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第五話

 ◎




 冷静になってみると、僕があれほどまで彼に同情したのは、彼が彼女の容姿をしていたからに過ぎないかもしれない。というかたぶん、そうだ。

 泣き崩れる彼を、僕は彼女として見てしまっていた。もし彼が彼女ではなく、別の人物の身体に入っていたら、僕はここまで彼に思い入れすることはなかっただろう。

 しかしそれがわかったところで、一度抱いた哀れみを消すことはできなかった。僕の脳裡には泣きじゃくる彼女――――いや、()の姿が焼き付いて離れなかった。良心はそのために昼夜問わず痛んだ。うまく眠ることができなくなり、食事を楽しむことが難しくなった。皮肉にも彼女に懸想していた時以上に、僕の心はかき乱されていた。

 彼がその後どうなったのか、僕は知らない。

 気絶した彼は兵士風の男たちの手によって連れ出された。僕は制止を呼びかけたが、まるで僕の声など聞こえないとでもいうように、彼らはそれを無視した。僕は一睡もできないまま朝を迎えた。やってきた世話役の老婆に対し、彼について訊ねたが、はぐらかされるばかりで、ろくな回答は得られなかった。

 老婆も皇族の一員(先帝の妹、彼女の叔母にあたる)であり、若い頃は彼女の教育係を勤めていたこともあったそうだ。彼女の異変に気付かないはずはないのだが、しかし老婆はなにを訪ねても知らぬ存ぜぬで、まともに取り合ってはくれなかった。


「貴方は彼女の育ての親みたいなものなんでしょう?なんとも思わないんですか?彼女が異界人に乗っ取られてしまったことについて」


 痺れを切らした僕は、ついそんな意地の悪い言葉をぶつけてしまった。

 しかし老婆は顔色ひとつ変えることはなく、恭しく頭を垂れ、お決まりの台詞を口にするだけだった。


「なにかご要望はございますか?」


 世話人たちは朝昼晩、一日三回の世話を終えるたび、僕に問いかけた。欲しいものはないか。してほしいことはないか。僕は彼らから与えられるもので概ね満足していたので、大抵は首を横に振ったが、今日ばかりは食い気味にある、と頷いた。


()()()()をいただきたい」


 老婆はかすかに眉をひそめた。


「子羊の骨?」


「はい。生後半年以内の子羊の角の生え際の骨を一片、用意していただきたい。死後半月以内のものであれば、羊の種類、雌雄は問いません」


「かしこまりました。数日以内にご用意しましょう」


 老婆は二つ返事で了承したが、その眉間には細いしわが刻まれたままだった。

 僕はこれまでも彼らに要望を伝えたことがある。すべてが叶えられたわけではないが、大抵の要望に、彼らは疑問や意見を挟むことなく答えてくれた。例えば食事のメニューの変更(パンではなく米を主食に代えてほしいと言ったら、すぐに応じてくれた。この世界では米はあまり生産されておらず、調理法を知る者も少ないようだったが、翌日から僕の食事には必ず炊き立ての白米が供されるようになった)、寝具の交換(寝衣から枕、布団、掛ものに至るまで一切が純白だったのだが、わずかな汗の染みや、食事の飛沫が目立ってしかなかったので、とりかえてもらったのだ。山盛りのカレーをこぼしてもわからないくらい、色彩豊かで派手な模様のものに)、楽器や筆記具といった手慰みものものも、僕が望んだだけ揃えてくれた(僕はいつも彼女に楽しませてもらっているばかりだったから、たまにはこちらが彼女をもてなそうと、寝たままできる特技を模索したのだ。絵も演奏もとても見せられてものにはならず、彼女に披露することはなかったが)。

 外に出たい、皇族や技師以外の者と会話をしたい。そういった外部との接触は許されなかったが、物品であれば大抵は理由を問われることなく用意してもらえた。

 どうも彼らの解釈によると、僕は二度目の生を得た転生者ではなく、異界から無理やり連れてこられた強制転移者であるらしい。彼らにとって僕は、もとの世界での生活を奪われたうえ、余命いくばくもない寝たきりの身体にさせられた被害者だった。彼らは自分たちを加害者と考えており、故に僕に対してできる限りのことをしようと躍起になっていた。

