第十五話
『二十五億!?』
四分の一やんけ、と彼はひどく驚いて言った。
『えぐいなあ。人間なんて勝手に際限なく増え続けるもんや思とったけど、百五十年の間になにがあったんや?なんかどでかい災害かパンデミックでもあったか?それか戦争か?』
『しいてひとつ理由をあげるのは難しいな。大規模な気候変動による世界的な不作と、絶え間ない地震、津波、ハリケーン、火事といった自然災害の数々。致死率と感染力の高い複数の新型ウイルス。当然世界的な恐慌がおこり、国連加盟国の三分の一の国が経済破綻、三分の一の国が自国経済保護のための鎖国政策をとるようになった。自足自給のできない国は瞬く間に瓦解した。ほとんどの国はひっ迫していて、戦争と呼べるほどの大規模な国家間の闘争は起こらなかったが、テロや略奪行為、市民レベルでの武力衝突が後を絶たなかった。そうして人類は瞬く間にその数を減らしていった。だいたい2100年から2140年の間に、人類の半数が亡くなったよ』
『……えぐいな』
別人のように沈んだ声で彼は言った。
『2100年って……生きとったらオレ、四七やで。たしかに気候変動とかはさんざん騒がれとったけど、でもそんな、オレが死んでからたった二十年そこらで、そこまで世界がめちゃくちゃになるって……』
2200年生まれの僕は、実際に人類最悪の四十年間を経験したわけではない。僕の時代にはすでにそれは過去とされていた。観念動力社会到達以前の、未熟な人類の未熟な過去として、これまで人類が数多く犯してきた過ちの歴史の一節として記録されるばかりだった。
『二十年後なんて、親父もおふくろも姉ちゃんたちもみんなまだ生きとるやん。甥っ子も友だちも、世話になった先輩も、生意気な後輩も、みんな……みんなそんな地獄みたいな世界をその後生きることになったんか……?』
『2100年から急に瓦解したわけではない。最初の十年は比較的緩やかな人口減少だったはずだよ』
『それでも起こることは起こったんやろ。それに十年より先は、もっといっぱい死んだんやろ』
彼の言う通りだった。惨禍の四十年の中にあったのは苦難と絶望ばかりだ。彼の大切な人たちも例外ではなく、きっとその人生は平穏とも満足とも程遠いものとなっただろう。亡骸がまともに葬られた可能性さえほとんどない。若くして死んだ彼は、ある意味では幸運だったのかもしれない。
僕はそう思ったが、もちろん口には出さなかった。
『災禍の四十年、日本政府は早々に鎖国政策をとった。軍事政権を樹立することで国内の治安は維持されたし、もともと災害の多い土地柄だったせいもあって、各種災害へもそれなりに対応できていた。日本は災禍の四十年をへて、国民をそれ以前の半数しか失わなかったからね』
災禍の末期に発見された観念動力の開発をいちはやく進めた、というのも生存率が高かった理由のひとつだ。(この生存率はスイスに次ぐ世界で二番目に高いものだった)
『君の知人が当時日本国民のままであり続けていたなら、そこまで悲惨な目にはあわなかったはずだよ』
僕の慰めを、彼はしかしにべもなく一蹴する。
『鎖国やら軍需政権やら国が物騒なことはじめた時点で悲惨やろ』
『そうしなければもっとたくさんの人が死んでいたんだ』
『あんたはそこに知り合いがおらんからそう言えるんや』
彼は深く底の見えないため息を吐いて、考えても無駄やけど、と言った。
『嘆いても仕方ない。過去に戻ってやり直せるわけでもないしな』
『……僕が嘘をついているとはもう思わないんだね?』
『そこまで性格悪くないやろ、おっさん』
彼はまたひとつ息をついた。今度は暗澹を吐き出したわけではなく、気持ちを切り替えるための一呼吸だった。
『そんな大昔のことは置いといて、いまの話に戻んで。なんでオレは霊力なんてこれっぽっちも使えなかったのに、ここにきて使えるようになったんや?転生でステータスにバグでも起きたんか?』
『そうだな……あくまで僕の仮説だけどね』
そう前置きしてから、僕は解説した。
『前に、ここは異世界などではなくて、遠い未来かもしれない、という話をしたの、覚えているかい?』
『ああ、ゆうとったなあ。あのときはあんたがカルト宗教に洗脳されてるからや思うとった思ったけど……え、なんや、あれマジなん?』
