたが、ジュウイチは相手がジュウゴだと気付くと、「ああ、何でもない」と言ってそっぽを向いた。「そんな態度ってないだろう?」とジュウゴも言うが、実際自分に尋ねられても答えられないのでそれ以上は何も言えない。
「どうして? 彼がなんで」
「当たってたんだよ、さっき。骨でぎりぎり止まってた」
「何それ…」
「今、ここで喋ってたんだけどな。くそっ!」
ヤチネズミはサンと短い会話をした後で、ずっと続けていたジュウシへの奇妙な接触を止め、両手の指を組むと今度はそれを高い位置からジュウシの胸の上に振り下ろした。
ジュウシの体が跳ね上がる。ジュウゴはぎょっとする。慌ててヤチネズミを止めようとして肩に手をかけるが勢いよく振り払われる。
「ヤチネズミ!」
ヤチネズミは返事もしない。
「やめてくれ、ヤチネズミ。ジュウシが壊れてしまう…」
「あなたは黙って!」
サンに咎められた。ジュウゴは訳がわからない。驚いてサンを見つめる。
「くそっ!」
もう一度同じ単語を叫んで、ヤチネズミは砂を叩いた。舞い上がった砂がジュウシの顔にかかる。口にも入っただろう。しかしそれを最後にヤチネズミの乱暴な接触は終わった。
「砂、飲んだんじゃないのか?」
言いながらジュウゴはジュウシに近づいた。サンもヤチネズミも無言だ。ジュウシは咳込むでも起き上がるでもなく、まだ雲など見ている。
「ジュウシ、砂、入ったって。出した方がいいよ」
サンが俯く。
ジュウゴは後頭部を掻き、それからジュウシの体に手をかけた。横向きにさせて砂を吐かせようとしたのだ。しかし、
「やめろ」
ヤチネズミに止められた。
「え? でもだって、口に砂が…」
「死んでる」
サンが言った。ジュウゴは眉根を寄せてしばし静止し、聞き覚えのあるその単語の意味を思い出そうとする。だが彼は思い出せない。彼の脳は彼が期待するようには動いてくれない。
「コウ、どっか適当な場所あるか?」
呼びかけられたコウは目を丸くし、ヤチネズミに向かって顔を突き出した。
「え? でも、このお兄ちゃんは夜汽車なんでしょ? だったら…」
「こいつらはネズミだ」
ヤチネズミが凄んでコウが押し黙った。ワンが腹に響く声で唸り始めたがコウはそれを制止して、「お父さんの横かな」と下を向く。
「何か道具あるか?」
「畑用のなら」
「こいつらに貸してやってくれ」
素直に返事をすると、コウはワンと一緒に砂の斜面を降りて行った。
ジュウゴは困惑する。「ジュウシ、なんだか皆が不穏なんだけれども」と耳打ちする。だがジュウシは答えてくれない。ここのところ質問を流されることが多い。ジュウゴは少しむっとして声を荒らげた。
「無視するなよ!」
「ジュウゴ」
ヤチネズミだった。ジュウゴとジュウイチはヤチネズミの方を向く。
「死んだんだ、そいつは。それ以上騒ぐな」
「でも眠っているなら起こしたら…」
ジュウイチの言葉でジュウゴはようやく思い出した。そうだ、『しんだ』は『ずっと眠る』と言う意味だった、と。
だがそこでジュウゴの思考はつまづく。ジュウシはしばしば寝過ごすしそれはつまりずっと眠っているということだ。だからアイはジュウシの部屋には始業前からいると言っていた。僕の部屋には補習以外ではほとんど来ないのに。ならばやはり、
「アイなら起こせるんじゃないかな?」
