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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

石像は凍える乙女を離さない~石にされた英雄は不遇な令嬢に愛を囁く~

作者: マチバリ

「虐げられ令嬢はいにしえの英雄に囲われる」としてアマゾナイトノベルズさまより配信中

改稿&7万字ほどの加筆をしています

 吐く息が、周りの雪に溶け込むように白い。

 寒くて凍えてしまいそうだったが、ルルティアナは迷わず歩き続けた。

 雪の重みでこうべを垂れた枝をかき分けるようにして先に進めば、うっそうとした林の中にぽっかりとできた雪原にたどり着く。


 その中央に立つ人影。


 今日も無事にそこにいてくれたという事実にルルティアナは微笑む。

 雪を踏みしめながら近づいて、頭や肩に積もった雪を丁寧に落してやる。

 触れる手のひらが痛みを訴えるほどに冷たい頬を温めるように撫でながら、ルルティアナは申し訳なそうに眉を下げた。


「なかなか来られなくてごめんなさい。トレシー様もお変わりがないようでよかった」


 ルルティアナが話しかけてもそれは喋ることはない。


 何故ならば彼は、物言わぬ石像であった。


 ルルティアナが『彼』を見つけたのは本当に偶然であった。


 たった五歳で死に別れた母が墓に入った途端、ルルティアナの父親は、以前からよその家に住まわせていた愛人とその娘を屋敷に招き入れた。

 義母は当然だという顔をして、ルルティアナの母の部屋を乗っ取り、母が大切にしていたドレスや装飾品を身に付け、お金に換えたりと勝手気ままだ。

 一つしか歳の違わない異母妹のメルリアは、母に似た青い瞳以外は地味な見た目のルルティアナとは真逆で、華やかな義母に良く似た美しい少女だった。

 父親は元から義母と恋人関係で、ルルティアナの母とは親が決めた政略結婚だったと口にしてはばからなかったので、当然のごとく彼女たちの味方。

 何より、妹は父親とおなじ魔力持ち。ちっとも自分に似なかった娘より、愛を注いでいるのはすぐに分かった。


 ルルティアナは、彼らにとっての体のいい下僕となり果てることになる。


 九歳の誕生日。

 ルルティアナの腕にあったのは誕生日プレゼントなどではなく、小さな花かご。


「わたくしの誕生祝に飾る花を摘んで来て頂戴、おねえさま」


 普段は姉などとは、決して口にしない異母妹であるメルリアがわざとらしく甘えた口調で訴えてくる。


「花って……外は雪よ。咲いているわけがないわ」


 窓の外に視線をやったルルティアナは顔を青くして首を振った。

 助けを求めるようにメルリアの後ろにいる義母や父に視線を向けるが、どちらも味方をする気配はない。

 それどころか、可愛いメルリアのお願いを断ろうとしているルルティアナに鋭い視線を向けていた。


「まあ!ルルティアナの分際でメルに逆らうなんていい度胸ね!」


 義母が嬉々とした様子で詰め寄ってくる。

 ルルティアナを攻撃する口実ができたことが嬉しくてたまらないのだ。


「花を摘みに行くのが嫌なら、明日の準備に窓ふきと床磨きをしてもらおうかしら。水は外の井戸から汲んでくるのよ」

「そんな!」


 今度こそ本当に悲鳴が出た。

 この寒さでは井戸の水は凍っているだろう。水を汲むためには表面の氷を叩き割らなくてはならない。よしんば無事に水が汲めたとしても、どれほど冷たいだろう。その水を使って窓や床を掃除する。きっと指はぼろぼろになってしまう。


