第十七話
やがて彼のもとに新しい角灯が運ばれてくるが、彼はまたしてもそれを砕いてしまう。
二つ、三つ、と新しいものが運ばれてくるが、結果は同じだった。
『どんだけ脆いねん、この硝子』
『いや、硝子のせいというよりは――――君、看守の二人の反応はどうだい?』
『アンタとオレと同じや。なんで割れるのかさっぱりわからんって顔しとる。――――あ、また見るからに高そうな頑丈そうな角灯持ってきたけど、これはどうやろな――――』
しかし角灯を変えても、結果は変わらなかった。
今度の角灯はガラスの厚さが二倍にもなるものだったが、彼はやはりそれを粉々に粉砕してしまった。
『光ることは光るんやから、これでオッケーってことにしてくれへんかな」
『でも一瞬なんだろう?それじゃあきちんと注霊ができているのか判断するのは難しいんじゃないか?』
『すぐ割れるから消えるんや。もっと頑丈なのでやれば絶対光り続けたはずや』
『そう言うからには、霊力放出の感覚がつかめてきたんだね?』
『たぶんな。でも結局それも、硝子がこうすぐ割れるんじゃあ、確証もてん』
『それじゃあ、確証が持てるまで続けよう』
『は?』
『高価なものでなくてもいいから、なるべく大きい角灯を持ってくるよう看守の二人に言ってくれ』
『また割れたら?』
『そしたらまた次を持ってきてもらう』
『できるまで続ける気か?硝子の破片で砂漠ができるで』
『むしろそれが狙いだよ』
『はあ?』
『君が角灯に明りを灯せないのも、灯せてもすぐ割れてしまうのも、君の技量が低いからではない。というか君はおそらく、人並み外れた霊力操作の才能を持っている。それにも関わらず君が角灯を割ってしまうのは、君の力が強すぎるせいだ』
考えてみれば実に単純な話だった。
彼はたった一人で百億人が分け合っていた霊力を扱うことができる。そんな彼と比べると、この世界の人びとは爪の先にも満たない量の霊力しか扱えない。同じ訓練をして成果を得られるはずがないのだ。300mlの水を300mlのグラスに注ぐのと、10Gtの水を300mlのグラスに注ぐのとではわけがちがう。巨人が小人と同じ訓練をしても身にならないように、彼は身の丈にあった訓練をしなければならない。
彼の持つ水差しに10Gtの水が入っているのならば、その水を注ぐグラスも10Gtの大きさがあるべきだ。
とはいえ彼の霊力を十分受け止め切れるだけの角灯となると、世界中の硝子を集めて作ってもまだ足りないだろう。やはり初歩の訓練としてはずいぶん難易度があがってしまうが、彼はこの小さなグラスで水を注ぐ練習をするしかない。まず彼は水差しの重さに耐えかねて、目標を誤ってしまうだろう。水はグラスを大きく離れた床にばしゃばしゃと広げられることになる。うまくいってグラスに入ったとしても、勢いが良すぎてほとんどこぼれてしまうか、グラスそのものを割ってしまうだろう。(実際、彼はいまあ挙げた通りの苦戦を強いられている)
同じように続けて、まったく進歩がないとは思わない。なにしろ彼はたった数日で思念通話をマスターし、僕のささいなアドバイスを受けてすぐに注霊のコツをつかんだのだ。亀の歩みとはなるかもしれないが、このまま続けてもいつかは硝子を砕くことなく角灯に明りを灯すことができるようになるだろう。
しかし亀になっている余裕はないのだ。我々は兎どころかハヤブサになって大空を羽ばたかなければならない。災嵐という脅威も、彼が負わされた責務もすべて置き去りにできるほど早く駆けなければならないのだ。
『地道な正攻法はここまでだ。これからは君の力量にあった方法で進めよう』
『具体的にはどうするんや』
『もう少しでコツがつかめそうだとかなんとか言って、彼らにもっと角灯を持ってきてもらうんだ』
『せやから、破片で山ができるだけやで』
『山よりは砂漠にして広げたいかな。――――砕けた硝子はまだそこにあるんだろう?』
『あるで。後でまとめて片づけるんちゃう?ここは広いからな。すぐに片づけんでも邪魔にはならんし』
『都合がいい。それじゃあまず、砂漠とはいかないまでも、硝子で絨毯を作るところからはじめよう』
『絨毯?』
『硝子の破片を床に大きく広げてほしいんだ。君が寝そべることができるくらいの大きさになったら課題変更だ』
小人の国が巨人である彼のためのグラスを用意することはできない。彼はどうしたって小人の道具を扱う訓練から逃れることはできないが、しかし同じ小人の道具でも、グラスに水を注ぐよりはまだ、平皿に注ぐ方が容易だろう。
『君は角灯ではなく絨毯を光らせる練習をするんだ』
体積が増えればそれだけ注霊の目標が定めやすくなる。しばらくは硝子をさらに細かく粉砕するだけになるかもしれないが、やがてこれ以上細かくならないところまでくれば、ようやく彼は力いっぱい硝子を握ることができるようになる。硝子片は許容量分だけれの霊力を含み、ラメ生地の絨毯として光輝くだろう。
『ようわからんけど、手詰まりなのは確かやからな。とりあえずアンタの言う通りにしてみるわ』
欠伸を噛み殺しながら、彼は言った。
訓練を開始してからすでに二時間が経っている。今日も朝早くから謁見や会議に連れまわされたという彼の声には、疲労が滲み始めていた。角灯を砕いてしまうとはいえ、せっかく注霊そのものの感覚をつかみはじめたところだったというのに。惜しいな、と僕は思った。集中力も限界が近いだろう。今夜中に明りを灯すことは難しいかもしれない。