最善だと思われる方法を提案した。起きた方がいいに決まっていると思ったからだ。こんなところで眠り続けられては風邪をひくだろうし、そうすればシュセキが目を覚ましても今度はジュウシのせいで動けないし、それはつまりハツカネズミや他の皆との合流が遅くなることを意味する。もう一度ナナを探しに行かなければいけないし、ハチのことも忘れてはいけないし、もうすぐ試験もあるし、やっぱりジュウシは起きなければいけない。
だがヤチネズミは何も言わなかった。そう言えばアイのことを『義脳』と訂正することもなかった。目元を覆った手指の間から白い蒸気を漏れ出すだけだ。
コウが戻って来た。ワンと共に見たことも無い道具を両手に抱えている。
ヤチネズミがジュウシを抱えて立ち上がっ 。地上に降りてから色々あって、皆、それほど接触に頓着しなくなってきてはいたが、ジュウシはハツカネズミだけでなくネズミたち全員のことをよく思っていないだろうと見積もっていたジュウゴは、ヤチネズミに抱えられても何も言わないジュウシが意外すぎて驚いた。
驚いて見開いていた目の中に何かが落ちて来た。ジュウゴは瞬きをしてから顔をあげる。
「雪?」
車窓から何度も見ていたそれを、自分が浴びることになるとは夢にも思わなかった。途端に全身に寒気を覚えて、ジュウゴは肩を竦めて二の腕を擦った。
「降って来たか」ヤチネズミも空を見上げて呟く。そして、「本降りになる前にやっちまうぞ」
「何を?」
ジュウイチがジュウゴと同じ疑問を口にした。ヤチネズミはジュウシを見下ろしてから、
「こいつを埋めんだよ。まず穴掘るからお前ら手伝え」
「埋める?」
ジュウゴは聞き間違いかと思った。だがそうではないようだ。コウが指差す場所の横にジュウシを置いたヤチネズミは、少し歩いて四輪駆動車に行くと、見たこともない道具を手にして戻って来た。そしてその道具で砂をかき出し始めた。本気で穴を掘ろうとしている。
「ヤチネズミ」
ジュウゴはヤチネズミに駆け寄った。ヤチネズミは手を止めずにジュウゴも見ないで作業を進める。
「お前らも手伝え」
「ちょっと待ってくれ。ヤチネズミ!」
ヤチネズミは手を止め、大きく息を吐いてジュウゴを見た。頭に雪が積もり始めている。
「いいかジュウゴ。そいつは死んだんだ。放っておいても腐るだけだ。積もれば地面も掘れないし埋める場所もなくなる。きちんと弔ってやれ。仲間だろ」
「なんで埋めるの?」
知らない言葉ばかりでほとんど何を言っているのかわからなかったから一番の疑問を口にした。しかし、ヤチネズミは「だから」と苛立ちを露わにするだけだった。
「ジュウゴ」
サンが駆け寄って来た。手にはコウが持っていた道具。二本のうち一本も差し出す。
「ちゃんと説明するから。今は彼の指示に従って」
「なんで?」
サンが唇を閉じた。ジュウイチも顔を向ける。ジュウゴはヤチネズミに再び向き直り、思いのたけをぶつけた。
「なんで埋めるの? 眠っているのにそんなことしたら目を覚ました時にびっくりしてしまうじゃないか。そんな嫌がらせ、いくらなんでも酷いよ。確かにジュウシは厭味で意地悪で腹が立つけどそれだけじゃないし、それだけだったとしてもそんな仕打ちは許されない」
「違うの」とサン。
「違わないよ!」
ジュウゴはサンに向かって怒鳴った。サンは驚いた後で唇を咬み、憐れむような、泣きだしそうな目でジュウゴを見つめた。
「お願い聞いて。あなた何もわかってない」
「もういい、女」
言ってヤチネズミが手に持っていた道具を乱暴に砂に刺した。ジュウゴはヤチネズミに向き直る。ヤチネズミはいつも以上に不機嫌そうに目を細めて、どかどかと近付いてきた。ジュウゴは身構える。ジャコウネズミを手の平で何度も叩いていたのを思い出したからだ。しかし、