『おそらくね。ここは僕たちの生きていた時代より何千、もしかしたら何万年もたったあとの地球だと思う』
『……あんたが嘘つくとはもう思わんけど、でもちょっと飛躍しとらん?オレらの生きてた時で地球環境めちゃくちゃやったのに、その後何万年も地球がもつとは思えんのやけど。地球がもったとしても、隕石とか、なんや太陽が爆発するとか、そういうんで宇宙の藻屑になってるんちゃう?』
『理論上、三次元的な外的刺激はすべて霊力で制御が可能なんだ』
もちろんあくまで理論上であり、それを為しえるだけの技術力は二十三世紀の人類にはなかった。
しかしその後の人類、あるいは人類から進化した者たちにはそれができたかもしれない。
『なんや、あんたじゃあ、霊力で隕石も吹き飛ばせるってか?』
『二キロ四方程度が限界だよ』
『は?』
『もちろんたくさんの準備とコンピューターの補助がいるけれどね。生身の僕一人ではさすがにそこまではできないよ』
『いや逆にモノが揃ってればできるんか!?』
『ああ。観念動力を知らなかった君には想像がつかないだろうが、観念動力はこれまで認識されていたどんなエネルギーとも異なるものだ。人類がどうやって災禍を抜け出したかというと、その観念動力でそれまでの常識をすべて覆したんだ。我々は自然を制御する力を獲得し、ひとつの歴史に終止符を打ち、新たな歴史を刻み始めた』
それが観念革命だった。
『だから僕はここが西暦12200年の地球であってもおかしくはないと思っている。なによりの証拠として君がいる。観念革命以前の人類である君はここで、ほとんど無尽蔵の、膨大な霊力を有している。それは君がこの時代ではなく二十二世紀の霊力を使っているからだろう』
『二十二世紀の霊力?』
『そうだ。僕らはそれぞれの時代から再現された存在。この身体に、魂がインストールされることで起動している。そして古い時代のソフトである僕らは、古い時代の情報を読み込むことができる』
『古い時代の情報?』
『この世界のすべての物事は情報として記録されている。死んだ者も、消費されたものも、変化したものもすべて、かつてそれがなんであったか、この世界はきちんと覚えているんだ。実際に僕らがこの世界に再現されたのも、僕らという魂、古い時代の情報がこの世界に残されていたからだしね』
魂をどうやってこの身体に読み込ませたのかは、しかし謎である。僕の時代には過去の情報化は観測されていたが、その情報化された過去を扱うまでには至れていなかった。この時代の人間は例によって過去の人間を再現する方法を知っているだけで、その理論を説明することはできない。
僕らの時代と現代の間に、人類はさらなる飛躍を遂げたのだろう。そしてなぜか衰退した。あるいはさせられた。
――――ここは再現された楽園だ
僕の頭に、イヌブセさんのかすれたソプラノが響く。
特異階級はやはり進化したのだろうか?人類から、次のステージの存在へ。
『オレらの記録がどっかに残ってて、そんで再現されたっちゅうとこまではわかった』
つい考え込んでしまった僕をつつくように彼は言った。
『いやようわからんけど、まあそういうファンタジー設定と思って納得したるわ。でもそれがなんで、チート霊力に繋がんねん』
『観念動力も情報化の例外ではないからだよ』
僕は雑念を振り払い、説明に戻る。
『魂と同じく、霊力というエネルギーも情報化されている。何年の何月何日にどこにどれだけの霊力があったか、世界には記録が残っている』
『世界のどこや。海の中か?空中か?』
『どこでもない。僕らには知覚できない虚空だよ。高次元、といってもいいかもしれない』
『漠然とした話やな。そんで、オレら旧式人間は、その古い情報、霊力を読み込めるって?』
『その通り』
『読み込んだからって過去の霊力を引っ張り出せるんか?ふつう無理やろ。百年前百万ワットの電気がありました。って記録が残ってたとして、それを読んだやつが百万ワットの電気使えるわけないやん』
『僕の言う情報はそういうアナログな情報ではないんだ。世界が持つ情報とは、文書化も数値化もされていない。そのままの形でそっくり保管されているんだ。例えば百万ワットの電気はそのまま百万ワットの電気として保存されている。それが翌日には消費されてしまったものだとしても、消費されるまでは確かにこの世界にあったものとして、そのままの形で保管される』
