第7話:監察官ヴァルト嬢、砦に着任す
夜が明け、アレッタ砦の空に灰色の朝が訪れる。
まだ砦のあちこちでは、傷ついた兵士たちのうめき声、修復作業の木槌の音が絶えず響いていた。
そこへ、二騎の馬が砦に歩兵と共に砦に到着する。
レイナ=ヴァルトと、ロイ・グレイム中佐だ。
レイナは軍服に身を包んだ若い女性だった。
陽の光を受けてわずかに輝く銀髪は肩の上で整えられ、その端正な顔立ちは見る者に一瞬の静寂を与える。
鋭い視線の奥には冷徹な理性が宿り、そして淡いが不動の意志が感じられた。
その背筋は凛と伸び、周囲の荒んだ空気とは対照的に、まるで帝都の空気をそのまま持ち込んだようだった。
帝都から派遣された監察官と、かつて砦の指揮を放棄して逃げた男が、揃って現れたのだった。
「俺が戻った以上、指揮はこのロイ・グレイムが再び執る!」
門前に立ったロイ中佐の言葉に、砦の兵士たちは一様に沈黙する。
それは敬意でも服従でもなく、明確な拒絶だった。
「……何を今さら」
誰かがぽつりと呟く。
「逃げたくせに、何しに戻ってきやがった」
「指揮する資格があるのは、あんたじゃねえ」
「この砦を守ったのは、ジードだ」
名指しされたジードは、崩れた壁にもたれてあくびを噛み殺していた。
「……俺、別に指揮してたつもりなかったんだけどな」
その言葉に、ロイの顔が引きつる。
「貴様……!?あの時紋章を渡した男か……!?」
かつて、自らの軍腕をジードに押し付けて逃げたこと。その時の男が砦を指揮したという事実に、驚愕と共にロイはようやく気付いた。
レイナは静かに一歩前に出ると、通達の文書を広げて読み上げた。
「帝国軍務局より通達。アレッタ砦において指揮官の正統性に異議がある場合、監察官の判断により臨時の指揮官を選出することを許可する」
ロイがレイナに詰め寄ろうとするが、彼女は一歩も引かずに言った。
「この砦で最も信頼を得ている者は、誰ですか?」
その問いに、兵士たちの視線が一斉にジードへ向けられる。
「俺たちは……ジードの指揮で、死なずに済んだんだ」
「逃げ腰の指揮官につくくらいなら博打するほうがマシってもんだ」
ジードは頭をかきながら、視線をそらす。
「いや、俺なんかが指揮していいのかよ……。俺はただの補給係で、戦術の教科書もまともに読んだことねぇぞ?」
ロイはその言葉にすかさず噛みついた。
「その通りだ! 貴様のような素人に、軍の指揮を任せるなど──」
だが兵士たちの誰もロイを見ようとせず、視線はジードに向いたままだった。
「……マジかよ」
レイナは小さく頷き、言葉を紡いだ。
「本命令に基づき、貴殿をアレッタ砦の臨時指揮官に任命します」
ロイ中佐は歯を食いしばり、言葉を飲み込んだ。
その場に、微かな風が吹いた。
砦の空気が、確かに変わった瞬間だった。
夕方。
斥候隊からの報告が届く。
「敵軍、再び動きあり。三日以内に第二波が来る見込み」
ジードはその報告を聞きながら、懐から例の骨製のサイコロを取り出す。
「……さて、どっちの地獄に転ぶかな」
その横で、レイナがジードをじっと見つめていた。
「補給係……。あなた、本当に、補給係だったんですか?」
ジードは肩をすくめる。
「書類上はな。読み書きもギリギリ。軍師って言われても、何から始めりゃいいのかわかんねぇよ」
「信じられない……。そんな人間が、砦を……この状況を……」
レイナの目に、混乱と驚きが交錯していた。
「俺がやったんじゃねえよ。たまたま、みんなが死にたくなかっただけだ」
レイナは返す言葉を失い、ただジードを見つめるしかなかった。
アレッタ砦に次なる嵐の足音が、確かに近づいていた。
お読みいただきありがとうございます!
お気に召しましたら感想・ブクマ・評価などお待ちしております。
投稿の励みになるのでよろしくお願いいたします!