第十一話
☆★
舞台は白い砂漠の王国。
雨も川もないその王国では、地下数百メートルから水をくみ上げ生活の糧としていた。主人公は配管工で、水のくみ上げ装置の整備をするのが仕事だった。小柄な少年で、十五歳なのに背丈は一メートルちょっとしかなかった。けれど彼には十分な体力と気力があり、頭もキレた。配管工として腕はたしかなもので、小柄を生かし、他の配管工では届かない狭く入り組んだ管まで整備することができた。そんな主人公を人びとは尊敬していた。小柄だと馬鹿にする者は誰もいなかった。主人公は親しみを込めてモグラという愛称で呼ばれていた。私たちのモグラ。石畳の下の働き者。
ある夏の日。一年で最も夜が短いその日に、王国の王子がなにものかによって連れ去られてしまう。目撃者の証言によると、王子をさらったのは、まっしろな光。全身に豆電球を張り付けているかのようにピカピカ光るその人物は、王子を抱えて排水溝に飛び込んだという。
国中の配管工が国中の排水管の中を探し回ったが、王子と人さらいは見つからない。王子は人々に愛されていた。必要とされていた。なにしろそこは王国なのだ。王子がいなければ、簡単に瓦解してしまう。
人びとは最後の希望を主人公に託した。地下水路の中でもっとも狭く入り組んだ場所に主人公を送り込んだ。主人公は期待に応えるべく水路を進んでいった。そこはもう使われなくなった古い排水管で、主人公も入るのは初めてだった。
あるところまで進むと排水管は突然明るくなった。相変わらず細く入り組んではいたが、快晴の雪原のように明るい。継ぎ目の見えない真新しく白い壁に覆われた排水管の中で、主人公は地底人に出会う。地底人は主人公と同じように背丈が一メートルほどしかない。肌も髪も透き通るように白く、わずかに発光している。主人公は地底人の中に王子をさらった者がるのではないかと疑うが、地底人もまた、主人公が自分たちのふりをしてあちらの世界とこちらの世界を行き来する電球男なのではないかと疑う。地底人は主人公を捕えようとする。主人公は逃げる。時に道に迷い、時に地底人の家畜であるミミズを屠りながら、排水管の奥へと進んでいく。
一方、一九八四年の新宿。
終電後のホームで駅員に声をかけられて目を覚ました主人公は、自分のことがなにも思い出せなかった。家も、年齢も、なぜ自分がここにいるのかも。わかるのはモグラという自分の名前だけだった。
モグラはあてもなく新宿の街をさまよう。やがてコアラと名乗る少女に出会い、輸入動物管理局に連れていかれる。(コアラは管理局の職員で、キーパーという、主人公のような迷い子を導く仕事をしている)
管理局は歌舞伎町と新大久保の間にある、潰れたショッピングモールの中にあった。ショッピングモールの中には帰る家を失った迷い子たちの難民キャンプが形成されていた。彼らはみな新宿の外からきた子どもたちで、動物の名前を持っていた。
モグラは難民キャンプの中で生活をするようになる。日中はスラムの中で食事を作ったり、崩れた壁や床の修繕をしたりする。夜になると外に出てコアラの仕事を手伝う。終電後の新宿で迷い子の保護を行うのだ。パンダ、ラッコ、ペンギン、イルカ。彼らはたいていの場合管理局への同行を拒否する。時に逃げ、時に攻撃してくる彼らを、コアラとモグラは協力して捕えていく。迷い子たちは管理局で身元を調べられ、祖国に送還される。祖国に送還を拒否された者は、国内で里親、受け入れてくれる保護施設を探すことになるが、迷い子に対してその数は少ない。よってほとんどの迷い子は、一時預かり先である難民キャンプに腰を落ち着けてしまう。
モグラは迷い子たちと関わる中で次第に記憶を取り戻していく。迷い子はみなここではないどこか別の世界からやってきた。そしてモグラも同じように、かつてはこことは全く異なる別の世界で暮らしていた。
迷い子の多くは元の世界に未練を持っていなかったが、モグラは帰らなければならない、と思う。
自分にはなにかこの世界でやらなければならないことがあったはずだ。そしてそれを果たして、もとの世界に帰らなければならない。
