第十一話
騎士団管理棟を後にしたレオ・バルデスは、騎士団長としてその夜初めての緊急布告を発した。
命令は極めて簡潔であり、極めて重い内容を伴っていた。
王都とその周辺の指定された貴族邸宅の倉庫及び関連施設に対し、食料隠匿の容疑で一斉に強制捜索を実施するという内容であった。
この命令は王国史上、王室の正当な捜査権が貴族の私有財産に直接行使されるという前代未聞の命令であった。
月が天高く昇る深夜、騎士団は王都を東西南北に分かれて行動を開始した。
レオは自ら、この陰謀の中核を担うウィルヘルム男爵の王都邸宅に向かう部隊を指揮した。
男爵邸は東地区の中でも特に厳重な警備が敷かれた一角に位置しており、高い石壁と鉄柵に囲まれていた。
レオは部隊を邸宅の裏門に配置し、自身はわずかな精鋭と共に正面から行動を開始した。
彼の騎士服は深夜の闇に溶け込む黒色であり、引き締まった体躯は威圧感を放っている。
彼の顔つきは以前の殿下への個の崇拝に縛られた頃とは異なり、国を守るという強い使命感に満ちていた。
警備の騎士たちが剣を構えて立ちはだかる中、レオは一歩も引かずに前へ出た。
「騎士団長レオ・バルデスの名において、貴殿らの邸宅に食料隠匿の容疑で捜索に入る」
レオの声は静かだが、威圧をこめたその声は警備の者たちの胸に響き渡った。
「抵抗は王室への反逆と見なす。直ちに武装を解け!」
それに反応し、警備隊長らしき人物が前に出た。
彼は血の気の引いた顔で、声を震わせ訴えた。
「騎士団長殿、これは貴族の権益に対する不当な侵害です!男爵様はこれをお認めにならないでしょう!」
「認めずとも構わない」
レオは剣の柄に手をかけたまま、冷徹に言い放った。
「私がここで問うているのは貴殿らの忠誠心だ。貴殿らは、飢えに苦しむ王国民と、私腹を肥やす主人の、どちらに仕えるというのだ?」
その言葉は警備の騎士たちの心に深く突き刺さった。
彼らの多くは王室から爵位を賜った家に仕える者たちであり、貴族個人の利益よりも王国の安定を優先すべきという騎士道精神を少なからず持っていた。
隊長は数秒間の葛藤の後、しぶしぶながら剣を下ろした。
「武装を解け……、団長殿の命に従う」
対立は避けられたが、他の貴族邸宅では激しい抵抗が起きていた。
貴族たちは私設兵や用心棒を使って騎士団を排除しようと試み、複数の場所で小競り合いが発生した。
しかし、騎士団はレオの指揮のもと、徹底した非殺傷と制圧に徹したため、大きな流血の事態には至らなかった。
レオは男爵邸の倉庫に到着した。
倉庫は邸宅の奥まった場所にあり、鍵と魔導による二重の施錠がなされていた。
騎士団の魔導師が鍵を解除し重い扉が開くと、部屋の中にはひんやりとした空気が漂っていた。
煌々と照らされた魔導ランプの光が捉えたのは、天井まで積み上げられた大量の麻袋であった。
麻袋の一つを切り裂くと、中から眩しいほどの白い小麦がこぼれ落ちた。
その量は王都の住民数週間分の食料に匹敵するほどの膨大な備蓄であった。
「やはり、奴らはこれほどまでに食料を隠していたのだな」
レオは苦々しい表情を浮かべた。
彼の命令により、騎士たちはその場で隠匿されていた食料の正確な量を計測し、倉庫の状態を詳細に記録していった。
また、彼らは今回の調査でにより、食料の隠匿に関する帳簿を、さらにはリカルド伯爵との間で交わされた金融停止に関する書簡など、陰謀の直接的な証拠となる文書を確保した。
この一斉捜索の知らせは夜明けと共に王都中を駆け巡った。
貴族派は騒然となり、秘密会議の行われていた地下室に集まっていた主要な貴族たちは、自身の実行した策略が王室に察知されていたことに恐怖を覚えた。
彼らはすぐに抗議の声を上げ、王室の行動を貴族の権利に対する暴挙だと非難した。
だがアドリアン殿下とセシリアは、当然ながらこの反発についても予期していた。
王宮の執務室にて、アドリアン殿下は静かに報告書に目を通していた。
セシリアが淹れたハーブティーの湯気が、彼女の美しい銀髪をわずかに揺らしていた。
彼女の容姿は、知的な冷たさの中に情熱を秘めた瞳が印象的であった。
彼女は、殿下と同じく報告書の内容を冷静に分析していた。
「レオ団長は見事に職責を果たしました。これで、貴族派が王国を混乱させたという決定的な証拠が揃いましたね」
セシリアは落ち着いた声で言った。
「しかし殿下。彼らはこのままでは引き下がりません。この捜索を、殿下がセシリア・アークライトという悪女に操られている証拠として、公に利用するでしょう」
アドリアン殿下は静かに頷いた。
