仏の御石の鉢 拾弐
「そうであるなら、そうとは何故、奥方が若林殿に構ってもらいたがっていると気づけたのだ?まろには普通の夫人にしか映らなかったぞ。」
「そこはね、女の勘だよ。」
千代がまた首を傾げてしまった。仕方ない。千代に愛や恋を教えるにはいい機会だ。
「あ、いや、根拠はあるけどね。
まず、奥さんがした行動「高い骨董品を無断で買う」っていうのは若林さんに迷惑をかける行為だよね。
だから、奥さんは若林さんを困らせたかったんじゃないかなって思ったの。
でも、さっきも言ったけど奥さんは若林さんのこと名前呼びしていた。嫌いな人なら名前で呼ぼうとしないでしょ。
それに、鉢が偽物だと分かったら、若林さんを鉢から遠ざけてたでしょ。バレたくなかったんだよね。嫌がらせなら、偽物だって気付かせて落ち込むところを見たいじゃない?
嫌いじゃないけど困らせたい、そんなの好きな人に対するツンデレでしか考えられないじゃない。 」
できるだけ分かりやすく説明したつもりだ。その甲斐あってか千代はゆるゆると頷いた。
「若林夫婦の問題点は、お互いの思いがすれ違っていたことなの。若林さんは自分は愛妻家だって自負してたでしょ?でも蓋を開けてみたら、奥さんの思いに全然気づけていなかった。
奥さんにも問題はあるけどね。奥さんは若林さんに『伝える』ことをしてなかったみたいだよね。だったら若林さんが気付けなくてもしょうがない。
でも、すれ違ってはいたけれど2人の間にお互いを想う心はあった。だから、私はそれを引き出す手伝いをしたの。思ってたよりも純愛でビックリしたけどね。」
これらの行動は全て非効率的かつ非合理的だ。でも恋なんてそんなもんなんだ。
恨みの話では反応が良かったのに、恋の話になるとポカンとしてしまう千代の肩をぽんと叩き、いつか分かるさと呟く。すると千代はふうとため息をついた。
「そうとは本当に賢いんだな。それに対してまろはほとんど役に立てなかった……」
バツが悪そうに目を逸らし落ち込んでしまった。何を言っているんだ、この宇宙人は。私は千代の発言を改める為に肩をガシリと掴む。
「千代が匂いで偽物だって判断してくれたから安心して鉢を粗末に扱えたんだよ!!
磁石を持っていって2人の前で、2人に分かるように偽物である証明が出来た。千代が居なかったらこんなに綺麗に進んでなかったよ!!」
息子を叱咤激励するような気持ちで、まっすぐ目を見て伝えた。千代は少し驚いた顔をしたあと、ふっと微笑んだ。
「そうか……まろも役に立てたんだな!!良かったぞ!!」
嬉しそうに私の前を走っていく千代。育児ってこんな感じかぁとしみじみ思う。
ほっと胸を撫で下ろす千代。その横顔はやっぱりガラス細工のように美しい。本当に恋をしたことがないのか?こんな美貌なら両手に花どころか八方に花だろうに。
恋人ができたことがない私が言えたことじゃないので、首を振って考えるのをやめる。今は、この綺麗な夕焼けを見ていたい。
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後日から、我が家の畑にやってくる人が1人増えた。賑やかなのはいい事だ。
千代とも兄とも打ち解け、楽しく花壇を囲んでいる。
ふと、見覚えのあるピンク色の花が目に止まった。
「あ、若林さんちにもあったやつ……ペチュニアだったっけ?」
不安なので一応ネットで検索をかける。ペチュニアはどうやらピンクだけでなく、白や紫なんかもあるらしい。
ということは、若林さんの花壇に咲いていた花はおおむねペチュニアだったのか。
画像をスクロールで見ていくと、ほかの検索候補が目に止まった。ふと、それをタップしてみる。
「……これじゃあ、私が心配しすぎる必要もなかったのかもな〜」
私はスマホを置き、人数分の麦茶を用意しに台所へ向かった。
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ペチュニアの花言葉には、「あなたと一緒なら心が安らぐ」、「心の安らぎ」があります。
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仏の御石の鉢 [完]
今読み返すと、仏の御石の鉢の化学変化のフェイントがすごく分かりにくかったな
ごちゃごちゃ化学変化のことを書いちゃったけど、それらは若林さんを行動させるためのこじつけの理由に過ぎなかったんです。
このお話で書きたかったのは、一方通行の人間関係。
夫婦内の価値観の違いで離婚することは日本中であると思うんですが、私は逆に離婚しない夫婦に焦点を当ててみました。
それが若林夫婦の「夫が無自覚で、妻が溜め込みがち」っていう設定です。こういう夫婦は離婚はしないけれど、一方的に妻から夫への恨みつらみが募るんです。
夫からすればちょっと怖いですよね。言ってくれればいいのに、って。
人間関係でいちばん怖いのは、「自分はこの人といて楽しいけれど、この人は私といると辛い思いをする」っていうケースだと思うんです。
一緒にいる時間が長ければ長いほど、それを知った時の衝撃は大きいものです。
これを解決するには、楽している側の人間が自発的に、相手が辛い思いをしていることに気がつく必要があるんです。
想音は、若林さんにそうするように仕向ける為にごちゃごちゃと色々やっていたって感じです。