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13話 きっかけはいつも些細で

迷子になったひなちゃんと、その姉である白坂結衣。このふたりと出会い、公園で遊ぶこと幾度か。中旬も過ぎ下旬半ばに差し掛かり始めた今日この頃。日曜の昼下がり、春の穏やな陽気といつもの公園に響くひなちゃんと白坂さん、姉妹ふたりの楽しそうな声。



ああ、平和だ……。なんかすげえいま平和だ。言ってしまえば知り合ってほんの少しの彼女たち姉妹と過ごす時間が、まさかここまで心穏やかにしてくれるとは。


去年までの自分に教えてもきっと信じてもらえないだろう。どうしてここまで安らぎを与えてくれるのか、それは何をどう考えても答えは思いつかないが、答えを探すよりもひたすらにこの時間に感謝することの方が大切に思える。




夏の陽射しが人を少しだけ大胆にしてしまうように、この春の陽気に騙されて、ほんの少しの油断があったのだろう。



わずかに汗ばんだ前髪に指を通し、かき上げるように持ち上げてみせた。途端に晴れやかになる視界に、改めて自分でも前髪の鬱陶しさを実感してしまう。



俺にとって心の平穏を守ってくれる砦のようなものであるが、さすがに暑くなるとしんどさは避けられない。それでもこの視界を覆う黒い壁を取り払うことを選べないのは、心の強さなのか弱さなのか……。



「ふわぁ……!」


間の抜けた声がして、ぼんやりと足元を見る。普段視界の8割以上は覆う黒いモヤが晴れたように、幼い少女のキラキラと可愛らしい瞳と目が合った。



ああ、この晴れた視界で見るこの少女は、俺が思っていたよりずっと可愛らしかったのか。少しだけもったいなさを感じて微笑んだあと、ようやく思い出した。



穏やかな気持ちは一転してぞわぞわとする恐怖感が湧いてくきた。家族と古い友人たちを除いて、こんなにもはっきりと誰かと目が合ったことが久しぶりで。俺の心は怯えと、こんなにも幼い少女にすらこんな気持ちを抱かずにいられない自分への嫌悪感で埋めつくされた。




「お兄ちゃんのお顔はじめてみた!かっこいいねえ……!」




いつもとなんなら変わらず、きゃっきゃっと楽しそうな声で笑うひなちゃんに心が癒され、ようやく楽に息を吸えた。嘘や疑いなんてないひどく純粋な少女からの言葉に、存在すら肯定してもらえたような気さえした。




「……ありがとう。ひなちゃんもかわいいね、ううんいつもかわいいけど今日は……もはや光って見えるよ」


よく分からないって顔をしているが少しだけ大げさに頭を撫でると、くすぐったそうに嬉しそうに笑っていた。


「はぁ……はぁ……ひな……ほんと足早くなったね……お姉ちゃんちょっと休憩したいかも……」


遅れて息を切らした白坂さんが俺たちのいるベンチの辺りへと向かってきた。慌てて前髪から指を離し、手ぐしで前髪を必死に下ろした。事故的なものならともかく、面と向かってはっきりと顔を見られることには言い難いほど抵抗がある。ドクドクと嫌な心臓の鼓動に、わずかばかりの息苦しさを感じてしまう。


「ん……?天沢くん……大丈夫?体調悪いの?」


「いや……全然大丈夫。はしゃぎすぎてちょっと疲れたのかも。ほら、普段わりとインドア派だからさ俺」


白坂さんは見透かしたようにじっと俺を見つめたあと、無理しないでね、とだけ言い穏やかに微笑んだ。無理はしないでね、の言葉の奥には他にもいくつか言いたいことがあるように感じた。きっと俺が薄く壁を貼ったのを察したのかもしれない。彼女は俺が聞いて欲しくないことなにも聞かない。髪を伸ばすわけも、学校のこともなにも。そんな優しさが、すごく楽で、すごく心地がいいのだ。



「お兄ちゃんね、いけめん!まほうつかいみたい!」



わずかばかりの沈黙を破ったのはひなちゃんだった。どうやら好きなアニメ映画のキャラクターがいるらしい。とにかく必死になにかを伝えようとしてくれるが、いまいち要領を得ず俺には分からないままだ。顔を褒められることも大嫌いだったが、裏表などなく純粋な好意だけ込められた少女の言葉は俺の心に染み渡る気がした。



「最近ハマってるの、映画の魔法使いのことねきっと。お城のやつ。私も大好きだからひなと何回も見てるんだ。だからね、すっごい褒めてるんだよこの子なりにね」



少しだけ気遣いの込められた優しい声だった。俺があんまり顔がどうとかの話が好きじゃないと考え、思いやってくれたのだろう。純粋な好意も、傷つけないように思いやってくれた心も、そのどちらもがひたすらに嬉しかった。



