蓬莱の玉の枝 追伸
「あっ!兄君!!」
家の畑に向かっていると、既にトチの兄君がいた。
「あっ、千代くん〜!どしたの??」
兄君はいつものようにふわふわとした口調で返事をしてくれた。
「トマトを取りに来たのだ!2つほど、食べ頃のものを選定して頂きたい!」
「はーい、想音と食べるの??ちょっと待ってね」
そう言って、トチ殿はトマト畑に姿を消した。
まろもこの星に来て野菜のことが分かるようになってきたが、そうとに食べさせるトマトは、この道の玄人であるトチ殿にお願いしたいのだ。
心優しいそうとのことだ。きっと未だ1人で葛藤を抱えているのであろう。
まろの星では老若男女問わず、己が1番得をする行動を取るのが常であった。人情があるように見えても、実際は己が得をする為に人助けのようなことをしていた者ばかりであった。
だからまろも、自分が死なないで生きていけるように振舞っていた。まろの立場上、どうしたって強くあたられることや、猫撫で声で近づかれることはあった。
生き物というのは己が一番可愛いものだ。誰のことも信じられない。滞りなく生きていくのが1番。そのように考えていた。
しかし、そうとに出会ってその信条は見事塗り替えられた。あんなにも人の為に一生懸命になれる者を見たことがなかった。見返りや感謝を求めることもない、責任は全て自分が背負う。
こんなにも美しい生き方があるのかと心が震えた。出会ったあの日から、彼女の内面に輝く優しさに魅せられっぱなしだ。
少し向こう見ずな所はある。だからこそ、この人の為に何かをしてやりたい、力になりたいと、生まれて初めて思えるようになった。
この心の奥から溢れだしてくる光のようなものに気付かせてくれたのは、他でもないそうとだ。
彼女は今回、自分の良心によって深く傷ついた。
まろは昔から他人が自分に求めている言動を汲み取るのが得意だった。父上や母君、周りの者に求められた「竹千代」を作り出していった。だから、そうとが悲しみに暮れ出した時、いよいよ特技を使う時が来たと意気込んだ。
しかし、その竹千代は全く役に立たなかった。そうとは、まろに何も求めていなかったのだ。ただただ己が愚かだと嘆いていた。
だから、竹千代ではなく、千代としてまろが心から思ったことを伝えた。あれらが少しでも彼女を慰められていたらいいと思う。
「千代くーん、いいの見つけちゃったよ!」
ぼうっと物思いにふけっていると、トチ殿の声が畑の方から聞こえた。走って近づくと、見事に熟れたトマトが2つトチ殿の両手に握られていた。
「おお!なんとも美しい!!感謝する!そうともきっと喜ぶ!!」
「いえいえー、トマトは夏が食べ頃だからジャンジャン食べて消費してね」
食べ頃、という言葉を聞き、沢田家の庭に咲いた松雪草のことを思い出した。トチ殿は草花に目がない。季節外れの花の話には乗ってくれるだろう。
そう思い至り、まろは沢田家で見た待雪草の摩訶不思議な夏咲きについて話した。トチ殿の反応は想像していた通りだった。
「えっ!!本当に?!?!本当にスノードロップが夏に咲いてたの?!見に行きたい!!見に行かせてくれ!!!」
「いや、その家は少々複雑な事情を抱えていてだな、警察なども来ているようで、訪問することは不可能に近いのだ……」
「そ……そんなっ……」
トマトを選んでくれたお礼のつもりの話だったが、かえってトチ殿を上げて下げてしまったようで申し訳なくなる。
今にも泣き出してしまいそうなトチ殿を目の前にあたふたしていると、諦めが着いたのか急に大人しくなった。そして、目の前のトマトを新たにもぎりかじりついた。
「それにしても変だね、そのスノードロップ。普通夏になんか咲くわけないもん」
スノードロップとは、待雪草の別の呼び方だ。まろは語感が好きという理由で待雪草と呼んでいる。白くて小さな花が下を向くように咲いている、まさに雪が落ちるような形だ。
モシャモシャとトマトを平らげたトチ殿は不意にこちらを見て微笑んだ。
「スノードロップって希望とか慰めとかの花言葉を持ってるんだよ。」
「そうなのか。」
おそらく、あれらは生前の沢田家の奥方が育てていた花だ。亡くなった娘のことを思って植えたものであるのかもしれない。
感傷に浸っていると、トチ殿は今度はいたずらっぽく微笑んで、まろの唇に人差し指を当ててきた。
「ちなみにスノードロップには、他にも花言葉があるんだ」
「どういうものだ……?」
突然唇に指を当てられ、困惑が隠せないが身動きをとれるわけでもないので素直に聞き返す。
「あなたの死を望みます」
「え……」
ひどく動揺してしまった。
偶然、偶然に過ぎないのだろうけれど……
動揺が伝わったのかトチ殿はパッとまろの口から指を離した。
「警察も来ているって言ってたし、その家で何かあったんだろうけど、純粋無垢な妹が変なことに巻き込まれないように、千代くんがちゃんと見張っててね」
なるほど、先程の指はまろへの忠告の様なものだったのか。
そうとはトチ殿を植物変態としてしか捉えていないが、トチ殿は案外妹思いのしっかりした男である。
そうとを任された責任を感じながらブンブンと頷くと、トチ殿は満足そうに微笑みくるりと踵を返した。
まろもトマトをそうとに届けようと立ち上がり、トチ殿と同じ方向を向く。
「「あ……」」
そこには青ざめた顔をしたそうとが立っていた。心なしかこめかみに筋が浮かんでいる。
「あんたたち……前から怪しいとは思ってたけど、やっぱりそっちの気があったんだね……別にいいんだけど、唇に手を当てるとか、そういうスキンシップは他所でやってくんない??」
よく分からないがとんでもない勘違いをされていることは分かった。
慌てて弁明しようと追いかけるが、そうとはそそくさと家に入っていってしまった。
後ろではトチ殿がくすくすと笑っている。
今度はこちらが涙目になりながらそうとを追いかけ回す羽目になった。
追いかけながらも、スノードロップのことを考えてしまう。
あなたの死を望みます。
これは、タニガヤの悪意が沢田家を巣食っていたということなのか、それとも沢田家のせめてもの反抗なのか…………
なんにせよ花言葉などというものは、そこに咲いていた花に、人間側が勝手に意味を付けたに過ぎないのだ。
真相は分からないが、まろもまろとて、沢田家が良い形でこれからを過ごせるように願おうと思った。きっとそうとならそう思っているだろうから。
追伸 [完]