「好きにしろ」
言うとヤチネズミは行ってしまった。
ジュウゴは強張らせていた肩を降ろした。サンが俯いている。彼女の泣き顔は見たくないけれども、ジュウシにしようとした仕打ちはさすがに許せない。ジュウゴはサンに道具を返すとジュウシの元に歩み寄った。
「何する気?」
サンに尋ねられる。ジュウゴはジュウシの脇の下に腕を入れて、立たせようと試みたが失敗し、足が引き摺られることは大目に見てもらうとしてその体を運び始めた。
「ジュウゴ…」
「研究所の中に入れるんだよ。当然だろう? こんな寒いところで眠らせておいたら風邪をひいてしまうじゃないか」
サンに言い捨ててジュウシを運んだ。ジュウシの踵が何度も砂の隆起にぶつかる度に、体が跳ねあがって運びにくかった。寝ている間は何をしても起きない男だから仕方ない。
「僕も埋めるのはどうかと思うよ」
ジュウイチが後ろからサンに呟いて、ジュウゴを手伝いもしないでそそくさと屋内に入って行った。
「お兄ちゃん、コウ……」
コウは座りこんだまま動かなくなったサンを持て余し、ワンと目を合わせて困り果てた。
ジュウシを扉の内側に入れたところでジュウゴは力尽きた。重たかった。誰か手伝ってくれてもいいのに。だが啖呵を切った手前、ヤチネズミやサンに願い出るのは気が引けた。ジュウイチは声をかける間もなく奥の部屋に行ってしまうし。ジュウゴは始め、ジュウシを布団まで連れて行こうと思っていたが、それ以上腕が上がらなくて、扉の横の壁にジュウシを横たわらせて、その傍らに腰を降ろした。
「いい加減起きろよ!」
ジュウシは返事もしない。相変わらず目を開けたまま眠っている。いつもは目をつぶっていたと思うけれども。
「ヤチネズミの嫌がらせから助けてやったんだぞ。感謝してもらうからな。起きたらずっと嫌味を続けてやるから覚悟しておけよ」
コウとワンがサンを連れて中に入って来た。コウが絶句してジュウゴたちを見下ろす。ジュウゴはその視線の意味がわからなくて、でも皆がジュウシにしようとしたひどい仕打ちが許せなくてそっぽを向いた。
「お兄ちゃん…」
何か言いかけたコウをサンが止めて、連れだって奥に入って行った。扉が閉められてジュウゴはさらに腹が立った。
皆布団で眠るのだろう。ジュウシを置いて。ジュウシが何かしただろうか。…色々しているか。サンへの態度は酷いものだし、ヤチネズミにも反抗的なままだ。ネズミたちが自分たちにしてくれたことを考えれば非常識で失礼極まりないとはジュウゴも思っていた。それでも埋めるなんてあんまりだと思う。
あんまりで、あんまりに、あまりにも……。
温かな空気に包まれてジュウゴはその場で眠りに落ちた。
* *
ジュウイチの悲鳴でジュウゴは目を覚ました。座ったまま起き上がろうとしたものだから体勢を崩して右肘を床に叩きつけ、後頭部を壁にぶつけてうずくまる。頭の痛みも響くが右腕の痺れが尋常ではない。歯を食いしばって振り返るとジュウイチが目を丸くして立ち尽くしていた。
「何だよジュウイチ。びっくりするじゃないか。せっかく久しぶりにゆっくりしていたのに」
「それ!」
ジュウイチは頬を引き攣らせ、指差す物から顔を背けた。指の先はジュウシだ。ジュウゴは不思議に思ってジュウシに振り返り、息を止めた
ジュウイチがちらりと見てから目を瞑る。その場に手をついたまま身動きを忘れたジュウゴはまじまじとジュウシを見つめる。
「ジュウシ?」
呼びかける。返事をしない。まだ眠っている。眠っている?