 僕のわがままを訊くことが、彼らにとっては贖罪であるようだ。

 実際のところ僕は前の世界ですでに死んだ身であり、ここでの生活はむしろボーナス、本来ないはずの余暇だった。彼らは僕から人生を奪ったのではなく、人生を与えたのだ。罪などあるはずもない。

 僕はしかし、そのことを彼らには教えなかった。まず言っても無駄だと思ったからだ。僕がいくら幸福だと、この身体に満足していると言っても、彼らは信じてくれなかった。どうも彼らは僕が彼らに気遣って嘘をついている、と解釈しているようだった。僕が死者であるという話をしても、自分たちに対する慰みだと、受け流されるだけだっただろう。そしてもうひとつ、僕の人生を奪ったという負い目があったからこそ、彼らは皇帝である彼女が僕に時間を割くことを許してくれていた。自分たちに負い目が無いとわかって、彼女との接見が許されなくなっては困るというとても自分本位な考え方で、僕は彼らの贖罪を黙って享受していた。

 それがここでも役にたった。

 老婆は僕がリクエストした通り、子羊の頭骨を用意してくれた。生後四か月の雌の頭骨だ。まだ短い、ほんの突起でしかない角部とその周辺の頭骨がふたつ、ちょうど掌に収まるくらいの大きさに整えられたものが、僕のもとへ運ばれた。

 僕は次いで、金鑢と、彫刻刀を頼んだ。世話役の老爺(世話役は日によって変わる。この日は先帝の兄、彼女の叔父だった)はやはりなにも聞かずに道具を揃えてくれた。

 それから僕は思念子機(イヤリング)の製作に取り掛かった。

 いくら世話役たちを問い詰めてもおそらくろくな返答は得られない。であれば、僕が直接、彼から話を聞くしかない。特別な材料も難しい加工も必要のない無線子機は、そのツールとしてまさにうってつけだった。




 ◎




『――――なんやこれ』


 数週間ぶりに耳にした彼の声は、思ったよりも元気そうなものだった。


『正しく装着できたようでよかったよ。思念子機(イヤリング)は仕組みは簡単なんだが、装着にすこしコツが必要でね。古代のアンテナと同じで、少し向きを違えるだけで、音はまったく聞こえなくなってしまう』


『イヤホンやんな、これ?どこで手に入れたん?この世界、いろいろとんでも道具あるみたいやったけど、こんなんあるとは知らんかった。電話はなさそうやったのに、ワイヤレスイヤホンはあるって、どないなっとんねん』


『この世界の技術ではないよ』


『どういう意味や』


『これは僕が作ったものなんだ』


 一瞬、音が途切れる。

 どうやら彼が子機を外したらしい。しばらくすると音が戻り、彼の上ずった声が返ってきた。


『嘘やろ』


『本当だよ。疑うなら、周囲の人に見せてみるといい。きっと誰もが、幼児のための指輪だとしか思わないはずだから』


 子機はリング状で、耳の穴に嵌めこんで使用する。構造は単純だが、その分調整が難しく、少なくともどちらか一方が念動力の扱いに長けたものでなくてはならない。私のような技術者は念動力操作の初歩的な訓練としてなじみ深いものだったが、彼やこの世界の人間から見れば、ただの小さすぎる指輪でしかないだろう。

 しかしこれを電話と称するとは、いまどきの若い子は本当に独特の感性をしている(たしかに機能面は同じようなものだが)。


『けれど人に見せるときは注意してくれ。作るのにはそれなりの時間がかかっているからね、没収されてはたまらない』


 身体に自由がきけば、半日もかからず作ることができただろう。しかし半身不随の身では、朝から晩まで作業して、一週間もかかってしまった。おまけにできあがった代物はひどく歪んでいて、指輪と呼ぶにもお粗末だった。砂利道に落とせば、たちまち見分けがつかなくなってしまうだろう。


