遺跡都市と魔女
魔術師の少女が新しい職場に向かう片道旅
初投稿です。走馬灯吉と申します。
長編予定で一話を執筆していましたが、長々と書いて誰にも読んでもらえなかったら悲しいな〜と不安になってしまったので、とりあえず短編で一話だけ投稿してみることにしました。
半端な仕上がりで恐縮ですが、読んでいただけると嬉しいです。
背中の窓越しに、ざわざわと潮騒が響いている。
気まぐれに振り返り、シートに膝を立て、海原の夜景を拝もうとしたけれど、暗い硝子窓に映ったのは、少女の表情の反射だった。
(うっ……誰だこのアホ面……)
そそくさと前髪を直して、三角帽子を整える。溜息をついて振り返り、ぽふっとシートに身を投げる。無闇に両足を振り回してみる。
(暇だな〜……無理にでも本詰めてくれば良かった……)
隣では、黒猫のルルが丸まって眠っている。
手慰みに背中を撫でてやる。すぐに飽きる。脱力して背もたれに溶けてみる。天井の照明をぼんやり見つめてみる。無人の車両を見回してみる。
(はあ……がたーん…………ごとーん…………んー? 陸路の列車より揺れる間隔が長いような……)
(この揺れってレールの切れ目だっけ……たしか気温によって金属が伸び縮みするから、隙間がないと線路が歪んじゃうとかで……)
(じゃあ比熱の問題か。水は空気より温度が変わりにくいから隙間が少なくてもいいんだ……いやどうでもいいわ……)
「なあ、嬢ちゃん」
「っっ!? はい!?」
「うはは、すまんすまん」
声の主は、海上列車の車掌だった。
いかにも働き盛りの精強なドワーフの男で、朗々と厚みのある声をもって、背中越しに語りかけてきていたのだった。
「今思い出したんだが、あんたステラ婆さんのお弟子さんだな」
「あ、はい。師事したのはたった四年ですけど……」
「そうか……婆さん、ご愁傷さんだったな……」
「いえ、痛み入ります」
車掌の男の鎮痛な声色に、少女は半ば俯いて苦笑を浮かべた。
「すっかりお姉さんだなぁ。今いくつだ?」
「十五歳です」
「そうかぁ。アーカムには何の用事だ? お師匠さんの遺産整理か」
「それもありますけど……私が引き継ぐことになったんです。アーカム遺跡の監視員」
「ああ、そうか……じゃあ、向こう数年は遺跡都市で一人暮らしか」
「そうですね。この猫もいますけど」
「ははっ、そうだったな」
ドワーフの男は穏やかに笑った。少女は窓の反射越しに、その柔らかな表情を認めた。
「つっても、魔女も気が休まらねーなお師匠さんが亡くなって、昨日の今日で仕事の引き継ぎなんてな。」
「……いえ……大丈夫ですよ……」
少女はまた俯いて苦笑をして、それから髪をかき上げる仕草をした。
「先生はもう何年も体調が不安定で……もう何度も何度も覚悟を決め直してきたので、流石に冷静です」
「……まあ、そんなもんか」
「なので、今は悲しさより、長生きしてくれてありがとうって感謝が上回ってるような気持ちなんです」
車掌の男は、一瞬半ば振り返って、「うははっ」と上機嫌な笑みを溢す。
「なるほどな……そんなら、ステラ婆さんも長生きした甲斐があったってもんだ。あの人、辛気臭いの大嫌いだったしな」
「ふふ……そうでしたね……」
「みょん」
「あれ、ルル起きたの?」
⬡
海上列車はざらざらと波を切り、揺れ続け、やがて海面に佇む灯台の麓へと停車した。
そこは手狭な海上駅だった。灯台の他には、コンクリートの足場と、簡素な管理小屋があるだけだ。人の気配は無い。
少女は箒と革製のトランクを下げて、海上駅に歩み出た。その後を黒猫がぴょんと追いかける。
少女は海風に吹かれる三角帽子を抑えながら、車掌の男へと向き直った。
「じゃあ、俺はここまでだ。先の景色は監視員様と相棒で二人占めだな」
「ふふ、すみません」
「じゃあ頑張れよ。寂しくなったらいつでも炭鉱街に遊びに来な」
「はい。こんな時間にありがとうございました」
「そりゃお互い様だ。このポンコツ、干潮でしか走りやがらねえから」
車掌は帽子を軽く上げて、扉を閉めかけるが、寸前で思いとどまって再び少女に声をかけた。
「なあ、嬢ちゃん。名前なんつった?」
「ノノです。ノノ・ホワイト」
「ほーん、可愛らしいじゃねーの。じゃあな、ノノ」
「はい。帰路もお気をつけて」
少女は会釈で応じて、線路から一歩引く。
列車は鋭く蒸気を噴いて、がたがたと扉を閉める。それから高く汽笛を鳴らし、白煙と共に海原を走り去っていく様子を、並んで静かに見送った。
「……じゃあ、私達も行こっか」
「ノノ、緊張でお澄まししてた」
「うっ、うるさいな……ルルだって喋れないフリしてたじゃん」
「ボクは喋りたい時だけ喋る」
「かっこつけちゃって……ただの人見知りのくせに」
「喋らなくても愛されるし」
「威張るな。猫はみんなそうなの」
少女はむくれながら箒を低く浮かせて、その先端にトランクを掛けた。それから自身も腰掛けて、隣に黒猫が続いて飛び乗る。
一人と一匹を載せた箒は、滑らかに離陸して、海底の線路に沿って風を切って進む。
「うわぁ……海上の星空ってすごいね……光の嵐の中にいるみたい……」
「くぁ……」
「ルル? 眠いなら膝においで」
「いい」
「落ちないでよ?」
「んー」
箒は滑るように海上の空を飛び続ける。
さらに進むと、やがて水平線の奥から薄明が差し、行先にアーカム遺跡都市がその輪郭を現した。
「……わっ、ルル見て、懐かしいね」
「ん」
海上に頭だけを出した灯台や時計塔、砕けた古城の尖閣が並ぶ。視線を海中に落とせば、朽ち果てた教会や、白亜の凱旋門、建ち並ぶ住居が海底に揺れる。
辿ってきた線路も深く沈んで、海底に沈んだ始発駅へと伸びてゆく。
かつて黄金の栄華を築いたその都市は、しかし透き通るような海面下で遺跡群に慣れ果てて、今はただ、大小の魚影が静かに行き交う魚礁と化している。
「なにがどうなって沈んじゃったのかなー……」
「んー」
遺跡都市アーカム。あるいはアーカム王国跡。
三百年前の魔法戦争後期、原因不明の急速な隆盛によって栄華を謳歌し、そしてまた一夜にして原因不明の滅亡を遂げた、謎の都市の残骸である。
けれど、少女にとっては、ただ育ての親との思い出の土地に他ならなかった。
「……おばーちゃん……」
箒が一瞬かくんと落下して、すぐに持ち直した。
慌てた黒猫が視線を上げると、魔女は濡れた目元を袖で抑えていた。
「ごめん……」
「……一旦降りる?」
「いや下海だから……ふふ、なに動揺してんの」
水平線から朝日が溢れ、薄明が朝に塗り変えられてゆく。魔女は陽光に目を細めて、三角帽子を抑え、その影で涙ぐんだまま黒猫に微笑みかけた。
「頑張ろうね、おばーちゃんの後任」
「うん」
遺跡都市とウィッチクラフト。今はまだ静かに、けれど確かに、遠く深く延びてゆく。
これは魔法を辿る物語。