姫と騎士
アムダプール城に巣食うファントムを一掃することに成功したリリィたちは、妖魔が占拠する謁見の間まで、あと一歩の距離に迫った。崩落した廃墟で、リリィは人影を目撃した。それは、かつて、リリィを守り抜いて死んだ〝絶対防衛の騎士〟ベルマンの姿であった。
「久しいなベルマン」
「王におかれましては変わりなく……」
「おいおいベルマンよ、ここは、謁見の間ではないぞ。堅苦しい礼はいらん。俺とおまえの仲ではないか」
それを聞いて跪いていた男は立ち上がり、
「それじゃ、遠慮なく」
にやりと笑って、王と向かい合ったソファーにどかっと座った。
顔を見る限り老齢だが、がっちりとした体といい、危なげない立ち居振る舞いといい、とても老人とは思えない。そこらの騎士など、片手で吹き飛ばされてしまいそうだ。
「それで、突然、何の用だ。ウォルフよ」
「何の用とは、ご挨拶だな。俺が、ただ、たまには親友と語り合いたいというだけではいかんのか」
裏表のない、さっぱりとした笑い声が、深夜の王の居室に響いた。
「たまには親友と語り合いたいと思ったのは本当だ。だが、ベルマンに隠し事はできんな」
王がベルマンの前に置かれた杯に酒を注ぎ、ベルマンが、それを半ば奪うように取って、王の杯にも酒を注いだ。
二人は軽く杯を掲げると、水でも飲むように、くいっと杯を傾けた。
「俺は引退しようと思うのだ」
ベルマンは杯を置いた。堅いマホガニーのテーブルに杯の足がぶつかって、トンと軽い音を立てる。
「まだ、早いだろう」
「俺が幾つになったか知ってるだろう。もう70だ」
王は、老いをにじませた口元を少し歪める。
「だったら、俺も引退だな」
王はやれやれとでも言いたそうな顔をする。その返答は予想していたようだ。
「何を言ってるんだ。おまえは、まだまだ大丈夫だろう」
にやりと笑う。だが、ベルマンも負けじと言う。
「おまえこそ、何、言ってるんだ。おまえが70だっていうなら、俺だって70のじじいだ。同い歳なんだからな」
それから、二人はゆっくりと杯を交わしながら、昔のことを語り合った。
「おまえが、この城に来たとき、まだ、流れの傭兵だったな」
王が言った。
「ああ、いきなり、騎士と立ち合いをさせられたよ。それで、相手をこてんぱんにしたら、そこから、武術の指南役になってくれと、おまえに懇願されたな」
ベルマンもすっかり打ち解けた様子で答えた。
「そうだったな。だが、おまえがあまりに厳しく鍛えるものだから、けが人が続出して、毎日、苦情が殺到した」
「あれぐらいやらないと、あいつらは、使い物にならなかったからな。耐えられない貴族のお坊ちゃん達は城を去った。その方が、そいつらにとっても幸せだったろうさ。残った奴らが、今じゃ、騎士団を支えてる。俺は、今も昔も、ただの指南役だ。その方が気楽でいい」
「こんな横柄な指南役もいないぞ。騎士団長でさえ、おまえには頭が上がらないそうじゃないか」
「俺を引き留めた奴らが悪い。その筆頭はおまえだったがな」
貴族の子弟から目の敵にされていたベルマンをかばい、若き王は騎士団長の地位を提示して、ベルマンをつなぎとめようとしたのだ。
「当然だろう。マハの脅威が迫っているようなときに、優秀な指南役を放り出すのは、馬鹿のやることだ」
希代の天才魔道士シャトト・シャト。シャトトは、非力な人間が、モンスターの脅威に立ち向かえるようにと、黒魔法を生み出した。シャトトの死後、シャトトの弟子たちは、黒魔法を軍事力に応用した。
ララフェル族がこの世界に持ち込んだ時空魔法。その発展形である黒魔法は、魔紋と呼ばれる特別な文様によって時間と空間の理を捻じ曲げ、異界ヴォイドから暗黒の力を引き出した。特別な才能を必要とせず、修練を積めば誰にでも使用できる汎用性の高さ。魔紋の術式を組み替えれば、より強力な妖魔を召喚できる応用性の高さ。そうした黒魔法の優れた利便性が仇となり、人を救うはずの力が、同じ人へと刃を向けるようになるのに、それほど時間はかからなかった。
辺境の小都市に過ぎなかったマハは、短期間に強大な軍事国家へと変貌を遂げた。そして、周辺諸国への侵攻を始めたのだ。その最初の矛先が向けられたのが、隣接する海洋都市ニームだった。ニームは海兵団と呼ばれる最強の海上戦力を保有していた。数年に渡る頑強なニーム海兵団の抵抗が、マハに禁断の扉を開けさせることになったのは、運命の悪意の成せる業だったとしか言いようがない。
王は立ち上がり、執務テーブルの上にあった1枚の小さな絵を取り、ベルマンの前に置いた。
「この前、産まれた赤ん坊だな。もう絵に描かせたのか。聞きしに勝る、じじ馬鹿だな」
「何とでも言え。初孫だぞ。可愛くないわけがない」
「だが、皆の前で、それを口にはできない・・・と?」