モグラはコアラに猿を紹介される。猿は輸入動物管理局の局長だった。猿は記憶のないモグラの素性もきちんと調べ上げていた。モグラはそこですべてを思い出す。自分は砂の王国出身で、排水管をさまよううちにこの世界にたどり着いたことを。電球男を探し出し、王子を連れて帰らなければならないことを。
モグラはコアラと協力して電球男を探すことになる。猿は二人に助言する。電球男はおそらく犀だろう、と。海の近くであればイッカクで間違いないが、砂漠で全身をぴかぴか光らせることができるのは犀だけだろう、と。両者ともに、その前に突き出した角(正確には歯と皮膚だが)を光らせることができるそうだ。実際に光っているところは見たことがないが、すくなくともやつらの頭蓋骨は光るのだから、間違いない。そう猿は言った。
犀には、モグラもコアラも心当たりがあった。新宿駅の地下鉄線路内に住み着いている迷い子が犀だった。二人は犀が電球男だとは知らないまま、これまで何度か保護を試みた。けれど俊敏で獰猛な犀を前に、二人はなすすべもなく逃げ帰ることしかできなかった。
二人はこれまで保護、あるいは連行してきた迷い子たちの協力を得て、再び犀に挑む。総力戦だ。戦いは長く苦しく、たくさんの犠牲が伴った。けれどついに犀を追い詰めることに成功した。
死を覚悟した犀は、静かな声で言った。
必要なものはすべて運び出した。扉は地底人によってすでに閉じられている。この戦いに意味はない。おれを殺しても、お前の影が半分になるだけだ。
犀は戦いに敗れ、最後は滑り込んできた回送電車に轢かれてこなごなになる。飛び散った身体は地下の壁や天井、線路の染みとなるが、暗がりの中でそれがかつて犀であったと気づかれることはないだろう。そこに染みがあることすら乗客は知らない。勘のいい運転士が違和感を抱くかもしれない。そこに染みがあることを、そしてその染みがなにか生きていたものであったことに気付くのは整備士だけだ。線路をメンテナンスするかたわら、整備士だけが、犀のために黙とうを捧げるだろう。
犀の言ったとおり、あちらの世界への入り口はふさがれていた。主人公は囚われていた王子助け出し、彼を連れて新宿中の地下を探し回ったが、どこにも扉はなかった。そして主人公の影は半分になっていた。他の人よりずっと薄く、頼りないものになっていた。
しかし主人公の気持ちは明るかった。主人公はすでにこちらの世界を選んでいた。コアラや仲間たちとの生活が、彼にとっての現実になっていたのだ。
主人公は正式にキーパーとなり、管理局の一員となる。彼の初仕事は、帰る場所のなくなった王子に新しい名前を与えることだった。
主人公は王子を象と名付け、いつか扉がまた開いたら、そのときはあちらの世界まで送り届けます、と約束した。
◎
『不思議な話だね』
僕は正直な感想を述べた。
『非常に哲学的だ。不条理な寓話。軽妙なアンチリアリズム。とても興味深いけれど、これが大衆に受けたとはとても思えないよ』
『あらすじだけ聞いたらそう思うやろな。原作ゲームやけど、そのゲームの元ネタは難解な小説やねん。たしかノーベル文学賞とった作家のやつや。でもこの作品がバズったのはめちゃくちゃキャラデザがよかったからやで。とにかく絵がカッコよくてがオシャレでな。コスプレイヤーとか絵描きがこぞって反応して、そんでバズるに至ったわけや。ストーリーなんかほとんどみんな飛ばしてたんちゃうかな。実際真剣に読んでもようわからんしな。考察まとめみたいなの読んでようやくちょっとわかる、程度なもんや』
『ゲームを舞台に置き換えるのは苦労しただろう』
『それは裏方の仕事やからな。オレはただできた本と演出家の指示に則るだけやから、そこの苦労はなかった』
『でも演じる苦労はあった』
彼は得意げに笑った。
『まあな。しゃべらん動かん、ほぼ背景の王子役。それでいて衣装も髪型もド派手で目を引くから、ほんのちょっと首動かしただけで客の目を引いてまう。舞台が最高潮の中、ただ動かんでいることのしんどさったらないで、ほんま。オレ公演終わったあと三キロくらい体重落ちたもんな』