だから君は無尽蔵に霊力を使えるんだ、と僕は言った。
『二十一世紀後半、百億の人類が分け合って消費していた霊力を、君はいま独占しているんだ』
彼は唸るように声をあげた。
おそらくひどく険しい表情で頭を傾げているだろう。
『ちなみに先ほどの、なぜ昔使えなかった霊力をいま使えるのか、という疑問に対する答えは、君の時代では限られた霊力を百億もの人間で分け合わねばならなかったからだよ』
どういうことや、と彼は唸り声のまま言った。
『霊力はいわば生体電流のようなもので、人間が知覚していないだけで常に体内を循環している。生命維持に不可欠な代物なんだ。ただし霊力は生体電流とちがって、意図的に体外へ放出することも、体外から吸収することも可能だけどね。僕の時代やこの時代の人びとが霊力を扱えるのは、生命維持分以上の霊力を体外から吸収することができるからだ。しかし君の生きていた時代では一人の人間が扱える霊力はごく限られていた。それこそ生体電流同様、生命維持以外に振り分ける余地のないほどに。この思念通話さえこなせないほどに、当時の君の霊力は微弱だったはずだよ』
『それじゃあなんや、もっと人間が少なかった時代には、霊力って使われてたことなんか。十世紀とか、紀元前とか、よう知らんけど、人間なんて一億もいなかったんちゃう?そしたら霊力使いたい放題やん』
『そうもいかない。基本的に目に見えない力だからね。勘のいい人間であれば多少は扱えたかもしれないが、きちんと設計された術具を解さなければ、霊力はただのエネルギー。自然の熱や電気と変わらない。そもそもふつうに生きていたら、人間は生命維持以上の霊力を取り込むことはできないんだ。生命維持分は、食事や呼吸といったものから摂取できる。霊力はどこにでも含まれるものだからね。食物中や空気中、水や土の中にだってある。もし生命維持分以上の霊力を扱おうとすれば、その分だけ摂取が必要になる』
そこで、なにごとかひらめいたように、彼があっと声をあげた。
『霊摂か!』
『霊摂?』
『なんやあんたそれは知らんのか。霊力の摂取で霊摂。この世界のやつらみんなやっとるで』
聞くと、彼がふだん修練で使用している地下堂の壁は、霊力含有量の高い特別な石で作られているらしい。そして彼に手本を示す際、指導者は必ずその石に手をあて、石から霊力を取り込んでいるのだという。
それ以外にも、会議や視察で外に連れ出された際、泉に浸かり、瞑想する子供の一団を目にしたことがあり、聞くとそれは霊摂の訓練をしているところだったという。またあるときは商人らしき男が火鉢に手を差し出す姿を目にした。少し汗ばむくらいの陽気だったにも関わらず、熱心に手を温める男もやはりまた、火から霊力を摂取しているところだった。
『オレはもとから霊力があるから必要ない、ってあのジジババに言われてスルーしとったけど、なるほどな。ふつうのやつらはああせんと霊力を使えんのか』
得心がいった様子の彼に、僕もまた得心を返す。
『なるほど肥大化のことをここでは霊摂というんだね』
僕の時代でも、観念動力の過量服用、つまり過量な摂取は技師にとって不可欠だった。(石や水といった自然物から取り込むような原始的な方法ではなく、もっと効率化された補助デバイスによる摂取ではあったが)
『人は自身のものとして取り込んだ霊力しか扱うことはできない。食べ物をいくら眺めていようが栄養にはならないようにね。僕の時代でもこの時代でもその基本原則は変わらないようだ。例えば大気中から直接装置に霊力を補充して燃料とすることはできない。霊力の制御には人の意志が欠かせない。それというのも霊力というものは元来人間と同じ生命体(・・・)の一種であり、人間の意志という強烈な鎖で縛り付けなければ到底使役できない頑固者だから――――と、この話は長いからまたの機会にしよう。ともかく、ふつう人はバルクアップしなければ霊力を力として行使できないはずだが、なぜか君はそれを必要とせず膨大な量の霊力を扱うことができる。それはおそらく、君が過去の情報と繋がっているからだ。君は過去の情報から切り離されてこの時代に再現されたわけではない。君と過去の情報はおそらく繋がれたままだ。君は水をわざわざ汲んでくる必要はない。なぜなら君自身が蛇口で、捻るだけでいくらでも水をだすことができるからだ』