「さすがベルマンだな、何でも知っている」
「へっ、騎士団の奴らは、俺に何でも教えたがるのさ」
英雄王と称され、数多の戦場を駆け抜けてきたウォルフ王。その老いた英雄王が、絵を見る目は、いつになく優しかった。
ウォルフ王の孫娘、リリィは空前絶後の強大な魔力をその身に宿して生まれてきた。その魔力は、アムダプールの始祖をも遥かに凌ぐと言われた。だが、リリィの稀有な力は、アムダプールの人々に称賛よりも畏怖を持って迎えられた。強大すぎる力はアムダプールを破滅へと導くのではないかと噂されたのだ。
その畏怖を決定付ける予言がもたらされた。すなわち、「アムダプール最後の王女がアムダプールを滅する」と。
「先日、魔道士達が、その子を殺せと言ってきた」
「なんだと!」
ベルマンは声を荒げる。
「予言など、どうとでも作れる。魔道士どもの世迷い言ではないのか」
王は苦笑した。
「ベルマンは、相変わらず魔道士嫌いだな。だが、今回の予言は違う。予言は、カサミラ妃によって告げられたのだ」
「カサミラ妃が・・・」
ベルマンは驚愕に目を見張った。
リリィの母、カサミラ妃は、遥か西方のシャーレアンの生まれで、稀代の占星術師だった。特に予知を得意とし、その予言は「神の言葉」と称されるほどの的中率を誇った。
「予言がカサミラ妃によるものだということは秘匿されている。だが、秘密というのは、いつかは漏れるものでな。おまえも知っていたぐらいだ。市井に流れるのは時間の問題であろう」
ベルマンはうなった。
「最近、ニームが、謎の流行病で全滅したってな。マハの仕業だって噂もある。みんな、ぴりぴりしてるのさ」
ベルマンが言った。
「その噂は事実だ」
王が静かに肯定した。
「流行病だけで滅んだのであれば、都市そのものが崩壊したり、水没したりはしまい。今、ニームだったところは、巨大な湖になり、都市は砕け、一部は宙に浮き、大半は湖の底に沈んだ」
ベルマンが息を呑む。
「予言は神の言葉かもしれない。だが、結果を成すのは人の行いだ。全てを神の御心のせいにするのは、それこそ不敬というものではないか。この子は、滅亡という不安が生んだ魔物の前に、生け贄として捧げられようとしているのだ」
王の言葉が居室の石壁に吸い込まれると、後には静寂が残った。しばらく二人は黙って杯をあおった。
「それで、おまえはどうするつもりなんだ」
しばらくして、ベルマンが重い口を開いた。
問われた王は、毅然として答えた。
「むろん、リリィは俺が守る。指一本手出しはさせん・・・と言いたいところだが、俺は老いた。この先、何年も、リリィを守っていくことはできん」
否定しようとしたベルマンを、王は片手を向けて押し留めた。
「よい。自分の身体のことは、自分が一番よくわかっている」
「ウォルフ、おまえ、まさか・・・」
王は、表情をふっと緩めた。
「俺は、王としての最後の命令を下す。この子をアムダプールの全力を挙げて守れ、とな」
その命令に、ベルマンは、ただ、頷くしかなかった。
この国では、王の命令は絶対だ。ましてや、英雄と称された伝説の魔剣士ウォルフ王の威光は、老いてなお衰えてはいない。その王が、最後に下した命令となれば、数十年は不動の掟となるだろう。
「もちろん、じじ馬鹿で言っているのではない。この先、アムダプールの命運は尽きるかもしれない。だが、自らの手でこの子を殺せば、滅亡が早まるだけだ。それこそ神の思う壺ではないか。そんなことはさせん」
王の言葉にベルマンは何やら考え込んだ。
「俺の息子は武勇はないが、魔道士の筆頭として、絶大な影響力をもっている。生真面目な性格でもある。自分で自分の意思を押し通すことができなくても、先代の王の最後の命令と思えば、それを愚直に守ろうとするだろう。それが、この子を、そしてアムダプールを延命させることになるのだ」
ベルマンは苦笑いを浮かべる。
「まあ、それしかねえな。この国の奴らは、みんな頭が硬いからな」
王は静かに頷いた。
「だが、その子の安全はどうなる。この国にいるのは、しきたりにしばられた頑固者だけじゃねえ。独断で、その子を殺そうとする奴もいるんじゃねえのか」
王は、笑顔を見せた。
「さすが、察しがいいな。だから、今宵、おまえを呼んだのだ。俺が、おまえに何を頼みたいかもわかるよな。ハイデリンの恩寵を受けた〝絶対防衛の騎士〟ベルマンよ」
ベルマンは表情を引きつらせた。
「ベルマン、引退なんて20年早い。その子が一人前になってから、堂々と引退しろ」
「引退って……俺は、その頃、何歳なんだよ」
王は、それには答えず、笑いながら酒を注いた。ベルマンも豪快な笑いを返した。その夜、王の居室からは、深夜まで笑い声が響いていた。
それから8年後。