『……まあ、これがなんなのかは、どうでもええ』


 しばらく間を開けてから、彼は言った。


『なんでオレにこんなもんをよこしたんや』


『決まっているだろう。話をするためさ』


『なんの話や』


『いろいろあるよ。だがまず君の現状を詳しく教えてほしい。僕のもとを去った後、今日まで君がどうしていたのかを。――――心配していたんだよ、連中、ずいぶん手荒に君を運んで行ったから――――それから君が知るこの世界のことも教えてほしい。どうも僕の世話役たちからの話では、この世界の全容がつかめなくてね。彼らは僕に必要最低限のことと、文化的なことしか教えてくれないんだ。彼らの家がどこに建っていて、どんな構造をしているのか知りたいのに、彼らはカーテンの色やスリッパの数しか教えてくれないんだ」


『そんなん知ってどないすんねん』


『君の力になりたいんだ』


 彼は沈黙した。今度は子機を外したわけではないらしい。深い沈黙が僕らの間に横たわり、耳に痛いほどだったが、僕は辛抱した。


『寝ぼけてんのか?おっさん』


 やがて返ってきたのは、沈黙に耐えた割りに合わない、なんともそっけないものだった。


『寝言は寝て言え。それとも長いこと寝たきりで、夢か現実かの区別もつけられなくなったんか?』


『弱ったな。口喧嘩をしたいわけじゃないんだが』


『あんたがボケたことぬかすからやろ。なんや、力になりたいって。死にかけのおっさんが、なにをほざいとんねん』


『たしかに僕は寝たきりだし死にかけているが、しかしなにもできないわけじゃない。いまこうして僕らが話しているのだって、僕が思念子機(イヤリング)を用意したからだ』


『……なにが目的や?』


 やがて彼は沈黙を破った。小動物が巣穴から顔を出すような慎重さで。


『オレの力になって、あんたになんの得がある?』


 それを聞くということは、やはり彼は困窮しているんだろう。

 僕は彼が藪の中に逃げ込んでしまわないよう、慎重に、言葉を選んで説得した。


『なにかが得たくて君の役に立ちたいわけじゃない。純粋な、奉仕の精神からの申し出だよ』


『信用できるか。タダより高いもんはないっていうやろ』


『おもしろい慣用句だね。最近の流行りかい?』


『は?』


『安易に貸しを作ってはいけない、という意味合いかな?――――まあ、そうだね。奉仕の精神というのは建前で、本音を言うと、なんでもいいから君との関りが欲しかったんだ、僕は』


『関わり?』


『ここで生を受けてから、僕がずっとこの堂の中に閉じ込められていることは知ってる?』


『……知っとる』


『僕は退屈しているんだ』


 退屈、というよりは、寂しい気持の方が強かった。それに彼の力になりたいというのも本当のことだった。けれどそんな感情論では、彼は納得してくれないだろう。対価の要求が信頼を勝ち得ることもあるのだ。


『これまでは彼女が僕の話し相手になってくれたからよかったんだけど、彼女が君になってからというもの、僕はずっと暇を持て余していてね。検査にやってくる技師たちはいつも時間に追われていて、ろくに話もできない。かといって世話役の老人たちを相手にするのもおもしろくない。本を読んでもらったり、楽器を演奏してもらったりもしたけど、すぐに飽きてしまってね。それにやはり、ここの人たちと僕とでは価値観が決定的に違う。僕は同郷の君と話がしたい。僕はここらか出ることはできないが、君は違うだろう?皇帝のふりをしているのなら、それなりに外に出たり、いろいろな立場の人間と話すこともあるはずだ。僕は君のそういう話が聞きたい。なにしろ僕らは同郷で、少なくともここの人間よりはよほど近しい価値観をもっているはずだ。君が驚いたことや、感じたギャップを、僕は自身の経験として聞くことができるだろう。僕は君を通して、この世界を知りたいと思っているんだ』


 僕の提案は、それなりに彼に響いたようだった。彼は少しだけ間をあけて、なんやそれ、と言った。


『うらやましい』


 彼はほとんど音にならない、小さな声で呟いた。しかし思念子機はそれをきちんと広い、僕のもとまで運んできた。

 どんなに小さい音であろうとも、話者が聞き手の存在を意識して発する音は漏らさない。反対にどれだけ大声で怒鳴っても、相手がこちらの存在を意識していなければ届くことはない。そもそも思念子機は発語を必要としない。文字通り思念だけで意思の疎通を行うことができる。思念子機の扱いがはじめての彼は、原始的な電話感覚でこれを用いているが、それでも通じないことはない。