気がつくとヤチネズミが傍に立っていた。黙ってジュウシを見下ろし、それからジュウゴを見つめる。ジュウゴはヤチネズミを見上げ、もう一度ジュウシを見て、やはりヤチネズミに視線を戻した。
「ジュウシ、目が…」
「言ったろ。腐るって」
「腐るって」
言われた言葉を反復するが頭がついてこない。元々回転の遅い脳だから仕方がないのだが、ジュウゴの意思とは無関係に他の各部位は反応する。
首が勝手にジュウシの方を向く。胸の奥から耳にまで届くような動悸が響き、呼吸が乱れ、額や手からは汗が噴き出した。だいぶ遅れてからジュウゴの脳も動きだす。これは何だ。何が起きている。目。目が。ジュウシ? 唇も何だか、皮膚の色も変だ。ジュウゴは目の奥に熱を感じた。熱くて、ひりひりして、何度瞬きしても瞼が勝手に開いて。瞑ってしまいたいのに、もう一度眠ってしまえば、眠っていたはずだけれども、眠って? ねむ……
「……起きないんだね」
ヤチネズミが頷いた。
「もう二度と?」
ヤチネズミは横を向く。
「ずっと? 目覚ましが鳴っても? アイが起こしに来ても?」
それはそうだろう。返事がなくても答えは否だと、ジュウゴ自身も思った。理屈も理論も説明できない癖に、その事実だけは妙に納得した。
「話せないの?」
―動かないの―
サンも言っていた。そういうことだ。こういうことか。これか。このことか。これだから、だからヤチネズミは、だからハツカネズミは、だからサンは、だから、だって、これは、これじゃあ……、
―埋めるんだよ―
何故なら、
―腐るだけだ―
―動かないの―
―死んだんだ―
「嫌だ」
ジュウゴは這ってジュウシに近寄った。肩を持って強く揺する。
「ジュウシ、いやだ! 起きてくれ寝ないで。駄目だよ、嫌だ、やだよ、だめだって、だ…!」
違和感に手を止める。もう一度肩を揺する。ジュウシは首が揺れるでも顎が上下するでもなく、気の抜けた間抜けな顔をしているのに頭から爪先までがまるで一つの鉄板みたいに固まっていて、そして冷たかった。
「ジュウシ?」
肩を引かれた。サンだった。サンは何も言わずに項垂れたまま、ジュウゴの肩を強く握った。
ジュウゴはもう一度ジュウシを起こそうとする。手を伸ばす。届かない。もがく。自分ばかり動いてジュウシは動かない。行けない。遠い。
ヤチネズミが膝の曲がらないジュウシを持ち上げて、家の外に出て行った。
* *
吹雪の止んだ低い空の下でヤチネズミは雪原を掘った。ジュウイチが手伝わされている。サンも汗を流しながら体を動かしている。小さなコウも、道具を持てないワンさえも、皆、ジュウシのために穴を掘っている。その横でジュウシは横たわり、ジュウゴは立ち尽くしたまま動かなかった。
土の穴の中に布ですっぽりと包んだジュウシを横たわらせた後、ヤチネズミは上から土をかけた。サンも真似た。ジュウイチはサンを見つめ、ジュウゴに振り返り、数歩後ずさりして道具を地面に落とし、そして無言で走り去った。
ジュウシを包んだ布の上に雪にまみれた土が積っていく。瞬きをする度に、鼻で息を吸う度に、細かな氷が粘膜に刺さって痛い。
「ジュウシ」
訳もなくジュウゴは呼びかけた。
返事は無かった。ジュウシはきっともう動かない。動けるはずが無い、だってあんな、だから。だからきっともう一緒にいられない。だからこうするのだろう、ジュウゴは理解した。普段は全然動かないくせに、その時だけはやたら速く回転した脳が、言い表せない事象を理屈を飛ばして感覚でジュウゴに納得させた。一万回の授業よりも一目見たその光景が全てを悟らせた。
けれどもやはり。
灰色だった空がまだらに光り始め、雲の隙間から光の線が確認出来るようになった頃、ジュウシは完全に見えなくなった。結局ジュウゴは何もせずに終わったが、誰もそれを責めなかった。ヤチネズミは無言で道具を四輪駆動車に放ると、ジュウゴを一瞥して中に入って行った。コウと共に道具を回収していたサンは、コウに一言告げると先に行かせ、ジュウゴの横にやって来た。
