第十四話
次に彼から連絡があったのは翌日の晩だった。
朝方まで通話していた当日は一切の応答がなかった。僕はたっぷり十二時間寝て、たらふく食事(ハムと卵のサンドイッチに果物のようい甘いトマト、新鮮な牛乳という、いつも通り素材の味をふんだんに生かした、素朴故に贅沢な献立)もとって、やる気十分だったのに、拍子抜けだった。奮起したまま眠れるわけもなく、また夜中に彼から連絡が入るかもしれないという淡い期待もあって、僕はまたその日も徹夜をしてしまった。近頃すっかり昼夜逆転してしまっている。ただでさえ機能不全に陥っているこの身体に良い影響は決してないだろうが、しかし現在、僕の生活の中心は彼だ。彼を手助けすることが僕の残り短い人生の目的であり、彼と話をするためならば多少の犠牲はやむをえない。
まったく、前世は多忙を言い訳に不摂生を繰り返した結果倒れてしまったのだから、今世では健康的で規則正しい生活を送ろうと思っていたのに。ままならないものだ。
『初日からすっぽかすとはいい度胸じゃないか』
ようやく彼から連絡がきて、僕がこう口にしたのは、ままならない生活習慣を嘆いたゆえのやつあたりではもちろんない。
教師役として偉ぶったわけでもなく、指導にあたって彼にリラックスしてもらうための冗談のつもりだった。
『教師面すんなボケ』
彼はしかしその冗談に本気の舌打ちを返してきた。
『こちとらアラフォーのおばはんやぞ。二日も徹夜できるかい』
もちろん僕は気にしない。なぜなら関西人にはボケに対してツッコミをいれるという会話の様式美があるからだ。
じゃりン子チエの中でも、登場人物たちの会話の応酬は遠慮のない激しいものだった。だから僕は、彼からこういうトゲのある返しをされるとむしろ嬉しくなってしまう。まるでアニメの世界が現実になったようだ、と。
『僕だって肉体年齢は五一歳だよ』
『あんたは一日中寝てられるやろ。オレと同じだけの仕事してから言えや』
『ぐうの音も出ないね』
『昨日はほんま堪えたからな。おばはん舐めとったわマジで』
彼は大きくため息をついて、今日はなにがあっても徹夜はしない、と宣言した。
『だいたいおっさん無駄なおしゃべりが多すぎんねん。今日はほんまにやるべきことだけやんで』
おしゃべりは君もだろう、と僕は思ったが、口には出さなかった。
彼と同じで、僕も今日は霊力操作の練習だけに時間を割こうと思っていた。
まずは彼に霊力を扱うコツをつかませなければならない。それはとても感覚的なもので、寝不足や疲れている状態では決してつかむことはできない。
この秘密の夜間練習は、短期集中が鍵だ。
『それじゃあさっそくはじめよう。――――近くに紙とペンはあるかい?』
彼は少し間を開けてから答えた。
『ある』
『では、いまから僕との会話はすべて筆談にしてもらおう』
『筆談?』
『声に出すのではなく、紙に書いて、それを頭の中で読みあげるんだ』
『読んでどうすんねん』
『君が頭の中で読み上げたものを、僕は聞き取ることができる。思念子機とは本来はそう使うものなんだ。実際に僕はいま、声に出さず君に話かけているが、感覚としては頭の中で文章を読みあげているようなものなんだ。頭に浮かんだことすべてを君に伝えると、不必要な情報、まとまりのない雑音を送ることになってしまうからね。頭の中の考えと、君に送る考えを分ける必要がある。難しいことじゃない。慣れてしまえば簡単だ』
彼は沈黙する。
やがてたどたどしい、棒読みの思念が返ってくる。
『キコエル?』
『ああ』
『アッテンノカ、コレ』
『上出来だ』
『テレパシーヤン』
『昔のアニメ風にいえばそうだね』
『カクノ、メンドイ』
『慣れれば紙とペンは必要なくなる』
『ドノクライカカル?』
『それは君次第かな。とにかく紙に書いて頭の中で読み上げる。これを繰り返すんだ』
『ナニカケバイイ?』
『さあ。思いついたこと、なんでもいいよ。いつもの愚痴でもいいし、前世のお芝居の話でもいい』
『いやそれけっきょくいつものおしゃべりやん』
思わず、と言った感じで、彼は声を出した。
『ほら、声を出しちゃだめだよ』
『……コレホンマにヤクにたつんか?』
『立つよ。必ず』
『ダルイわ。オレ、ブンショウかくのキライやねん。もうテがツカレテきた。ネブソクにケンショウエンまでプラスされんのか。やってられん』
文句を言いながらも、彼はその後一時間ほど筆談を続けた。