「……花を、摘んできます」


 それならば雪の中での花探しの方がまだましに思えた。

 運がよければスノードロップの一つでも芽を出しているかもしれないと、窓の外に目を向ければ、雪は穏やかになっているし、空には晴れ間が見えた。


「最初からそう言えばいいのよ。花を見つけなかったら晩御飯は抜きだからね!!」


 勝ち誇った顔をしたメルリアと満足げな義母の視線から逃げるように俯きながら、ルルティアナは花かごを強く握りしめた。


 雪靴を履いていても、冬の山は少女一人で歩くには険しすぎるものではあった。

 何度も雪に埋もれながら、地面を舐めるように眺めて花を探した。

 見つけないと、家にも入れてもらえないかもしれない。


 ルルティアナは深いため息を吐く。


 実母が生きていればと何度思った事だろう。

 幼い記憶の中では、父親は今ほど冷酷ではなかった。

 寒い冬は暖炉の前に座った母の膝に乗り、絵本を読んでもらっている事が多かった。父親はそんな自分に優しく笑いかけてくれることだってあった。

 今ではその場所はメルリアだけのものだった。


 異母妹はルルティアナが少しでも優遇されるのが許せないのだろう。

 服や食事など、全てメルリアの方が良いものを与えてもらっているというのに、今日だって、たった一日先にルルティアナが誕生日を迎える事が気にくわないのだ。


 悲しみに涙が出そうだったが、今泣いたら涙まで凍ってしまうと瞬きでそれを散らす。

 とにかく今は早く花を探さなければ。

 日が暮れてしまったら、本当に森で迷って凍え死んでしまう。



 寒い、痛い、辛い。



 誰でもいいから大丈夫だよと、かわいそうにと優しくしてもらいたい。

 そんな切なる願いがルルティアナの心を占めていた。


 しばらく歩き続けていると不思議な場所にたどり着いた。

 周りを囲む木々が突然なくなり、ぽっかりとそこだけ空間が切り取られたような何もない雪原。


 否、その中心に誰かが立っていた。


 季節外れの猟に出てきた人だろうか。それとも自分と同じように何かを探しに来た人だろうか。それとも。

 寒さと人恋しさから、無防備にもその人影に近づいていく。


「まぁ……」


 ルルティアナはそれが誰なのか気が付いて目を丸くした。


「こんなところにトレシー様の石像があるなんて」


 驚くのも無理はない。人かと思ったそれは石像。

 しかもルルティアナもよく知る人物をかたどったものだ。

 これより一回り大きなものが街の中心には飾られている。


 バルト・トレシー。それは数十年前この国を襲った黒竜を倒した伝説の魔法剣士。

 山ほどもあったという老獪な黒竜を彼は魔法と剣技で討伐した。しかしその直後、忽然と姿を消してしまったのだ。

 一説には死に瀕した黒竜に呪われて命を落としたとも言われているが、理由は今も謎のまま。


 だが、彼の尽力があったからこそこの国は消し飛ばずに済んだのだと、人々はバルト・トレシーを英雄として祀った。


 ルルティアナも彼の英雄譚を綴った絵本をよく読んでもらったものだ。

 それは幸せな母と父との記憶に繋がるもので、ルルティアナはバルト・トレシーという英雄がとても好きだった。


「トレシー様がこんなに雪をかぶって大変だわ」


 手袋を外し、ルルティアナは石像に積もった雪を払う。随分長く放置されていた石像らしく、あちこち汚れている。

