真実の愛を見つけた王太子殿下、婚約破棄の前に10年分の王家運営費1.5億枚を精算して頂けます? 支払えないなら王都の魔力と水を止めますわ。あ、その靴も公爵家の備品なので返してくださいね?
「エルゼ・フォン・ブラウベルト! 貴様との婚約を破棄する! 私は真実の愛、聖女ミリアを見つけたのだ!」
建国記念祭を祝う王城の大広間。
数百人の貴族が見守るなか、シャンデリアの輝きに負けないほど自信満々な表情で、王太子アルフォンスが叫んだ。
彼の隣には、桃色の髪をなびかせ、いかにも「守ってあげたくなる弱き乙女」を演じている自称・聖女のミリアが、勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っている。
周囲の貴族たちから、さざ波のような私語が漏れる。
哀れみ、嘲笑、そして「ついに来たか」という好奇の視線。
私、エルゼ・フォン・ブラウベルト公爵令嬢は、持っていた扇子をゆっくりと閉じ、優雅に一礼した。
「左様でございますか。殿下、そのご決断は、アルフォンス・ド・グランゼール王太子としての公式な決定と受け取ってよろしいですね?」
「ふん、今さら命乞いか? 見苦しいぞ! ミリアこそが、この国の真の太陽。政略結婚で結ばれた、氷のように冷徹なお前など、王妃の座に相応しくない!」
「命乞いなどと。ただ、手続き上の確認が必要なだけです。……セバス、例のものを」
私が合図を送ると、背後に控えていた初老の執事セバスが、重厚な革張りの書類鞄から、魔導インクで署名された分厚い束を取り出した。
「殿下。婚約とは、家格を維持し、国を安定させるための『相互扶助契約』です。それが破棄された以上、この10年間に我が公爵家が提供してきた『支援』は、全て遡及して無効となります。……事務手続きに移らせていただきますね」
「何を……事務手続きだと?」
アルフォンスが鼻で笑う。
私は彼を無視し、指先を小さく振った。空中投影魔法が発動し、大広間の空壁に巨大なグラフと数字が浮かび上がる。
「まずはこちらをご覧ください。過去10年、我がブラウベルト公爵家が王家に無利子・無担保で融資してきた『特別軍事維持費』『王都インフラ整備費』、および『王族遊興費代補填分』の総計です」
投影された数字の末尾には、ゼロがいくつも並んでいる。
「総計、金貨1億5800万枚。内訳として、殿下がミリア様に贈られた『女神の涙』を含む宝石類12点、総額金貨800万枚。連日の夜会にかかった食費と人件費、計金貨2200万枚。……さらに、現在この城を維持している魔導回路の触媒代、過去3年分が未払いでございます」
会場の貴族たちの顔から血の気が引いていく。
当然だ。彼らがこの10年、贅沢三昧できたのは、私の実家である公爵家が「未来の王妃の実家」として、国家予算の半分近くを肩代わりしてきたからなのだから。
「なっ……なんだその数字は! そんなもの、私が許可した覚えはないぞ!」
「いいえ、全て殿下と国王陛下の署名入りです。契約書第8条『婚約が一方的に解消された場合、乙(王家)は甲(公爵家)に対し、過去の全融資額を法定利息5%を上乗せして一括返済する』。……殿下、今この場でお支払いいただけますか?」
「ふ、ふざけるな! そんな大金、一朝一夕で用意できるはずがないだろう!」
「でしょうね。ですから、契約書第12条に基づき、即座に『担保権』を行使させていただきます」
私は再びパチンと指を鳴らした。
その瞬間、大広間の天井を彩っていた魔導灯が瞬き、完全に消灯した。
「きゃあああ!? 暗い! 何事!?」
ミリアが悲鳴を上げる。
非常用の燭台が慌てて灯されるなか、私は冷徹に告げた。
「王都の魔力供給システム、および上水道の管理権は、我が家の私有財産です。今、供給をストップしました。あ、ご安心ください。貧民街や病院などの公共施設は予備電力で維持しますが、王城と貴族街への供給は、たった今完全に遮断いたしました」