すごいな、と僕は感嘆する。
『知らなかったよ。役者とはそんな肉体労働なのか。僕はいまあるエンターテインメントなんて、ほとんどCGモデルだと思いこんでいたよ』
『ほんま世間知らずやな。CGはかなり増えたけど、まだまだ生身が主流やで』
『もっと君の出演作について聞かせてくれないか?』
『ええで。けど今日はもう寝るわ。また明日、気力があれば電話するわ』
『待っているよ』
それから毎晩、僕らは眠りにつくまでの時間、話をするようになった。
たいていは五分か十分の、ほんの短い時間だ。ほとんどは彼の愚痴と郷愁の吐露で終わる。彼はいつもくたびれていたし、基本的に僕の話に興味を持たなかったから、話が僕のターンに入るとすとんと寝入ってしまうのだ。彼は僕の話を子守歌として聞いているのではないかと思うほど、それは見事な寝入りようだった。しかし僕はこれを良い傾向だと、前向きに考えることにした。少なからず僕は彼の役に立っている。建設的とはいえないが、いまのところはこれで満足するしかない。なにもできないよりはましだ。彼の愚痴をきいてやり、高ぶった気を静めてやり、眠りに導いてやる。ささやかではあるが、はじめて彼の役に立てて、僕は嬉しく思う。
やがてしばらくすると、彼は僕との会話をただ睡眠導入剤代わりにこなしているわけではなく、純粋に楽しんでいるということもわかるようになった。
というか、実のところ、彼ははじめて会ったときから、僕と話したくてたまらなかったのだ。(何度も検討して出した結論だ。決して思い込みでもうぬぼれでもない)
まず最初に僕のもとを訪ねてきたのは彼の方だ。もちろんそのとき、彼は僕がどういう人間か知らなかった。彼が僕を訪ねるきっかけになったのは、彼女に宛てた手紙を読んだからだが、その手紙だけ読んだ彼は僕のことをろくでもない野郎だと誤解した。敵の親玉に骨抜きにされた腑抜け。彼は手紙を読んで僕をそういう人間だと思い込んだのにも関わらず、わざわざ会いに来た。それもかなりの危険を犯して。
状況から察するに、彼は玉座を抜け出し、監視の目をかいくぐって僕のもとまでやってきたのだろう。彼がいる首都から僕のいる神殿まではかなりの距離がある上に(馬で一日かかると彼女から教わった)、彼にとってここはまったく未知の世界だ。土地勘も治安もわからない中で、彼は相当な無茶をして僕のもとまでやってきた。身体中傷だらけにして、不安ではちきれてしまいそうになりながらも、彼は僕に会おうとした。
彼は僕が本当に仇の女にうつつを抜かしているのか確かめたかったのだろう。それが事実であれば糾弾し(それは事実で、僕は激しく糾弾された)、誤解であれば僕を哀れむつもりだったのかもしれない。(客観的に見れば、僕は彼よりはるかに悲惨な状況にあったから)しかしなにはなくとも、糾弾も同情もなくとも、彼は結局僕のところにきたと思う。ただ話をするために。
彼がなぜ僕との対話を求めたのか。理由は簡単だ。僕らが同郷人であるからだ。
僕はここで寝たきりの身でありながら、話し相手には困らなかった。ほとんど機械的な返事しかよこさないが、世話役兼監視役の老人が絶えず傍に控えていたし、限られた雑談しか交わすことは許されていないが、日に一度は必ず経過観察のために技師が訊ねてくる。けれど彼らとの会話は、どこか上滑りで、歯車がかみ合っていない。短時間かつ話題が限定されているから、というのももちろん大きな要因のひとつだが、なにより僕らは、住んでいた世界が違うのだ。
僕の生きていた世界とこの世界の基幹は同じだ。この世界は小さく入り組んでいるが、基本的な仕組みに変わりはない。空は青く、遠い。人は衣服をまとい、建物を造り、尊重し合って生きている。
けれどここはやはり僕らにとって異界なのだ。
遠く離れた異郷の地。外からやってきた僕らがそうそう馴染める場所ではない。ここに住む人たちと僕らは同じ言葉を用いて会話できるが、真の意味でわかりあうことはできない。いつかはできるようになるかもしれないが、きっと長い時間がかかる。
僕と彼はどちらも、話し相手に飢えていた。
