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【短編】カレーの金曜日

掲載日:2026/04/18

 ルーティン化すると、日常のなかに楔みたいにグリグリっと喰い込んで、あろうことか、かえし付きみたいに、引き抜こうとしても抜けない。

 毎週金曜日はカレーだって、海軍が洋上で曜日感覚を維持するためだって言うけれど、うっかり金曜日にハンバーグが出てきたら、調子が狂うんじゃないかと、ありもしない不安に駆られる。だって、僕は海軍に所属していないし、ここ一年ぐらいは、家から出てもいない。


 自分から作り出していない場合のルーティン化ってのが厄介だと思う。勝手に与えられるルーティン、さっきのカレーだって勝手に与えられるものかもしれないけど。今の目下の悩みは、畠山が朝夕と玄関まで来ることだ。


 朝は、「学校に行けるなら行こうぜ」

 夕方は「プリント持って来たぜ」

 と言った具合に。うちの房恵さんは、気がいいからすぐ畠山を上げてしまう。

 さすがに朝は遅刻すると困るからと断る畠山だが、夕方はちゃっかりおやつまで食べて帰る。「どうせ進太郎は食べないんだから」と房恵さんがキャッキャッと当てつけみたいに畠山と話していると、天の岩戸じゃぁないんだからさ、とちょっとムカッとくる。


 引きこもりの中学生男子を持つ母親としての自覚が足りないんじゃないか! と言いたくなるが、「それを言っちゃぁおしまいだよ」と寅さんに言われそうだからやめておく。


 わりと早い時期にカウンセリングも受けさせられた。房恵さんはあまり心配していなかったけれど、単身赴任を満喫している父さんからの指示らしい。


 父さんの指示には房恵さんも弱い。口数が少ない分、発言の質量が大きいということだ。

 カウンセラーのヨシコ先生は、房恵さんとよりは歳上だと思う。50歳前後、僕が苦手とするタイプだ。


 やたらと、決めつけてくるのだ。そもそもカウンセラーって、「聴く」のが仕事じゃないの? 家に帰ってから、房恵さんに文句を言うと、「まぁまぁ、どら焼きでもおひとつどう?」なんてはぐらかしてきた。どら焼きひとつぐらいで、僕のご機嫌は。



 変わった。


 たしかに美味しかった。あんこが粒粒なのがいい。甘さが控えめで、どら焼きの皮がモチモチしていて、歯ごたえもいい。食べ物って、歯ごたえ大事だななんて話に変わっていて、甘味は世界を救う、ってCMが嘘じゃないよと付け足して応援したくなるほどだった。


 最近は、そのどら焼きがピンチなのだ。畠山が僕の分まで食べてしまう。房恵さんも、僕の分は取っておいてくれたらいいのにと思うが、「房恵さん、これもうひとついい?」

なんて、細い身体でわんぱくに食べるもんだから、知らないうちに僕の分がなくなっているのだ。


 畠山は、家がせんべい店を営んでいるそうだ。お父さんが脱サラして、リビングに囲炉裏を作って、そこで手焼きせんべいを作っている。


 自宅のガレージを潰して、プレハブを置いて、そこで売っているらしい。せんべい屋だから、家には売るほどせんべいがある。あまじょっぱい味のせんべいもあるそうだが、どら焼きの甘さには太刀打ちできない。だから、ついもう一つ食べるのだ、と僕は想像している。

 畠山が来ると、とりあえず、朝は部屋から玄関に向かって

「今日は行かない」と言い

夕方は、房恵さんがキッチンから玄関に向かって、「洗面所で手洗いとうがいしてらっしゃい」と言う。


 畠山のうがい用コップを100円均一で買ってきたようで、家族が一人増えたみたいで微妙な気分だ。ちなみに畠山のうがい用コップはかわいい猫のシルエットイラスト付きだ。


 プリントがリビングのテーブルに揃えて置かれている。小テストだ。期末考査前だからか。ここのところやたらと、確認用のテストが多い。学校に行かなくても、家でも十分勉強ができる。そこんところは、不登校児としてのたしなみとして、学力は落とさないと決めているからだ。


 と言う点で、僕はプロの不登校児を目指しているわけだ。成績落とさず、健康で、思春期真っ盛りだけど親にバカな反抗はしない。


 まぁ、父さんは九州に単身赴任だし、顔合わせるとなれば房恵さんだけだから、ゴリゴリの反抗期なんてなんだかダサい。


 父さんがいない分、僕がしっかりしないととも思うけれど、学校に行く意味を見失っている以上どうにもならない。


 意味のないところに、行動は生まれない


 名言のように、言ってみたら、房恵さんが達筆な書道スキルを遺憾なく発揮した、額縁にいれて飾っている。「無駄に達筆だね」、と言うと、「そういうところよ」なんて言い返されてしまう。言葉には気をつけないとと思う。

 畠山が平日は毎日ウチに顔を出してくれるが、2ヵ月ぐらい前から土日もたまに来るようになった。


 学校もないのに、なんで? と思うが、房恵さんが、「畠山は、私の友達でもあるのよ」なんて言う。かなりまじめな顔で言われるもんだから、房恵さんの友達レンジの広さに、感心させられてしまう。僕のクラスメイトを呼び捨てにするのもどうかと思うけど。


 最近は、金曜日の晩ご飯まで食べて帰る有様で、房恵さんが畠山に「リクエストない?」なんて聴くもんだから、「カレー」と畠山も図々しく返事するらしい。というよりも、

「房恵さん、金曜日は毎週カレーがいいな」とすら。毎週って、言ったな。雨でも雪でも猛暑でも、畠山の誕生日でも、喰いに来いよな、って玄関に向かって、朝、言ってやった。


