家へ持ちて来ぬ 伍
お風呂からあがったあともこれまた大変だった。
身体を洗ったことがないということは、勿論拭いたこともないことを意味している。
しかしここで甘やかして意味が無い。
もしかしたら、この子を送還した先方は、この子に自立して欲しいという願いを込めたのかもしれない。
その思いを受け取ったからには徹底的に教育せねばという使命感から、厳しめにやらせていただくことにした。
「お風呂から出たらできるだけ早く体を拭くんだよ。はい、これ使って!」
「これはなんとなく使い方が分かるぞ!」
タオルを渡すと少年はポンポンと自分の身体に当てるように水滴を吸収させていく。
私ならガシガシと拭くものを…と眺めていたが、彼の従者が肌を傷つけないように普段からこういう風に拭いていたのかもしれないと思い至り、箱入り息子度合いにげんなりする。
着替えは持参していたようだった。衣服を両腕に抱え着せてくれと言わんばかりに目を潤ませてくる。
ご丁寧に、少し屈んで上目遣いを創り出しているようだが知ったこっちゃない。問答無用で無視をする。すると渋々慣れない様子で着替え始めた。
やはり発明は必要の母。面倒を見てくれる人がずっと傍にいたから人並みの身支度も出来ていなかっただけで、お世話をする人がいないと分かれば自分でやるものなのだ。
ドライヤーはさすがに初見では難しいだろうと判断し、私が髪を乾かしてあげることにした。
ブオオオオという大きな音にプルプルと肩を震わせながらも大人しく乾かさせてくれる。お世話されるのには慣れているだけあって、滞りなく乾かしきることが出来た。
乾かしたあと、気付いたら髪の毛をとかしてあげていた。自立させる目的はどうしたのだと自分を叱咤し離れようとするが、一本一本が美しく洗練されている髪の束に構わずにはいられない。
なんて庇護欲をそそる体質なんだ…と戦いていると、少年が口を開いた。
「そういえば、そなたの名前を聞いていなかったな。なんと申す。」
「あ、言ってなかったか。私、積 想音っていうの。積もるって書いてつもり。名前は、想像の想に音でそうと。」
「そうとか。呼びやすい、良い名前だ。」
良い、名前。そう言われて少し嬉しくなる。
自分の名前が女の子にしては珍しいことは理解していたし、見た目も、ウルフカットを意識した髪型に細身であることから男の子に間違われることが多かった。
別に嫌な訳では無いが、高齢者が多いこの町では名前に関して固定観念を持っている人も少なからずいる。いちいち突っ込まれるのは面倒だった。
何か嫌なことを言われなくても、いい事も言われることが無かった身からすると、良い名前の一言はかなり浮き足立つものがある。
「ちなみに君の名前は?」
こちらも聞かないと失礼だろうと思い聞き返すと、少年はうーんと唸っている。
「普段は皆から竹千代と呼ばれている。」
普段は、ということは本当の名前では無いのだろうか…?
そういえば、希美が前に「やんごとなき身分の人の名前をホイホイ呼ぶのは不敬にあたるんだよ!」と教えてくれた。そういうことかもしれないし、違うかもしれない。
異星のしきたりなんだろう。深くは追わないことにする。
「竹千代か…ちょっと長いね。」
「好きなように呼んでもらって構わない。」
「じゃあ千代にしよう!!」
「千代…」
竹千代は長いし噛みそうだ。「け」から「ち」の繋がりのところなんて最悪だ。この子の星の人は竹千代様とでも呼んでいたのだろうか?ずいぶん回る舌をお持ちのようで羨ましい。
失礼なことを考えている一方で、少年は私の提案にちよ…ちよ……と呟き、満足そうにそれで頼む!と言ってきた。
「今日からよろしくね!千代!」
「世話になるぞ。そうと!」
握手しようと手を差し出すと不思議そうに首を傾けた後、おずおずの私の右手をそっと白い両手で包み込んできた。
愛され体質とは恐ろしい。純粋に握手を知らないだけで、本人にはなんの意図もないのだろうが、周りの大人が甘やかしてしまうのも納得だ。
自分より10cmは大きいであろう男を見上げながら考えていると何かを聞き忘れたような気がしてくる。
「……あ!身長!!私と会ったばっかりの時は同じくらいだったよね??!」
思い出した。これもかなり気になっていたことだ。
地球に来て急に成長期が訪れたのか、それとも千代の前の星の重力が凄まじく、それから解放された今骨がぐんぐん伸びているのか…
仮説はいくらでも立つが、正解を聞き出すのが優先だ。思い込みのせいでさっきも恥をかいたばかりだ。
「うむ…これもまた難しいのだが…成長というのが正しいだろう。」
「成長…」
これまたあっけらかんとした回答だ。成長と聞いて理解はできたが、納得はできていない。
私の知っている成長はこんなに短期間に発生するものじゃない。
「成長なのは理解したんだけど、どうしてそんなに早く身長が伸びるの??」
私の質問に困ったような顔をして黙り込んでしまう。どうやら千代も千代でよく分からないようだ。
事情を知らない人を問いつめても仕方がないのでこれ以上の言及はしないことにする。