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第六話

 ◎




『――――おい、聞こえてないんか?』


 僕を起こしたのは、彼の声だった。

 耳に装着したままだった思念子機から、彼の声が響いてくる。


『――――聞こえているよ』


 どうやら気長さは彼との付き合いには不要なようだ。

 僕は額を強くこすり、眠気を払う。

 たっぷり睡眠をとったので頭はすっかり冴えている。いまならどれだけ大量の情報を与えられても、それら一つ一つをきちんと精査し、分類し、収めるべきところに収めることができるだろう。

 気だけでなく口もせっかちな彼に、十分対応できるだろう。


『声をかけてもらえたということは、昼間の僕の願いに応える気になってくれた、ということかな?』


『なにも知らんままでおるあんたを、哀れに思ってな』


 言葉にこそトゲがあったが、彼の声色に昼間あった苛立ちはなかった。気が短い分、立ち直りも早いのかもしれない。


『ありがとう。助かるよ』


『気にせんでええ。疲れてるのに寝つきが悪くてな。誰かと喋りたい気分やったんや』


 確かに、彼の声には覇気がなく、気だるげに間延びしていた。


『昼間の修練とやらは、そんなに大変なものだったのか』


『あんたの長話に付き合わなきゃもう少しマシやったわ。一人で集中したいから、ってだだこねて監視役のジジババ遠ざけたはええけど、あんた話長すぎやし、イライラさせられるしでちっとも課題進められんかった。そんで戻ってきたジジババにどやされて、この時間までしばかれる羽目になったわ』


『しばかれる?』


『殴られたわけやない。けどオレが課題に取り組んでいるのを、真横に座ってまばたきひとつせんと監視してきよった。あいつらロボットかなんかか?気味が悪いわ』


 僕はちらりと横目を流す。

 大広間の扉の前に、僕の世話役の老婆が立っている。まるで置物のように、身動き一つせず、広間の中央に横たわる僕を見つめている。すっかり慣れてしまって、気にしなくなっていたが、いわれてみれば不気味なものだ。

 僕の世話役を務めているのは三人の老婆と一人の老爺だ。四人はそれぞれ一日六時間ずつ僕の傍についている。午前零時から六時間おきの交代は、僕がこの世界で目覚めてから二か月、一度も変わったことがない。四人の老人は隠居した皇族で、みな七十を超えているように見える(正確な年齢は何度尋ねても教えてくれなかった。見た目の通りの老人です、と、はぐらかしているというよりは必要がないから年齢を数えるのをやめてしまったような様子だった)。そんな齢の人間が、寝たきりの初老の男(やせ細ってはいるが、体格は大きい。少なくとも老人たちの一・五倍の体積がある)の身体を隅々まで拭き、着替えをさせ、床ずれができないよう姿勢を変えてやるのだ。いうまでもなく、それは彼らにとって大変な重労働だ。加えて、食事はなんとか自分でとれるが、下の世話も、僕は彼らに頼らなくてはならない。隠居したとはいえ皇族という特権階級にあるものが、死を待つばかりの平民の男の尿を汲み、尻を拭くのだ。僕という存在を秘匿するためとはいえ、下働きの一人も使わないのは異様ではないだろうか。彼らは僕の排泄物の処理をすることに対して、屈辱どころか不快感さえ抱いていないよう見えた。

 さらに、彼女がいなくなってからは僕の退屈しのぎにさえ付き合ってくれていた。簡単なゲームの相手、本や詩の朗読、ときには歌や楽器の演奏をねだっても、彼らは嫌な顔ひとつせず(彼に言わせるところの、機械的な態度ではあったが)応じてくれた。そして僕の用がないときは、ああして扉の前で待機している。椅子に座るどころか杖のひとつつかずに、足を肩幅に開いて、どこか悠然として趣さえある立ち姿で、ただ僕を静観しているのだ。

 ふつうの老人にはまずできない。

 いや、この世界の老人は僕の知る老人とは違うのかもしれない。もしかしたらあれがこの世界のふつうの老人なのかもしれない。達観していて、健全で、死の瀬戸際まで自分の足で歩くことができる。自分より年若いものの介護にあたる余裕さえある、健康な老人。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そもそも六十を過ぎて生きてられる人間がどれだけいたんだろう。僕の上司のような特異階級(プログレ)は別として、ふつうの人間はまず、五十を過ぎれば機械の補助が必要不可欠となる。