そしてそれは僕も同じだった。
この世界に来てからというもの、霊力に関することで疲れを感じたことは一度もなかった。それどころか調子が良すぎて、霊力操作だけならいくらでも続けることができたくらいだ。
僕の寝かされている神殿は霊力に満ちているので(彼が修練を行う場と同じく、霊力含有率の高い物質で構成されている、人口的に作られた霊場なのだろう)、霊摂が容易であるから調子ことが良い好調の理由だろうと僕はしばらく思い込んでいたが、しばらくしてやがて、そもそも自分が霊摂すら行っていないことに気が付いた。
霊摂をしているつもりで、僕はなにも取り込んではいなかった。
すでに身体には霊力が充満していたので、取り込もうとした霊力はすべて身体を通り抜けてしまっていたのだ。そこでようやく僕は転生者の特権、なぜ過去の人間がこの時代の救世主となりうるのか、その仕組みに気づいた。
彼が百億人で分け合っていた霊力を使えるように、僕も二十五億人が分け合っていた霊力を使えるのだ。
救世のために必要な大掛かりな術式。それをまかなうに足るエネルギー源。
故に僕らは救世主と呼ばれる。この世ならざる力をもつ異界人として迎え入れられる。
『わかったような、わからんような』
彼はうんざりしたように言った。
『もうこの際理由はどうでもええわ。細かい設定も別に理解する必要はない。問題はこのチートをオレが使いこなせていないことやからな』
『そうかな?君は僕の想像よりはるかに優秀な生徒だったけれど』
慰めではなく本心から、僕は言った。
『思念通話をこれだけ短期間でマスターすることができるなら、物理的な霊力操作だってすぐに覚えられると思うよ』
むしろ思念通話をこれだけ早く習得できる彼が、どうして基礎的な霊力操作で躓いているのか疑問なくらいだった。
『あんたの生徒になったつもりはないで』
彼はとげとげしくそう言ったが、にじみ出る喜びを隠しきれていなかった。
無理もない。彼はこちらの世界にきてまだ一度も霊力操作について褒められたことがないのだ。なんの手ごたえもないまま厳しく指導されるばかりで、すっかり嫌気がさしていたところだったのだ。
僕だって立場が同じなら、新たな指導役に手放しで称賛されて、嬉しくないはずがない。
『まあでもこれなら、もう練習の必要はないやろ』
僕に認められて自信を持ったのか、あるいは少しは僕の指導を認めてくれたのか。
彼は自ら次の段階に進むことを提案する。
『これで黙ってもあんたと会話できるようになった。明日からは昼間の修練に付き合ってもらうで』
もちろん、と僕は請け負った。
『君の才能は僕が保証する。きっといままでは指導役が悪かったんだ。さっさと時間跳躍術とやらを会得して、老人たちをあっと言わせてやろう』
というわけでようやく僕は本来の目的(彼を救ってやること。具体的な目下の目標で言えば、彼を煩わしい課題から解放してやり、まともな睡眠時間を確保してやること)を果たすための一歩を踏み出すことができた。
そしてその一歩は彼を救うと同時に彼に近づく一歩でもあった。
僕らの間には150年という途方もなく大きな時代の隔たりがあり、それぞれかけ離れた常識を持っている。一歩近づいたところで僕らの関係がどう変わるわけではないが、それでもほんの少しは、互いの顔がよく見えるようになった。
それまで僕にとって彼は、救われるべき弱者であり、報われるべき苦労人だった。同じ災難(僕にとっては幸運だが)に見舞われた隣人でもある。当然、これはいまでも変わらないが、彼との距離が僅かなりとも近づき、また違った心象も抱くようになった。
彼はなかなかの自信家だ。自惚れているとは思わないが、彼は自分の考えを疑わない。まっすぐ芯が通っている。与えられた第二の人生がままならないものであっても、折れることなく立ち向かっている。心を殺すことも見失うこともなく、毅然と生き続けている。
はじめに彼が見せた絶望は、ほんのいっときの感情の高まり故であったことが、いまの僕にはよくわかる。彼はあのとき僕が手を差し伸べなくても、助力を申し出なくても、自分の足で立ち上がり、過酷な運命と向き合うことができただろう。