 しかし不思議な事に素材である石その物は風化した様子はなく、雪と共に剥がれた汚れの下はつるりとしたすべりの良い質感であった。

 よく目にする巨大な石像とは違い、ほぼ等身大のそれは本当に精巧な作りで、こんな山の中にぽつんと飾られているのが不思議なくらいだった。


「本当なら磨いて差し上げたいんだけど……今日はお顔だけで許してくださいね」


 雪を払いながら体温で解けた雪でコケと泥にくすんだ石像の顔を磨く。

 すぐに汚れは流れ落ち、美しい英雄の顔が姿を見せた。


「ああよかった。やっぱりトレシー様は素敵だわ」


 本当によくできた石像で、街でよく見かける彼の姿絵に瓜二つの造形だった。

 整った顔立ち。見上げるほどの長身と鍛えられた身体。薄く開いた瞼の中にある瞳は黒曜石のように美しいと聞いている。


 ほっと微笑んだルルティアナは、流石に疲れたと石像の足元に座り込み、冷たく冷えた足にもたれかかるようにして身体を預けた。


「……ねぇ、トレシー様、お話を聞いてくださる?」


 周りに誰もいない事や、相手が石像であるという気安さから、ルルティアナは自分がここに何をしに来たかを語った。

 自分を顧みない父親、意地悪な義母、我儘で身勝手な異母妹。何もかもが悲しくて辛いと語るルルティアナの瞳には涙が滲む。

 これまで誰にも打ち明けられなかった胸の内を話せたことでつかえが取れたのか、さっきまでは寒くてたまらなかった身体が少し楽になって気がした。


「ごめんなさい、こんな話をして。早く花を摘んで帰らなくては。メルリアに怒られてしまうわ」


 スノードロップでもあればいいんだけれどもと、ルルティアナは呟きながらあたりを見回す。


 するとどういうことだろう。さっきまでは何もなかったはずの足元に、すっと伸びたスノードロップの新芽が見えた。

 花蕾はふっくらと膨らんでおり、屋敷に持ち帰って温めれば明日にでも咲いてくれるかもしれない。


「ああ! トレシー様のおかげね! ありがとうございます!」


 ルルティアナは嬉々としてそれを積んで花かごに入れると、石像に向かって何度も頭を下げた。


「またお礼に来ます。次はあなたを磨くための布を持って来なくっちゃ」


 微笑ながらもう一度石像の頬を撫でると、ルルティアナは足取りも軽く屋敷へと戻ったのだった。


 以来、ルルティアナは山に使いに出されるたびに石像の元を訪れた。

 約束した通り、話をする前には石像についた汚れを丁寧に拭い、かいがいしく世話を焼いた。

 まるで行き場のない愛を注ぐように、記憶にある優しい母親を自分でまねるように、石像の汚れを取り、磨き上げる。

 見つけた時は苔だらけだったそれはルルティアナの献身により、町の中心に飾られているものよりも美しく神々しくさえあった。


「トレシー様、今年の秋は山の実りがよく、色々と蓄える事が出来ました。これで冬場に食事を抜かれても安心だわ」


 そう微笑むルルティアナは少女から女性になっていた。来月には十九歳になる。もうここに通い詰めて十年が過ぎようとしていた。

 以前はろくな食事を与えられていなかった故、やせ細った身体をしていた彼女だったが、不思議とこの石像を訪ねた帰りは古い罠にかかった獣や、山の実りに出くわす事が多く、家族にばれないように栄養を蓄える事ができた。

