4-6話
教室はいっそう煙が充満しており、目を開けていることも辛いほどだった。
だが、その中でも将吾の目は――子供の口にハンカチをあてがいながら眠るように身体をぐったりさせている銀子の姿を捉えていた。
将吾は口を押さえながら銀子の傍まで歩み寄った。幸いにも教室は煙が充満しているだけで燃えるようなものはほぼ無いせいか二人に火傷の跡は見られなかった。
そのことに一瞬気が緩んだのか、将吾は煙を吸い込んだことで大きくせき込み、ぼやける視界を必死に確保しようと目を何度も擦った。
(やべ……さっさと、逃げねえと……)
将吾は二人を肩で担ぐ。持ち上げるときにまた息を吸い込み、将吾の頭は命の危険を知らせるようにガンガンと痛みを伝える。
二人を担ぎ直し、これ以上煙を吸わないようにと息を止めて一気に駆け出す。
瞬間、
「っ!?」
入り口に向かって走っていた将吾は思わず急ブレーキをかける。
外の入り口にあった飾り付けが炎で焼き切れて降ってきたのだ。気づかずに突っ込んでいれば、三人に火が移って焼け死んでいたかもしれない。
だが、災難はここで終わらない。
将吾は降ってきた炎から二人を守るために急ブレーキをかけた。その瞬間、将吾の肺の酸素は一気にゼロになり反射的に呼吸をしてしまったのだ。
(マズい……!)
そう頭で思った時にはすでに遅かった。
将吾の肺は煙で満ち、それを吐き出そうと咳をすればさらに煙が入り込んでくる。苦しさに吐き気を覚えながら将吾は本能的に炎が伸びていない教室の窓際まで逃げ込む。
一瞬、窓から飛び降りることも考えたが二人を抱えたまま三階から落下したら死ぬ可能性の方がずっと高い。
自分一人ならともかく、他人を、ましてや子供を巻き込めるはずもない。
火事を甘く見ていた。
ぼやける視界に綺麗な赤色を映しながら将吾はそんなことを考えていた。
女の子をガラスから守ったときから自分はなにも成長していない。なにも考えずに飛び出した挙げ句、死にそうになっている。
(あの時は運が良かったんだ。今日もそうなるとは思えない……手詰まりだ)
将吾がそれを悟ると、急速に息が乱れて顔色は青ざめていく。もう胸の苦しさも炎の熱さも感じなくなってきた。このまま目を閉じればもう開くことはないと将吾は確信していた。
「……くん!」
不意に聞き慣れた声が聞こえて、閉じかけた目をスッと開ける。
だが、もちろん周囲には誰もいない。
(いよいよ耳までおかしくなったか……)
「……くん!」
しかし、声はまた耳に飛び込んでくる。今度はさっきよりもハッキリした声だった。
この声の主は、
「……あや、の……?」
呼び慣れた名前を口にしながら将吾は力なく窓枠に捕まると外を見た。
「将吾くん! 将吾くん!」
ぼやける視界の中、声だけはハッキリと聞こえてきた。目を擦ってなんとか視力を回復させると、彩乃が外から大声を張り上げているのが見えた。
こっちの姿が見えたのか、彩乃は手を振って足下を指すようにジェスチャーを始めた。
(下……? 下になにかあるのか?)
将吾は窓を開けて、下を見る。
「……あれは」
校舎の真下には大きなマットが用意されていた。彩乃はこれを知らせるために大声を出していたのだ。
「将吾くん! 飛び降りて! 死んじゃやだよ!」
大声を張り上げていた彩乃は口元を押さえて膝をついてしまう。ここからでもせき込んでいるのが見える。身体が弱いのに無理に声を出したせいだ。
膝をつく彩乃にココと瑠璃が歩み寄っていった。
「将吾! あんたが死んだら彩乃がショック死するよ! それでもいいの!?」
「先輩……! 先輩が酷い目に遭うところなんて想像したくないです! 早く戻ってきてください!」
「ゴルァ! 女にこれだけ心配されてくたばるつもりか! 男なら根性見せやがれ!」
ココも瑠璃も、ついでにヴラッドまで声が届いてくる。
(成長がねえと思ってたが……そうでもないな)
瑠璃が、ここまで届くほど声を出したことに驚きながらも、将吾は笑みを浮かべて、もう入らないと思っていた力を全身に込めて立ち上がると、銀子と子供を抱き抱えた。
今は、俺を助けてくれる奴らがいる。
あいつらのためにも、死ぬわけにはいかない。
「……ふん!」
そう思った瞬間、将吾は――飛んでいた。
「おおおおおおおおおおお!」
雄叫びとも悲鳴ともつかない声を出しながら身体はマットに近づいていき、バフッ、と大きな音を立てて三人の身体はマットにめり込んだ。
次に見えたのは青空だった。
飛び降りた恐怖が今になってきたのか、緊張の糸が切れたのか、将吾は銀子と子供を抱き抱えたまま動けずにると、
「将吾くん!」
彩乃がマットに上がり、身体をめり込ませている将吾に駆け寄った。
「彩乃……。無事だったか」
「それはこっちの台詞だよ! あの後、火がすごく強くなって……将吾くんは中に入ったままで。私……私……」
「俺なら大丈夫だ。……ちょっと胸が苦しいけどな」
将吾がせき込むとココは呆れたようにため息をついた。
「大丈夫だ。じゃないってば、彩乃が消防隊の人にマットを頼んでなかったら今頃死んでたからね? もうちょっと感謝する」
(なるほど、それで対応が早かったのか)
将吾は得心しながら半泣きになっている彩乃の顔を見た。
「ありがとな彩乃……本当に助かった」
礼を言っている間に消防隊の人が駆けつけて銀子と子供を担架に乗せていった。子供のことを心配していた女性は泣きながら何度も将吾に頭を下げて子供に付き添っていく。
これで一件落着。
と、思っていると、一つ疑問が浮かんできた。