 もちろん僕は発語などせず、思念だけで、彼とのやりとりを行っているが。


『オレにはそんな暇あらへん』


 彼は言った。先ほどよりはっきりしているが、先ほどより暗い声だった。


『日がな一日ごろ寝してられるあんたとは違うんや。オレは毎日目が回るくらい忙しい。身体がいくつあってもたらへん。今だってな、ほんまは修練の時間なんやで。今日の課題サボって、あんたと喋ってやってるんや。どやされるの覚悟でやったんやけど、はあ、こんなしょうもない話されるって知っとったら、サボらんと真面目にやったんやけどな』


『なんの修練だい?』


『霊力とかいうもんを操る修行や』


『どうして君がそんな修行を?』


『やりたくてやってるわけやない。強制されてるんや。世界を救うために必要だからって』


『世界を救うって、具体的にどうするんだい?』


 そもそもこの世界に迫る災厄とはいったい何なのか、僕は詳しいところを知らなかった。

 彼女が一度説明してくれたが、私はそれを語る彼女の顔に、具体的に言えば唇の動きに見とれていてまったく話を耳に入れることができなかった。

 なにかを説明するときの彼女は、いつもとても慎重に言葉を選ぶ。まるで試験でも受けているかのような、一語として暗記した文章を違えないようにしているかのような慎重さだ。朗々として淀みない口調に反して、緊張に震える唇は、僕の心を強く引き付けた。その唇の感触が僕には想像もつかなかった。やわらかいだろうか。冷たいだろうか。湿っているだろうか。そこに自分の唇を重ねることができたら、どんな心地がするだろうか。その奥へ分け入ることができたら――――と想像を膨らませているうちに、彼女の話は終わってしまった。

 とても真剣に説明してくれた彼女に対して、唇に見惚れていたからもう一度話してくれ、とは当然言えるわけもなく、僕はわかったような神妙な顔をして頷いて、話を終わらせてしまった。

 いずれにしろ僕には関係のない話だからどうでもいいと思っていたのだ。

 災厄が訪れるのは七年後。そこまで僕の第二の人生が続いているとは思えなかった。


『なんやあんた、ほんまになんも知らんのか』


 彼は呆れて言った。


『まあ、クソの役にも立たん寝たきりのジジイに、わざわざ時間かけて解説する話でもないしな』


『いや説明はあったんだけど……うまく呑み込めなくてね』


 僕はそう言ってお茶を濁した。

 本当のところを話してもよかったが、さらに呆れられてしまうだろうし、話が前に進まなくなるから、ひとまず口を噤んでおく。


『頭ん中、女でいっぱいやから理解できへんかったんちゃう?』


 しかし彼は僕の内心を読んだかのような皮肉を口にした。

 僕は焦った。彼の耳には僕の思念が送られているが、それは当然、僕の考えていることをそっくりそのまま伝えられているわけではない。口語と同じように、言葉は取捨選択され、文章として構成されている。技師として駆け出しの時分には思念の感覚に慣れず、相手に無秩序な思考を直接送ってしまうようなこともあったが(これは僕の一度目の人生の中で一番の失態となった。今でも思い出すだけで羞恥に全身が震える)、会話の作法を学んだ大人が取引先の相手に対して論理の破綻した幼児語を使わないのと同じように、今の僕が彼に直接思考を送り込むことはまずありえなかった。

 彼が僕の思考に応じるような皮肉を口にしたのは単なる偶然だった。

 残念ながら、彼の中で僕は女性に対する下心しか持ち合わせていない人物になってしまっているようだ。


『女に目がくらんで自分の置かれた状況まともに知ろうともしないなんて、救いようのないおっさんや』


 さんざんな言われようだが、事実として僕は彼女に目が眩んでいた。というか彼女さえいればあとはなんでもよかった。

 この世界がどんな場所なのか、自分はなぜ必要とされたのか。

 そんな大事なことすらどうでもよくなっていた。

 僕にとって重要だったのは、彼女への思慕だけだった。甘酸っぱく切実で朝露のように輝く一滴でありながら、千夜の苦しみをもたらすその想いに、心行くまで、身を委ねることだけだった。


