「貞淑な女性」は私には窮屈なので、隣国で意識改革します~私の能力を蔑ろにした愚王と国は、どうぞご勝手に滅んでください~
華やかさと欺瞞に満ちた王城の大広間で、私は冷めた視線を前方へ向けていた。
今から約半月前――熱にうなされて気を失って以来、私の頭の中では前世の記憶が鮮明によみがえっていた。ここは、かつて私がプレイした乙女ゲームの世界。そして私は、物語が破滅へと進む「悪役令嬢」だったのだ。
婚約者である第一王子カイルは、私の正面に立つ可憐な伯爵令嬢リアーナを庇いながら、私を非難した。
「セレスティーナ・ド・グラシアス! 貴様の淑女らしからぬ言動、高慢な態度、そして不当な権力欲は、もはや看過できぬ!」
彼の口から放たれるのは、耳障りな言葉の数々。周囲の貴族たちも同調し、嘲笑や冷ややかな視線が私に突き刺さる。
「そうだ! あの公爵令嬢はいつも出しゃばりすぎだ!」
「王子の隣には、リアーナ様のような方がふさわしい!」
だが、私は知っていた。カイルが「淑女らしからぬ」と断じる私の言動は、財政の不備を指摘したり、無駄な式典の削減を提案したり、女性貴族の意見を反映させる場を設けようとするなど――女性として当然の権利を訴え、国の未来を憂いて行動した結果に過ぎなかった。
前世の記憶を持つ私は、この世界の「女は黙って従うべき」という歪んだ価値観が、どれほど不当で時代遅れなものかを痛感していた。
彼らが私に押しつける「悪役令嬢」というレッテルは、単に私の行動力が、彼らの旧態依然とした価値観に収まらなかったというだけの話。もはや、彼らの理解など求めてはいない。私は毅然とした態度で、冷静に反論の言葉を口にした。その声には一切の感情を込めず、ただ事実と論理だけを並べる。
「カイル殿下。私の提言が『淑女らしからぬ』とおっしゃるのなら、まず国の財政赤字がすでに看過できない水準にある現状をご理解ください。それを是正するための提案を行うのは、次期王妃として当然の責務です。また、社交界における女性たちの声を軽視すれば、経済活動にも悪影響が出ることは明らか。これら一連の行動のどこが『高慢』で、『不当な権力欲』なのでしょうか?」
私の問いに、カイルは苛立ちを隠そうともせず、怒りに満ちた声で言い放った。
「黙れ、セレスティーナ! そのような屁理屈など聞きたくもない! 女は男に逆らわず、慎ましくあれ! 貴様は王妃にふさわしくない!」
貴族たちは彼の言葉に呼応するように沸き立ち、リアーナは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「……分かりました。殿下がそうおっしゃるのであれば、これ以上申し上げることはございません」
私は静かにそう告げた。カイルは満足げな表情を浮かべると、断罪の言葉を続けた。
「セレスティーナ・ド・グラシアス公爵令嬢に、公爵領への謹慎を命ずる! 今後一切、王都への出入りを禁ずる!」
実質的な追放命令。しかし、私の心は揺れなかった。この国の未来を、彼らは何ひとつ理解していない。その現実を悟った瞬間、私の胸には新たな希望が芽生えたのだ。追放は、私にとって絶望ではなく――自由への扉だった。
広間から立ち去ろうと足を踏み出したとき、私は視線の端に、広間の隅に佇む一人の人物を捉えた。彼はじっと私を見つめていた。その瞳には、カイルたちのような軽蔑や嘲笑はなく、ただ静かな洞察と、微かな関心が宿っているように見えた。
◆
王城での断罪を終え、私は公爵家領地の屋敷へと帰還した。がらんとした自室で、私は一人、静かに紅茶を淹れる。カイル王子が私に言い放った言葉、広間に響いた貴族たちの嘲笑、そして俯くリアーナの姿――すべてが、まるで他人事のように脳裏をよぎる。
「……この国は、もう長くは持たないでしょうね」
ティーカップをソーサーに静かに戻し、私は小さくつぶやいた。前世の記憶を持つ私には、カイルの旧弊な価値観が国の発展をどれほど阻害しているかが明白だった。女性の能力を蔑ろにし、意見に耳を貸さない――そんな体制が続く限り、この国に未来はない。
だが、同時に、私の心には言いようのない高揚感が広がっていた。追放は、私にとって束縛からの解放だったのだから。
「これで、自由に動ける。本当に作りたかった世界を、ここでなら築ける」
私は窓の外に広がる領地の景色を見つめる。ここから、新たな物語が始まる。私の力で、この世界に根付いた「こうあるべき」という不当な価値観を打ち砕き、誰もが自分らしく生きられる社会を築いてみせる。それは、前世の私が叶えられなかった、心からの願いでもあった。
◆
その日の夕刻。屋敷の扉がひっそりと叩かれた。
侍女のマリアンヌが訝しげに扉を開けると、そこに立っていたのは、あの広間で見かけた男だった。