 人工呼吸器、人工肛門、車椅子を必要としない老人を僕は見たことがない。多くの老人は機械化されると半年足らずで経口食を禁じられ(誤嚥性肺炎を防ぐためだ)、ほどなくぼけてしまう。ものが食べられなくなると老人の頭は途端に退化するのだ。脳が浮腫み、しわが消え、卵のようにつるりとしてしまう。脳のしわを失うと、人は物事を筋道立てて考えることができなくなる。そうして認知機能が失われ、時間も、言葉も、意識さえも、保つことができなくなる。

 僕の知る老人とはそういうものだ。

 けれど僕を世話をするこの老人たちは、七十を過ぎてもぴんぴんしている。前世で倒れる直前の、仕事に明け暮れていた僕よりずっと健康そうに見える。彼らはなるほど機械的な動きをしているが、言葉数と表情の動きが少ないだけで、理知的である。どこにも破綻は見られない。

 かつて存在し、いまは失われた老成という言葉がある。生きた時間とそこで培われた経験によって人は成熟する、という言葉だ。彼らの超然とした態度こそ、まさしく老成と呼ぶべきものではないだろうか。

 僕がそれを伝えると、彼はしかし呆れたように言った。

 ボケてんのか、と。


『老成って尊敬できるジジババに向ける言葉やろ。お前あいつらのこと尊敬しとんのか?』


『少なくともあの齢であれだけの健康を維持できている、という点に関してはね』


『七十なんて、まだまだ働き盛りやろ』


『僕はそうは思わないけれど……』


 しかし若い子からすれば、四十も七十も変わらないのかもしれない。

 なんといっても彼はまだ二五歳なのだ。平均寿命で考えれば、人生はまだ折り返し。若く健やかな彼にしてみれば、死を待つばかりの我々なんて、老人とひとくくりにして足るべき存在なのだろう。


『とにかく、君は彼らに対してあまり好感をもっていないようだね』


 僕は話を本題に戻すことにした。

 疲れている彼を長話に付き合わせたくはない。簡潔に、必要なことだけを聞いて、今日のところはおしまいにしなくては。


『彼らは僕に対してとても親切だが、どうして君にはそうならないんだろう?』


『前に会ったとき教えたやろ。あんたの召喚は意図されたもんで、失敗したことにあいつらは責任を感じとる。けれどオレの召喚は完全な事故や。誰もに愛され、尊敬される女王様の身体を奪ったオレは、その責任をとるべきやと、あいつらは考えとるんや。むちゃくちゃやけど、拒否すれば殺される。オレは二回も死ぬなんて御免やからな』


『だから仕方なく従っている』


『そういうことや』


『君はそこから逃げたい?』


『逃げて行く場所がない』


『じゃあ彼らに従い続けるのか?』


『わからん』


 途方にくれたように、彼は言った。


『オレは連中が嫌いや。嫌いなやつの言いなりになることほどつまらんもんはない。けど――――だからって、ほかに行く当てがあるわけでもない。連中に逆らったからって、もとの世界に戻れるわけでもない』


 もとの世界。

 彼はまだ自分の死を受け入れられていないんだろうか。

 僕は頭に浮いた疑問を、彼に伝えることはせず、代わりに別の言葉を作った。


『君はとても困難な状況におかれている。どんな希望も見いだせずにいる。あっているね?』


『間違いではないな』


『そうか。――――ところで君はいまどこにいるんだい?』


『自分の寝床や。あんたのいるとこから馬で一日くらいの距離いったところに首都があって、そこに行政機関兼皇宮殿がある。まるで時代劇のセットみたいやで。時代劇ってよりはファンタジーか?なんやこの世界、和洋中ごちゃまぜでようわからんけど、朝廷って呼ばれとるこの建物は、紫禁城とか首里城みたいなもんやのうて、寺院みたいな見た目としとる。なんていえば一番近いか――――せや、アンコールワットや!カンボジアのアンコールワットそっくりなんや!』