「ああ。彼らはこの私が心の病により正常な判断を下せず、貴族への憎悪に駆られた貴女に煽られていると主張するだろう。愚かしいにもほどがあるがな」
殿下は報告書から目線を上げ、セシリアを正面から見据えた。
彼の瞳の奥には常に冷徹な光が宿っている。
彼は優美な容姿に反して、これまで王国を裏で支配してきた貴族たちを誰よりも冷静に物事を見抜く知性を持っていた。
「そろそろ、この心の病と呼ばれる芝居を終わらせる時だろうな」
アドリアン殿下はそう言って、口元に微かな笑みを浮かべた。
それは、セシリアがこれまで見てきた中でも一番の、心からの自信に満ちた笑みであった。
「貴族派の最も大きな誤算は、私の真の思惑と、貴女の真の能力を見誤ったことだろう」
セシリアは静かに微笑み返した。
「彼らは、殿下が自らが愛ゆえに暴走するさまを演じることで油断し、彼らの最も深い欲望を無防備な状態で引き出し、その動きを全て把握していたことに気づいていませんでした」
アドリアン殿下は数年前から貴族の専横を終わらせるための壮大な策略を練っていた。
その策略の中心にあったのが、彼自身が公爵令嬢セシリアへの異常な執着を見せ、あの手この手を使って彼女を口説こうとしているさまを見せ続け、政治に対する関心が薄いのだという印象を流布することであった。
これは貴族たちを大いに油断させ、彼らが自己の欲望を最大限に露呈させるための罠であった。
もっとも、レオに執心した彼女に本気の嫉妬を感じ、やや焦り気味に暴走していたのも事実ではあるが。
だがそれはもう過去の事。
二人は協力関係を結ぶ際、世間や貴族に対しては、彼女が殿下を操る悪女として振る舞うという役割分担を取り決めていたのだ。
貴族たちはセシリアを憎むことで、殿下への直接的な攻撃を避け、彼女を通じて殿下の権威を揺さぶろうとした。
その結果、貴族派は今、食料隠匿と金融封鎖という、王国民の生存権を脅かす最も卑劣な手段に手を染めた。
彼らの行動は、もはや弁解の余地のないほど大きな悪行となっていた。
「私は全ての証拠を王国民の前で公開する」
アドリアン殿下は席を立ち、窓の外を見つめた。
「食料隠匿の事実、金融封鎖の指令書、そして何よりも、私が心の病の、セシリア、君への執着の陰に隠していた真の決意をだ!」
その日の午後、王宮広場にてすべての王国民に向けられた緊急の布告が行われることが発表された。
王都の民衆は飢えと混乱の中、不安を抱えながらこの布告に一縷の望みを託して広場に集まった。
一方、貴族派は最後の抵抗を試みた。
彼らは広場の周囲に自らが雇った扇動者たちを配置し、殿下の演説が始まると同時に、騒乱を起こす準備を整えていた。
広場に設けられた演壇に、アドリアン殿下とセシリア公爵令嬢が並んで姿を現した。
民衆のざわめきと、扇動者たちの野次が入り混じった緊張した空気が広場を包み込んだ。
そんな中、セシリアはいつものように毅然とした表情で殿下の隣に立っていた。
彼女の容姿は、周囲の喧騒を寄せ付けないほどの静かな威厳を放っている。
アドリアン殿下は以前の愛に重きを置いた爽やかさはなく、王族としての揺るぎない威厳を漂わせていた。
殿下が手を上げると、広場の騒音は徐々に静まり返っていった。
殿下は話し始める前に、深く息を吸い込んだ。
「王国民の皆さん。私は今、皆さんに二つの真実を伝えに来た」
彼の声は、魔導拡声装置によって広場全体に届いていた。
「一つ目の真実は、皆さんが今直面している飢餓と混乱は、天災などによるものではないという事実だ」
彼は一呼吸置いて言葉を続けた。
「それは、一部の貴族たちが自らの利権を守るため、意図的に、悪意を持って引き起こした人災である!」
広場全体が静まり返った。
その直後、貴族派の扇動者たちが一斉に叫び始めた。
「嘘だ!それはあの悪女の改革のせいだ!」
「殿下は操られている!真の為政者ではない!」
騒乱が起こり始めた瞬間、レオ・バルデス率いる騎士団が広場の四方から姿を現した。
彼らは静かに、しかし威圧的に扇動者たちを取り囲み、怒りを乗せた威圧によってその口を封じた。
レオは演壇を見上げ、殿下に静かに頭を下げた。
これは騎士団が完全に殿下の側に立ち、貴族派の抵抗を許さないという明確な意志表示であった。
アドリアン殿下は、動じることなく騒乱が収まるのを待った。
静寂が戻ると、殿下は再び口を開いた。
「騎士団は今朝方、ウィルヘルム男爵他、主要な貴族の邸宅より、王国民数か月分の食料が隠匿されていた決定的な証拠を押収した」
殿下の隣に立っていたセシリアが、騎士によって運ばれてきた分厚い帳簿と金融取引の書簡の束を、静かに掲げた。
