仏の御石の鉢 拾壱
仏の御石の鉢 拾壱 改
じんわりとした甘い空気の中、私はカバンからU字型磁石を取り出す。そして金の鉢に近づく。
「若林夫妻〜仲直り出来たのは良かったんですが、ひとつ忘れてはならないことがあります。」
私は、磁石を鉢に近づける。カチン、という音と共に磁石が鉢にくっついた。
「本物の金であれば、このように磁石につくことはありません。これは偽物です。若林夫妻にとって、この鉢が、仲違い解消の緩衝材になったのは喜ばしいことなんですが、この鉢は普通に詐欺なんで鑑定に出して被害届を提出することをオススメします。」
そう。本来の私の目的は「悪徳業者から若林さんのお金を取り返すこと」だ。
詐欺にあったことを被害者が訴えなければ、また可哀想な人達が騙されてしまうかもしれない。
金の鉢に付いた磁石を見て、奥さんが首を傾げる。
「でも、確か金属には磁石がつくんじゃなかったかしら?金も金属でしょう。」
「あぁ、えーと、」
金は違うんだ、と説明しようとすると若林さんがゆったりとこう言った。
「想音ちゃん、その磁石、ちょっと貸してもらえるかい?」
言われるがまま、磁石を渡すと若林さんは奥さんの左手を取り、そっと薬指に近付けた。
奥さんは驚いた表情を浮かべている。
「千尋さん。ほら、僕らの結婚指輪はくっつかないだろう。本物の金を使っているからだ。」
奥さんは頬を赤らめ、そうね、と呟いた。なんだかプロポーズを見ているようだ。こっちまで痒い。
しばらく放っておいた千代の方を見ると、首を傾げ不思議そうに2人の様子を見ていた。確かに、愛だの恋だのを知らない者からしたら、2人の事件は理解できない部分だらけだろう。
2人の間にあったわだかまりも取れたことだし、夫婦の時間を楽しんで欲しいため私たちは帰ることにした。
帰り際、2人は何度も頭を下げてくれた。
「なんか失礼な子、って思っちゃったけど私たちの為だったのね。ありがとう。」
「いえいえ。」
確かに慣れない物言いには疲れたけど、全て解決してよかった。悪役の役割は全うできたみたいだ。
今度は2人に見送られ、私たちは帰路に着いた。
「そうと、あの二人が再び愛を育む空気になっていたから言いそびれたが、まろにはまだ気になっていることがある。」
「何?」
「最初の作戦だ。結局、若林殿が変色だと思ったものは塩の結晶だった。あの作戦は失敗したように見えたが、そうとはそれほど焦っていなかった。何故だ?」
私の考えを説明する絶好のチャンスがきた。私は千代の方を向き話し出す。
「私たちの作戦、『塩水で金メッキに変色を起こす』っていうのはそもそもこんな短期間では無理だったんだ。塩を混ぜたとしてもそんなにすぐには効果は現れないの。実際数年かかっちゃうんだよ。」
千代が目を丸くする。
「では、最初から変色など期待していなかった、というわけか?」
コクコクと私は頷く。
「うむ。ではどうしてそんな提案をしたのだ?」
「効果が出るのに何年も待ってられないってことになったら没になっちゃうかもしれないでしょ。でも提案は園芸に関することじゃないといけない。」
「それは何故だ?」
今こそ、確信を持って言える。私はゆっくり息を吸って話し出した。
「奥さんが鉢を買った理由は、若林さんに構って欲しかったから。夫の趣味を真似ることでね。それに若林さんが自力で気づければ良かったけど鈍感な彼は気付けなかった。それどころか赤の他人の私が先に勘づいちゃった。だから、奥さんの望みに添えるように助け舟を出したの」
ふむふむと頷く千代。少し考えてまた質問をしてきた。
「それなら、直接そのように提案すれば良かったのではないか?そうとはすごく回りくどいことをしている気がする。」
ごもっともだ。だけど、構ってもらいたいという目的を明かさないようにしたかった理由があるからこんなことをしたのだ。
「おそらく、奥さんにはちょっとした復讐の心もあったんだと思うの。」
ぎょっとする千代。意味が分からない、と首を傾げている。
「若林さん言ってたよね?家のことは全て奥さんに任せっきりだったって。仕事も子育てもどっちも大変だろうけど、奥さんが担っていた子育ては、我が子の命がかかってる。少し寝落ちをしてしまっただけで転んで頭を打っているかもしれない。少し目を離した隙に誘拐されてしまうかもしれない。
そんな恐怖と責任を1人で背負っていたとしたら心はどんどんすり減っていくよね。きっと、誰にも相談しないで我慢していたんだよ。どれもこれも若林さんを愛していたから。若林さんの仕事の邪魔にならないように。
ようやく、育児が終わって私を見てもらえると思ったら、自分が愛して尽くしてきた相手は楽しそうに一日中どこかへ出かけていってしまう。自分をほっぽり出して。
愛ってね、簡単に憎悪にひっくり返るんだよ。」
私がどうしても解決したかった理由。悪徳業者を許せないのもあるけど、このまま放っておいたら絶対に良くないことが起こる気がしたからだ。
「だからこそ、この事件で若林自身が奥さんのことをしっかり見つめ治さなくちゃ解決しなかったんだよ。例え、他人からの手助けがあってもね。第一、数十年も一緒にいて気が付かなかったんだから助け舟がないと厳しかったんだよ」
愛は大きければ大きいほど、愛した期間が長ければ長いほど、ひっくり返った時の憎悪は計り知れないものだ。平安時代からのお約束である。
でも良かった。若林さんの思いが伝わって、また愛にひっくり返ってくれて。
千代は余程驚いたのか固まってしまった。少ししてからパチリを私の方を見てきた。