「中に入りましょう。晴れてきたしすぐに気温が上がるわ」
ジュウゴが漫然と首を動かす。その表情にサンは不安を隠せない。
「少し休みましょう」
「太陽だ」
ジュウゴがサンを見ずにそう言った。サンはジュウゴの視線を追う。見ると分厚い雲の裂け目から、見たことも無い青い空がちらつき始め、頭上には太陽がいた。
「急ぎましょう。早く中に…」
「太陽を見てみたいって言っていた」
ジュウゴがぽつりと言った。サンは口を噤む。それまで弛緩しきっていた顔全体を歪ませ、歯を食いしばり、真っ赤な顔をして太陽を睨みつけた。
「何度も授業で見ているし、眩しいから直視は避けねばなりませんってアイも言っていたし、だから僕はそんなもの全然興味なくて、でもジュウシは、太陽が見てみたいって言っていた。もし夜汽車を降りられるなら何がしたいかって話した時に、シュセキは地下に住む者に話を聞いてみたいと言っていて、でもジュウシは夜汽車を降りることも新月の日のあの時間もアイに秘密を作ることを嫌がっていたから何もかも乗り気じゃなかったけれどもでも、でも太陽は見たいって言っていた。言ってた!!」
肩で息を吐き唾を飛ばし、ジュウゴは項垂れた。膝をついて手をついて、どろどろの砂を握りしめてジュウゴは叫んだ。
「見る前に! 見てないのに! こんなに近くてあんなに! あんなにッ!!」
その後はただただ絶叫で、サンにはジュウゴが何と言っているのか聞きとれなかった。
* * * *
ハチはいつ死んだのだろう。いつまで死んでいなかったのだろう。ナナは。ナナは死んだのか? まだ死んでいないのか。シュセキも死ぬのだろうか。ゴウは、ジュウニは、他の皆は。
「早く夜汽車に戻ろうよ! 他の皆もジュウシみたいになっていたら…」
「お願いジュウイチ、落ち着いて。まだ外は昼なの。太陽の下では私たちは動けないわ。それに…」
「太陽に当たったらジュウシみたいになるってこと?」
「すぐにというわけではないでしょうけれども」
「すぐじゃねえな。でも一時間は無理だろ。っつうか他の奴らは…」
「ほらやっぱり! 君よりも彼の話の方がずっと信憑性があるよ! 大体もうどれくらい経ったと思っているの!? 僕たちが夜汽車から離れてから二日! 二日だよ! 十分長時間だ。二日も太陽の下にいる他の皆は…」
「まだ一日半よ。それに教室の中でしょう?」
「だから他の奴らは」
「でも夜汽車は電気が通っていない状態なんだろう? だったら地上と何も変わらないじゃないか!」
「だけどあなたがッ!」
「黙れ、お前ら。まず座れ」
死んだらどうなるのだろうか。死んだら動かなくなってジュウシのように眠りこけたまま腐ってその後は? ジュウシは動かないし話さなくなったけれども、それ以外も全てなくなってしまったのだろうか、全て。……全て? ジュウシがいたことも彼の思考も感覚も感情も何もかも?
「他の夜汽車は諦めろ。時間切れだ」
「時間、切れ?」
「昨日のあの時点でならもしかしたらまだ中の連中は生きてたかもしれない。でもワシの電車、お前らも見ただろ?」
「ワシ……?」
「こいつの脚切り落として、ジャコウを殺してあいつを死なせた奴らだよ」
何故死ぬのだろう。損傷? そうだ。ジュウシは小銃の弾が当たっていたと言っていた。小銃が当たれば死ぬのだ。
「ワシの大将が電車で地下に戻って来たんだ。夜汽車を見つけた奴らが手ぶらで素通りするとは思えねえ。目的は塔だったとしたって目の前に夜汽車があれば間違いなくそれも持ち帰るはずだ」
「え? 何? 意味がわからない。君はあの屋根の無い夜汽車くずれの乗り物にゴウたちが乗っていたと言いたいの? 僕は見てないよ」
ハチは小銃ではなかったが爆発によって損壊していた。だから死んだんだ。壊せば死ぬのだ。ではシュセキも?
