4 悪役令嬢の勇気
伯爵令嬢ビーシャは、勇者と結婚を望んだわけではなかった。
世界に勇者が現れた。
勇者を制御するための手綱として、高位の貴族令嬢との血縁を作ることが王命であり、ビーシャが選ばれたのだ。
確かに勇者マサムネは強かった。
異世界から転移したと言われるが、心配された破天荒な行動は少なく、能力も高く、周囲を安堵させた。
同時に、ビーシャは役割を期待されなくなっていった。次第に、ビーシャに対する期待だけがなくなり、ただ王命で勇者の婚約者となっていたという立場だけが残った。
同時期に、ムーナという少女が頭角を表す。
強い癒しの力を持つ聖女は、勇者にとって必要不可欠な存在であり、無責任な大人たちは、勇者と聖女が結ばれることを望んだ。
ビーシャには、ただ立場と責任だけが残った。
自分の立場を脅かし、自分の決意を踏み躙り、自分の経歴に傷をつけた聖女を憎むようになっていた。
気がつけば、行き過ぎていた。
聖女ムーナが無邪気に泣く前で、ビーシャは勇者マサムネから絶縁させ、王は自分が命じた婚約を破棄させていた。
父である伯爵だけはビーシャに同情し、自らの領地であるトンママ村に村長として赴任させた。
それは、村を治めて利益を追求させようとしたのではない。
単に、しばらくの間社交界から遠ざけようとしたのだ。
ビーシャは、毎日手紙を書いた。
何かに取り憑かれたように、毎日手紙を書いた。
一日の大半を費やして、手紙を書いた。
全て、勇者マサムネに宛てたものだった。
勇者マサムネが、ビーシャに興味がないことはわかっていた。
聖女ムーナがお似合いなのだろう。
ビーシャでは、戦いの役には立てない。
だが、一時的にであれ、王命であれ、婚約者だったのだ。
ビーシャに異性を慕う心はなかった。貴族令嬢には不要な感情だと教えられてきた。
決められた相手と結婚することだけが、正しいことのはずなのだ。
ビーシャにとっては、それが勇者マサムネだったのだ。
ビーシャは、勇者マサムネを恨んではいなかった。
勇者マサムネは、異世界から来たのだ。何も知らずに異世界に呼ばれ、婚約者がきまっていると言われても、理解できるはずがない。
ビーシャは、憎んでいた聖女ムーナが突然訪れて、自分の部屋で泊まった日、自分に気持ちがあることに気づいた。
聖女ムーナの無邪気な寝顔を見つめ、聖女ムーナ自身は勇者のことが好きではないのだと言ったことを思い出した。
ビーシャはその日は布団には入らず、ただムーナの寝顔を見つめていた。
「……おはようございます。ビーシャ様、早いんですね」
一睡もしていないビーシャに、起きたばかりのムーナが声をかけた。
ビーシャは眠いとは思わなかった。
「ムーナは、勇者のことが好きではないのですね」
「はい。私の好きな人は……」
ムーナは最後まで言わず、もじもじと手を動かしていた。
ビーシャは言った。
「どうやら、私は勇者マサムネのことが好きらしいわ」
「えっ?」
シーツを被ったムーナが、声を裏返した。
「以前はただ……王の決めた婚約者だったから、そばにいるのが義務だと思っていたし、婚約破棄された後も、勇者の側に居ろという王命はそのままだったから……離れるわけにはいかないと思っていたわ。だからそばに置いてほしいと、手紙を書き続けたの」
「じゃあ、ビーシャ様が毎日出した手紙って……恋文じゃないんですか?」
「王の命令の大切さをわからせるためのものよ。でも……ムーナに言われて、目が覚めたわ。私、自分でも気がつかないうちに……勇者マサムネのことが好きになっていたのね」
ビーシャの独白に、ムーナが頭を抱えた。
「これじゃ……おばさまが言った通りに……でも、私が好きな人が好きな相手が勇者マサムネなら、勇者マサムネはまさか、私のこと……」
悩み始めた聖女ムーナに向けて、伯爵令嬢ビーシャは宣言した。
「勇者マサムネが、私のことを好きじゃないのはわかっているわ。でも、ムーナのことも好きじゃないのなら、今はまだ、誰にでもチャンスがあるはず。私……勇者マサムネに告白してくる。真剣に伝えれば、応えてくれるかもしれない」
ビーシャは旅支度を始めた。もともと、荷物は多くない。ずっと書き物をしていたのだ。村長の仕事といっても、意見を求められたときに頷くだけなのだ。
「ちょっと待って。ビーシャ様、勇者マサムネに告白するのは……ちょっと、待って……」
ビーシャは、脂汗を流しているように見えるムーナを見つめた。
「どうしたの? まさか、本当は、あなたと勇者は両思いなの?」
「それは、絶対にありません」
ムーナが断言した。ムーナは、本当に勇者のことが好きではないのだろう。
「なら、問題はないでしょう。仮に、私が勇者マサムネに手ひどく振られたとしても、決してあなたを恨んだりはしないわ。約束する。だから……行かせて」
「……はい」
なぜか返事を押し殺すように答えたムーナに首を傾げながら、伯爵令嬢でありトンママ村の村長であるビーシャは、荷物をまとめた。
村を出る。本来は禁じられているが、個人の行動を厳しく制限する方法は限られている。
