魔王「勇者よ。手加減してかかってくるがいい」勇者「は?」
「は?」
魔王のその言葉を聞いた瞬間、俺は思わず動きを止めてしまった。仲間たちも同じで、目の前の魔王が言った言葉が信じられないようだった。
紫色の肌をした大男。筋骨隆々とした逞しい肉体を持ち、鍛冶神が創ったといっても納得できる漆黒の鎧を纏った目の前の男。圧倒的強者の気配を持つ男――魔王は、今、何と言ったんだ?
「……もう一回頼む。今、手加減してやるからかかってこい、と言ったんだよな?」
俺の言葉に、魔王は仕方ないというようにため息をつくと、再度同じ言葉を繰り返した。どうでもいいが、魔王のその仕草に、俺は凄くムカツイた。
「我と戦う勇気があるのならば……勇者よ! 手加減してかかってこい!」
……聞き間違いじゃなかったらしい。
「……理由を聞こうか」
「弱いからだ!」
……たぶん、俺達のことじゃない。魔王のことだ。
「我は弱い! 貴様のファイア一発で死ぬだろう! 故に、勇者よ! 手加減してかかってくるがいい!」
胸を張って偉そうに言う魔王だが、俺は言いたい。
偉そうに言うことじゃねえ!
ぶん殴りたい衝動に駆られたが、我慢だ。我慢。そう、我慢。
俺は勇者。俺は勇者。優しい勇者。人々の希望。こんなことでキレてどうすんだ。俺は出来る、やれば出来る。
そう思い、我慢する俺。しかし、魔王は続けた。手招きのオマケまでして、続けてきた。
「さぁ、来い! なるべく優しくな!」
気がついたら、俺は魔王をぶん殴っていた。
気持ちいいくらいに吹き飛ぶ魔王。鼻と口から血をまき散らしながら、空中を何回転もして飛んでいき、立派な玉座に顔面からぶち当たった。
しまった……先制攻撃しちまった……。まあ、いい。これで魔王も本気になるだろう。
俺は聖剣を構え、油断なく魔王を見据える。仲間の剣士も、魔法使いも、僧侶も、全員魔王を警戒している。
五秒。魔王は動かない。
十秒。魔王は動かない。
十五秒。魔王は崩れ落ちた。
二十秒。魔王は痙攣し始めた。
……え?
「僧侶おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「ハイイイイイイィィィィィ!」
◆
僧侶の回復魔法(最下級)の甲斐もあり、魔王は酷く残念なことに回復してしまった。
魔王のその元気いっぱいに高笑いしている姿。まさしく完全回復といった姿だ。
ちなみに、最下級の回復魔法は、子供の転んで作った擦り傷なんかに使われるものだ。薬草以下の効果しかない、誰でも使えるような一般的な魔法だよ。
魔王……お前って一体……。
「フフフ、久しぶりに先代魔王(故)に会えたぞ。我に会えたせいか、先代魔王は歓喜に咽び泣いていたぞ」
魔王さん、魔王さん。それは、多分違う理由だ。
だが、言えない。目の前の「父さん……」なんて嬉しそうに笑ってる魔王を見ると、とてもこの残酷な事実は言えない。
しかし、空気を読まない奴ってのは何処にでもいる。この場合、脳筋代表の剣士君がそいつだったわけだ。
「いや、それはお前が弱――グボァ!」
危ない危ない。剣士が余計な一言を言うところだった。光速を誇る俺の勇者拳の一撃が間に合わなければ、魔王に聞こえていただろう。
呻いている剣士は無視だ。僧侶が必死に回復しているのも無視だ。
あ、剣士が吐血した。
まあいいか。多分生きてる。多分大丈夫。勇者嘘付かない。
「さて、勇者よ。今度こそかかってくるがいい。いいか、決して本気で来るなよ? せいぜい手加減してくるがいい」
フリにしか見えないのは気のせいだろう。本気でかかったら今度こそ魔王が死んでしまう。
しかし、どの程度手加減すればいいものかわからないな。魔王だから本気でぶち殺してもいいとは思うんだが、この魔王を相手に本気を出すのは、何というか大人げない。
……あまりにも憐れすぎるんだよ。この魔王、オークどころかゴブリンにも劣る強さしか持たないんだ。ゴブリン相手にボロ負けする魔王とか……悲しすぎるぜ。
とりあえず、子供を相手にするようにやってみるとしよう。
無駄にスピードだけはある魔王の右拳を掠るようにして避ける。そして、その剥き出しの額に、溜めに溜めたこの一撃を開放する。
俺の指と魔王の額が激突する。その一撃は、コツン、という軽い音を立てるほどの一撃だった。
デコピン。その一撃は、一般的にそう呼ばれている。
手加減に手加減を重ねたこの一撃。さすがの魔王でも、これだったら――。
「グッハアアァァァ……」
……え?