「これらは、彼らが共謀して市場の食料を隠し、金融の流れすら止めたという揺るぎない証拠だ!」
民衆は目に見える証拠と、殿下の断言により大きな衝撃を受けた。
飢えと怒りの矛先が、一瞬にして貴族たちに向けられた。
そして、アドリアン殿下は二つ目の、そして最も重要な真実を語り始めた。
「そして二つ目の真実。それは、私の心の病についてだ」
殿下は、自身の過去の振る舞いについて率直に語った。
「私がこれまでの数年間、政務を放棄し、セシリア・アークライト嬢に執着する愚かな王子を演じてきたのは事実だ」
民衆は息をのんで彼の言葉に耳を傾けた。
「しかしそれは、噂されるような心の病によるものではない!」
アドリアン殿下の表情は強い決意に満ちていた。
「それは、私を操り、王国を私物化しようとする一部の貴族たちの本性を、最も深く引き出し、完全に暴き出すための私自身の策であった」
この瞬間、広場に集まった貴族派の関係者たちの顔は血の気が引いていた。
彼らは、殿下がこれまで見せてきた表情の全てが演技であったことを理解した。
彼らは、最も警戒すべき王族を侮り、自らの破滅的な欲望を白日の下に晒してしまった。
「私は貴族の専横を終わらせ、王国を真に王国民のものとするため、自らを装い、彼らを油断させた」
殿下は演壇の隣に立つセシリアに、温かい視線を向けた。
「セシリア・アークライト公爵令嬢は、その真の目的を知りながら、私に協力してくれた唯一の人物だ」
殿下の声色が甘く、ゆったりとしたものに変わる。
「彼女は、貴族の専横を最も憎む貴族として、悪女という不名誉な役割を自ら引き受けてくれた」
民衆からは驚きの視線がセシリアに集まっていた。
「彼女が受けた罵声は、すべて、私と彼女が結んだ真実の愛、そして王国を救うための献身の証である」
殿下はセシリアの手を取り、二人の間に確固たる信頼関係があることを、王国民と貴族派の目の前で示した。
セシリアの瞳にもまた、揺るぎない輝きが宿っていた。
彼女は長年の苦渋と孤独が今、この瞬間に報われたことを感じていた。
アドリアン殿下の言葉は民衆の心に、これまで抱いていた不満や憎悪とは異なる感情を呼び起こした。
それは、自分たちのために最も不名誉な役割を演じ続けた二人に対する驚愕と感動、そして深い信頼であった。
広場は静寂の後、熱狂的な歓声が響き渡った。
民衆は貴族の裏切りと、殿下とセシリアの献身的な行動の意味を理解した。
この布告により、貴族派のプロパガンダを根底から打ち砕き、王室に対する信頼を劇的に回復させた二人。
二人は顔を見合わせ見つめ合った。
その眼差しは、互いの間に確固たる愛が成立したことを証明していた。
終了後、アドリアン殿下は即座に勅令を発した。
食料隠匿に関わった貴族の爵位と財産の一部を一時的に凍結し、騎士団による徹底的な捜査に協力させるという内容だ。
ウィルヘルム男爵とリカルド伯爵は、王室への反逆罪、及び食料価格操作による経済犯罪の容疑でその場で騎士団に拘束された。
彼らは自分たちの策略が、殿下のより大きな策略の一部であったことに今になって理解し、顔面蒼白となって狼狽えていたいた。
その夜、セシリアは執務室で殿下と静かに紅茶を飲んでいた。
窓の外の王都のざわめきは以前の不安なものではなく、希望と興奮に満ちたものに変わっていた。
「殿下。これで貴族派の力を完全に削ぐことができます」
セシリアは安堵の表情を浮かべた。
「あとは法案を迅速に成立させ、凍結した貴族の土地を速やかに民衆に解放するだけだ」
アドリアン殿下はカップを静かに置き、セシリアを見つめた。
「貴女の献身と知性がなければ、この策略は成功しなかった……、悪女を演じることは、貴女にとってどれほどの苦痛であったろうか……」
セシリアは微笑み、首を横に振った。
「私は、殿下の真の思惑を知っていましたから。この王国を救うという、殿下の揺るぎのない決意を」
「それが私を支える、唯一の真実であった」
二人の間には、単に主従関係や政治的な同盟を超えた、深い信頼と友誼が確立されていた。
貴族の悪意ある陰謀を打ち破り真実を公開したことで、王国の政治は新しい局面を迎えるだろう。
王権の権威は回復し、セシリア・アークライト公爵令嬢は、悪女から王国の救世主へとその立場を一変させた。
貴族の専横は終わりを告げ、新しい王国がその夜明けを迎える。
全ては、一人の王子の静かなる決意と、一人の貴族令嬢の献身的な友誼によって成し遂げられた結果である。
王国の運命は、今、確実に新しい時代へと向かっている。
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