僕はそんな彼を尊敬した。
彼の一度目の人生は、彼が自ら語ったとおり、華やかで希望に満ちたものだったのだろう。努力と才能によって切り開かれた明るいものだったのだろう。だからこそ、彼は転生後も自信を、自己を見失わないでいられるのだ。
僕も仕事だけをみれば成功者の部類に入るだろうが、しかし結局のところそれは逃避した先で偶然手にした怪我の功名に過ぎない。
自分の手で、自分の願いを叶えた彼が、僕には眩しくてならなかった。
一方で、どうしようもないのだ、という諦観もあった。
彼は恵まれていた。僕のように先天的な欠陥を抱えているわけでもない。物資や思想の制限された社会に生きていたわけではない。彼は寛容が美徳とされた時代を生きていた。行き過ぎた自由の時代だ。やがて後の歴史家たちに酷評されることになるそのバブルの中でなら、僕だって彼と同じように、自分の本当の願いのために努力できただろう。そもそも努力する必要もなかったかもしれない。僕は不具合を抱えたまま、それを個性として社会に溶け込めただろう。
僕はしかし、それを望まない。むしろ拒絶する。想像しただけで鳥肌が立つ。僕は不具合を抱えたまま生きていたくなどなかった。僕は正常になりたかった。不具合を個性と認められることなど、ましてやそれを寛容されることなど到底受け入れられなかった。
そう思うのは、僕が不寛容の時代を生きていたからだろう。かつて偏見と蔑まれ、僕の時代では秩序として尊ばれた社会常識。僕が彼を尊敬こそすれ、彼のようになりたいとは思わないのは、それぞれ培われた社会倫理が異なるからだろう。
150年前は、もはや異世界なのだ。
150年どころか何千年、何万年も先の未来であるこの時代の人々が、僕らを異界人と呼ぶのは、決して間違いではなかった。
彼が僕の話を理解しないのも、正常な反応といえる。
彼は僕の話をなかなか理解してはくれなかった。というよりは、理解を放棄していた。彼は僕の話をなにかとフィクションと照らし合わせて解釈した。自身の常識に当てはめることはできないが、フィクションとしてなら受け入れられる、といった具合に。それで特に問題があるわけではないが、僕の時代の話を現実として受け入れているようにはみえなかった。
あるいはそれが役者という職人の性なのかもしれない。
彼は現実を理解しないまま受け入れることができるのかもしれない。さまざまな仮定を立てることで現実を理解し受け入れている僕とは対極のスタンスだ。転生などという異常事態を前に、彼の在り方は強みだろう。どんな不条理も、彼は否定しながら受け入れることができるのだから。
けれどその強みは、危うい。
それは彼だけの話ではない。この世界の人びとにも言えることだ。災嵐というできすぎた不条理を、彼らはなにも理解しないままに、しかしその存在はしかと受け入れている。原理を説明することのできないさまざまな技術(僕らの召喚術や、空間をまるごと時間跳躍させる術など)を、祖先からもたらされた秘術として臆することなく行使している。なるほど極限状態にあって、思考の放棄ができなければ生き延びることはできない。けれど思考しなければ、極限状態から脱することもできない。
いずれにせよ残り僅かな時間しか持たない僕には、この世界の正体を暴くことも、それを人びとに知らしめることもできない。
僕の望みは、彼にこの新しい人生を謳歌してもらうことだ。
そのためには、彼をいまある窮状から救い出し、希望を抱くだけの余裕を与えてやらなければならないが、僕が想像していたよりずっと、彼は追い詰められていた。
彼だけではない。この世界に生きる誰もが、見せかけの安寧の裏で、極限状態にさらされている。
根本的な解決が必要だ。
設定されたひとつの災害を乗り越えたところで、次がまたやってくる。今回うまくいったとしても、次も同じようにかわせるかどうかはわからない。というかおそらく不可能だろう。一度使った抜け道は二度と使えない。この世界の管理者はそこまで甘くはないと、僕は推測する。
そもそも今回彼らが用いようとする時間跳躍術も、絶対の抜け道である保証はない。この世界の人びとがどれだけの考えをもってこの選択をしたのかは定かでないが、正直僕は、懐疑的だ。
本当にそううまくいくだろうか?