 そのおかげが、華奢く細い体つきではあるものの健康を損なうことなく成長する事が出来たのだ。


 石像の足元に腰掛け、その足にもたれかかりながら日々の苦労や何気ない出来事を話すのが癒しの時間であった。

 返事が返ってくることはなかったが、英雄は黙って話を聞いてくれるような気がしていたから。

 春夏秋冬と季節ごとに変わる景色の中、石像だけがルルティアナの支えだった。

 ずっとこの日々が続けばいいのとルルティアナは願っていた。

 だが、その願いははかなく消えてしまった。



 ルルティアナは雪の中で光り輝く石像に、切なげな笑みを向けていた。

 寒さのせいで頬は林檎のように赤く、唇は色を失くしている。切なげに胸の前で組まれた指先は真っ赤になっている。


「トレシー様。私、お嫁に行くんです」


 言いながら、ルルティアナは唇を噛む。



 昨夜、突然父親から呼び出され、告げられたのはルルティアナの結婚相手が決まったとの知らせだった。

 相手は父親よりも年上。大きな商会を取りまとめる金持ちで、前の妻を亡くして一人さみしく過ごしているので世話を焼く妻が欲しいのだと言う。


『これはもう決まった事だ。あちらは働き者の若い娘と聞いて喜んでいる。支度も持参金も必要ない。金は全てあちらが用意してくれるから、その身一つで行けばいい』


 父親の後ろで笑う義母とメルリアの表情は、意地悪く歪んでいた。

 ルルティアナは自分が売られたのだということに気が付き、何も言えず逃げるように自室に戻った。

 いずれこんな日が来るとは思っていたが、あまりに残酷だった。

 結局、父親にとっての真実の家族は義母と異母妹だけ。

 はらはらと無言のままに涙を流しながら、ルルティアナは自らの身の上を嘆いたのだった。


 今日の夜には迎えが来ると言われ、ルルティアナは何事かを叫ぶメルリアを振り切るようにして森に来ていた。

 どうして、でも別れを告げたかった。


 嫁いでしまえばここに来ることはできないだろう。

 この十年、辛くともなんとか心を壊さず生きてこられたのは、この物言わぬ石像があったからだ。

 母が語り聞かせてくれた英雄の姿をしたこの石像は、ルルティアナにとって幸せの象徴。


「トレシー様が居た事で、本当に救われました。ありがとうございます」


 最初と同じようにルルティアナは石像の頬を優しく撫でる。

 その形の良い唇に触れたくなって指を滑らした。


「……私は、あなたさえいてくださればよかったのに。きっともうここには来れません」


 嫁ぐと言うことは、夫となる男に妻として身体を差し出さなければならない。未だ誰とも合わせた事もない唇も、顔も知らぬ相手に奪われてしまう。


 それならば、と引き寄せられるようにルルティアナは石像の身体に抱き着くように身を寄せた。


 これまでその体を磨くために触れた事はあっても、意図を持って触った事などなかった。

 我ながらばかげていると思う。無機物の石像にこんなことをするなど。


「トレシー様、はしたない私をお許しください」


 石像の唇にルルティアナは己の唇を重ねる。

 雪で冷えた石はさぞかし冷たいだろうと思っていたのに、何故かその感触は心地よかった。

 最初はつるりと冷えていた石の唇が、ルルティアナの唇によって暖められたのかじんわりと熱を持っていく気がした。

 ゆっくりと唇を離しながら、ルルティアナは自らの行いの憐れさに乾いた笑いを零した。

 ほんの数秒で終わった初めての口付け。相手は物言わぬ石像。

 だが、満足だった。たとえ石像でも憧れた人が相手だ。きっとこの先の人生もこの思い出が支えになってくれるはず。


「さようなら」


 これで終わりだと、石像から離れようとした。


「そんな事は許されないよ、愛しいルル」

「え……!?」


 突然聞きなれぬ声がしてルルティアナは動きを止めた。

 驚いて顔を上げれば、先程までしがみついていた筈の石像が、何故か動きだしていた。

 だらりと下がっていた腕が持ち上がり、ルルティアナの身体をしっかりと抱きしめる。


「な、なに……!?」

「ああ。なんと柔らかく温かな身体か。ずっと君に触れたかった。美しく育っていく君をこの腕に抱きしめ、存在を確かめたかった」

「い、いやぁっ!!??」


 恐怖で混乱したルルティアナは自分を抱きしめてくる腕から逃げようともがくが、既に石像ではなくなった太くたくましい男の腕はそれを許さない。

 それどころか、大きな掌が身体をまさぐるように動き回りはじめ、ルルティアナは悲鳴を上げた。

 だが、腕の持ち主はそんなことお構いなしに抱きしめる力を増してくる。


「ルル、ルル。俺のルルティアナ」

「どうして私の名を…!!?あなたは一体誰です!!?」

「酷いな。何度も俺の名を呼んでくれたではないか。俺は君の英雄、バルト・トレシーだよ?」

「なっ……!!」


 すっかり生身の人間になっている石像が優雅な微笑を浮かべていた。黒曜石の瞳が美しく煌めいている。

 それは間違いなくバルト・トレシーその人で、ルルティアナは一体どういうことなのか目を白黒させたのだった。