ビーシャだけでは旅にも慣れておらず、勇者を見つけるのは難しい。
結局、聖女ムーナと2人で王都に向かった。
ムーナの話では、勇者マサムネは王城の中に部屋を与えられ、日夜魔王の追跡に余念がないという。
魔王城を失った魔王を執拗に追い続ける理由は、ムーナにもわからないという。
ムーナ自身も王城に部屋を貰っており、ビーシャは王城のムーナの部屋に案内された。
ムーナの部屋は、聖女に相応しく聖書と聖印と呼ばれる部屋飾りで満ちていた。
「勇者マサムネの部屋は隣なの?」
「いいえ。階を別にしてもらいました。なんかその……生理的に嫌なので」
ビーシャはムーナを見つめた。
ふっくらとした丸顔の聖女が、真剣に言っているのがわかった。
本気で、聖女はマサムネのことが嫌いなのだ。
世間の噂はあてにならない。
ビーシャは、ムーナの手を握った。
「今までありがとう。あなたのこと、誤解していたのを許してくれてありがとう。私も……逃げないわ」
「う、うん……」
最後まで、聖女は歯切れが悪い。
そんなに、勇者マサムネのことを嫌悪しているのだろうか。
勇者マサムネは、ビーシャを手ひどく振るのだろうか。
ムーナの顔色に少しだけ不安になりながら、ビーシャは勇者マサムネが部屋にいるのを侍女たちから聞き、訪問した。
※
勇者マサムネの部屋の扉を叩こうとして、ビーシャは固まった。
怖かった。
ノックして、中から返事があったら、名乗ればいいのだろうか。
名乗って、部屋を開けることすら拒まれたら、どうすればいいのだろうか。
思いを伝える前に、叩き出されるかもしれない。
勇者マサムネには、それだけの力がある。
思い切って、胸に飛び込むべきかもしれない。
そのためには、勇者の反応を待っていてはいけない。
ビーシャは扉を叩く体勢で、しばらく固まっていた。
幸いなことに、勇者の部屋に警備はいらないと考えているのか、誰も来なかった。
ノックするために振り上げた手を、ビーシャは静かに扉に押し当てた。
音を立てることなく、扉を押した。
ドアノブを掴み、片手で回した。
カチャリと静かな音が響く。
ビーシャは緊張した。
だが、それだけだった。
扉が開く。静かに広がる。
勇者マサムネの部屋に、ビーシャは踏み込んだ。
ビーシャを待ち受けていたのは、すらりとした肢体を持つ美女の彫像だった。
銅製で色は塗られていない。ただの置物とも思われるが、部屋に入ってすぐに目立つように置かれている。
勇者マサムネは女好きとも言われている。
悪い癖なのだろうか。
だが、女性像を芸術的な価値から大切にすること自体、責められる必要はない。
むしろ、女のことを尊重する、良い夫になるかもしれない。
ビーシャは、マサムネと結婚する前提でいる自分に気づき、頬を紅潮させながら、女性像を迂回する。
ただの芸術作品にしては、あまりにも顔の造り込みが際立っている。
実際のモデルがいたのだろうか。
ビーシャは、製作者の名前がないことをむしろ不思議に思いながら、マサムネの姿を探して視線を部屋の奥に向ける。
壁一面を埋めるように、巨大な肖像画があった。
どこかで見たような気がした。
ビーシャは、銅像を振り向いた。
同じ女だ。
ビーシャは確信した。
その女がどこの誰かはわからない。
だが、胸から上の肖像画だけで、壁一面と同サイズの絵を描かせる女だ。
王族並みの権力と、絶大な財力を持つに違いない。
あるいは、勇者マサムネが描かせたのだろうか。
肖像画を見て、ビーシャは自分の考えを否定した。
確かに、描かれた女性は美しい。
丸顔のムーナや、やせ細ってしまったビーシャでは勝負にならない。
花のように美しく、強い決意を秘めた瞳をして、なおかつ憂いを感じさせる。
だが、描かれたのはかなり昔に違いない。
肖像画そのものは、様々な人物の絵を幼い頃から見続けている。古いものであることは間違いない。
勇者マサムネは、どうしてこんな銅像や絵を部屋に飾っているのだろう。
不思議に思いながら、ビーシャは部屋の奥の扉を開けた。
人がいた。
見たことのある背中だった。
声をかけようとした。
だが、止まった。
勇者マサムネは、布団を抱きしめていた。
その布団に、壁一杯に飾られた女と同じ人物だとしか思えない、美しい女の似顔絵が貼ってあったのだ。
過去の人物に囚われているのだろうか。勇者マサムネは、背後のビーシャに気づかずに言った。
「ああ……どこにいるんだ? 俺は告白までしたのに、返事もせずに隠れてしまうなんて。こんなことなら、あの時俺のものにしてしまえばよかった」
違う。ビーシャは自分の勘違いに絶望した。
銅像も、肖像画も、古いものにちがいはない。
だが、勇者マサムネは、あの絵や像とそっくりの女に恋している。
勇者マサムネに、他の女が入り込む余地などないのだ。
ビーシャは、静かに扉を閉めた。
ふらふらと勇者マサムネの部屋を出た。
部屋を出て、そのまま、崩れ落ちた。
涙が止まらなかった。
悪役令嬢の恋は実るはずがなかったのだと、ビーシャは知った。
次回、勇者に戻ります。