四話 因幡の白兎 弐
街が正確に昨日しはじめるのは、空が明るい水色になってからだ。人々はお店を開けて、隣のお店へ挨拶へ向かい、住人達がたくさん集まってきたところで、客引きを始めるのである。
「そこのお二人さん、心に残る思い出を買ってみませんか?」
ねじり鉢巻きをした、露店の証人が男女に語りかける。
一人は、青いシャツに薄手のカーゴパンツの影利、もう一人は白いシャツにフレアスカートの小春。
「心に残る思い出!? なんか胡散臭いな」
「心に残る思い出!? それは何ですか?」
まったく正反対の発言を受けた露天商は困惑しながらも、お店の前に置かれている色紙を影利達に差し出す。
「実は私の店は似顔絵をやっておりまして、いつも死者のみなさまの心にいつまでも残るような似顔絵を描かせて頂いております」
「心に残る似顔絵ってどんなのなんですかね?」
小春は影利に視線を向けた。
圧倒的圧力。彼女は目を輝かせている。影利は真っ白な色紙を少し見つめる。
すると、商人は優しい瞳を影利に向ける。
「お兄さんは心に残る似顔絵って何だと思いますか?」
「心に残る……難しいな。頭の中ではイメージができてるんだけど、一言ではどうしてもうまく説明できない」
「そう、それなんですよ!」
露店の商人はクネクネと身体を動かしながら一枚の絵を取り出す。
それはヒマワリの油絵だった。たくさんのヒマワリが永遠と広がっている写真だ。空は青く、緑々した葉の上に咲く、鮮やかな黄色の花。
そこには植物が活き活きと描かれている。
「これをみて、あなた達はどう思いますか?」
「とても綺麗だなって思いました」
「そうだな、植物も生きているという感じがする。だけど、何かが足りないような気がする」
腕を組んで考えると、露店の商人はヒマワリの絵を壁に掛けた。
「よく気付きましたね。そうです。この絵には一つた足りないものがあるんですよ」
そう言って、露店店主は一枚の札を影利達に差し出した。
――ヒマワリが好きなキミに。
それが、絵のタイトルだ。
「いいタイトルですね」
「この絵は私が芸術学校にいたころ、同じ学部の友人へのプレゼントとして描いた絵だたんだ。だけど、これを渡す前に友人は先だってしまった。そのショックで私はこの絵を完成することができなかった。でも、今ではこれで良かったと思っています。どうしてだと思いますか?」
「うーん?」
小春は首を傾げて腕を組む。
そのとき、彼女の豊満な胸部が押し上げられて、なおのこと胸の形が強調される。
影利がニヤニヤしていると、商人は二枚の白い色紙を差し出した。
「お祭りはまだ始まったばっかりだから、これを持って、二人で色々な所を廻ってごらん。きっと、キミ達は私の絵が欲しいと思うようになる」
「はぁ……」
そう言われて、影利達はその色紙を受け取ったまま他の場所へ向かった。
「さっきの人は不思議な人でしたね」
「この街はあんな感じの人が多い。生と死の狭間のような場所だから、超能力みたいなものを開眼する人達も少なくないんだ」
「影利さんの水中歩行もそういう部類ですか?」
「そうだな」
「それじゃぁ、行きましょう」
小春は影利の手を引いて、どんどん前へと進む。
どこへ行けばいいか決められないから案内してくれと、頼んだのは小春の方なのに、気がつけば小春は行きたいところへフラフラと自発的に行動するのである。
そして、気になるものを見つけると、独りでにオレを引っ張ってその店の中に入る。
例えば、大通りで担がれる御神輿。例えば、この街の資料館。例えば、街の中で目に付いた変わった生き物……
「この生き物はなんですか?」
目を輝かせながら小春は道の隅っこにいる生き物を指で突く。生き物はビクビク震えながらより隅っこへ追いやられる。
背中に羽の生えた、ハムスターと子ブタを二で割って足したような生き物。
ところがこの生物、ハムスターでも子ブタでもない。
「それはイナバノウサギだ」
「へ? これウサギなんですか!?」
「あんまり突くなよ、怖がってるだろ?」
「えぇ、でも可愛いじゃないですか」
「ほら、キューキュー泣いてるぞ?」
「ウサギの泣き声初めて聴きました!」
「それにしても、こんなところで出くわすなんて珍しいな」
「珍しいんですか?」
「こいつらは普段、上流の池の方で集団でひっそりと暮らしているんだ。あまりに珍しいから、見かけると良いことが起こるとも言われてる」
「倒せば経験値が半端ないですね」
「経験値?」
「あ、いえ、なんでも」
小春はアハハ、と笑いながらイナバノウサギを抱きあげた。最初のうちはキュウキュウと悲鳴をあげて抵抗したが、やがて観念したかのようにじっとするようになった。
「やぁぁん。暖かい」
「あんまり、そんなことやってると、嫌われるぞ?」
「そう? うん、わかった」
小春は切ない表情で、イナバノウサギを店員に返す。ケースへ戻されると、イナバノウサギはほっとした様子で隅っこへ丸くなった。
「それにしてもこの子、怖がりですね」
鼻をヒクヒク動かすウサギを見ながら小春はため息をもらす。彼女はイナバノウサギに関わる話を知らない。
「イナバノサギはどうして、普通のウサギの姿をしてないと思う?」
「元は普通のウサギだった、って言いたそうですね?」
オレは頷く。
「イナバノウサギはもともとは裸のウサギと呼ばれていた。そのウサギがあるとき、神の一人に騙されてしまい、傷だらけになってしまった。その姿の名残だと言われているんだ」
「なんか、可哀想……」
「このウサギが人を怖がるのはきっと、騙されるのが嫌だからかもしれない」
オレはその辺にある猫じゃらしを拾い、イナバノウサギの前で振る。
イナバノウサギは猫じゃらしが大好きだ。しばらくじっと見つめると、ネコジャラシに鼻を寄せてくる。
「でも、だからこそ、こんな場所にいるのはおかしいんだ」
「え?」
「イナバノウサギは人を恐れて、上流から決して下りてくることはない」
「誰か飼ってたウサギが逃げたんですかね」
「その線もありえない。イナバノウサギは貴重な生き物だから特別な条例で保護されている」
「だとしたら……もしかして」
ハ、とした表情をする小春に影利は小さく頷く。
「条例無視して、誰かが持ちこんできたんだ」
「このウサギにも家族がいるんですよね……酷い」
「そうだな。早く元の場所へ返してあげないとな」
影利は、ネコじゃらしを持ちながらウサギを抱きあげる。ネコじゃらしに興味を持った、ウサギは気を取られていて抱かれていることにも気付いていない。
「……そうやって、影利さんはてなづけるのですね?」
「いつも、池で訓練させてもらってるからさ。見かけた時に遊んでやってるんだよ。それじゃぁ、上流まで行こうか」
「はい!」
二人は、暑い道を歩きながら川の上流へ向かった。川に沿って、歩くと、甘味処があり。休憩をはさみ、ウサギと戯れながら池へ登った。
だけど、池の前についたところで、二人の足が止まる。
「酷い……」
小春は思わず顔を覆いしゃがみこんでしまう。
影利もとっさに目の前に広がる光景に背を向けた。
意思があるかわからないが、ウサギにこの景色を見せたくなかった。
赤い血液、千切れた足、ブルブルと震える姿。キューキューと言う泣き声。
目の雨に広がっていたのは、身体をバラバラにされながら、悶え苦しむイナバノウサギ達の姿だった。