しかしそんな僕の予想を裏切って、彼は追加で用意された、比較的大物だという角灯を続けざまに五つ粉砕した。
『――――まだいける。もうすこしなんだ。――――いや、だから、とにかく黙って見てろ。これを光らせろっていう、お前らの要望にはきちんと応えてやるから――――』
看守とひと問答を挟んだ後で、彼は僕に言った。
『――――お望みどおり、硝子の絨毯をこさえてやったで。そんでこれに、同じように注霊すればいいんか?』
『そうだ。決して力んではいけないよ。力が強ければ、それはただ飛散するばかりになってしまうだろうから。慎重に。君の大きな三本目の手、その小指の指先で軽く撫でてやるだけでいい』
すぐにはうまくいかなかった。
硝子の絨毯は瞬きの間だけ光ったが、すぐに細かく砕け散った。彼は根気よくそれを何度も繰り返した。すさまじい集中力と体力だ。声に疲労をにじませてなお、注霊時の彼の思考は研ぎ澄まされたままだった。
『うわっ!』
やがて彼は大きな声をあげた。
『うわっ、やばっ――――なんやこれ!』
なにが起こったのか僕が訊ねても、彼はなかなか答えなかった。
ただ興奮した歓声をあげるばかりだ。
『すげー!ははは!これうまくいったんちゃう!?はははは!』
見とるかおっさん!と彼が興奮したまま言うので、僕は思わず笑ってしまった。
『残念だが子機には視覚共有機能がついてなくてね。――――その様子からすると、成功したのかい?』
『成功どころか大大大成功や!ははは!すごいでこれ、光る絨毯やない!地面に花火ぶちまけたみたいになっとる!』
彼の霊力を注入された硝子の粒子は、発光しながら弾け飛んでいるという。
限界まで注入された霊力の圧で振動しているのだろう。徐々に光を失いながら飛散していく硝子の粒子はさながら花火のようで、薄暗い修練所を夏祭りの夜空に変えてしまった。
『ははは!最高や!』
彼は声をあげて笑っていた。(思念だけでなく、実際に声をあげていた)
『アンタにも見せてやりたかったわ!花火もやけど、連中の顔!はははは!さっそくぎゃふんと言わせてやったわ!あいつらも人間らしい顔できるんやな!花火見て目ん玉飛び出しそうになっとんで』
これほどまでに明るい彼の声を聴くのははじめてだった。
子供のようなはしゃぎ声。肺活量のたまものであろう、大きな笑い声。
『ははっ』
僕もつられて笑わずにはいられなかった。
『ああ、まったく残念だ。できることならいますぐその場に飛んでいきたいよ』
僕は笑いながら言った。
彼の喜びが、自分のことのように嬉しかった。
こんなに愉快な気持ちになったのは、この世界にきて、いや、生まれてから初めてのことだった。
『できることなら今すぐ君を抱きしめたい』
『おえっ、気色悪いこと抜かすな!』
『祝杯をあげたいね』
『それは賛成や。ツマミは腰ぬかしとるアイツらの顔でな!』
その夜、彼は硝子の花火が広がる修練場で、僕は月明かりに照らされた神殿で、おおいに笑いあった。
彼が踏み出したのは技師としての第一歩。残り七年という短い時間の中で、世界を救うという偉業を成し遂げなければならないということを考えると、喜ぶにはまだ早いかもしれない。しかし、なにしろ彼は規格外なのだ。100億人分の霊力を有する彼の一歩は巨人の一歩。たった一歩で平均的な技師の数十歩、あるいは数百歩を跨いでいると考えることもできる。(事実、彼はその一歩目を変則的な形で踏み出しているのだから)
僕らの喜びは決して大げさなものではない。なぜなら彼の一歩は、決して小さなものではないからだ。
僕はそう考えることにして、彼の進歩を手放しで称えた。
僕の称賛を受けた彼の反応は、珍しくすこしのトゲも皮肉もないものだった。
『おっさんのおかげや、ありがとうな!』
彼が技師として成長すると同時に、僕らの関係にもまた変化が表れた。
彼は僕を指南役として、ほとんど全幅の信頼を置くようになってくれた。もちろん態度そのものはこれまでと変わらず、僕を気さくにおっさん、と呼ぶのも変わらないが、僕の意見に対して疑念を挟むようなことはほとんどなくなった。
彼は僕を認めてくれたのだ。
僕はそれを心から嬉しく思ったし、ますます彼のために尽力したいと願うようになった。
しかし、悲しいことに、僕が彼にしてやれたことは、もうそれほど多くはなかった。
一度霊力操作のコツをつかんだ彼は、その後ほとんど自力で、次々に与えられる課題を達成していき、技師としての腕を磨いていった。僕が助言を授けることもあったが、それがなくても、彼が躓くようなことはなかったはずだ。彼の才能は本物で、砕かせてからしか光らせることのできなかった硝子も、いつしか亀裂ひとつなく発光させられるようになっていた。
皇帝として公務に追われる生活にも慣れていったようで、愚痴をもらすこともほとんどなくなった。
救世主として、皇帝の身代わりとして、彼がこの世界に順応していく一方で、僕はといえば次第に拒絶されるようになっていた。
はじめからわかっていたことだった。
そもそも僕は失敗作なのだ。彼のようにこの世界に馴染むことはできない。
僕の身体の自由は失われつつあった。
災厄が訪れるという七年後までは生きていられないだろうとは思っていたが、残り時間は、僕が考えていたよりずっと短いらしい。
この世界で目が覚めてから半年後には、僕はもう両の手を動かすこともできなくなっていた。
文字通り、完全な寝たきりの状態になってしまってしまったのだ。