 ルルティアナを腕に抱く、石像だった男もといバルト・トレシーは、自分がかつて倒した黒竜の呪いで石像にされていたのだと語った。

 それはとても複雑な呪いで、バルトの魔法をもってしても解くことはできないものだったそうだ。

 無理に解呪したり動こうとすれば、身体が砕けて死に至るやっかいな呪い。

 バルトにできたことは、黒竜と共に落ちた険しい谷から、時間をかけ人里近い所に戻ってくることだけ。

 石像となり年を取ることも時間を感じる事もなかったが、弱い魔法は使え、意識や思考はそのままだったという。


「気が遠くなるような年月、まともに身動きを取ることもできず、考え続けるだけしかできなかった。それが、どれほど苦痛だったことか」

「それは、お気の毒に……?」


 たくましい胸板に顔を押し付ける形で抱きしめられたままのルルティアナは、その話を聞きながら困惑しきった声を上げた。

 英雄を名乗るこの男が本物なのかわからなかったが、目の前で石像だったものが動き出して人間になったのは疑いようもない事実。

 しかもその外見は、ルルティアナが知るバルト・トレシーそのもの。

 ずっと外で石像をしていた筈なのに、腕の中は信じられないほど温かく優しい匂いがした。

 人から抱きしめられるなど、母親が死んで以来、はじめてだ。


「嘘のようだが俺は本当にバルト・トレシーさ。君の愛する英雄だよ、可愛いルル」


 バルトはルルティアナを抱く腕に力を込め、鼻先を首筋にうずめてくる。


「きゃっ、やっ……!?」

「何と優しく甘い匂いか。最初に触れたものが君であると言う喜びをどう伝えればいい」

「いやぁ! 離して、離してくださいっ!!」

「あんなに熱烈なくちづけで私を目覚めさせておいてどうして嫌がるんだい?」


 首の付け根をくすぐるバルトの暖かな吐息にルルティアナは背中を震わせる。

 彼の手が怪しく動き始めたのを感じ、慌てて身をよじって逃げようと試みるが、今度は背中から抱きしめられる体勢になってしまい、ますます逃げられない。

 片腕で腰を抱え込こまれ、片方の手は不埒にもルルティアナの胸の上を撫でまわしてくる。

 うなじにぴったりと押し付けられている彼の頬は、焼けるように熱かった。


「なんで、なんで……!!」

「私が黒竜に掛けられた呪いは『愛する乙女からの口付け』で解けるものだったのだよ」

「……!!」


 肌に囁き込まれるように紡がれるバルトの言葉は蕩けるような甘さを帯びており、ルルティアナは喉を鳴らす。


「君が私を見つけたあの日は奇しくも、転移魔法であそこにたどりついた日だったんだ。石像の私を見つけた者は、無関心を貫くか、金にならないかと考える下劣な者かのどちらかだった。だが、君は汚れた私を気遣い、英雄だと大切にしてくれた。君の優しさと献身に私はすっかりやられてしまった。君の美しさに俺は恋をしていた」

「……!!」

「君が来ない日はどうにかなってしまいそうなほどに寂しかった。君が帰っていくのを見送る辛さは言葉にできない。少しでも君の身体が楽で安全にあるように魔法をかけ、山の恵みを君に与える程度のまじないしか使えず、口惜しかったよ」


 その告白にルルティアナは目を見開く。

 石像に会った帰り、不思議なほど色々なものを得る事が出来たのはバルトの魔法だったのだ。

 ここに来ると不思議と心と体が軽くなったのは気のせいではなかった。


「君が辛く苦しんでいると聞いて、助けられない不甲斐なさを呪ったさ」

「トレシー様……」

「バルト、と。君が結婚させられると知った俺が冷静でいられると? 君が口づけてくれなければ、この身体が砕ける事になったとしても、君を助けに行っただろうね」

「バルト様……」


 これは都合の良い夢なのだろうかと、ルルティアナはぼんやりとバルトから与えられる言葉と甘い熱に身を委ねていた。

 首筋に触れているのは頬ではなく、バルトの濡れた舌だ。胸を撫でていただけの手のひらは、ささやかなふくらみを優しく包むような動きになっていた。

 与えられる刺激と優しい声音がまるで薬のように思考を奪って行き、ルルティアナはくったりとバルトの腕にもたれかかる。


「愛しいルル……ああ、今すぐ君を俺のものにしてしまいたい……だが、駄目だ。君の憂いを全て払ってあげなくては……」

「う、れい?」


 なすがままに身体をまさぐられていたルルティアナは、バルトの言葉に鋭さが混じった気がして、沈みかけていた意識を浮上させた。


「そうだ。君を苦しめつづけ、俺から君を奪おうとした連中をまずは消しておこう。可愛いルル、ここで待っているんだよ」


 消す、という単語にルルティアナは目を見開き、バルトの腕から逃げるようにもがいた。

 だがその抵抗はあっというまに意味をなくす。

 先程まで自分を抱きしめていたバルトそのものがその場から姿を消したのだ。

 一瞬、夢だったのかと呆然としたルルティアナだったが、先程までそこにあった筈の石像がすっかり消えている事と、なぶられて熱を持っていた己の身体から先程のことが現実だと思い知る。