「セレスティーナ・ド・グラシアス公爵令嬢にお目通り願いたい。レオンハルト・フォン・エーベルヴァインと申します」
その名を聞いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。レオンハルトとは、隣国の王子の名だったからだ。マリアンヌが私の方を伺うように視線を向けてきたので、私は静かに頷き、彼を客間へと案内するよう指示した。
客間に足を踏み入れたレオンハルトは、わずかに頭を下げる。その視線はまっすぐで、カイルのような傲慢さは微塵も感じられなかった。
「このたびは、貴女が不当な扱いを受けられたこと、心よりお見舞い申し上げます。あの場で何もできなかったことを、お詫びいたします」
その言葉に、私はわずかに目を見開いた。謝罪の言葉など、まったく予想していなかったからだ。
「まさか、隣国の王子が、私のような追放された人間に会いに来るとは思いませんでした。……ご用件は何でしょうか?」
私の問いに、レオンハルトはまっすぐに私の目を見つめて答える。
「貴女が王都で示された提言、そして今日の毅然としたご姿勢に、私は深く感銘を受けております。以前より、貴女の理路整然とした財政改革案や、女性の社会進出に関する合理的な考え方には注目しておりました」
彼は一呼吸おいて、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「我が国は、性別や身分にかかわらず、すべての民が能力を最大限に発揮できる社会を目指しています。その理念を実現するためには、貴女のような知性と行動力を持つ人材が不可欠です。セレスティーナ様、どうか我が国へいらしていただけませんか? 貴女の理想を、共に実現していただきたいのです」
その言葉は、私の心を深く揺さぶった。私が訴えてきたことの真価を、彼は最初から理解していた。この申し出は、まさに天の助け――いや、それ以上に、私という存在を必要としてくれる人が、この世界にいることに、私は深い感動を覚えた。
「……殿下のお言葉、光栄に存じます。もし私を必要としてくださるのなら、喜んでお力になりましょう。私の知識と経験、すべてを賭けて、殿下の理想の国を築くお手伝いをさせていただきます」
私は、迷うことなくその申し出を受け入れた。
◆
隣国の王子レオンハルトの申し出を受け入れた私は、信頼する侍女マリアンヌ、そして実力は有るにも関わらず女性である事で不当な扱いを受けていたディオン魔導副団長と共に、王都を後にしました。私たちの新たな目的地は、レオンハルト王子が統治する隣国の、まだ発展途上にある辺境都市でした。そこは、これまでの窮屈な貴族社会とは全く異なる、広大な可能性を秘めた地だったのです。
辺境都市に到着した私たちは、レオンハルト王子の全面的な支援のもと、すぐに活動を開始しました。私がまず着手したのは、住民たちの意識改革、特に女性たちの「こうあるべき」という固定観念を打ち破ることでした。
「皆さん、ここには、性別や身分によって能力が制限されるような『当たり前』は存在しません」
私は集まった住民たち、特に女性たちに語りかけました。
「女性だからといって、学ぶことを諦める必要はありません。女性だからといって、特定の仕事しかできないということもありません。あなた方には、無限の可能性があります。何になりたいですか? 何が得意ですか? その思いを、どうか私に聞かせてください」
最初は戸惑っていた住民たちも、私の言葉と、侍女であるマリアンヌが自ら率先して学ぶ姿に触れ、少しずつ心を開いていきました。私は、読み書きや計算といった基礎的な教育だけでなく、それぞれの興味に応じた職業訓練プログラムを導入しました。ある女性は商才を開花させ、新たな流通経路を確立しました。別の女性は、かつて男性の仕事とされていた魔道具製作に才能を見出し、効率的な農業用魔道具を開発しました。また、ディオン魔導副団長は、私の理念に共感する者たちを集め、性別に関わらず実力のある者を登用する新たな警備隊を組織し、治安維持と改革の基盤を築きました。
マリアンヌは私の右腕となり、女性たちの教育プログラムの運営や、領地の会計管理において卓越した手腕を発揮しました。彼女は、かつて自身の能力を諦めていた過去から解放され、生き生きと輝いていました。
「セレスティーナ様のおかげで、私、初めて自分の本当の価値を見つけられた気がします」