「エルゼ……貴様、正気か!? 城を闇に包むなど、大逆罪だぞ!」
「大逆? いいえ、これは正当な権利の行使です。対価を払わない者にサービスを提供する義理はありませんわ。殿下、真実の愛があれば、魔法の光など不要でしょう? 愛の温もりで夜を明かしてはいかがかしら」
暗闇の中、ミリアが震えながら口を開く。
「ひ、ひどいわ! 聖女である私が祈れば、神様が光をくださるはずよ!」
「ああ、ミリア様。ぜひお願いします。ついでに、王都の食料搬入路である『ブラウベルト運河』の封鎖も解いていただけますか? あそこ、我が家の領地を通らないと船が入ってこられないんですよ。明日の朝から、王都の市場に並ぶ小麦はゼロになりますが、聖女様の祈りでパンが増えるのを民衆も期待していることでしょう」
ミリアの顔が、非常用の火に照らされて真っ青になる。
彼女には聖なる魔力など微塵もない。ただの「少し魔力が高いだけの娘」であることを、私は調査済みだ。
「さあ、殿下。返済の意志がないと見なし、差し押さえを続けます。セバス」
「はい、お嬢様。……アルフォンス殿下、失礼いたします」
セバスと二人の騎士が、アルフォンスの左右を固めた。
「なっ、何をする! 私に触れるな!」
「殿下がお召しのその『金糸の礼服』。そしてその『竜革の靴』。これらは我が家の工房が、将来の夫のために特注した非売品です。所有権は我が家にあります。……今すぐ脱いで、お返しください」
「な……ここで、脱げというのか!?」
「はい。さもなくば、窃盗罪としてその場でお引き摺りいたしますが?」
王太子は屈辱に顔を歪めながら、衆人環視の中で靴を脱ぎ、上着を剥ぎ取られた。
靴下姿で立ち尽くす王太子。その姿に、さっきまでの威厳はどこにもない。
「あ、ミリア様も。そのドレス、我が家が支援している絹織物ギルドの最高級品ですわ。それから、その首飾りも。……身に付ける資格のない方に貸し出せるほど、我が家は寛容ではありませんの」
「や、やめて! 来ないで!」
ミリアが必死にドレスを抑えるが、無情にも騎士たちが宝飾品を回収していく。
結局、彼女は薄汚れたシュミーズ一枚になり、床にへたり込んだ。
「これでおしまいです。ああ、最後にお知らせが」
私は扉へと向かいながら、振り返って微笑んだ。
「王家が抱えたこの1億5800万枚の債権、先ほど『隣国の帝国』へ譲渡することを決定いたしました。帝国皇帝陛下からは、債権と引き換えに私を『財務卿』として迎えたいと、直々に熱烈な招待状をいただいておりますの」
会場に衝撃が走る。
この国の債権を帝国が握る。それは、この国が実質的に帝国の支配下に入ることを意味する。
「ま、待て! エルゼ、私が悪かった! 婚約破棄は取り消しだ! お前が必要なんだ!」
裸足のアルフォンスが、無様に這いずりながら私の靴を掴もうとする。
私はそれを、汚いものを見るような目で見下ろした。
「殿下、勘違いしないでください。私は『氷の令嬢』ではなく、ただの『有能な経営者』なのです。不採算部門を切り捨て、優良な投資先へ乗り換えるのは、商売の基本でしょう?」
私はセバスから差し出された、白真珠が埋め込まれた新しい扇子を広げた。
「ゴミの分別は、淑女の嗜みですわ。……さようなら、無能な元婚約者様。暗い城の中で、せいぜい『真実の愛』とやらを噛み締めてください」
私は一度も振り返ることなく、豪奢な扉を押し開けた。
城の外には、帝国の皇帝が差し向けてくれた、豪奢な飛空艇が待っている。
夜空には満月。
これから始まる帝国での生活に、私は胸を躍らせる。
数字は裏切らない。そして、私の価値を正しく評価できない男に、これ以上費やす時間は一秒たりとも残っていないのだ。
(完)




