第4話 玲奈の告白
スマホの通知音が、心臓の鼓動と同じテンポで鳴っていた。
午前二時。玲奈はベッドの上で膝を抱えて、暗い部屋の光に照らされた自分の顔を見ていた。
タイムラインには「おやすみ」の絵文字が溢れている。みんなが寝たあとも、画面は動き続ける。誰かが投稿を消し、誰かがストーリーを更新する。
彼女は指先で画面をなぞった。フォロワー数は、さっきよりひとつ減っている。
心が一瞬だけ落ちた。
その小さな落下を、誰にも見られないのが、いちばん怖い。
寝つけない夜、彼女はよく、自分の過去の投稿を遡る。
笑顔の自撮り。友達とのプリクラ。カフェの写真。
どれも、少しずつ“演じている”。
見られるために、生きていた。
見てもらえないなら、消えてしまったも同じだった。
でも、本当は。
――“見られない”ことの中にも、何かは残っているのかもしれない。
そう思えるようになったのは、あの夜の教室に通い始めてからだ。
鏡の向こう。
夜の教室。
黒板には白い粉で書かれた文字がひとつ。
「だれも見ていない時間が、いちばん正直」
未央が席に座り、スケッチブックをめくっていた。
楓は本のページを指で押さえ、目を細めている。
蓮は窓際に立ち、窓に映る自分の顔を見ている。
智樹は机に手を置き、ゆっくりとリズムを取っていた。
健吾はボールを抱えたまま、遠くを見るような目をしていた。
玲奈は、机の上にスマホを置いた。
画面は真っ暗。
スリープ状態の鏡に、かすかに自分の顔が映る。
狼の面の少女が教壇から歩み寄り、彼女の前に立った。
「それが、あなたの“置きたいもの”?」
「……うん」
玲奈はうつむいた。
「私、スマホがないと何もできない。
でも、これ持ってると、誰かの“いいね”で生きてる気がして。
なくなったら、空っぽになる」
少女は静かに頷いた。
「空っぽは、悪いことじゃない。空っぽの中には、まだ“声”が残る」
「声?」
「見られない声。届かない声。でも、それを聞けるのは――あなた自身」
玲奈は息をのんだ。
黒板の文字が変わる。
「見てくれた人がいなくても、見たことは消えない」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
心の奥の、誰にも見せたことのない小さな場所。
そこが、痛くて、あたたかい。
玲奈は机の上のスマホを両手で包んだ。
画面にタッチすると、ロックが外れ、カメラが起動する。
自分の顔。
少し眠そうで、少し泣きそうで、でも笑っていた。
加工も、フィルターも、ハッシュタグもつけない。
ただ、無言でシャッターを押した。
カシャ、と音が鳴る。
その瞬間、教室の照明がふっと揺らいだ。
誰も動いていないのに、風が通った。
机の上のチョークの粉が、宙に舞う。
未央が小さく笑った。
「いい写真、撮れた?」
玲奈は首を振った。
「まだ。
でも、たぶん――“誰にも見せない写真”が、いちばん好きかも」
楓がそっとページを閉じる。
「見せないことで、残るものもある」
「……そうなのかな」
玲奈は目を閉じた。
スマホの画面に、通知がひとつだけ浮かんだ。
「新しいフォロワー:tomori」
見覚えのないアカウント。
アイコンは、狼のシルエット。
彼女は笑って、小さく呟いた。
「……ありがとう」
黒板に新しい文字が浮かんだ。
「見てなくても、ちゃんと届いてたよ」
玲奈は涙を拭った。
それは悲しみの涙ではなく、“見てもらえた”という実感の涙。
誰かの画面ではなく、自分の中で再生された映像。
朝。
目を覚ますと、スマホが枕元にあった。
バッテリー残量は1%。
充電ケーブルをつながずに、彼女はカメラロールを開いた。
一枚の写真。
昨夜撮ったはずの、暗い教室。
しかしそこには、自分だけでなく、六人の背中がぼんやりと映っていた。
教壇の上には、白い仮面の少女。
写真の右下に、手書きのような文字が浮かんでいる。
──「夜の声、届いているよ」
玲奈はスマホを胸に抱いた。
通知は鳴らない。
けれど、静寂があたたかい。
それは、誰かの“見てくれている”という記憶そのものだった。
夜。
再び教室に戻ると、玲奈は真っ先にスマホを置いた。
画面には、通知ゼロの数字が並んでいる。
彼女は笑って言った。
「ねえ、ゼロって、すごく綺麗なんだね」
黒板の文字が光り、風が通る。
机の上に、一枚の写真が現れた。
昨日、彼女が撮ったはずの教室の写真。
だが今は、全員が笑っている。
狼の面の少女が、面の奥で微笑んだ。
「ほら、ちゃんと届いてる」
「見えないところで、あなたは見られている」
「言葉にしなくても、誰かが覚えている」
黒板の最後の一文を見上げながら、玲奈はゆっくりと席に座った。
心の奥で、静かな音が鳴った。
それは、通知音ではなかった。
生きている音。




