2 魔王の勇気
勇者マサムネに告白された魔王フィビトは、魔物たちが集まる居酒屋に逃げ込んでいた。
敵を恐れて避難したわけではなく、精神的に追い詰められて現実逃避する『逃げる』である。
「なんなのだ! あの勇者は! 余に告白するなど、愚弄しておる!」
カップの中の果実種を飲み干し、テーブルに叩きつけた。
魔王の力で叩きつけられたテーブルが揺れる。
魔王の腕は細くとも、細い腕はきめ細やかな肌で覆われていようとも、きめ細やかな肌は白く美しくとも、その力で魔物たちを従えてきたのだ。
「まあまあ、魔王様。仕方ありません。魔王様は、お綺麗ですから」
魔王のカップに果実種を注ぐ魔物を、魔王はじっと見つめた。
「そなたほどではない」
「お上手ですね」
「世辞ではない。そなたこそ、透き通るほどではないか」
「あたしゃ、スケルトンですから。そりゃ透き通りますけどね」
酒に逃げる魔王を慰めていたのは、人体の骨だけで動いている不思議な魔物、スケルトンだった。
骨しかないのに、酒を飲めるのだ。
「ああ……このようなことがあの子にしれたら、余は生きてはいられない」
「魔王様、自殺なんかしちゃダメですよ。せっかく、勇者から逃げたんですから。魔王様が死んだら、魔物たちはまた有象無象に逆戻りです」
「わかっておる。だが……余は、あの子には嫌われたくないのだ。人間ながら魔力に恵まれ、幼い時を我が城で過ごしたムーナ……聞くところでは、勇者マサムネと一緒に行動しているそうではないか。女は、強い男に惹かれるものだ。きっと、ムーナはマサムネが好きなのだろう。それなのに、あの勇者ときたら……余のような、ただ美しいだけの女に、どんな魅力があるというのだ」
「一目惚れですよ。きっと」
魔王と勇者に接点はないはずだ。顔を合わせたことはある。ただ、常に敵同士だ。
勇者が本当に魔王に惚れたのなら、一目惚れというのは間違いではないのだろう。
「このままでは駄目だ」
魔王フィビトは、飲み掛けのカップの中身をスケルトンに押し付け、席を立った。
「ムーナが勇者の好きな相手に気づく前に、余が誤解を解かねばならぬ。ゴーストたちを集めよ。聖女であるムーナは、ゴーストを見れば寄ってくるはずだ」
「……ゴーストたちを餌にするのですか……わかりました。魔王様のためです。うまくおびき寄せます」
「任せた」
魔王は言うと、代価として自分の爪を剥がして投げた。
酒代である。強い魔力を持つ魔王は、全身が魔法の触媒として高値で取引されるのだ。
※
魔王討伐こそ果たせなかったが、勇者一行は魔王を追い払い、魔王城から魔物を一掃した。
現在でも、魔王は行方不明である。
勇者一行は国に帰り、戦果を報告する。
勇者を労う祝宴の会場である王の城に、魔王フィビトはいた。
広い王城の一画で悲鳴が上がる。
大量のゴーストが暴れ回っているのだという報告がなされ、飛び出したのは勇者一行で回復役を任されている聖女のムーナだった。
兵士たちが誘導し、ムーナが入った部屋で、魔王フィビトは待っていた。
「ここに、ゴーストが群れをなして出たと聞いたのですが……」
時刻は夜だった。
星の灯りだけを背負い、フィビトは待っていた。
飛び込んできた聖女は、祝宴に出席するためにドレス姿だった。
薄い水色の衣に、大胆に肩を出した姿に、フィビトは目頭を熱くした。
「ええ。もう心配はいらない。追い払ったわ」
「えっ? あなたは……」
聖女が近づいてくる。
魔王フィビトは、あまりの愛おしさに胸が締め付けられる思いだった。
「覚えているかしら? 最後に会ったのは、まだほんの小さな頃だったものね」
実際には、フィビトはムーナの成長をずっと見守ってきた。ただ、直接顔を合わせるのは十数年ぶりだった。
「おばっ……お姉様?」
「『おばさま』でいいわよ。昔は、ずっとそう呼んでくれたじゃない」