 僕は彼に見えていないにも関わらず、驚いて思わず首をふってしまう。


()()()()()()()()()()()()()()?』


『知らんのか?なんや、えらそうな喋りのわりに、学のないおっさんやな』


『君こそ、カンボジアなんて国名を当然のように出すなんて、御見それ行ったよ。相当歴史に詳しいんだね?』


『は?』


 心のからの賛辞を送ったつもりだったが、なぜか彼は声を荒げた。


『バカにされたからって、煽り返してくんなや』


 まあええ、と彼は舌を打って続けた。


『とにかくな、オレがいまいるのは、アンコールワット風の、でっかい石造りの宮殿の一番奥の部屋や。オレのために空けられた部屋やなくて、もともと皇帝の寝所やったらしいけど、独房みたいなとこでなあ。防犯のためか知らんけど、窓のひとつもない。昼間でも明りつけんとなんも見えん。絨毯も布団もふかふかの高級品やけど、ぜんぶ鼠色で何の飾りもない。寝台の他には書き物机と本棚がひとつずつあるだけの、広いばっかりで、がらんとした部屋や。あんたのとこもたいがいやけど、日の光が入らない分こっちのほうが気が滅入る』


 彼はうんざりした様子で言ったが、僕はその部屋を是非とも訪れてみたいと思った。

 なんといっても彼女の寝室なのだ。どれだけ殺風景だろうと、閉鎖的だろうと、そこに彼女が住んでいたというだけで、僕にはどんな高級ホテルよりも魅力的な場所になる。

 本棚にはどんな本が並んでいるんだろう。書き物机には僕宛の書きかけの手紙が置かれていたりしないだろうか。寝台の寝心地はどんなものだろうか。そこにはまだ彼女の香りが残っているのだろうか。

 聞きたいことは山ほどあるが、それはまたの機会にしなければならない。

 こんなことを彼に聞いても教えてくれるとは思えないし、それどころかせっかく歩みより始めた距離がまた大きく開いてしまうだろう。

 それは避けたいところだ。

 僕の心の大部分は、いまだ彼女に奪われたままだ。もしかしたらそれはもう二度と帰ってこないかもしれないが、それならばなおのこと、残った僕の心を蔑ろにしてはならない。

 なぜなら僕は生きているのだから。僕は彼女を失って本当に悲しんでいるが、だからといって後を追うことはできない。一度死んだ身だからこそわかる。死んでも彼女に会うことはできない。僕が死んだからといって彼女が生き返るわけでもない。この喪失感を抱えて生きることが、僕が彼女へ想いを伝えるために残された唯一の術だ。

 そして彼女に奪われず残っていた僕の心は、彼のために動いた。

 彼を救いたいと思った。同じ境遇にありながら、僕のように悲願を叶えられるわけではなかった、むしろ輝く将来を奪われたこの哀れで不遇な青年を、なんとしてでも助けなければならないと思った。

 その願いは前世で僕がずっと抱いていた切望と同じだけの熱量を持っていた。そしてそれは生まれ変わらなければ叶わないような、途方もない願いではなく、僕の行動ひとつで叶えられる願いだった。

 僕は行動しなければならない。なんといってもこれは、努力次第で叶えられる願いなのだから。

 僕は彼のために、残りの命のすべてを使う覚悟をもたなければならない。

 僕は彼女への未練を――――彼女の部屋の詳細を知りたいという浅ましい欲望を飲み込み、彼に必要な質問を投げかけた。


『察するに、いま君の近くに監視はいないんだね?』


『いたらあんたと話してへん。連中からいまのオレ見たら、でかい声でひとりごとまくし立ててるやばいやつやで。頭おかしくなったんかって思われるやろ。っていうか、それとなく聞いてみたけど、やっぱこの世界にイヤホンなんかないよな?あんたこれ、ほんまに自分で作ったんか?』


