第一話
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惨めな人生だった。
僕はいわゆる技術屋で、毎日あくせく働いていた。仕事は好きでも嫌いでもなかったが、才能はあった。黙っていても仕事は舞い込んだし、世界的なプロジェクトにも筆頭技師として名を連ねていた。肩書だけ見れば、僕は成功者の部類に入っただろう。金も名誉もあった。けれど僕はそれをなんら生かすことなく、ただ積み上げて、腐らせていた。
税金対策をほとんどしていなかったから、稼ぎの多くは徴収されていた。仕事の成果は気づけば上司や同僚の名義に書き換えられていた。それでも僕はかまわなかった。僕にとって労働は手段ではなく目的だったからだ。働いてなにかを得ることではなく、働くことそのものを、僕は求めていた。
僕はとにかく働いていた。寝る間も惜しんで、仕事に打ち込み続けていた。決して熱意があったわけではない。むしろその逆だった。僕にあるのは諦観だけだった。底のない悲しみだけだった。
悲しみから目を背けるために、僕は仕事に没頭しなければならなかった。
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僕に家族はいない。
両親との折り合いが悪く、十八のときに勘当されてからは、ずっと独りだった。恋人も友人もいない。人と関わるのは苦手だった。僕は言葉をうまく選べない。自分の言っていることが、感覚が、正しいのか自信をもつことができなかった。
幼いころはそうでもなかった。誰といるときも、ごく自然に振る舞えていたと思う。しかし成長するにつれ、世間と自分にズレがあることに気づいてしまった。
僕が好きなものは、僕が好きになってはおかしいものばかりだった。服も、おもちゃも、本も、遊びも。僕がなにかを選ぶと、周囲の大人はいつも怪訝そうな顔をした。
本当にそれがいいの?
変だよ。
おかしいよ。
やがてそれは振る舞いや言葉遣いにも至った。
動きがおかしい。
しゃべり方が変。
お前って、もしかして――――。
嘲笑。侮蔑。嫌悪。
僕は気が付いたらのけ者にされていた。
学校に僕の居場所はなかった。父と母はひどく落胆した。ふつうになれない僕に見切りをつけ、弟だけをかわいがるようになった。
家にも、僕の居場所はなかった。
僕は自分のどこがおかしいのかわからなかった。僕はふつうになりたかった。友だちがほしかった。父と母に愛されたかった。
だから僕は努力した。ふつうになろうとして、自分を殺して、周囲に溶け込もうとした。けれどうまくいかなかった。相手の顔色を読むことも、周りに合わせることも、嘘をつくことも、僕は致命的に下手だった。かといって、ありのままの自分では、どこにも馴染むことができなかった。
僕は孤独だった。
ひとりぼっちだった。
十代も半ばを過ぎると、僕は自分がなぜふつうになれないのか、その理由がなんとなくわかるようになってきた。
それは先天的な不具合だった。
あるべき部品が、別の部品にすり替わっていたのだ。機械であれば、修理することもできただろう。けれど僕は人間だったから、中身を入れ替えることはできない。人はそう簡単に、あるものを取ったり、無いものを足したりすることはできないのだ。
僕は不具合を抱えたまま生きていかなければならなかった。それはふつうになりたかった僕にとって、過酷な道だった。
だから僕は仕事に打ち込んだ。幸いなことに、僕はある方面で人より秀でた能力を有していた。仕事はひっきりなしに舞い込んできた。僕はそれをひとつひとつ時間をかけて丁寧に処理していった。意識がある間はずっと仕事のことだけを考え続けた。肉体的には辛かったが、精神的には、あてもなく集団生活を送らなければならない学生時代よりずっと楽だった。
働いて税金を収めていれば、僕は社会人として認められた。仕事をきちんとこなせば、僕はチームの輪に入れてもらえた。技術職だったから、口下手でも、挙動がおかしくても、大目に見てもらえた。
僕は仕事を通してしか人とコミュニケーションをとることができなかった。でもそれで満足だった。不具合のある僕が人と関係を持つ方法は、他になかったから。
仕事で忙しくしていれば、余計なことを考えずに済む。自分に不具合があることも。それが絶対に直らないことも。
僕の望みは、生まれ変わりでもしない限り、叶わないことも。
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僕の仕事は評価され、齢を追うごとに、その量は増えていった。比例して睡眠時間は減り、食事も細くなった。けれど僕はかまわずに仕事を続けた。
金はあった。仕事を辞めても一生食つなげる分だけの金を、僕は四十を過ぎる頃にはすでに稼ぎ出していた。長い休暇をとって、療養することもできた。けれど身体を休めれば、僕の心は壊れてしまうだろう。僕はそれを怖れた。一度仕事を離れて、もう二度と戻ることができなかったらどうしよう。仕事がなくなれば、僕はまたひとりだ。ひとりぼっちで、誰にも相手にされず、生きていかなければならない。それは恐ろしいことだった。想像するだけで、耐えられないことだった。
僕は仕事を続けた。人類の発展のためだと、誰かから借りた大義名分を掲げて、没頭した。
周囲はそれを喜んだ。僕の体調を気にかけてくれる人はいなかったが、僕に価値がある限り、彼らは僕の傍を離れない。
彼らが僕ではなく僕の産む利益だけを見ていることは知っていた。けれどそれでよかった。ひとりぼっちでいるよりは、のけ者にされるよりは、ずっとマシだった。
そう思っていた。
けれど、僕は最期、結局また一人になった。
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ある日身体が限界を迎え、起き上がることができなくなった。病院に運ばれたが、医師からはもう手遅れだと言われた。このまま衰弱して死ぬだけだと、遠まわしに、けれどはっきりと、告げられた。
入院した僕を見舞ってくれる人は誰もいなかった。
仕事で関わり合った人たちはもちろん、家族も、僕のもとには訪れなかった。
僕はなかなか死ななかった。
一ヶ月たっても、一年たっても、まだ生きていた。
ほとんど植物状態になったが、意識だけはいつまでも残っていた。なまじ金があったから、高額な延命治療を施されているらしい。誰が手配したのだろうか。会社か。役人か。しかし僕を生かしておくことに、いったいなんの意味があるんだろうか?
