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14-1 夜汽車

「仲間のとこまで走れ!」


 男が言った。『ネズミ』と名乗った集団の一員だ。確か『螺子』とか『種』とか呼ばれていたような。その声色から僕たちを急かしていることは理解できるのだが、やはり彼らの使う単語は未修学なものが多すぎる。


「『なか』…?」


 僕と同じように首を傾げたジュウイチの背中を、ネズミの男は舌打ちと共に蹴った。ジュウイチはつんのめって姿が見えなくなる。


「ジュウイチ!」


 サンが叫んでシュセキも目を見張った。残された僕たちは慌てて立ち上がろうとしたが、ネズミに掴まれて投げ出される方が早かった。折り重なる様に廊下に出る。顔を上げようとしたところで僕は後頭部を激しく抑えつけられて、その上でまた例の音が鳴り響いた。


 破裂音。いや、衝撃音? アイの指導とは別の意味で耳が痛くなるその音と、後頭部のがりがりした痛みに僕は堪らず声を上げた。


 一瞬の静寂。音が止んだのだ。ほっと目を開けた時には腕を掴まれて揺り起こされていた。


「あそこ! あの乗り物、見えるな? お前らの仲間と女も乗ってる。俺が合図したら走れ。わかったか!」


 僕はネズミの気迫とまつ毛の水滴と、向こうでまだ鳴り響いている連続音と光と怒声と、どれを見ればいいのかネズミが何を言っているのかがわからなくて、周囲を見回した。腕を払われて頭を掴まれる。嫌でも一方向に向けられる。


「あれ!!」


 行け! ネズミが怒鳴って僕を夜汽車から蹴り落とした。


 景色が回る。地面に向かって前転させられたが失敗し、視界は暗転した。首が痛い。右手で首を擦りながら起き上がった僕は、サンに怒鳴られて慌てて立ち上がった。


 シュセキが何か言っている。ジュウイチが我先にと駆けていく。僕はネズミに言われた通りの方向に走る。前なんて見ていなかった。顔を上げたらまた怒られそうで、指導よりももっと痛いことがありそうで、音が、光が、空気が全てが恐ろしくてそれしかなくて…、


「みんな!」


 ナナ? 僕は目を開けた。ナナを探す。いた。ナナは屋根のない乗り物に乗ってこちらに向かって来ていた。隣には耳から流血しているジュウゴ。


「良かったみんな。どこも壊れていない?」


 ハチの血液で汚れた目元を両手で擦りながらナナが言った。


「他のみんなは?」


 ジュウイチが首を横にぶんぶん振る。


「開かないんだ、教室。音しないしアイも答えないし、でもあそこにゴウたちはいるはず…」


「いいから早く乗れ!」


 ナナの前に座っていたネズミに怒鳴られた。この声は、


「ハツ、怒鳴らないで」


 『ハツサン』だ。ジュウゴがハツサンの座っていた背もたれに手をかけて言った。気さくに嗜めるように、まるで僕に愚痴を垂れるみたいに。僕はジュウゴを見つめる。


 僕の視線など気づきもしないで、ジュウゴはハツサンと会話を続ける。


「君の言い方はきつ過ぎるよ」


「ごめんね、ジュウゴ。でも状況見えるよね? くっちゃべってる時間無いんだよ」


「乗れと言ったって、これ以上はもう…」


「もう一台呼ぶから。とにかく詰めて」


「じゃあ僕が降りるよ。サン、乗って…」


「お前は動くな!」


 違和感のないジュウゴたちのやりとりに僕は自分でも理解できない怒りを覚えた。なんでそんなに普通に話しているんだ? どうして君は彼らにそこまで……。


「わたしが降りるわ」


 ナナが言って立ち上がった。


「ジュウゴ、こっちに詰めて…」


「な!!」


 ジュウイチが叫んだ。その声で僕もナナを見て、喉の奥で息を止めた。


 ハツサンが操作してきた機械と同じく屋根のない、でも車輪が二つしかない乗り物が急接近してきて、ナナの体がそちらに平行移動した。持っていかれた。


 ハツサンが腕を伸ばす。空を掴む。ジュウゴが振り返る頃にはナナは彼方に運ばれていた。


「ナナあッ!」


 サンが駆けだす。シュセキがその腕を掴む。ジュウイチが膝から崩れる。


「ハツ! あれ追っかけて! ナナがッ!」


 ジュウゴが立ち上がってハツサンに訴えた。ハツサンは保護眼鏡のまま彼方を見遣る。露わになっている口元が歪んでいる。


「ハツ!」


 叫んだジュウゴにハツサンが振り返った。と同時にジュウゴの頭を掴んで乗り物の座面に押しつける。なんて乱暴な事を…


「伏せッ!!」


 ハツサンの怒鳴り声に肩が震えた。直後にチッ、とした。左腕の辺りだ。音だったのか熱だったのかわからない。でもそれ以外に形容のしようがない。


 僕は左の二の腕を右手で掴んで覗きこんだ。袖が切れていた。どこに引っかけただろう? 


