蓬莱の玉の枝 拾仇
「意味がわからなかったと思います。戸籍謄本を確認した時は息子なんていなかったはず。なのに養父とやたら親しげな男が毎日電話をかけてくる。もしや、本当に息子がいるのか?と不安に駆られたでしょうね。まあ、これはタニガヤが勝手に勘違いしているだけなんですけどね。実は僕の目的は2つあって、1つは叔父さんの生存確認、そして2つ目はタニガヤを動揺させること。法律上問題がないと言えども、虫唾が走りますから。」
フンっと鼻を鳴らした智樹さんだったが、すぐにその表情は暗くなった。
「おふたりとも、おかしいと思いませんか?タニガヤは電話相手が誰か分からなかった。勿論目的も。ならば、2人には『誰が電話をかけているのか考えて欲しい』とか、『どういう目的かを解明して欲しい』みたいな切り口で頼むのが妥当じゃないですか。」
たしかに……その通りだ……私が智樹さんの目的を予想してタニガヤさんに伝えた時、タニガヤさんはあんまり関心を示していなかった。それはどうしてなのか……
「どうして、『居場所を探して欲しい』なんて言ったんでしょうね。僕にイタズラを止めるよう注意したいなら、自分が電話をとって文句を言えばいいじゃないですか。でも、タニガヤはそれを決してしなかった。まるで自分の存在を隠しているようだった。まるでうっかり口を滑らせるのを待っているかのようだった。」
昨日、自分の部屋で考えを揉んでいた時に感じた違和感……どうしてタニガヤさんは自分で電話を取らなかったのか。固定電話にかかってきているのだから、タニガヤさんにだって対応は出来たはずなのに。
智樹さんは、また言葉を止めた。彼の中で次の言葉を選んでいるようだった。
「タニガヤは僕の居場所を知りたかった。何のために?これは、逆に考えると答えは自ずと見えてきます。タニガヤは僕の居場所を知って、何をするつもりだったんでしょう。」
「……あ」
思わず、声が漏れた。
居場所が分かったとしたら、することなんて限られてくる。会いに行くこと。何のために?何をしに?智樹さんは考えたくもなかっただろう。
「何か対策を練っているのかもしれない、とは思っていたんですが、タニガヤの本気度はそこまで高かったんですね。それに、少し驚いてしまってあんな発言をしてしまいました。」
申し訳なさそうな顔をする智樹さんだが、申し訳ないのはこちらだ。
「でも、とにかくやっぱりタニガヤが住んでいることが分かれて良かったです。これからもしつこく電話をし続けます。」
無理に笑顔を作っているんだろう。智樹さんの左頬は若干ひきつっている。そしてその顔はすぐに困り顔になってこう付け加えた。
「あくまで、僕の予想なんですけどね。タニガヤが捕まっていないということは、犯罪者では無いという事ですから変なことは出来ませんし。」
そのあと、私と千代は、家の中で見聞きしたことを事細かに智樹さんに伝えた。智樹さんは必死にメモをとっていた。貴重な内部との接触者なのだから当然だろう。
私達が話終わると、智樹さんはお礼とともに、提言してくれた。
「明日はとりあえず家まで行って『この件は手に負えません』って断るといいですよ。そして二度と、あそこに近づかないことです。君たちにはすごく感謝しているけど、同時にすごく申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。こんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない。」
そう言って智樹さんは深々と頭を下げてきた。とんでもないです!と私も頭を下げる。千代も一応頭を下げてはいるが、チラリと見えた顔からは、やれやれとでも言いたげな感情が丸見えだ。
吉住さんの家を出発しようと玄関で靴を履いていると、智樹さんが思い出したように話しかけてきた。
「あ、それと、遺産のことはあんまり気にしないで下さいね。あそこの家に飾ってあるものの全て、本当の娘の麻衣ちゃんの作品なんです。」
「えっ?!」
「よく出来ているでしょう。麻衣ちゃん、美大出身なんです。あれらは美大生の時に作ったものです。絵も得意でしたけど、立体工作の方がすごかったんです。まあ、本人にアーティストになる気はなくて卒業後は一般企業に就職したので、あの作品達に市場価値は無いに等しいんです。」
「じゃあ、タニガヤさんのやったことって……」
「はい、全くの無駄です!」
智樹さんは満面の笑みを浮かべた。でも、端々に苦しさを感じる。
「麻衣ちゃんが亡くなった後、家中に飾ったんです。本当は生きている時から飾りたかったらしいんですけど、麻衣ちゃんが照れて自分の部屋に閉まっておいていたみたいなんです。市場価値は無かったとしても、叔父さんと叔母さんにとっては、たった1人の我が子の作品なんです。大切な大切な宝物です。」
智樹さんはぐっと下唇を噛んで、目に涙を浮かべながら話す。
「僕は、小さい頃から叔父さんと叔母さんと麻衣ちゃんにはお世話になっていました。麻衣ちゃんのことを実の姉のように慕っていました。だから、15年前に麻衣ちゃんが亡くなった時、僕は全く気持ちの整理がつきませんでした。でも、僕以上に叔父さんと叔母さんは辛かったと思うんです。」
胸が痛い。そんなに暖かい家族を、身勝手な欲望で壊したタニガヤに際限のない怒りが湧く。
娘を思い出せるように飾っておいたものが原因で、お母さんが命を奪われたのだとしたら、そんなのあんまりだ。
「でも、ちょっと安心出来たんです……!」
俯いて涙を堪えていた智樹さんが不意に明るい声で言った。
「どうしてですか……??」
「僕、しばらく叔父さんと会わないうちに不安になっていったんです。もしかしたら、沢田家の中で、完全に麻衣ちゃんがタニガヤに塗りつぶされちゃったんじゃないかって。でも、そんなわけがなかった。だって、タニガヤは、あの2人が大切にしているものの意味を全く知らなかった。タニガヤは沢田家の娘になんて、全くもってなれていないんです。」
その言葉を聞いて、私はすとんと腑に落ちた。その通りだと思った。何より、智樹さんの表情が、曇りのない明るいものになったのを見て、きっとそうに違いないと思えた。