「いいえ。お姉様、ちっとも変わらない。私の記憶のまま……私、お姉様のこと、あまり知らずにいたのですね。大量のゴーストを簡単に追い払えるのですね」
「大したことはないわ。ムーちゃん……ごめんなさい。昔の呼び方がつい……」
「いいえ。お互い様です。お姉様には……ムーちゃんと呼んで欲しいです」
「そう。なら、私のことも『おば様』と」
「呼ばれたいですか?」
「それはないわね」
魔王フィビトが笑うと、ムーナも声をあげて笑った。
「今日はどうなさったのですか? お姉様も、祝宴に招かれて?」
「いいえ。私は、ムーちゃんに会いにきたのよ」
「私に?」
魔王は、本題に入ろうとした。
だが、途端に全身を緊張が襲った。
今までは、ただ懐かしさとムーナの愛らしさを堪能しているだけだった。
これから言おうとしていることで、ムーナに嫌われるかもしれない。
それを思うだけで、胸が痛んだ。
「ええ。少しだけ、時間ある? もし、忙しいなら、後でも……い、いえ、明日とか、どうかしら?」
「せっかくお会いできたんです。お姉様もお忙しいでしょうし、祝宴なんて、私がいなくても関係ありませんし」
「そんなことはないわ。でも、ありがとう。時間は……あるのね……」
「はい」
少しでも嫌なことは先延ばしにしようとする魔王の目論みを打ち砕くかのように、聖女ムーナは即答した。
魔王は、震える足を踏み出した。
ムーナに近づく。近くで見ればみるほど、ムーナは愛らしかった。
魔王はつい両手を伸ばし、ムーナの肩に手をふれた。
ムーナが首を傾げる。
首を傾げる表情、傾げる仕草、傾げる角度まで、完璧だと魔王は感じた。
「もし、ムーちゃんが好きな人が……別の人を好きだったら、ムーちゃんはどうする?」
「えっ? 相手にもよりますけど……戦うでしょうか」
聖女の答えに、魔王は夜の闇以上に真っ暗になった気がした。
「ムーちゃんが好きなその人が、別の人を好きで……その別の人が、ムーちゃんのことが大好きだったら?」
「そんなことが……まあ、あり得るのかもしません。私のことを大好きな人を傷つけたくないし……」
「そうよね!」
「えっ? はい」
魔王フィビトは、勢い込んだことを自覚した。だが、止まらなかった。必死だったのだ。
「でも、ムーちゃんのことが大好きなその人は、その人を大好きな相手のことなんて、大嫌いなのよ」
「……誰のことですか?」
「た、たとえ話しよ。でも、これだけは覚えておいて。私は、ムーちゃんのことを誰よりも愛しているわ」
「はい。ありがとうございます」
聖女ムーナが屈託なく笑った。
その時だった。
部屋の外で聞き覚えのある声があがった。
「ムーナ、大丈夫か? 遅いから、みんな心配しているぞ」
勇者マサムネだ。フィビトは苦虫を噛み潰す。
最後に、ムーナを抱きしめた。
「あっ、お姉様……」
戸惑ったようなムーナの声が、最後に聞こえた音だった。
突然消えれば、たとえ聖女のムーナでも、戸惑うのは当然だ。魔王フィビトは、魔王の力を最大限に活用し、その場から消えていた。
「魔王様、どうでした?」
王城の庭園で、土の中から骨が湧き出てきた。
魔王が心配でついてきたスケルトンである。
兵士が多いこの場所で、魔物と思われないよう、魔王が地面に埋めたのだ。
「ああ。問題ない。勇気を出して、言ってよかった」
「おめでとうございます」
スケルトンの祝辞に魔王フィビトは笑い返し、先ほど抱きしめた聖女の温もりを思い出していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
勇者に愛された魔王が、聖女を溺愛していた物語です。
当初は短編のつもりでしたが、リレー形式で続けると面白いかもしれないと思い、しばらく続けてみます。
次回、魔王に溺愛された聖女が、勇気を出す物語です。