 疑問に思っていると徐々に袖が赤く染まってきた。どんどん広がる。痺れる。熱を帯びて痛い。痛い。痛いッ!!


 声が出なかった。息も出来なかった。こんな感覚、体験したことがなかった。僕は左腕を掴んだまま膝をつく。額を地面につけて歯を食いしばって、そのまま右側に体が倒れた。


 背中で地面につく。体が捩れる。詰まっていた息が再開して喉の奥から声が出る。涙も、涎も、鼻水も、血液と一緒に流れ出る。


「ジュウシ!」


 痛いッ!


「ヤチは?」


「ジュウシ! ジュウシッ!」


「四輪寄こせ! 早く!」


「カヤさん、ジっちゃんが…」


「ジャコウ、もういい! 戻ってこい!!」


「ジュウシ!」


 うるさい!  


 答えられると思うか? うるさいんだよ痛いんだよ察してくれよ! 僕は声にならない怒りでジュウゴを睨みつける。


 誰のせいだ? 誰のせいでこんなことになったと思っている!!


 元はと言えばジュウゴがあんなことを言わなければ、いや、それを言うならシュセキがあんなものを見つけなければ、いや、そもそものそもそもは彼女があんな提案さえしなければ。


 ネズミたちからの接触に辟易しながら、それ以上に左腕の痛みに歯を食いしばりながら、僕は事態の原因を記憶の中に探し始めた。


 





 木が立っている。


 ジュウゴがそう言った時、その場に居合わせた全員が立ち止まった。ほぼ同時に振り返っていたのだろう。前の方を歩いていた僕からは既に、皆の後頭部か横顔しか見えなかった。


「何が…、え?」


 僕の口から出たのは疑問符にさえなっていない音だった。隣を歩いていたシュセキは眼鏡の奥で眉根を顰め、憤ってさえいるようだ。まあ、彼の場合は常時とさして変わらない。ナナとハチは目も口もまん丸く開けて互いに顔を見合わせて、示し合せたように首を傾げ、その斜め後ろでサンも呆気に取られていた。


「木だよ、木。木が立っていた。僕、見たんだ」


 ジュウゴはたて続けに主張した。夜汽車の窓の外を指さして夜闇と僕たちを交互に見ながら、自分が見たことは本当だと何度も繰り返した。まだ見えるかもしれない、などと言って車窓に額を押しつけて、手指で目元を囲んで車内の灯りを遮断しては窓の外を覗きこんでいる。


「何を言っているの? そんなことあるわけないでしょう?」


 最初に諭したのはナナだった。


「本当だよ。だって見たんだ」


 ジュウゴはナナの方に身を乗り出して声を荒らげた。それからぱっと表情を変えて、


「髪、切った方がいいよ。少し伸び過ぎだ」


「え?」


 ナナが小首を傾げて、肩にかかった毛束を摘むようにして見つめる。それから何か言いかけたがそれより早く、


「気のせいだろう」


 シュセキが言った。


「だと思うよ」


 僕も言った。


「気のせいなんかじゃないよ!」


 ジュウゴはまた先の険しい顔に戻って、今度は僕たちに唾を飛ばした。


「『地下の…』、でしょう?」


 ナナが言葉を濁して呟いた、指から離れた毛束をするりと滑らかに元いた場所に戻しながら。


 ナナが言ったのは、『地下に住む者』と見間違えたのだろう、という至極真っ当な意見だった。ハチが頷く。僕も頷いた。彼らの姿は僕も見たことはある。見るというか眺めるというか。徒歩の彼らが走る夜汽車に接近することはまずないが、視界には時々入る。


「違うよ。あれは木だよ、本当だ。僕はこの目で見たんだ」


 それでもなお、ジュウゴは後ろ手に車窓の外を指さして喚くように訴えた。いつもは黒目がちの目が、今は白目の面積の方が大きくなっている。あまりの気迫と形相に僕は若干白けた。女子たちもそれは同じだったようで、ナナは困り顔になり、サンは逃げるように斜め下を向き、ハチが大きく鼻から息を吸うと肩を落としてため息をついて見せた。


「気、の、せ、い。きっと」


 ハチは一文字一文字区切りながら厭味ったらしく言い放った。ジュウゴはさらに身構えて一歩踏み出す。


「きっとってなんだよ!」


「だってありえないんだもん」


「常識的に考えて」


 ナナも口を挟んだ。ジュウゴの苛立ちがナナに向かう。


「僕が非常識だと言いたいのか」


「窓を汚す者が常識的か」


 シュセキが眼鏡を指先でずり上げながら言った。ジュウゴが一瞬たじろぐ。


「……拭けばいいだけだ」


「それなら最初から汚さなければいい。僕ならばそうする」


 ジュウゴが完全に怯んだ。これ以上は居たたまれない。


「汚そうと思って汚したわけじゃないだろう、ジュウゴだって。そうだろう?」


 僕は喋りながらジュウゴに近づいた。先のジュウゴみたいに窓の外を覗きこむ。どこまでいっても変わらない景色の中の、見分けのつかない物影に目を細めて、「あんなところに瓦礫があったっけ?」などと嘯きながら。