それからはだんだんとその映画がどんなに面白いか、あのキャラが好きだとか。そちらに話はシフトしていき、姉妹ふたりの熱弁を聞いていた。俺も当然見たことがあるし、好きな作品だったが相づちを打つだけで黙って聞いていた。今日は語るよりも聞いていたいと思った。



そのあとは気を取り直したかのように、全力で遊ぶひなちゃんに付き合って3人で遊んだ。そして遊び疲れたのか、少しだけ夕陽が差すような時間になるとすっかり眠そうな顔になっていた。帰路に着くこととなり、俺はひなちゃんを背負った白坂さんの隣を歩いていた。



「送ってもらっちゃってありがとね。明日も学校あるのに、疲れてない?時間は大丈夫?」


「俺も高校生男子だからこれくらいの時間なんてことないですよ。それに大地……えっと友達と遊ぶ時とか全然夜まで遊びますし。わりと体力も自信あるんですよ?」


「そう?なら良かった。大地くんって言うと、佐野くんだよね?ふたりが一緒にいるイメージあったけど、やっぱり仲良いんだねえ」



白坂さんはしみじみしたようにそんなことを言うもんだから思わず笑ってしまった。どんな関係なのかとかいつから仲が良いのかと聞かれ、中学時代のことを話した。ところどころ誤魔化しながらだったが、白坂さんは楽しそうに、そしてどこか嬉しそうに話を聞いてくれるもんだから俺もついつい話しすぎてしまった。



「あのね……もし、もしだよ?嫌じゃなかったらでいいの。……私もお顔を拝見させてほしいって言ったらやっぱり嫌……かな?」



うかがうように、ほんの少しだけ怯えながら、おそるおそるという言葉が似合う表情でたずねられた。彼女はきっと俺が対抗があることも、なにか理由があって見せたがらないことも分かっているんだろう。決してからかうとかそんな気持ちは微塵もないことは、いまの彼女の様子を見れば、いや見ずとも短い付き合いの中でさえ分かる。



「そ、そのね別に無理に見たいなんて思ってなかったの。ほんとだよ?髪型とか外見とかより中身の方が大事だって分かってるし、天沢くんが優しい人なのも十分に分かってるから。で、でもね……ひなが知ってるわけじゃない……?ちょーっとだけね、羨ましいなあって……!」



夕陽に照らされているけれど、それでも分かるくらいに彼女の顔は真っ赤に染まっている。大人びて、綺麗な白坂結衣ではなく、ひなちゃんの姉であるかわいい彼女がそこにはいた気がした。とたんに緊張も、抵抗も、不安も、全部がなくなったように心が軽くなった。



「学校とかで、誰の前でもってのはやっぱり今でもダメなんです。昔……いろいろあって、ちょっとだけ怖くて。ほんとの自分を見られるのも、見せるのも」


「ご、ごめんね……!ほんとに無理させたいわけじゃなくって!ほんと……無神経なこと言っちゃって……」


「ううん、嫌じゃないですよ。俺、白坂さんのこと好きですし」


「ふぇ……!?い、いやまだ早いって言うか……!だ、だめって言いたいわけじゃなくてね……?でもまだここからって言うか……!」


「ひなちゃんが、すごく純粋に褒めてくれたのが嬉しくて。誰かに自分を見てもらって、それを褒めてもらえて認めてもらえることがこんなに嬉しいんだなって。思い出したんです、さっき。だから俺ふたりのことはほんとに大好きです!まだ付き合いも浅いくせにって感じですけど……」


「あ、そういうね……。でも……ほんとに無理させてない……?私もひなも天沢くんに甘えすぎっていうか……わがまま言いすぎてるんじゃないかなって……!」


「全然ですよ、むしろもっと言ってもらってもって感じです!……ていうかハードル上がりすぎて恥ずかしいんですけど……。笑わないでくださいね……?」


「わ、笑ったりしないよ!顔がよく分からないって寂しいから、天沢くんのことをもっと知りたいから見たいの……!だから笑ったりなんてしないもん……!」



白坂さんはやっぱりひなちゃんのお姉さんだ。少し子どもっぽさが出る時は仕草や表情がそっくりだから。



ちょっとだけ緊張で手が震えた。でも嫌な緊張じゃない。

おそるおそる前髪に指を通して持ち上げて見せた。去年一年間、誰にも開けなかった心を目の前の彼女に開けた気がした。きっかけはほんのささいなことで良かった。勇気も一度出してしまえば、それだけのことだったんだな。


「……あ、あの……なんか言ってくんないかな……!無駄に恥ずかしくなるんだけど!」


文字通り面と向かって話す。文字にすればたかだかこれだけのことだ。俺にはそれだけのことをするのに、とてつもない勇気がいる。情けないけど仕方ない。少なくとも目の前の彼女は、きっと俺の勇気を笑ったりしないと思えるから。

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