『否定はしないよ』


 僕は正直に認めた。


『たしかに僕は彼女に――――君の身体のもとの持ち主に懸想していたし、近頃では彼女のことしか頭になかった。けれど()()()になって、君の嘆きを聞いて、思い出したんだよ。僕はこの世界に恩返しをしなくちゃいけなかったんだって』


『恩返し?』


『この世界の人間が、僕のためにこの身体を与えたじゃないことは、わかっている。彼らは僕の事情なんて一切顧みず、ただ自分たちの世界のために僕に第二の生を与えた。僕は君のように、彼らを恨むことはあっても感謝することはないはずだった。けれど――――なんの偶然か、それとも神の慈悲なのか、ここは僕にとっての理想郷だった。僕はここで、これまでいくら望んでも決して手に入らなかったものを得ることができた。僕はその礼をしなければならない。意図されたものではなくとも、彼らの行動で、僕という人間は救われた。彼らの垂らした糸は、僕を絡めとり、天国まで引き上げてくれた。彼女にかまけてばかりで、すっかり忘れていたが、僕は死ぬまでにすこしでも彼らに恩を返さなければならないんだったよ。そして君が現れたことで、それは僕の独りよがりな恩返しではなく、さらに大きな意味を持つことになった。――――同じ境遇にありながら、ひとつの望みも叶えられることのなかった、どれどころか夢を奪われてしまった若者の救済という、大義だ』


 言い終えて、我ながらずいぶんと大げさなものいいになってしまった、と思った。

 そしてそれは彼も同じだったらしく、返ってきたのはひどく冷たい声だった。


『で?』


『え?』


『大層なこと抜かしとるけど、実際おっさん、オレのためになにができるんや?』


『今はまだなにもできない』


 僕はまた正直に答えた。


『さきほど言った通り、僕はこの世界の現状も、君の置かれた状況も、詳しいことはなにも知らないんだ。SOS信号をキャッチしても、君がどこでどういう状況にあるのかわからなければ助けようがないだろう?だからまずは、僕に教えてほしいんだ。対策を考えるための、情報を』


『知ったところでなにもできひんやろ』


『そうかもしれない。けれどそうではないかもしれない』


 ウザッ、と彼は舌を打った。


『そもそもオレはあんたにSOSなんか出した覚えはない。勝手に同情してくんな。変な期待抱かせようとすんな。口先ばっかりのやつが、オレはなにより嫌いやねん』


『頼むよ。口先だけではないことを証明するためにも、僕は知る必要があるんだ。なにか証明がほしいっていうなら、この思念子機はどうだい?君は疑っていたけれど、これは間違いなく僕が作ったものだ。僕は楽園建設(レインボーケージ)の技師でね、こういう単純な念動術具であれば、現状手に入りそうな材料で他にもいくつか作ることができる。例えば蜻蛉の羽があれば透明外装(カモフラージュ)を、火山硝子があれば砂鍵(コラプス)を、これは難しいかもしれないが、硬度一五〇〇以上の超硬水が五〇リットル以上あれば、守護円環(バッファーゾーン)を設置することも可能だ』


 一呼吸置いて、どうだろう、と僕は訊ねた。


『少しは役に立ちそうじゃないかい?』


 彼はしかしなにも答えなかった。

 無視されているのだと思って、僕は何度か呼びかけたが、まったく応答はない。どうやら彼は思念子機を外してしまったらしい。

 僕は嘆息したが、袖にされたことについて、腹を立てることも落ち込むこともなかった。

 彼はまだ整理がついていないんだろう。どうも僕の話し方は彼の癪に触ってしまうようだし、しばらくは放っておいた方がいいのかもしれない。

 僕はのんびりと欠伸をかいた。

 焦ることはない。僕はほどなく死ぬが、それは明日明後日の話ではないのだから。死ぬまでまだまだ時間はある。そしてその時間のすべてを、僕はこの寝台の上で過ごさなければならないのだから。気長にいこう。

 僕はそう思い、長い午睡をとった。


 そして次に目が覚めた時、天窓から覗く空はすっかり藍色に染まっていた。

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