3 聖女の勇気
勇者パーティーの一員であり、聖女と称えられたムーナは、祝宴の会場で思い悩んでいた。
「どうした? ムーナ、折角のパーティーだ。俺たちが主役なんだから、楽しんだほうがいいぞ」
「あなたは楽しそうね、マサムネ」
「……俺にも、色々あるんだ。こんな時ぐらい、ハメを外したいのさ」
ムーナが振り返ると、勇者マサムネが若い女性たちにもみくちゃにされながら、笑いかけてきた。
顔に複数の赤い跡があるのは、女性たちの口紅だろう。当然のように唇の形をしている。
ムーナは意外に感じた。普段は戦うことしか考えていないように感じる勇者が、ハメを外したいこととはなんだろうか。
勇者の悩みとは別に、ムーナは自分のことを告白した。
「さっき、とても懐かしい人に会ったの。そうしたら……もし、私が好きな人が、私以外の人を好きになったらどうするかって聞かれて……」
「突然、重い話だな。その人も、きっと悩んでいたんだろう」
勇者マサムネは真顔に戻り、連れていた女たちに遠ざかるよう手で合図を出した。
何人かは、マサムネの懐に紙を忍ばせた。
「……そうかもしれないね」
「それで、ムーナはなんて答えた?」
「戦うって」
「不思議だよな。俺たちの中で、一番好戦的なのが聖女なんだもんな」
「茶化さないで。それで……考えちゃったのよ。私の憧れは……貴族令嬢の鏡と言われたあの人だった」
「……あいつか?」
勇者マサムネが、臭いものでも嗅いだかのように顔を歪めた。
「そんな言い方しないで。私はずっと憧れていたのに、結局、私が追い払ったような形になってしまった。きっと、傷ついているわ」
勇者は頭を描いた。聖女ムーナは、財産と権力のある一個人、資産家フィビトに幼いころ育てられ、大金の寄付と共に貴族の養子となった。
強い癒しの力が覚醒し、現在では勇者一向の聖女として活躍しているが、その過程で、勇者の側を離れることになった女性がいた。
伯爵家の長女であり、才色兼備、貴族令嬢の華と称えられた女性は、この国に現れた勇者を懐柔するため、国王命令で婚約者に位置付けられた。
ただ、その女性は貴族令嬢としてあらゆる才能を持っていたが、戦う力はなかった。
同時期に聖女として頭角を表したムーナが勇者の仲間として迎えられ、婚約者である貴族令嬢にあらぬ疑いをかけられ、嫌がらせを受けた。
ムーナは我慢した。その令嬢のことを尊敬していたし、誤解は解けると思っていたのだ。
だが、周囲は許さなかった。
勇者の婚約者である貴族令嬢は、ムーナにした嫌がらせを罪に問われ、現在の居場所はわからなくなっていた。
「あいつのことは、もう気にするな。俺が勇者だから、勇者が魔王を倒せば、この国の貴族になるから。それだけで、強引に婚約者になったんだ。俺のことを好きでもなんでもない。それなのに、聖女として才覚を現し、俺の仲間になったムーナにひどい嫌がらせをしたんだ。しばらく、田舎で反省すればいい」
勇者はムーナに飲み物を持ってきてくれていた。女関係にだらしない勇者だが、ムーナへの心配りは欠かさない。実に腹立たしい。
「ちょっと待って。『田舎で反省』ですって? マサムネ、あの人のいる場所を知っているの?」
勇者マサムネは、口が滑ったことを自覚したのか、自ら口元を抑えた。
「あ、ああ。トンママ村っていう、伯爵領の端の村にいる。毎日手紙が届くから、すぐに行けるが……俺は顔も見たくない。俺に近づく女全部に脅迫状を送りつけたような奴だ」
「……それは、8割型マサムネの自業自得でしょうね」
「そうかな……」
マサムネは納得しかねるように、口をへの字に曲げた。
それ以上、話はできなかった。
祝宴の主役である勇者マサムネが、挨拶をするよう呼び出されたのだ。
だが、ムーナが憧れるある人物の居場所はわかった。
伯爵である彼女の父親の領地であり、トンママ村という名前までわかっているのだ。
探し出すのは難しくない。
会って何を言うのか、自分がどうしたいのか、ムーナは考えていなかった。
彼女に会うのは怖かった。ムーナのことを嫌っているだろうし、恨んでさえいるかもしれない。
だが、誤解されたままでいるのは、聖女として辛かった。
ムーナは、勇者マサムネが止めるのも効かず、勇者の仲間から一時的に脱退し、トンママ村を探した。
※
彼女は、トンママ村の村長として赴任していた。
貴族の一員として領地経営を学ぶという名目で、何もできない環境に追いやられたのだ。
何もできるはずはなかった。
トンママ村は人口30人ほどの寒村で、自給自足以外の収益はなく、魔物から身を守るだけで精一杯で税すら免除された田舎だったのだ。
聖女ムーナは、トンママ村の村長の邸宅を訪れた。
