7 続聖女の勇気 聖女、金を貸す
聖女ムーナが、恩人であるフィビトの結婚相手として紹介したのは、この国の国王だった。
国王は、早くに王妃を亡くし、長い間男やもめだった。
相談を持ちかけたのは、王の精神と身体を心配した宰相たちである。
聖女ムーナは、貴族にも民衆にも好かれていた。
だが、ムーナが本当に国王に紹介したい女性がいると言い出した時、誰も本気にはしなかった。
王はしっかりとした人物だと見做されていたが、すでに初老の域に入っており、貴族社会の女性たちを王が本当は嫌っていることは、宰相たちは心得ていたからだ。
そのために平民にも知り合いが多い聖女ムーナに声をかけたのだが、王に釣り合う平民の女性の存在を本気で信じていたわけではない。
フィビトと会った3日後、聖女ムーナはフィビトと国王を引き合わせ、その直後に2人が婚約したと教えられた。
幼い頃世話になったフィビトの幸せを、ムーナは心から祝福した。
もちろん、ムーナはフィビトが勇者マサムネの意中の人であることは知らない。
むしろ、フィビトの忠告により、マサムネがムーナのことを好きなのではないかと疑っているほどである。
国王とフィビトの両人に感謝され、聖女ムーナは足取り軽く自室に戻ろうとした。
たまたま通り道だった勇者マサムネの部屋の前で、完全装備した勇者マサムネに出くわした。
「マサムネ、今日はどうしたの? 魔物はもう出ないのでしょう? やっぱり、魔王はどこかで死んでいたと思うしかないわね。まさか……戦争に加わるつもりではないでしょうね」
勇者一行は、人間同士の戦争に参加することを禁じられている。それほど、勇者一行は人間の基準から外れた力を持っている。
「いや。少し遠出して、ドラゴンでも探そうかと思っている。ドラゴン族なら、魔王の傘下には入っていないはずだ。魔王がいなくなったとしても、棲家を変えているはずがない。魔王が死んだなんてことはない。いや……俺は信じない。ただ……魔物を狩らないと、借金が返せないんだ」
勇者マサムネの言葉に、ムーナは耳を疑った。フィビトの言葉が思い出される。
「借金? マサムネの金遣いが荒いことは知っているわ。でも、それは魔物を狩ったお金だから、人間社会に還元するんだっていつも言っていたじゃない。魔物が出なくなっても、やめられなかったの?」
勇者マサムネの素行について、何も期待していないムーナは尋ねた。
「違う。独立したくて、家を買ったんだ。手持ちがなかったから、一時的に借りることにした。借金の返済に毎月……金貨1670枚を返済する契約をしている」
「はぁっ? 毎月って、いつまで返すの?」
「35年間」
「マサムネ、頭おかしいんじゃないの? どこに、そんな高額の家があるのよ。お城だって買えるわよ」
ムーナが『城が買える』と言った瞬間、勇者マサムネの顔が歪んだ。だが、ムーナはマサムネが本当に城を買ったとは考えなかった。
「最初の支払い期限は?」
「明日」
「今から出かけて、間に合うはずがないでしょう」
「いや……ドラゴンを倒せば、数年分の支払い金には当てられるはずだ。だから、少し待ってもらおうと思っている。数ヶ月あれば、帰ってこられるだろう」
「その間、留守にして……マサムネが買った家が無事に残っているとでも思うの?」
借金の返済が滞れば、差し押さえられて競売にかけられる。聖女のムーナでさえ、知っていることだ。
ムーナが指摘すると、勇者マサムネはくずおれた。
今まで、どんな強敵にも屈したことがない、魔王ですら単身で追い詰めた最強の勇者が、膝をついた。
崩れ落ちた姿勢のまま、勇者マサムネが言った。
「ムーナ……金、貯めているよな?」
「駄目よ」
「まだ、何も言っていない」
「絶対にお金は貸さない。私の恩人に、絶対にお金は人に貸すなって、最近念を押されたのよ。たとえ、あげたつもりでも、どこかで不幸になる人がいるかもしれないって。だから、マサムネには絶対に貸さない」
マサムネは、金を貸して欲しいとは言っていない。だが、マサムネは先んじて言った。
「ムーナ、頼む」
「嫌よ」
「聖女だろう。俺を助けてくれ」
「聖女の力は、そんなことで使うものじゃないわ。いい加減にして!」
聖女ムーナは、物理的な力で勇者マサムネを振り払った。
勇者の仲間たちでも、マサムネを力で圧倒できるのは、聖女だけだと言われている。
「ムーナ、返済期間をどれだけ待ってくれるか、聞いてくる。その間に、旅の準備をしてくれ。ドラゴンさえ見つければ、解決するんだ」
「嫌よ。マサムネの都合で、悪さもしていないドラゴンを殺させないわ。でも、討伐には付き合ってあげる。どこかに、人喰いの巨人が隠れているかもしれないしね」
「ああ……頼む」
聖女ムーナが知る限り、最も弱々しい勇者マサムネの姿だった。
※
聖女ムーナが、マサムネの姿に気落ちしながら自室に戻ると、天井からぶら下がったシーツで輪をつくり、ここ数日宿泊している伯爵令嬢ビーシャが首を突っ込んでいた。
ビーシャは台に乗っている。台を蹴れば、ビーシャの首が絞まる。