彼女の言葉は、私が目指す「当たり前」の再構築が、着実に進んでいることを証明していました。この地では、「女性が意見を述べるのは当然」「女性が働くのは当たり前」「女性が学ぶのは自然なこと」といった、前世の私にとってはごく当たり前だった価値観が、着実に根付いていきました。住民たちは、自分たちの能力が正当に評価され、社会に貢献できる喜びに満ち溢れていました。隣国は、旧来の王国の「常識」とは全く異なる、自由で活気に満ちた新しい社会の礎を築き始めていたのです。
★
我はカイル・アシュフォード・ヴァイン。
この国の第一王子であり、次期国王となるべき者だ。あの生意気な公爵令嬢、セレスティーナを追放して数年。我は、自分の判断が正しかったと信じている。女は男に従順であるべきだ。それが国の秩序を保つ唯一の道だと、固く信じていた。だが、現実は我の理解を超えていく。
セレスティーナが去ってから、この国はまるで呪われたかのように衰え始めた。右腕となるべきはずの者たちが、まるで役立たずになったかのように機能しないのだ。特にひどいのが財政だ。セレスティーナがいた頃は、あの女が小言を言いながらも、国庫は常に潤っていた。だが、今や残高は底をつき、我の贅沢な生活どころか、貴族たちの俸給すら危うくなってきた。
「殿下、このままでは…」
と、財務官僚どもは口々に訴えるが、具体策など出せるはずもない。女の意見など聞かずに、男たちがきちんと統治すればよいと、我は常々言ってきたはずだ。だが、現実は望むようにはいかない。
国民の不満も増している。街では小競り合いが頻発し、兵士たちの報告は治安の悪化を告げるばかりだ。まるで、この国から活気が失われたかのようだ。リアーナは、我の隣で心配そうに眉を下げている。彼女はいつだって、我を支え、我の言葉に頷いてくれる、理想の淑女だ。だが、彼女の柔らかな微笑みも、この国の荒廃を止めることはできない。なぜだ? やり方は間違っていないはずなのに――。
そんな折、忌々しい噂が我の耳に届き始めた。隣国が、異常なほどの繁栄を遂げているというのだ。しかも、その中心にいるのは、追放されたはずのセレスティーナと、隣国の若き王子レオンハルトだという。
「殿下、隣国では女たちが…女たちが、商人や技術者として働いていると!」
報告に来た貴族の顔は、信じられないものを見たかのように青ざめていた。女が働くなど、あってはならないことだ。淑女は家庭を守り、男を立てるもの。それがこの世界の「当たり前」なのだ。
さらに腹立たしいのは、聖教会までがその影響を受けていることだ。我が国の聖教会は、女を黙らせる教義を堅く守り、我の統治を正当化する重要な柱だった。だが、隣国では聖教会の司祭たちが、セレスティーナと公開討論を行い、「強き女性」「知恵ある女性」といった、これまで隠されてきた聖書の記述を都合よく持ち出して、あの女の主張を肯定しているという。
「殿下、聖教会の教義は、神が定めた絶対のものでございます! あの異端の女が、神の秩序を乱しているのです!」
我の側近の司祭は顔色を変えて訴えた。我も同感だ。あの女は、この世界の秩序を根底から覆そうとしている。だが、隣国から流れてくる情報は、その「異端」が、実際に人々の生活を豊かにし、国を繁栄させていると告げる。
故に我は「当たり前」が、揺らぎ始めているような、不快な感覚に囚われていた。なぜだ? なぜ、我が正しく、厳しく統治しているこの国が衰退し、あの「淑女らしからぬ」女が作り出す国が栄えるのか? 理解の範疇を超えた現象が、我の目の前で起こりつつあった。
◆
数年が経ち、その差は歴然となりました。私が追放されたカイルの国は、私の予想通り、緩やかに、しかし確実に崩壊の道を辿っていました。財政は完全に破綻し、食料は不足し、街では暴動寸前の騒ぎが頻発しているという報告が、隣国にまで届くようになりました。
「殿下、カイル王子からの使者でございます。援助を求めております」
レオンハルト殿下の執務室に、眉をひそめた外交官が報告に来ました。私は静かに頷き、殿下と視線を交わします。あのカイルが、私を断罪し、女性の意見を蔑ろにした彼が、今、私たちの助けを求めている。まさに因果応報、といったところでしょうか。
「彼らの求める『旧来の秩序維持』のための援助は、お断りいたします」
レオンハルト殿下はきっぱりと言い放ちました。私たちは、彼らの自業自得な状況を嘲笑うつもりはありません。しかし、彼らの「こうあるべき」という固定観念が、いかに国を停滞させ、国民を苦しめたかを、彼ら自身に理解させる必要がありました。
やがて、カイルの国では、国民の不満が爆発し、ついに国王の座を揺るがす事態に発展しました。私たち隣国が収集した情報網は、その混乱の根源にある、保守派貴族や聖職者たちの不正や腐敗、そして「女性はこうあるべき」というレッテルを悪用したハラスメント行為を次々と暴き出しました。