アムダプール城は、阿鼻叫喚の地獄と成り果てた。重い石材が崩れ落ちる音、肉塊が爆ぜ、血が降り注ぎ、悲鳴が闇に吸い込まれた。
「姫、そのまま、真っ直ぐお進みください」
ベルマンは抱いていた幼い女の子を、大切そうに床に下ろし、回廊の奥を真っ直ぐ指さした。
「じいじ、じいじはどうするの?」
女の子が必死に尋ねる。
「じいじは、あの、狼藉者に、ちょっと説教をくれてやります。ここが、どこかもわからん無礼者のようですからな」
闇の奥から、巨大な影が近付いてくる。
「何があっても、振り返ってはなりません。姫は走るのが得意でしたな。ゴールまで足を止めてはなりませんぞ」
ベルマンは、満面の笑顔を浮かべた。
「でも!」
女の子は必死に叫んだ。
「さ、父上と母上が、謁見の間でお待ちですぞ」
それだけ言うと、ベルマンは斧を手に、女の子に背を向けた。
「止まれ、コウモリ野郎!人の世界に来て、好き勝手暴れやがって、俺が礼儀を教えてやるぜ」
女の子は、ベルマンの怒号に決意を感じ取ったのか、反対側に走り出した。一度も振り返ることなく全力で。
「それでいい」
その足音を聞き、ベルマンも振り返らず、真っすぐ前を睨んだ。
「ウォルフよ、20年はサバ読み過ぎだ。だが、これで世界は救われる。1000年後、妖魔の巣窟となったアムダプールは、姫の手によって滅ぼされる。予言は的中するぜ」
ウォルフ王は、息子に玉座を譲った1年後に崩御した。ベルマンは残されたウォルフの孫娘リリィの護衛となり、度重なる刺客の襲撃からリリィを完璧に守り通した。
「給料分は働いた。そろそろ終わりにしてもいいよな!」
巨大な影が声を発した。
「我が名はディアボロス。我への無礼は許してやろう。家畜に礼儀を求めるほど、愚かではないのでな。そこをどけ。今は時間が惜しいのだ」
ベルマンが吠えた。
「その言葉、そっくり返してやるぜ。尻尾を巻いて退散するなら見逃してやる。去れ!」
直後、巨大な魔力が爆散し、白光が大広間を塗りつぶした。
「ほう、これを耐えるか。名を聞いておこう」
ディアボロスが口の端を吊り上げた。
「〝絶対防御の騎士〟ベルマン、参る!」
ベルマンは「不砕」と銘打たれた愛斧を振り上げ、巨大な影へと突っ込んでいった。
結界は完成し、ディアボロスはアムダプールに封印されたまま、1300年の時を過ごすこととなった。マハの軍勢は撃退したものの、その後発生した第六霊災と呼ばれる大洪水により、アムダプールの残された市街地は壊滅的な被害を受けた。生き残った人々は各地に散らばっていった。アムダプールの都は黒衣の森に覆い尽くされた。
やがて、縁のある人々が戻ってきて、大精霊の許しを得て都市国家を建設した。これが、グリダニアの興りである。
「さ、休憩が長くなっちゃったね。行こうか」
リリィは立ち上がった。この先は謁見の間へと続く回廊。〝絶対防衛の騎士〟ベルマンが、その名に懸けて最後まで守り抜いた、因縁の場所だ。
わたしは戻ってきた。わたしは全てを終わらせる。アムダプールの残滓は、わたしが滅ぼす。それが、みんなが命をかけて、わたしに背負わせた使命なのだ。
リリィは歩き出す。
終わりの時は近い。
「1000年生きた少女の物語」は、1年前にスクエアエニックスのRPG「ファイナルファンタジーXIV」の公式ブログ「The Lodestone」に掲載した作品です。当時は、この第15話まで書いて打ち切りとしました。その、全15話の中で、最も好きだった話が、この第15話です。
当時、「ファイナルファンタジーXIV」の大型拡張パック「黄金のレガシー」が発売されたばかりでした。その「黄金のレガシー」には、「姫と騎士」のモチーフが出てきます。ファンタジーの常道ではあるのですが、時期的には「真似をした」と思われかねず、どう「わたしの物語」を描いていくかは、思い悩みました。しかし、この頃になると、リリィは作者から独り立ちして、自分で考え、自分で話し、自分で行動するようになっていました。他の人物も同じです。わたしの中では、みんなが、その時代の中で生きています。みんなが、好きなように動いてくれて、こんなすてきな話ができました。
わたしは、「有名になりたい」とか「お金を稼ぎたい」という思いで小説を書いているわけではありません。もっと小説を上手に書けるようになりたいと思って、練習として書いているのはもちろんですが、何より、わたしが、わたしの小説を読みたいのです。わたしの小説は、わたしが書かない限り、この世に生まれることはありません。現在、代表作指定をしている『Vチューバー始めてみたけどこれって正解ですか?』も同様ですが、小説が書けたこと、それを読むことができることが、何よりの幸せなのです。
よーし!頑張って続きを書くぞ!