見舞いにはこないのに、金だけは払い続けるなんて、どうかしている。あるいは僕自身が同意書にサインをしてしまったのかもしれない。まだ動けたときに、意識が朦朧としているときに、延命を願ってしまったのかもしれない。
なんて馬鹿なことを。
僕はまだ、諦めきれていなかったのだろうか?
ふつうになることを。
友を、恋人を、家族を持つことを。
誰かと一緒に笑い合うことを。
そしてその結果がこれか。財産目当ての客一人来ない。ひとりきりで、誰に顧みられることもなく死んでいくなんて。
僕の人生は一体なんだったんだろうか。
こんなことなら、もっとはやく死んでしまえばよかった。
今となっては、死ぬこともできない。
ただ絶望の中、生き続けるだけだ。
僕は願った。
もし神というものが在るなら、どうか僕を死なせほしい。
この哀れな不良品に、慈悲をかけてほしい。
そもそも僕の不具合は、神の手違いではないのか?
気まぐれかいたずらかもしれない。
いずれにせよ僕の不具合に、僕の惨めな人生に少しでも責任を感じているのなら、どうか、願いを叶えてほしい。
神様、僕を死なせてくれ。
そしてどうか次の人生では、僕に正しい器を授けてくれ。
友だちや恋人が作れる、家族が持てる、ふつうの人間にしてくれ。
こんなに寂しい人生は、もう嫌だ。
●○
僕の望みを叶えたのは神なのか、それともただの偶然なのか。本当のところはわからない。けれど僕は神に感謝している。偶然にしてはできすぎていたし、偶然に感謝することはできないからだ。
僕は叶うはずのない願いが叶ったこの途方もない喜びを吐きだす先として神を選んだ。
この世界で目を覚めたその瞬間から、僕は有神論者になった。
この世界に神はいる。
そして神は僕の望みを聞き入れ、惨めな人生の最後に、とびっきりのおまけをつけてくれた。
●◎●
「お目覚めですか?」
そう僕に声をかけてきたのは、ひどく緊張した面持ちの女性だった。
「私の言葉がわかりますか?」
僕は頷いた。
彼女が話しているのは日本語だった。少なくとも僕の耳にはそう聞こえた。日本語を母語とする僕の耳に、わずかにもひっかかることなく、その意味内容含めて、すんなりとはいってきた。
しかしだからこそ、強烈な違和感があった。
彼女は日本人ではなかった。
彫りの深い顔立ちに、手足の長いすらりとした体型。青みがかった濡羽色の髪と、猫か猛禽を思わせる金色の瞳。エキゾチックな美女だった。はっきりとした人種はわからない。というか、おそらく混血だろう。もしかしたら日本人の血も入っているのかもしれないが、日本にいても日本人だと思われることはまずないだろう。
さらに、彼女が身にまとうのは古代中国の女帝を思わせる煌びやかな衣装だった。紫紺の衣に金の帯。金糸の刺繍が施された、薄い藤色の羽織。重たそうな黄金の髪飾り。時代劇から飛び出してきたような、機能性に大きく欠ける流麗な装いだった。
正直なところ、似合ってはいなかった。表情が強張っているせいか、あるいは、化粧っ気があまりないせいか。思慮深い眼差しと、固く結ばれた口元には、派手な衣装に反した生真面目さが窺えた。
もし彼女を女帝として映画を撮っているのなら、キャスティングは失敗だろう。せめて彼女がもっと地味な格好をしていたら、愛想のないスーツでも着ていれば、違和感がこれほどまでに強烈なこともなかっただろうが。
「起き上がれますか?」
問われ、僕は上体を起こそうとしたが、できなかった。
少し動かしただけで強い痺れを感じ、まるで身体がばらばらにほどけていくような錯覚に陥ってしまう。
「お手伝いします」
彼女はそう言って、僕の手をとり、背を支えてくれた。気恥ずかしかったが、僕は身をまかせた。すらりとした体つきの彼女は、触れると柔らかく、その肌は絹のように滑らかだった。
僕は久方ぶりに胸を高鳴らせた。まだ二十代と思しき、自分よりひとまわり以上年下の女性との接触に、緊張と興奮を覚えてしまった。
いい齢をして何を考えているんだ。思春期でもあるまいに。
僕はそう自戒し、欲望を押さえつけ、彼女の感触をなるべく意識しないようにしながら上体を起こした。
……どこだ、ここは?