「状況を考えろ。見てなくても予想はつくだろ。大方塔からの帰り道に夜汽車回収にいって、数が足りないと思ったらお前らがうろついてて。そりゃ撃つだろ。俺が地下でもそうするよ」
「何それ」
「君は理解出来たの?」
「まさか皆は…?」
「九割九分死んでる」
死んでいる。
「じゅ、ジュウシと同じってこと? ななななんで? なんっ!!」
「それにもうそろそろだろ。最終列車も来てるはずだ」
「『採集』何て?」
「だから夜汽車はもう無いって言ってんだよ!」
「……無い…」
「かか、回収って何なの? ワシ? 地下の奴らは僕たちを持ち帰るのが目的ってこと?」
「そうよ、もうわかるでしょう!」
「わかんないよ!! 君は何を知っているの? どうして僕たちがこんな目にあわなきゃいけないの!?」
「だから俺らが迎えに来たんだろうが!」
「ハツは、」
ジュウゴが口を開いて、全員が振り返った。ジュウイチは癇癪の中に恐怖と動揺を見え隠れさせ、サンは不安そうな、困惑しきった色を浮かべて、疲れ顔のヤチネズミは少し驚いていた。
「ハツは死んでないの?」
ジュウゴはもう一度尋ねた。ジュウゴの記憶が確かならば、誰よりも小銃の弾を受けて、何よりも損傷が激しかったのはハツカネズミだ。
「あいつは大丈夫だ」
ジュウゴの懸念にヤチネズミが答えた。大丈夫? 何故?
「大丈夫なはずがないよ。ハツは一番小銃が当たっていた。ジュウシよりもずっと。ジュウシよりもいっぱい流血していたし腕だって」
ジュウゴは立ち上がりシュセキに駆け寄った。膝から下をどこかに落としてきたシュセキはあれからずっと眠り続けている。
「そいつは寝てるだけだ。今はな」
ヤチネズミが言った。確かにまだ肩と眉間が動いている。だが本当に眠っているだけなのだろうか。ジュウゴは不安を拭えない。ジュウシだって眠っているだけだった。
「でもハツは大丈夫だ。あいつは死なない」
「死なない?」
ジュウゴは顔をあげた。ヤチネズミに振り返る。
「『あいつは死なない』って、僕は死ぬの?」
ヤチネズミは一瞬ぽかんと口を開け、それから横を向いて息を吐いた。
「ジュウゴ、みんな死ぬんだ。あいつだけじゃない。そいつも死ぬかもしれないしお前も俺もいつか死ぬ。全員必ず死ぬもんなんだよ」
「でもハツは死なないの?」
「そりゃハツだって…」
「彼の痛みを一切感じてない様子は私も気になっていた」
サンが割りこんできた。ジュウイチはきょろきょろと周囲を見回した後で、ヤチネズミを見る。ヤチネズミは三方から視線を受けると不機嫌そうに眉間に皺を刻み、視線から逃げるように横を向いて息を吐いた。
「どっから話せばわかるかな」
目元を擦りながらヤチネズミは呟く。
「こういうのはカヤの仕事じゃね?」
ネズミたちはいろいろ中に入っている。地下の掃除で減らないために、減りづらくなるようにという計らいだ。
カヤネズミは寝ない。だから四六時中いつでも見張りができる。タネジネズミとジネズミもカヤネズミの薬が合っていたからそれなりに寝ないでいられるが、彼らは四六時中とまではいかなくて、三日に一回くらい突然熟睡して起きなくなる。
セスジネズミは感情の起伏がほとんどない。だが喜怒哀楽が欠落しているわけではない、とヤチネズミは強調した。過去にはそのような仲間もいたがセスジネズミは違う、と。セスジネズミは感情を表に出さなくなっただけで、本当は作戦が成功すれば嬉しいだろうし仲間が欠ければ悲しんでいるはずだ、と。ただ、セスジネズミが常に冷静であることは、作戦の穴を指摘してくれる点において非常に助かっていることは事実らしい。
ヤマネとカワネズミはほとんど飲食をしなくても動き続けられる。まれに食事をしていた頃の味覚の記憶から何かを口にしたいと思うこともあるらしいが、一口で満足する。だが水だけは必要らしい。そして何故か太陽を見たがる。長時間見続けることはもちろんできないが、晴れた日の朝はよく太陽を見ている。そしてその日は特に活発になる。