彼は素晴らしく呑み込みが早かった。特にコツをつかんだ後半の十分ほどは、言葉のぎこちなさが消え、口語による会話と変わらない、流暢な通話が可能になっていた。この世界にきてすでにいくらか霊力操作の手ほどきを受けているから、というのも理由のひとつではあるだろうが、やはり大部分は彼の持つ素質が大きいだろうと僕は感じた。彼には霊力操作の確かな才能があった。それは僕に匹敵するか、ともすれば僕以上のものだった。
ほんの数日、それも深夜の一時間の練習だけで、彼は思念通話をマスターした。おそるべき上達速度だ。世界でも指折りの技師だった僕でさえ、彼ほど自然な思念通話を身に着けるまでには数年の時を必要とした。僕は彼の能力に感服し、ただただ称賛することしかできなかった。そして同時に疑問だった。なぜ思念通話をこれほどたやすくこなせる彼が、同様に初歩的な訓練である角灯への注霊(物質に霊力を注ぎ込むこと)にそれほどまで苦戦していたのか。僕にはその原因がさっぱり思いつかなかった。
『コレとアレとじゃ別もんや』
疑問の答えは、当事者である彼自身が教えてくれた。
『オレが日中やっとるのは、角灯に霊力を込めて発光させるっていう、霊力の感覚をつかむための訓練や。うんともすんともいわん角灯に手かざして、ふんばってみたり唸ってみたりして、どっからどう出てるのかもわからん霊力をひねり出す。たま―に光ることもあるけど、なんで光ったのかはさっぱりや。いつまでたってもコツなんかつかめん。当然やんな?オレ、芝居は好きやけど、空想癖はないからな。ほら、アニメの真似して超能力ひねり出そうとする子どもとかおるやん?チャクラとかフォースとかかめはめ波とか。オレそういうごっこ遊びには乗れんガキやったんや。まだチャンバラとかしとる方がよかった。パルクール的な動きとか、ワイヤーつかいまくった殺陣とか、そういうリアルから逸脱せん、身体能力の極みみたいな方に惹かれる子供やったんや。せやからほんまに、ごっこ遊びでさえ、目に見えない力を操ろうなんて思ったことない。それがこんな大人になってからやれ言われてもなあ。無理があるやろ』
観念革命以前の人間の考えとしては真っ当だろう。革命以後の人間にしても、内的エネルギー(観念動力・霊力)を自在に操作することのできる人間は人口の一割にも満たなかった。残りの八割の人間は体外への放出がせいぜいで(しかし体外へ霊力を放出することができれば思念子機のような単純な術具、もしくは補助機能がたっぷりついた術具の運用が行える。そしてたいていはそれだけで問題なく社会生活を送ることができる)、残りの一割はまったく霊力を操作することができなかった。(それでも社会生活にさほど支障はない。進学先と就職先が限られるだけだ)
これも観念化の進んだ日本に限った話で、世界的に見れば霊力を扱えない人間の割合はさらに大きくなるだろう。
この世界においても、さほど状況に変わりはない。産業革命以前の文明レベルに退行させられながら、なぜかその後の時代に人類が獲得した内的エネルギーの存在は取りあげられなかったこの社会。人びとの多くはごく基礎的な霊力操作を行うことしかできず、地方の農民などはそれをまったく必要とせず暮らしているという。そして僕のこの身体の本来の持ち主であった男のように、ごく一部のスペシャリストが技師として生計を立てている。
それほどまでに、霊力とは本来、扱い難いものなのだ。
僕の時代でも、この世界でも、技師と呼ばれる人びとは例外なく幼少期から訓練を受けている。無論僕自身も、小学校の時に受けたテストで才能を見出されてからは、国の奨励を受け、毎日欠かさず訓練所へ通っていた。
それまで生きていた二十五年間でまったく内的エネルギーの存在を知らずにいた彼が、霊力の操作に難儀することは当然だ。
しかし彼は、注霊にこそ躓いたが、思念通話はものの数日で会得してしまった。これは驚天動地の出来事だが、彼はなんでもないことのように言うのだった。
『だってこれはあれやん。霊力とかあんま関係ないやん』
まさしく彼のこの言葉も、霊力の伝播によって僕のもとまで届けられているのだが、しかし当の本人には霊力を発している自覚がまるでなかった。
『これは即興劇の感覚でこなせる。ただの台詞のキャッチボールやろ』
僕は意味が分からず、詳しい説明を求めた。