「ちょっと、ビーシャ様、何をしているの! ここ最近、私と口も聞いてくれないけど、嫌がらせもしなかったのに、こんな形で私の評判を落とそうとするんですか?」
聖女ムーナは駆け寄り、首を括ろうとしていたビーシャの足元に抱きついた。
「離して! ムーナ、私のことを嘲笑っているんでしょう! もう、わかっているのよ! あなた、あの女とグルなんでしょう!」
ムーナの力は強い。腕相撲なら、勇者マサムネにも負けないのだ。
ビーシャの足が台を蹴る前に、聖女ムーナはシーツで作られた輪から、親愛してやまない一方通行の親友を助け出した。
「ビーシャ様、何のことをおっしゃっているんですか? 『あの女』って、誰のことですか?」
「あなた……私がマサムネのことを好きだって、知っているじゃない。そのために、私は王都に戻ったのよ」
「はい。でも、ビーシャ様は一度、マサムネに振られて……『まだ王城にいることは、マサムネには言わないで』って、ビーシャ様がおっしゃるから……」
「マサムネには、好きな人がいるわ」
「えっ……」
聖女ムーナは、一瞬自分のことではないかと思い、胸を痛めた。だが、話の流れからして、どうもそれは無さそうだ。
「それが……ビーシャ様がおっしゃる『あの女』ですか? 『あの女』って……誰なんですか?」
「ムーナ、あなた、勇者マサムネの部屋に入ったことがないの?」
「ありませんよ。マサムネも男です。そんな破廉恥な真似……あっ、ビーシャ様のことじゃありませんよ。ビーシャ様は、覚悟を決めて告白しに行ったんですから」
ムーナの言葉に頷き、ビーシャは険しい顔で言った。
「マサムネの部屋に、大きな女の肖像画が飾られているわ。ムーナ……あなたのこの部屋で、その肖像画にそっくりな人を見たわ」
「……えっ?」
「知っているでしょう? 黒髪を長く背に垂らした、スタイルのいい美女だったわね」
「それ、私のおば様です。でも、あり得ません。マサムネが面識あるとは思えませんし……でもビーシャ様、チャンスです」
ムーナの言葉に、ビーシャは訝しげに睨み返した。
「ムーナのおば様? そんな歳には見えないけど……チャンスって、どういう意味なの?」
「おば様って言っても血縁じゃなくて、私が幼い頃にお世話になったんです。昔から、ずっと綺麗なままで、不思議な人です。でも、マサムネが失恋しますね。だって……おば様は、もう直ぐ国王と結婚する予定なんですから」
「どうしてそうなったの?」
ビーシャが混乱している。当然かもしれない。ムーナは笑った。
「国王の再婚相手は誰かいい人がいないかって、宰相さんから言われて、おば様を紹介したんです。おば様、凄く綺麗だけど、家庭の話はしないから……そうしたら、おば様結婚したことなかったんですよ。さっき、2人を引き合わせたら、その場で婚約がまとまったみたいです。数日後に、結婚の発表があると思います」
ビーシャは肩を落とした。力が抜けたようだ。
「……そう。マサムネは振られるのね。だからと言って、私のことを好きになるとは思えないわ」
ムーナは、ビーシャの肩を掴んだ。
「ビーシャ様、直接マサムネに断られたんじゃないのでしょう? マサムネに好きな人がいるってわかって、諦めたって言ったじゃないですか。なら……その好きな人がおば様なら、チャンスがあります。いま、マサムネは困っています。手助けしてあげれば、マサムネは単純です」
ムーナの言葉に、ビーシャが目を輝かせた。だが、すぐに視線を落とす。
「そんな、相手の弱みに付け込むみたいな真似、したくないわ」
ムーナは笑った。ビーシャは、貴族令嬢にしては純粋すぎるのだ。だから利用され、嫌われたのだろう。
「別に、弱みに付け込むことにはなりませんよ。ビーシャ様は、ただマサムネを助けるだけなんですから。後は、マサムネが勝手にビーシャ様を好きになるんです」
「なるかしら?」
「なります。マサムネは、家を買いました。魔物が出なくなって、借金だけが残っています。大きなお屋敷です。もう、マサムネのものです。ただ、借金が残っている。マサムネは困っています」
ビーシャは首を振る。
「王都に、お金を持ってきているわけがないでしょう。今更、実家には頼れないわ。私に、助けることはできない」
ムーナは、自室の寝室に飛び込んだ。床板を外し、中から金貨を詰め込んだ木箱を取り出した。
重い箱だ。聖女ムーナでなければ、1人では持てないだろう。
「ムーナ、それは?」
「私の全財産です。金貨八千枚ぐらいだと思います。これを、マサムネに貸してあげてください。その代わり……」
ムーナは、金貨が詰まった箱をビーシャの前に置いた。
ビーシャは木箱の蓋をとり、言葉を失う。
「私は……ムーナに何をすればいいの?」
「ビーシャ様さえよかったら……」
ムーナは、指先を歯で噛みちぎった。
血が溢れ、白いふっくらとした指を伝った。
「いいわ。痛いのは怖いから、ムーナがやって」
ムーナは、差し出されたビーシャの細い指先を噛みちぎる。
ムーナとビーシャの傷口が触れる。
「これで、私たちは血を交わした姉妹ということね?」
「はい。よろしくお願いします。お姉様」
ビーシャは苦笑して、義理の妹となったムーナの頬を撫でた。