入れられた薬が合うか否かは入れてみないとわからない。全く効果が現れない者もいる。全く合わない時もある。合わない場合は拒絶反応が出てしまう。中には反作用がもたらされることもある。だが使える薬はなるべく入れておきたいから、少しずつ入れて慣らして拒絶反応等を抑えながら利用できるように心がけている。だから痛みに対する耐性の薬は全員に入っている。それでも効きがいい者と悪い者が出てくる。
「ちなみに俺は痛みは感じやすい方でジャコウはほとんど感じなかった。あいつはトガちゃんのもよく合ってたから回復も早くていつも前線を任せがちだったけど、ハツほどじゃなくて。でも頭数が少なかったから色々やらせちまって、ぐだぐだ文句言うくせになんやかんやで引き受けてくれるから俺もハツもあいつに甘えてたところあったんだろうな」
ヤチネズミはジャコウネズミの話をすると、とても悲しげな顔になった。サンは目の前の粗暴な男の別の一面を垣間見た気がした。
ジュウイチは黙ってヤチネズミの話を聞くサンとジュウゴをちらちらと見ていた。ジュウゴはジュウシが砂の中に埋まって以来、瞬きを忘れた真っ赤な目でどこかや何かを睨みつけていて話しかけづらい。サンは地下に住む者だったと言っているしシュセキは眠り続けるし、誰にも何かを相談できない空間はジュウイチにとって息がしづらかった。
「ハツは?」
ジュウゴが重ねて尋ねた。ヤチネズミの話を黙って聞いていた彼が、どこまで理解できているのかは量れない。顔を向けたサンの視線も見ないで、ジュウゴは真っ赤な目のまま怒ったように繰り返した。
「ハツはなんで死なないの?」
ヤチネズミはジュウゴを見つめて息を吐くと、自分の手の平を見下ろして話を再開した。
「俺たちは大体何か入ってる。寝ない、食わない、感情がない、感覚がない、再生する。誰かがなんかしら少しずつ持ってて、自分の体に合ったやつをな。
で、ハツは、あいつは、全部だ」
「全部?」とジュウイチ。ヤチネズミは頷く。
「あいつは寝ないし食わないし感覚が麻痺してるし再生が早い。だからちょっとやそっとじゃ死ねない」
「『くわない』って?」
「水さえ飲んでりゃ腹膨れるってことだ」
「表情は豊かだったと思うけれども」
サンが何かを思い出しながら呟く。ヤチネズミは鼻で笑った。
「少しくらい無くなればいいと思ってムクゲの薬を入れたんだけど、あんまり効かなかった。効かなかったっつうか変な具合に効いた結果が今のハツだよ」
しばしば出てくる効き慣れない名前は、過去にいたヤチネズミの仲間のものだろうとサンは思った。それだけ彼らは仲間を失ってきたということなのだろう、と。
「じゃあどうしてジャコウネズミは死んだの?」
ジュウゴの質問にジュウイチは振り返る。いつの間にかいなくなっていたネズミはジュウシのようになっていたのか、と気づかされた。それと同時に、ジュウゴのほうがその事実に先に思い至っていたということに驚きを隠せなかった。
「頭、撃たれたからだ」
ヤチネズミは目を伏せる。
「頭?」とジュウイチ。ヤチネズミは顎を引く。
「ハツもジャコウも……、体中どこを撃たれてもほとんど治ってた。心臓さえ再生してた。でも脳みそだけは治らない。頭、飛ばされたらそこで終わりだ」
そこで何故か、全員が押し黙った。ジュウゴは足りない頭で何かを考えているのかもしれない。ヤチネズミは誰かを思い出しているのかもしれない。サンは何を考えているのかわからない。
ジュウイチは、ただただ恐ろしかった。転がるジャコウネズミ、濁った眼のジュウシ、ぐちゃぐちゃのハチ。
ジュウイチが立ち上がろうとした時、扉が開いてコウとワンが入って来た。コウは缶詰をいくつか載せた盆を手にしている。ジュウイチはそれを見て、唾を呑みこんでいた。それまで意識していなかった空腹感が突然目覚めて腹がへこんだ気がした。
「お兄ちゃんたちっていっつも暗いね」
言いながらコウはヤチネズミの隣に腰を下ろし、床に盆を置いた。
「飲む?」
返事と同時かそれより早くジュウイチは缶詰を一本手に取り、そのまま一気に中の液体を飲みほした。缶詰をすっかり空けてからようやく息をつく。
「僕もお腹、空いていた」
ジュウゴも言って缶詰に手を伸ばした。サンはコウに礼を言ってから両手に缶詰を持ち、シュセキの枕元に行く。
「おい待て」
ヤチネズミが絞り出すようして言った。
「お前ら……、……それ飲むのか?」