「わぁ、いいの? うれしぃいい」

 なんて間の抜けた相手の懐に入る受け答えをするあたりが、なんとも憎たらしい。


 というわけで、我が家の金曜日晩御飯はカレーだ。海軍だって、寄港すればみんな陸地で好きなもの食べてるはずだ。だけどうちは52週全部カレーなのだ。まだ年末年始を迎えていないが、大晦日が金曜日という超ギャンブルデーにぶち当たっている。


 そもそも畠山は来るのか? 房恵さんは律儀にカレーをつくるのか? 畠山が毎朝迎えに来てくれるものの、学校には行けずじまいで、2学期を終えた。期末考査自体がみんなと同じ条件で受けていないということで、評価外。

 環境こそ違えど、学校ぽい鉛筆カタカタ音、筆箱がカンカラーンと落ちる音、咳払いに、クシャミ、チャイムなどリアルな音を畠山がこっそり録音してきた。試験中に録音なんて、バレたらどうなるんだろう。カンニングではないけれども。


 畠山が言うには、教室と同じぐらいの温かさは必要。ということで、僕は制服に着替えて、弱めの暖房の状態で、部屋でひとり考査を受けた。


 3日に及ぶ、ひとり考査。答案は畠山が学校に持って行って、先生に採点してもらった。条件外なので、順位付けの中にはいないけれど、国語、数学は学年トップ。英語、理科と社会は5位。総合で、学年2位だった。先生が評価外としながらも、順位を書いたメモをつけてくれた。


 ちなみに総合で学年トップは畠山だった。本人による自己申告なので、本当かウソかわからないけれど。


 大晦日のカレーは、カレー蕎麦という年越し蕎麦の亜流で一年の終わりに感謝した。ちょうど、父さんも単身赴任先から戻ってきていて、年越しにカレー蕎麦を心から楽しんでいた。チーズを上からかけて、畠山に「それはないですよ、貞彦さん」なんて言っていた。父さんが貞彦さん呼ばわりできるのは、房恵さんか、おばあちゃんぐらいだ。畠山の浸透度に僕は毎度驚かされる。


 朝夕の訪問と金曜日のカレーにも慣れた頃、

3月3日は、畠山の誕生日だと、自ら申告してきた。その図々しさにも慣れていたし、「むしろもっと図々しくてもいいよね」、なんて房恵さんが言い始めたあたりから、僕は4月から学校に行こうと決心した。


 誰にも言わずだ。始業式から、クラス替えもあるだろうが。


 朝、房恵さんがおそらくいつもどおり朝食を作っている。制服に着替えて、ダイニングテーブルに着く。このシチュエーション久々だ。


「あら、着替えてからじゃぁ、汚さないでよー」

 房恵さんの感じがいつもと変わらない。僕はジャケットを椅子の背にかけた。確かに半熟のハムエッグは、白シャツで食べるには少しリスキー。畠山はいつもうちでカレーを食べる時、白シャツに飛ばしていなかったのか、そんなこと気にもしなかったのか。さすがに房恵さんも、畠山に注意しなかっただろう。


 玄関から慣れた声が聞こえる。廊下を伝って、リビングに響く。2階から聞く声とはちょっと違った印象だ。それは、気分によるものなのか、わからないけど。


「学校に行けるなら行こうぜ」

「ちょっと待って」

 その声に玄関の内側で待機していた畠山が

「わぁー」と歓喜の声のようなものをあげる。


 僕は、真新しいスニーカーを履いて、少し気恥しくて、畠山の方をチラ見した。

「野田、背たかくなったねぇ」

 僕だけ、なぜか苗字呼びで、よそよそしいのかと思いきゃ、会話の中身自体は馴れ馴れしい。玄関を出ると、後ろから房恵さんの視線を感じる。まぁ、今日だけだろう。

 久々の外にも、意外と抵抗がない。なんてことない。なんだったんだろ。

「カレーってさぁ、ご飯いっぱい食べちゃうからじゃない。海軍と同じだしさ」

「なんの話よ」

「背が高くなった理由だよ」

「じゃなくて、海軍ってなに?」

「海軍が長い間海に出たら、曜日感覚を忘れないようにするために、毎週金曜日はカレーっていう。ルーティンだよ」

「あぁ、聞いたことある。海軍なんだ、それ」

「イチローみたいだろ」

「野球の?」

「そう、あのイチローね」

「野球あんまり知らないんだよね」

 長く狭い一本道を道なりに歩く。アスファルトの硬さに驚き、すれ違う車の速さに慣れない。でも大丈夫。

「ルーティンって、やめるの勇気いるよね」

「まぁ、できることなら続けた方がいいよね」

「明日も、迎えに来る?」

「そりゃぁ、もちろん。できれば、帰りも寄りたいし」

 相当房恵さんに餌付けされているようだ。房恵さんも和菓子のお取り寄せまで始めているようだし。

「房恵さんも、急に来なくなったら寂しがるよ」

 すううっと、ふた呼吸分ぐらいの間が空いた。

「野田はどうなのよ」

「僕は、そりゃぁ朝も帰りもいつもどおりがいいよ。金曜日のカレーも」

「やったぁ!」

 畠山が無邪気にジャンプした。漫画みたい。

飛んだ拍子に、ふわっと肩まで伸びた髪が空気を含んで揺れる。

「あんまり食べ過ぎると、太っちゃうよ」

「女子に、そういうこと言うと、嫌われちゃうよ」

 学校に行く意味がよくわからなかったけど、理由とか目的とかそんな動機みたいなものは見つかったと思う。


 もし畠山が女子じゃなくても、それは同じだ。

「ほらぁ、遅れちゃうよ」

 畠山が僕の背中をパシッと平手で押し叩く。

久々に袖を通したブレザーのゴワゴワが、肌に馴染んだように感じた。


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