『台詞はインフォメーションや。それを投げ交わすだけじゃ相手にも客にもなにも伝えられん。だから重要なのはインフォメーションにインプレッションを乗せること。平たくいえば台詞に感情を込めるってことや。どんな説明台詞にも、人間が発するものなら必ず感情が乗る。台詞をただ音読しただけじゃインプレッションは含まれん。役者は台詞を読むことはしない。台詞を喋るんや。書かれたもんやない、演じてるキャラクター、自分の言葉としてな。そんで同時に、同じ壇上にいる相手の喋りも、インフォメーションだけやのうてインプレッションまで聞き取る。例えばありがとうって言葉はインプレッション次第で毒にも薬にもなる。憎しみを込めて言われとるのか、心から感謝されて言われとるのかでオレの返事は変わる。相手への態度も。まあ誰かを演じてるときにはさらに、そのインプレッションをオレの演じるキャラクターやったらどう捉えてどう解釈するのかってさらに考えなあかんのやけど、いまの場合はオレはただオレであればいい。オレはオレにとって一番なじみ深いキャラクターやからな。考える間もなく反応を返せる』
『まるでこの瞬間も君は君というキャラクターを演じているかのようなものいいだね』
『そりゃそうやろ。人は他人と関わるとき、多かれ少なかれ芝居しとるんやから。誰相手にもまったく態度の変わらんやつなんておらん。あんただっていま、頭の中に浮かべた思いをオレのための言葉として組み立てて発しているわけやろ?ふつうの会話も芝居の台詞も変わらん。特に一流の役者は、役になりきりながら、同時に演技プランを考えるからな。物語を破綻させないために自分の中で生きとるキャラクターをコントロールせなあかん。自分の中におるキャラクターに台詞を喋らせながら、演じてる当人はあれこれ別のことを考えなあかん』
『すごいな』
僕は感心した。
『ひとつの身体にふたりの人間を共存させているのか。なにかの思考実験みたいだ』
『だから、あんたもやってるんやって』
『僕が?』
『いま、頭でオレと会話しとるんやろ?オレと会話しながら、頭でいろいろ考えてるやろ?それと同じや。なんも難しいことやない。誰でもやっとることや。あんたは自分一人のつもりかもしれんけど、案外そうやないんやで。あんたをバラせば何十人だって人間が作れる。自己を分解して再構築すれば別人格なんていくらでも作れる。訓練積めば誰でもな。オレら役者は、その別人格をさらに演技プランに則って完全制御する。インフォメーションだけでなく、インプレッションも――――』
そこで彼はなにかをひらめいたように、ああ、と声をあげた。
『なるほどな。ちょっとわかったで。インプレッションには余韻があんねんけど、ちゃんとした芝居のできるやつは、必ず相手の残したインプレッションに乗せて次の台詞を喋る。間がうまい、自然な芝居ってやつやな。で、あんたもオレの残した余韻に乗せて次の話をするやろ?芝居のできんあんたとのやりとりがどうしてこうも気持ちええもんなんかと思ったら、それはたぶん、インプレッションの共鳴が霊力の交信と似てるからや。というか、オレが感覚としてつかんでたインプレッションが実は霊力ってやつだったのかもな?』
『つまり……君は台詞を読むときインプレッション、つまり感情を上乗せしているが、その感覚は霊力の交信と似ていて、だから君は思念通話のコツを簡単につかむことができた、と?』
『そういうことや。でもその場合オレ、もといた世界でも超能力みたいなん使えてたはずってことになるけどな?ここにくるまで一回もないで。テレパシーもサイコキネシスも使えたことなんて』
彼の理論が僕にはいまひとつ呑み込めなかったが、ひとつだけはっきりしていることがある。彼がいかに優れた役者で、インプレッションの共鳴とやらが実際に霊力の交信と似ているものであったとしても、彼がもといた世界で霊力を力として行使することは不可能だ。
『君の生きていた時代、二十一世紀後期の総人口はどのくらいだった?』
『なんや、話題急カーブして』
彼はしばらく考えてから答えた。
『百億人くらいちゃう?』
『百億か……』
想像もできないな、と僕は思う。
それだけの人が生きていたら、世界はきっと窮屈だっただろう。
人口という一点でのみ考えれば人類の最盛期。あらゆる多様性が認められるべきとされ、平等と共存という言葉がまだかろうじて生きていた時代。
『僕の生きていた二十三世紀前半の人類総人口は二十五億人だよ』