僕たちとは異なる常識を持つこの世界の人間ではなく、同じ価値観を持つ、同郷の人間と話をしたかったのだ。
それは飢餓感に似た切実な欲求だった。僕らは話すことでチューニングすることができる。この世界に馴染む前にかつてあった自分、一度目の人生が薄れてしまえば、空気の抜けた風船のような、ひどくあやふやな存在になってしまう。
だからこそ、彼は僕にさまざまな昔話をするのだ。
比較的気力の残っている夜には(それはめったにないことだったが)一時間も二時間も、故郷の思い出や、出演した作品の紹介、ともに夢を追った役者仲間や嫌いな同業者、なにひとつ孝行を果たせなかった家族について語ってくれた。
僕は自分のことはほとんど話さなかったが、彼の話を聞いた後で、じっくりと一人で思い出した。生まれ育った家のこと。自分を不良品だとなじり、勘当した両親のこと。壁紙から小物の配置まで、なにひとつ僕の意志は反映されなかった自室。いつでも仕事が山積みになっていた研究室。冷たい機械音の響く病室。ろくな思い出がない。回顧は僕にとって虚しく憂鬱な行為だ。チューニングのために不可欠でなければ、僕は過去を顧みることなどなかっただろう。後悔や未練もまとめて全部、僕は捨ててしまいたい。けれどそれはできない。傷は癒えてもその痛みを忘れることはできない。僕の不具合はこの世界にきて修正されたが、かつて不具合があったという事実は、僕の中から決して消えてなくならないのだ。その悲しみこそ、僕という存在を構成するファクターの中で最も重要なものなのだから。
彼の過去は僕とは対照的に、明るく輝いていた。だからこそ彼はすべてを大切に抱え込んでいた。僕のようにやむなく背負うのではない。両手を大きく広げて、前のめりになって、固く抱き留めている。なにひとつ失ってたまるか、と。
彼はおそらくいま、自分の死を受け入れようとしている。長い植物状態をへて死んだ僕と異なり、彼は唐突に死んだのだ。自分の運命を受け入れる暇などあったはずもない。彼は過去を抱え込むことで、上書きするように振り返ることで、受け入れようとしているのだ。そこにあった輝きはすでに自身の頭の中にしかないということを。そこにいた人々とは、二度と抱き合えないのだということを。
僕らの会話は表面的で、一方的なものだった。互いの心の芯を見せ合うようなことは決してなかった。けれど互いにどこかで理解していた。これは自分たちに必要な通過儀礼なのだ、と。
二回目の人生というのは、言葉の響きこそ甘美だが、決して易しいものではない。一回目の人生を満喫していようとなかろうと、それは同じだ。
それでも僕らは順応しなければならない。なんといっても生きているのだから。他人の身体ではじめる新しい人生には、多くの試練が伴う。それでも手放しがたいのは、生きるという魅力が、あまりにも鮮烈だからだ。
あるいはこんな状況になっても死のうと思えない僕らだからこそ、二回目の人生は与えられたのかもしれない。
僕らは毎晩話をした。彼を苦境から救う、直接的な力になるという目標を果たせぬまま、ただ時間だけが過ぎることはもどかしかったが、あとから考えれば互いを知るためにとても大切な時間だった。
このときの僕は彼にとって寝る前に飲むホットミルク程度の存在でしかなかっただろう。望まぬ舞踏会から王子を連れ出す魔法使いくらいにはなりたかったが、道のりは遠いように思われた。
しかし転機は突然訪れた。
僕らの関係をこじらせていたあるひとつの大きな誤解が解けたのだ。それによって僕はホットミルクでも世間知らずの中年でもうさんくさい思想家でもスケベなろくでなしでもなくなり(いや、スケベなろくでなしという印象までは払拭できなかったかもしれない)、頼れる有識者、助言を求めるに足る人物へと昇格した。魔法使いとまではいかなかったが(実際僕は寝たきりで、彼に物理的な支援を行うことはできなかった)、AIアシスタントくらいには思ってくれるようになった。
そしてようやく物語は進みだす。
僕らはチューニング期間を終え、いよいよこの世界への順応をはじめる。
あるいは、反抗を。