僕はそこでようやく異変に気が付いた。
そこは見知った病院ではなかった。病院ですらなかった。生命維持装置が欠かせなかったはずの僕の身体は、今やどのような機器にも、なんの管にも繋がれていない。僕が寝かされていたのは、固く冷たい、石の台座だった。石造りの巨大な円形堂の中心に置かれたそれは、まるで神に生贄を捧げる祭壇のようだった。
……彼らは、誰だ?
台座の周りには、彼女以外にも、異国風の顔立ちをした人びとが立ち並んでいた。彼女ほど派手な装いの者はないが、皆やはり、古代中国を思わせる衣装をまとい、神妙な面持ちでこちらを凝視している。
……これは、僕か?
周囲を見回したあとで、顔を正面に戻し、僕はようやく気が付いた。先ほどから視界に入っていたものが、自分の身体であるということに。
僕は――――誰だ?
思わず、そう自問してしまった。
僕は手を伸ばして、自分の足に触れた。薄手の寝衣の上からでもわかる。骨と皮だけの、痩せ細った、病人の足だ。長らく寝たきりであった僕の足は、たしかにこのような棒切れになっていても不思議ではない。しかし、痩せ細ることはあれど、成長することはないはずだ。僕の足は明らかに、以前より長くなっている。
足だけではない。僕は全身をまさぐる。体つきが大きく変わっている。肩幅は広く、首は太く、掌は大きく、指は長い。全身、骨と皮だけで、固い。おまけに皺だらけだ。
僕の身体は、体格の良い初老の男へと変わっていた。
「混乱されていると思います」
一心不乱に身体をまさぐる僕に、彼女は憂いを帯びた眼差しを向けた。
「ですがどうか、落ち着いて聞いてください。――――ここは貴方がもといた世界ではありません。我々はこの世界を救ってもらうために、貴方を異世界から召喚しました」
彼女の言葉は、そのときの僕の耳にはまるで入っていなかった。
「この世界の命運は、貴方にかかっています」
股座の形を確かめる僕に対して、彼女は深々と頭を下げた。
「どうかこの世界の救世主になってください」
僕は両手を股座から顔に移した。こけた頬をつねると、きちんと痛みが返ってくる。
夢ではない。
古典的な方法だが、人は実際、夢の中で痛みを感じることはできない。例えば夢の中で殴られたとして、殴られた、ということに対する混乱や怒りはあっても、痛みを感じることはない。目覚めたあと、痛みを感じた、ということは覚えていても、痛みそのものを覚えていることはできない。夢での痛みを覚えている、と主張する人間もいるが、それは痛みを起因とする、あるいは痛みに付随する感情だけが、目覚めた頭には残っているため、あたかも本当に痛みを感じたかのように錯覚しているだけだ。
けれど僕はいま、確かに痛みを感じている。自分で自分を攻撃し、肉体的な刺激を得ている。
つまりこれは現実だ。
僕はたまらない気持ちになって、固い寝台に勢いよく倒れ込んだ。
「救世主様!?」
僕に語り掛けてきたエキゾチックな美女は、慌てて僕を助け起こそうとしたが、僕の口から漏れた不気味な笑い声を聞いて、ぴたりと動きをとめた。
「――――やった」
僕は両目を覆ったまま破顔した。
裂けそうなほど大きく口を開けて、笑った。
「やったー!」
後退りする彼女には目もくれず、僕は宙に向けて、皺だらけでくたびれた両手を突き上げた。
「神様ありがとう!」
神なんてろくに信じていなかったくせに、都合よくそんなことを口にしてしまった。
それほどまでに浮かれていた。
ここが異界であろうがなんだろうがどうでもよかった。
僕はただただ、この身体を得られたことが、嬉しくてたまらなかった。
この――――老いた死にかけの男の身体に召喚されたことが。
「あの……やはりまだ、お加減がよろしくなかったですか……?」
僕が発狂したとでも思ったのだろうか。
彼女は恐る恐る訊ねてきたが、僕はそんな彼女の手を、がっちりとつかみ取った。
「いいえ、むしろ好調です!」
しなやかで柔らかい、いかにも女性的な彼女の手の感触は、ますます僕を昂らせた。
「救世でも撲滅でもなんでもしますよ!どうぞお任せください!」
彼女は呆気にとられた様子で、はあ、と曖昧に頷いた。
「では……その、どうぞよろしくお願いいたします」
こうして、僕の二度目の、短くも最高の人生は幕を開けた。