『ああ、そうだよ』


『うそやろ』


 彼の声がぶつりと途絶える。思念子機を外したのだろう。声はしばらくすると戻ってきて、どないなっとんねん、とため息交じりに言った。


『ただのわっこにしか見えん。どういう仕組みや』


『解説すると長くなるから、それはまた今度にしよう』


 ともかく信じてもらえて嬉しいよ、と僕は言った。


『僕は他にもいくつか、この世界になさそうなものを作ることができる。けれどやみくもに作っても仕方ない。なんといっても僕は君の役に立ちたいと考えているからね』


 返事はない。

 彼は僕の技術は信頼してくれたようだが、僕自身をどう扱うかは、まだ決めかねているようだ。それならば僕は言葉を尽くそう。一度でいいから協力の機会を得る。そこではっきりとした結果を、誠意を見せることで、僕と彼はきっと本当の協力関係を結べるはずだ。


『君の力になりたくても、君が何に困っているのか知らなければ、手の出しようがない』


『おれが何に困ってるか……?』


『僕としては、できれば君の希望を叶えたい。君のこの第二の生が、僕と同じくらい満足のいくものになってほしい。けれど君は現状ではどんな希望も見いだせないようだ。確かに、満身創痍の身体で希望を見ることは難しい。それならまず君の不満を取り除こう。君を苦しめるものがなくなれば、痛みから解放されれば、四肢を自由に動かすことができるようになれば、君はきっと希望を抱けるようになる』


 他ならぬ僕自身がそうだった。

 だからこそ、胸をはって言えた。


『だから僕は、まず君の不満を取り除きたい。それで教えてほしいんだけれど、いま君をもっとも苦しめているものはなんだい?』


『身体や』


 彼は即答した。


『男の身体やったらなんぼマシやったかわからん』


『なるほど、尤もだ。――――けれどすまない。それに関して、僕がいますぐ君にしてやれることはない』


 僕は頭を下げた。当然彼には見えていないが、やはり下げずにはいられなかった。

 彼が肉体と精神の性の不一致に最も苦しめられているであろうことには、容易に想像がついた。

 まだ僕のような軟禁状態にあればよかったものの、彼は彼女のふりをさせられているのだ。女として人前に出なければならないのだ。

 性根から男性である彼にとって、これほど耐え難いこともないだろう。

 もちろん僕はいつか必ずこの問題を解決したいと思っている。しかし現段階では手の施しようがないのが事実だった。


『大口叩いて、つかえんやっちゃな』


 にべもなく彼は言ったが、その声色に怒りはなかった。

 僕が彼の一番の苦痛を取り除けないことは、彼自身にも察しがついていたのだろう。

 性転換、もしくは肉体の入れ替えなど、遠隔通話とはかけ離れた領域の技術だ。そんなことは、念動力学を専攻していない学生でもわかることだ。


『本当にすまない。けれど、その問題もいつかは必ず取り除く。どうか待っていてほしい』


『安心せえ。期待なんかしとらん』


『他にはどうだい?例えば――――昼間に話したとき、君は修練の最中だと言ったね?課題を与えられている、と』


 それはどんなものなのか、と僕は訊ねた。


『もし念動力に関するものであるならば、僕にもいくらか手助けができるかもしれない』


『念動力?なんやそれ』


『念動力は念動力だよ。念力、という略称のほうがしっくりくるかい?』


『超能力的なやつか?おっさん、ほんまに連中の話ちゃんと聞いてなかったんやな。この世界にあるとんでもパワーは()()やで。()()やない』


『呼称が異なるだけで、僕らの世界にあったものと同じだよ』


『……なんやおっさん、スピリチュアル系の人やったん?霊力っちゅうんは、そういうのやなくて、もっと実際なもんやで。電気とか熱とか、そっちに近い。ほんまもんのエネルギーや』


『もちろん承知しているよ。僕はその技師だったんだから、扱いには慣れている』


『占い師やったんか?』


『占術師のことか?残念ながら僕は市民階級(トレンド)だ。興味はあったけれど、占術に携われる資格は有していなかったよ』


 彼はため息をついた。

 あからさまにがっかりされて、僕も多少は傷つく。たしかにこの状況で、僕が特別な知識と技術を有する特異階級(プログレ)であるとわかれば、彼は心から安堵することができただろう。助けを求める相手として、これほどふさわしい相手もいない、と。