2階のベランダで、熱心に書き物をする乱れた黒髪の女がいた。
聖女ムーナが慕う、伯爵令嬢ビーシャの姿だった。
乱れた髪もあって、やつれているように見えた。
ほっそりとした体は、さらに骨と皮ばかりに見え、何かを書き続ける様は勤勉よりも狂気を思わせた。
「ビーシャ様!」
村長宅に面する往来から、2階の伯爵令嬢ビーシャに向かい、聖女ムーナは声を張り上げた。
机に覆いかぶさるように書き物をしていた令嬢が顔を上げる。
生気に満ちた美しい令嬢だった。だが、かつての面影はなく、やせほそり、目は血走っていた。
顔を上げ、伯爵令嬢ビーシャがムーナを見下ろす。その顔が、瞬時に嫌悪に満ちた。
「ムーナ? 私を嘲笑いに来たの?」
「違います! ビーシャ様、聞いてください。 私は、ビーシャ様のことを……」
「お黙りなさい! あなたの顔なんて、見たくないわ!」
いきりたった伯爵令嬢が、ムーナに向かって書きつけていた冊子を投げつけ、ベランダから部屋に駆け込むように戻り、姿が見えなくなった。
聖女ムーナは、投げつけられた冊子を受け止めた。
風でページが捲れた。
人の名前と住所が書かれていた。先ほどまで、ビーシャが熱心に書き続けていたのだ。
ムーナの目は惹きつけられた。
人の名前と同時に、その人物が何をしたか、どうやって復讐するかの計画が書かれていた。
ムーナは、その中に自分の名前を見つけた。
聖女ムーナは、冊子を閉ざしてトンママ村の村長宅の玄関に向かった。
中からは、メイド服を着た老婆が出てきた。
「どなたです?」
「ビーシャ様と会わせてください。これを返したいし、ビーシャ様は誤解されているわ」
ムーナは冊子を老婆に渡した。
老婆は面倒臭そうに受け取り、肩をすくめて下がった。
老婆は、働き口を求めた村人なのだろうと推測した。
きちんと教育を受けたメイドを雇うこともできない状況なのだと、ムーナは悲しくなった。
本当に、会いに来てよかったのだろうか。ムーナの心臓が、けたたましく鳴っていた。
勇気を奮い起こし、震える膝を拳で叩いた。
しばらくして、中に入るよう老婆が告げた。
ビーシャが許したのだと、ムーナは歓喜して駆け込んだ。
※
部屋に飛び込んだムーナに、ビーシャが怒鳴り声を上げた。
「何の用なの? 私は報いを受けたわ! まだ、痛めつけたいの?」
ビーシャの自室なのだろう。高価な本が棚に並び、大きな衣装ダンスが目立つ部屋だった。
「待ってください。ビーシャ様、誤解です。私は、勇者マサムネのことを好きではありませんし、勇者マサムネも、私のことはなんとも思っていないんです」
伯爵令嬢ビーシャが、血走った目でムーナを見つめた。
「どういうこと? 私は、勇者と結婚するように定められていたわ。その地位を、突然現れた聖女に横取りされたのよ」
「聖女というのは……私です。でも、マサムネと結婚なんてしたくないです」
「仲間なのでしょう? 勇者の結婚相手は慎重に選ばれる。貴族の中で、選ばれた者、あるいは……より強い力を継承できる者にね。私は、聖女より劣ると判断された」
「決めたのは国王と枢機卿です。私じゃありません。私は……私は、ビーシャ様に憧れていました。私は平民の生まれでしたから、伯爵令嬢として洗練されたビーシャ様のことが大好きで、でも、勇者の婚約者にさせられて……結婚なんてしません。マサムネもわかっています。魔王を倒したら、私はどこか遠くに逃げます。勇者の結婚相手がいなくなりますから、ビーシャ様……よ、よかったら……」
「あなた、何を言っているの? バーゲンセールの売れ残りじゃないのよ」
呆れたように、ビーシャは言った。ムーナの言葉に呆れている。だが、先ほどのような厳しさがなくなっていた。
「そうですね。もう、要りませんよね。あんなもの……」
「今の私は、トンママ村の村長よ。でも、勇者様に向かってそんな言い方はいけないわ。選んだのは、マサムネ様ではないのだもの」
ムーナは、ビーシャを見つめた。
「ビーシャ様は……マサムネのこと、お好きなんですね」
ビーシャは、大きく肩を落とした。
「きめられた婚約者だったのよ。個人の感情なんて関係ない。そう思っていた。だけど……ええ。好きよ。悪い?」
ムーナはビーシャに近づく。理由はわからない。ただ、ムーナは泣いていた。
「どうして泣いているの?」
ムーナは、ビーシャの手をとった。
「どうしてでしょう。なぜか、とても悔しいです。マサムネなんかに、ビーシャ様をとられたような気がして」
「ちょっと、しっかりなさい。女同士よ」
「ええ……はい。わかっています」
ムーナの涙を拭ったのは、ビーシャだった。
聖女ムーナの勇気が、1人の令嬢を救った。