「瓦礫と木は間違えないよ」


 斜め後ろからふてくされた声がした。


「でもさ、君が見たというのだって一瞬のことなんだろう?」


 僕はジュウゴに向き直る。


「だったら見間違いという可能性は大いに…」


「ないよ! 見間違いじゃない。僕は見たんだ。みんな誰も見てないのになんでそこまで否定出来るんだよ!」


「白熱していますね」


 アイの声が聞こえたと思ったら、きん、と短く、金属がぶつかりあった時のような高くて不快な音が響いた。僕たちは思わず目を瞑る。指導だ。


「仲違いはよくないですよ」


 僕たちの背後に現れたアイが微笑みながら言った。


「アイ!」


 女子たちを迂回してジュウゴがアイの前に歩み出る。そして、


「僕、木を見た」


「ジュウゴ」


 やめろ、と言いたげにシュセキが声をあげた。


 だがジュウゴはまるで無視して先と同じ主張をアイに向かって繰り返す。


「みんな全くもって信じてくれないんだ。でも見てもいないのに見ていた僕を否定することなんて出来ないだろう? だから僕は言っているのに」


「ジュウゴぉ…」


 僕は情けなく呟く。尋ねるとは思っていたが、同じことを言うならばせめて先よりはわかりやすく尋ねればいいものを。例えアイでも君の話は難解すぎる。


「彼は地上に木が立っていたと主張している」


 同じ懸念を抱いていたらしいシュセキがジュウゴの隣に行って経緯を整理し始めた。完璧かつ明快なシュセキの説明に、ジュウゴは口惜しそうに唇を結んでいる。 


 アイはシュセキの説明を聞き終えると僕たち皆に向かって質問をした。


「地上に植物が存在することはできますか?」


 ジュウゴが身を乗り出す。しかし、


「不可能だ」


 ジュウゴの期待はシュセキの一言で打ち砕かれる。


「植物が存在するために必要なのは水と空気と電気だ。だが地上に電気はない。仮にあったとしても太陽がいる。昼夜の寒暖差に耐えられる者など何一つ存在しない」


「お見事です」


 アイはシュセキに微笑んだ。シュセキは返事の代わりに眼鏡を指で押し上げる。


「でも僕は、」


 ジュウゴが呟いた。


「僕は見た、見たんです。あれは確かに木でした」


 敬語になっている。教室の外だというのにジュウゴは完全な授業体制に突入している。


 アイは困ったように微笑むと静かにジュウゴに説いた。


「ジュウゴ、あなたが見たからと言ってそれが本当だとは限りません」


 ジュウゴはそれまでずっと眉間によっていた皺を伸ばしてぽかんとし、それから再び皺を寄せて身を乗り出した。


「僕が見たのは、本当ではないんですか?」


「あなたが見たという事実は認めましょう。けれどもそれが実在したかどうかは証明のしようがないのです。あなた以外の生徒の皆さんも一緒に考察を深めてくれたように、理論上は植物が地上に立っていることは有り得ないのです」


「でも……」


「何らかの現象でその場に植物があるように見えたのかもしれません。けれども残念ながらそれは植物ではなかったと結論づけるより他ありません。おそらくは植物によく似た別のものだったのではないでしょうか」


「だって…!」


「脳は希望を採択したがるものです」


 僕を含め、ジュウゴ以外は皆、この話題に飽き始めていた。それなのに、


「でも…でも、何かがあったことは確かです。それにやっぱりあれは木だったと思います。万が一、あれが木でなかったとしたら僕は何を見たんですか。あれはなんだったんですか。アイは何も見ていないじゃないですか。見てもいないのに結論を出さないでください!」


「ジュウゴ!」


 僕の声にジュウゴはびくりとして振り返った。さすがに腹が立ち始めていた。ましてやアイに向かってそんな言い方。


「いい加減にしてよ」


 ハチも呆れ声で叱責した。


「とにかく落ち着いて」


 ナナは困った顔で説き伏せる。


「ジュウゴ」


「ジュウゴ!」


「ジュウゴぉ」


 皆から責められて、ジュウゴもようやく自分の立ち位置を理解し始めたようだった。


「ジュウゴ?」


 アイがこの日一番の優しい声を出した。


「アイの言い方が過ぎました。申し訳ありません」


 そう言ってアイはジュウゴに頭を下げた。ジュウゴもやっとここで折れた。


「僕のほうが、言い過ぎました。……ごめんなさい」


 まだどこかで不服そうだったが、ジュウゴは引き下がった。ちらりと見られた気がしたが僕は反応を返さなかった。



 あの時はそれが正しいと思っていた。何故なら僕は腹が立っていたから。ジュウゴには気まずい思いをして後ろめたさを感じて反省していてほしいと思ったから。


 けれども今は思う。もしもあの時、僕がもう少しジュウゴをなだめていたら、彼の荒唐無稽な戯言も真剣に聞くふりくらいしてやっていれば、ジュウゴだってあれほど執着することはなかったかもしれないと。

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