 とはいえ彼も一般市民だ。特異階級のような、我々とはかけ離れた行動原理を持つ人間とは、決して相容れない。これまで僕と彼の間でも話が噛み合わないことは多々あったが(やはり世代間の隔たり(ジェネレーションギャップ)は大きい)、彼と特異階級の間の食い違いは比較にならないはずだ。

 僕は前世で特異階級の人間に雇われていた。だからこそ確信を持って言える。

 彼らは対話のできる相手ではない。ましてやこのような状況において手を差し伸べることはありえない。


『……おっさん、まじでそっちの人なんか?』


『僕は一般市民だよ』


『……一般的な人間とはちょっと違う気するんやけど』


 彼の何気ない一言は、僕の心を大きく揺さぶる。

 僕はなにかおかしかっただろうか?僕の口調に、振る舞いに、どこか異常があったのだろうか?

 あるはずがない。

 なぜなら僕はもう欠陥品ではないからだ。いまの僕にはなんの不具合もない。正常だ。身体も、心も、どこをとっても、異常は見当たらないはずだった。


『僕は、なにかおかしなことを言ったかい?』


 それでも、訊ねずにはいられなかった。

 異常を自覚できないことが、僕はなによりも恐ろしかったのだ。


『いやおかしなことっちゅうか……』


 彼は言い淀んだが、僕が続きを促すと、やっつけ半分に続けた。


『やっぱ宗教とかスピリチュアル的なことにどっぷりつかってたタイプなんやろ?あんた』


『それは――――』


『いらんで!なんも喋らんでええ!』


 僕の言葉を遮って、彼は言った。


『業界でもその手のもんにハマってる奴は多かったけど、話を聞いておもろかった経験なんて一回もあらへん!勘弁や!あんたの独特な言い回しはこれから拾わんことにするから、あんたもわざわざ自分の価値観オレに押し付けてくんなよ!』


 僕はよくわからないまま、うん、と間の抜けた返事をした。

 僕は無宗教だし、ごく平凡な市民階級の価値観で生きている。けれど僕は、自分にかつてあった不具合のなごりを彼に見抜かれたわけではないのだと知り、安堵していたので、彼の些細な誤解は気にならなかった。


『それじゃあ、少し話を戻してもいいかな?』


 僕は仕切り直した。


『君はなにやら課題に追われていたね。それを、僕が手伝うことはできないかな?』


『できへん』


 彼は即答した。


『あんたはオレと同じで、霊力なんてもんの扱い方は知らんし、そもそも知っていたとして、あんたが肩代わりしたんじゃ意味がない』


『意味がない?』


『せや。課題っちゅうのは、オレが霊力操作(・・・・)を覚えるためのもんやからな』


 彼が日中取り組んでいたのは、特殊な加工の施された角灯に霊力を込め、発光させる、というものだった。

 僕はその課題に覚えがあった。

 技師になるずっと以前、幼年学校で取り組んだ観念動力の適性試験で、僕も同じように念力を用いてガラス球を発光させる、という課題に取り組んだことがある。同じ学校で試験を受けた千人の中で、光を灯せたのは僕だけだった。そしてその光量、持続時間は、同年に試験を受けた全国百万人の子供の中で一位だった。


『どうして君が念力……霊力操作を覚えなければいけないんだ?』


『あんた、自分がなんで転生したのか忘れたんか?』


 僕の質問に、彼は質問を返した。

 そして僕が答える前に、心底呆れ果てた、子供に言い聞かせるような口調で続ける。


『オレと違うて、あんたの転生は偶然でもたまたまでもない。この世界の人間の意志で、あんたはここに召喚させられたんやろ。――――救世のために』


 もちろん忘れたわけではない。

 この世界の人々は今から七年後に、世界が滅亡の危機に陥るほどの大災厄が起こると信じている。

 そしてその災厄から世界を救うことができるのは、我々異界人(てんせいしゃ)だけだとも。

 僕はもちろんそれを覚えていた。だがあえて考えないようにしていたし、詳細を知ろうともしなかった。

 なぜなら僕は七年後には確実に死んでいる。世界を救うことは、物理的には可能でも、時間的には不可能だ。

 僕に時間的制約を与えたのはこの世界の人々で、僕の受肉の失敗は彼らの過失だが、しかし罪悪感がないわけではない。僕は理想の身体を与えられ、これ以上なく満ち足りた生活を送っているのに、彼らの一番の望みには、期待には、逆立ちしても答えることができないのだから。(なんといっても僕は寝たきりの身体だから)