この世界の人びとにとって最大の脅威は、百年に一度訪れる未曽有の大災害、災嵐だが、あくまで彼らはこれを自然現象だと考えている。無理もない。彼らは人間以上の存在|がいることを知らないのだから。しかし特異階級という人智を越える者たちを知る僕にとっては、災嵐は意図的な淘汰、あるいは浄化としか思えない。水槽内の掃除と同じだ。水は入れ替えられ、増えすぎた藻は取り除かれ、新しい水草が敷かれる。狭く閉鎖的な環境を維持するためには欠かせないルーティン。砂利の隙間に隠れて生き延びる微生物はあれど、槽内すべての生物が洗浄を逃れることなど僕には想像もつかない(それこそ管理者がすべての生物を別の水槽にでも避難させれば別だが、僕の知る限り、この世界でその保護活動が行われたことは一度もない)
いまこの世界の人びとが見つけたつもりになっている抜け道は、すでに管理者に把握されている可能性が否めず、そこに逃げ込むと同時に潰されるか、出口で一網打尽にされるか、僕には悲惨な結末しか想像できなかった。
根本的な解決が必要なのだ。
しかし悲しいことに、根本的な解決もまた、僕には想像ができなかった。
そんなものは存在しないのだ。
だってそうだろう?僕はしょせん一般市民だ。常識の範疇を脱しない、時世を流れるままに生きる者。生まれた時から特別な人間である特異階級が(おそらく)作ったであろう世界の攻略方法なんて、思いつけるはずがない。
しかしだからといって、僕は彼への助力をやめるつもりはない。
なぜなら僕は、地獄の苦しみに耐え抜いたその先で、悲願を叶えることができたのだから。
偶然か、神の思し召しか、それとも僕を友人と呼んだあの人のはからいか。いずれにせよ、僕はこの身で奇跡を体験した。なにもかも諦めて、早々に人生に幕を下ろすこともできたが、僕はそれを選ばなかった。いつか叶うのではないかと、なにかのきっかけで不具合が修正されるのではないかと、なにもかも諦めたようで、一縷の希望を捨てることは最後までしなかった。
抗い続けたその先に希望はある。
今では僕は、固くそう信じるようになった。以前の僕であれば、はやく諦めて楽になるべきだと、世界に抗うなんて無意味だとしか思わなかっただろう。けれど身をもって奇跡をつかんだ僕は、彼やこの世界の人びとにも同じように奇跡をつかんでほしいと思う。
諦めなければ必ず道は拓かれる。思いもよらぬ形で、奇跡はもたらされる。
だからこそ僕は彼に助力する。この世界の人びとが編み出した、稚拙な救済を支持する。
それだけがいま僕にできることだからだ。
僕は彼とこの世界の人びと共に、いまできることを一生懸命やる。
その果てに訪れる奇跡を信じて。
神に祈りながら、神に抗うのだ。