「フフフ……やるではないか……勇者よ……」
口元の血を拭い、魔王は不敵な笑みを浮かべながら俺を称える。だが、その足元は生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていて、今にもガクリと崩折れそうだ。
魔王……お前、そこまで……。
あ、倒れた。
うつ伏せに倒れながらも、魔王は顔だけはこちらに向けてくる。その執念、脱帽モノだ。その執念だけは魔王級だ。
両腕を使って何とか立ち上がろうとしているが、その度に魔王の体は崩れ落ちる。五度目の挑戦が失敗に終わった辺りで、魔王はこちらに目を向けてきた。
その視線は、雨に濡れたチワワを思い起こさせる。
さすがに居た堪れなくなり、俺は魔王に手を貸した。力弱く俺の手を握った魔王は、プルプルと震えながら、何とか立ち上がる。
「すまぬ……」
「……おう」
荒く呼吸をする魔王。時々咳き込み、その口から血を吐き出している。熱も高く、今にも倒れそうなほどふらつく有り様だ。
魔王は、長くない。
俺のせいだ。俺の一撃のせいで、魔王は既に瀕死になっている。なってしまっている。
魔王……なんか、すまん。
俺が内心で謝罪していると、魔王は偉そうに、不敵な笑みを俺に見せてきた。
気にするな。まるで、そう言っているようだった。
「さすがだな、勇者よ……この我を倒すとは……グハ……」
別にさすがでも何でもない。
この期に及んでも魔王は偉そうな態度を崩さない。魔王よ、俺が認める。お前は立派な魔王だよ。態度だけ。
「だが、忘れぬことだ……人の闇が存在する限り……魔王もまた現れる……」
再度の吐血。どうやら、魔王は限界のようだ。最期の言葉。せめて、聞き届けてやろうじゃねえか。
魔王の最期の言葉を、一言一句聞き逃さないように集中していた俺。だから、忘れていた。
空気の読めない奴ってのは、何処にでもいることを……。
「勇者よ……魔王を復活させたくなければ……人々の――」
「勇者ああああぁぁぁ! 何で俺を殴り飛ばしたんだああああぁぁぁぁ!」
剣士いいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!
抗議の声を上げながら復活した剣士。そして、事切れる魔王。俺に大事な役割を(自分の中では)伝え終えた魔王は、満足そうな顔をして逝った。
待て! 今は明らかに大事な場面だっただろ! 勇者として大切な役割を伝えられる、重要なシーンだったはずだろ!
おい! ふざけんな! 起きろ、魔王! 頼むから、もう一回だけ聞かせてくれ! 俺は……俺は何をすればいいんだああああぁぁぁ!
ガックンガックンと剣士に揺さぶられながら、俺は絶叫することしか出来なかった。
こうして、世界は救われた。
俺たちを褒め称える王様の言葉を聞き流しながら、俺は魔王のことを思う。
魔王、お前は弱かった。だが……個性的だった……。そして、態度だけは魔王だった。出来れば、もう二度と会いたくない。
さらば、魔王。苦難の旅の末に倒したお前のことを、俺は一生忘れることが出来ないだろう。色々な意味で。