『救世のために君の力が必要なのはわかる。しかしなぜ()()()()そんな基礎的な訓練を行わなければならないんだ?』


『いまさら?』


『君は曲がりなりにも救世主としてここに召喚されたんだ。技師としてそれなりの能力が――――』


 僕はそこではたと言葉をきった。しまった。そうだ。僕はとんだ思い違いをしていた。

 彼は僕と違って、召喚された存在ではない。偶発的に転生しただけの彼が、僕と同じ、救世主たりえる技術を持っているとは限らないのだ。


『――――君の前世での仕事はなんだった?』


 一応確認のために訊ねたが、彼の答えはやはり僕の予想通りだった。


『役者やって前にゆうたやろ』


『その役者というのはどういう――――いや、とにかく君は、技師でもなければ念動力の心得があるわけでもないんだね?』


『なんやそれ。あるわけないやろ』


『そうか……』


 すべてに得心がいった。同時に疑問が浮かんだ。

 彼はつまり素人だ。救世に必要な技術はなにひとつ持っていない。それなのにいまさら念動力――――霊力の基礎を課題として与えられているのはなぜだろうか?

 まさかこの世界の人間は、いまから彼を救世主にたる技師に育てようとしているのか?

 無茶だ。災厄まであと七年しかない。たった七年で、それもすでに成人した男性を、大災害に対応できる一級技師に育てるなんて。成人後にピアノを始めた人間がショパンのピアノコンクールで一位をとるより難しい。よほどの天才でもない限り不可能だ。

 あるいは本当に天才なのかもしれない。この世界の人間は彼の才を見抜いて、一から訓練しているのかもしれない。

 例えそうであったとしても、一人の若者に背負わせるには重すぎる負担であることに代わりはないが。


『皇帝の身代わりをしながら、救世主となるための訓練まで行わなければならないなんて、無理難題にもほどがある。彼らは君を過労で倒れさせたいのか?』


 思わず憤慨する僕に、理解が遅いわ、と彼は嘲笑を返す。


『オレに人権はないからな。むちゃくちゃな一人二役でも、拒否すれば拷問されるか殺されるかのどっちかや。引き受けるしかあらへん』


 彼の重責がどれほどのものか、僕には想像もつかない。

 けれど彼は、重さなんてまるでない、ひどく軽い笑い声を立てた。


『これがほんまに芝居やったら、なんぼギャラもらえるやろな?主役と準主役兼任するようなもんやから、七桁は固いやろ。はは。まあ、ここでどんだけ気張ったって見返りなんかなんもないけどな』


 でもやるしかない、と彼は言った。


『クソみたいな転生やけど、オレはまだ死にたくない。この世界で生きる理由なんてなんもないけどな、いまのとこ生きてていいことなんか一個もなさそうやけどな、それでも死にたくはないねん。――――災厄ってのが具体的にどんなもんなのかはわからんけど、相当ヤバイらしいな?連中、ほんまに必死こいて、オレを救世主に仕立て上げようとしてるからな――――なんもせんままでいれば、世界は滅亡するし、当然オレも死ぬ。っちゅうかそのまえに、連中に殺されるかもな?今だって脅されて修練してるわけやし』


『生き延びるために、君は霊力操作を覚えなければならない』


『そういうことや』


『しかし、君はさっき具体的なことはわからないといったが、それでどうやって世界を救うんだい?相手の姿形もわからないのに、身を守ることはできないだろう?』


『わかる必要ないんや。オレの仕事は敵さんを撃退することでも防波堤を作ることでもなくて、敵と会わんようにすることやからな』


『会わないようにする?』


『逃げるが勝ち、ってな。――――災厄と戦うことも災厄に耐えることもせん。()()()()()のが、オレの救世や』

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