「あの公爵令嬢は生意気だ」「女は男に口答えせず、慎ましくあるべきだ」――かつて私にそう言い放った者たちの醜い実態が、白日の下に晒されていきます。彼らが過去に行った悪事や、地位を利用した私腹肥やし、そして何よりも、人々の「らしさ」を潰してきた行いが明るみに出され、彼らは社会的地位を失い、断罪されていきました。彼らの滅びは、「女性の権利を認めないことの代償」を、この国の国民に、そして世界に示すものとなりました。
特に、あの婚約破棄の場で私を断罪した者たちの絶望の表情は、私の目に焼き付いています。彼らの「こうあるべき」という理想が、いかに現実離れし、社会を停滞させていたか。そして、その結果が、今の自分たちの破滅であると、彼らは突きつけられたのです。
そして、かつての「ヒロイン」であるリアーナもまた、カイルの国に失望し、私たちの隣国へ亡命してきました。彼女は、もはや「可憐なヒロイン」という型に囚われず、この国で自分自身の「らしさ」を追求する新たな生き方を見つけようと決意していました。
◆
最終的に、カイルは国王の座を追われ――噂では、かつての腹心によって暗殺されたとまことしやかに噂されていた。そしてそれによって空いてしまった玉座に、民衆からの高い支持もありレオンハルト殿下が新たな国王として迎え入れられ、二つの国は一つになりました。これは、私を不当に断罪した国から、全く新しい国が誕生した瞬間でした。
「セレスティーナ、君の描いた理想を、共に実現しよう」
レオンハルト殿下は、私に真っ直ぐな視線を向けました。私は彼の王妃として、あるいは国家の最高顧問として、新しい社会の設計と運用に尽力することを誓いました。私は権力の中枢に座るだけではなく、人々にそれぞれの「らしさ」を見つけ、自立を促す側に回ることを選びました。
レオンハルト殿下と私の関係は、単なる夫婦を超えたものとなりました。私たちは、互いの思想と「らしさ」を尊重し合う、真の国家を共に創り上げる盟友でした。彼が私の価値を理解し、私を必要としてくれたからこそ、この革命は成功したのです。
数年後、私たちが築いた国は、人々が「こうあるべき」という型に囚われず、それぞれの「らしさ」を自由に表現できる社会として発展を遂げました。女性も男性も、多様な生き方を選択し、互いの個性を尊重し合う。それは、前世で私が求め、叶えられなかった理想の社会が、この異世界で現実となった姿でした。
◆
あれから数年が経ち、レオンハルト殿下と私が共に築き上げたこの国は、かつての面影を全く残さないほどに発展を遂げました。それは、人々が「こうあるべき」という古い型に囚われず、それぞれの「らしさ」を自由に表現できる、真に豊かな社会となっていたのです。
私は、王妃として、あるいは国家の最高顧問として、毎日この国の変化を肌で感じ続けています。女性たちは、もう屋内に閉じ込められる存在ではありませんでした。彼女たちは、かつて男性だけが許されていた魔導の研究者として、あるいは商人として、騎士として、そして政治家として、あらゆる分野で活躍しています。彼女たちの知性と能力が社会に還元されることで、新しい産業が次々と生まれ、経済は飛躍的に発展しました。街を歩けば、活気に満ちた女性たちの笑顔があふれています。
男性たちもまた、「男らしさ」という固定観念から解放され、より豊かな人生を送れるようになっていました。育児に積極的に参加する父親、芸術を追求する騎士、感情を自由に表現する兵士――彼らもまた、自分たちの「らしさ」を受け入れ、互いの個性を尊重し合うことで、社会全体の幸福度が向上していくのを、私は間近で見てきました。この国では、性別や身分、生まれつきの能力に関わらず、すべての人が等しく尊重され、その可能性を追求することが奨励されているのです。
私は、もう「悪役令嬢」ではありません。人々は私を「国の革新者」と呼び、尊敬のまなざしを向けてくれます。私の行動は、女性が当然の権利を主張し、その能力を社会に活かすことが、いかに世界をより良くするかの確かな証として、人々の心に深く刻まれていることを感じます。
一方、カイルがかつて統治していた国は、旧態依然とした価値観に固執した結果、歴史の波に乗り遅れ、衰退の一途を辿る存在として残されました。その荒廃した姿は、私たちがもたらした繁栄と希望に満ちた新国家の輝きを、一層際立たせるものとなったのです。
前世で私が求めていた理想の社会――性別や役割のレッテルに縛られず、誰もが自分らしく生きられる世界――それが、この異世界で、レオンハルト殿下と共に、確かに実現されていました。私たちの築いた国は、未来永劫、人々の「らしさ」を育み続ける、希望の光であり続けるでしょう。私は今、心からそう確信しています。