「……帰らないと……!!!」


 バルトの言葉の意味を正しく受け取るならば、向かった先は一つしか考えられない。


 破れそうなほどに激しく脈打つ心臓を胸の上から押さえながら、ルルティアナは屋敷に帰り着いていた。

 休まず走り続けた為に足は震えていたし、喋ることができないほどに呼吸が乱れている。

 額からたれる汗をぬぐうこともできずに見つめるその先には、笑顔を浮かべたバルトが立っていた。


「おや、どうして来たんだい可愛いルル」

「あ……ああ…」


 赤い炎がバルトの顔を煌々と照らしている。

 ルルティアナが生まれ育った屋敷はすっかり火にまかれており、周りの雪を溶かし始めていた。


「なんて、なんてことを……!」

「どうしてそんな顔をする? 君を苦しめたやつらの家なんてどうなってもいいじゃないか」

「ああ、お父さま! お義母さま! メルリア!!」


 ルルティアナは慌てて屋敷に駆けだすが、その身体はバルトの腕に囚われてしまう。


「駄目だよルル。危ないじゃないか」

「でも、家族が!」

「あんな連中が家族なのかい? 君をずっと苦しめてたじゃないか。しかも俺からルルを売るように嫁がせるなんて」

「それは……でもいけないわ! 私はこんなこと望んでいないわ!!」


 ルルティアナは瞳から大粒の涙をぼろぼろ零しながら、自分を抱え込んでいるバルトの腕を叩く。

 確かに憎いと思った夜はある。何故自分ばかりがと呪った日もあった。

 それでも、こんな残酷な復讐など望んでいないと、ルルティアナはしゃくりあげながら訴えた。


「ふうん?」


 だがバルトはそんなルルティアナの訴えに、不思議そうに首を傾げるばかりだ。


「そんなに言うならば焼くのはやめてやってもいいけれど」

「ほんとう!!」


 まさかの言葉に弾かれたように顔を上げれば、ゾッとするような優しい顔が見下ろしてきていた。


「ルルが俺だけのものになると誓うのなら、アイツらは見逃してやる」

「……あなただけの、もの?」

「そうだ。俺以外の事を考えないで。俺以外に触れさせないで。誓える?」


 まるでワガママな子供のような言葉。

 だが、それは嘘偽りなく本気の要求だとルルティアナは理解できた。

 どこまでも優しげに蕩けた瞳で自分を見つめる男の狂気に、息を飲み身体を震わせる。


「……どうして。どうしてそんなこと」

「君を愛してるからだ、ルルティアナ。石像のまま永遠の孤独に朽ちると思っていた俺に温もりと希望を与えたのは君だよ、愛しい人。君を手に入れるためならば、俺はあの黒竜さえ復活させても構わない。君も俺がよいといってくれたではないか。あの口付けで俺は解放された。俺の全てはルルティアナのものなんだ。離れるなんて許さないよ」

「っ……!!」


 真っ黒で巨大な竜を操り人々を襲うバルトの姿が脳裏をよぎり、ルルティアナは全身を強張らせる。

 何故、と頭の中を占めるのは後悔と絶望と恐怖。幼い憧れと恋情が音を立てて崩れ落ちていく気がした。

 幸せの残像にすがるように、あの石像の真実を知らずに依存してしまった自分の罪なのだろうか。

 炎とバルトの体温で寒くなどない筈なのに、凍えそうに寒かった。


「わ、私は……ただ、話を聞いてくださる石像のあなたが好きだったの……こんな、こんなのってないわ……」


 ルルティアナにとってのバルトは、何があっても自分を否定しない無機物だった筈だ。

 こんなに残酷な仕打ちをする恐ろしい人間などではない。


「では、君が望む時に俺はただの石像に戻ろう」

「え……?」

「君が俺に沈黙と不動を願うのならばその通りにするさ。代わりに、俺が望む時は君の全てを俺に与えてほしい」

「ほんとう……?」


 まさかの申し出にルルティアナは瞳を大きく見開き、唇を震わせた。

 大きな掌が伸びてきて涙で濡れきった頬を撫でた。まるであやすような優しい動きで温めるように隙間なく触れてくる。

 小さな唇を太い指先が辿り、顎を撫で、首筋を柔らかくまさぐる。

 その動きが望むものを感じとり、ルルティアナは乾いた唇を舌先で舐めた。


「どうかこの憐れな男に愛をくれ」


 乞うような言葉とは裏腹に蠱惑的な笑みを浮かべるバルトの手が、ルルティアナの顎をすくいあげた。

 その動きに促され、ルルティアナはつま先を立てて、顔を近づけてくるバルトの唇に己からくちづけを差し出す。

 顎にそえられていたバルトの手のひらが這い上がり耳たぶを包むように撫でながら、髪をまさぐりながら髪の中に挿し込まれた。

 後ろ頭を包むように支えられ、くちづけが深まる。

 入り込んでくるバルトの厚みのある舌の熱さに、ルルティアナは甘い声を上げる。


「愛してるよルルティアナ」


 情熱的に愛を囁くバルトの声と共に、先程まで燃え上っていた屋敷を包む炎が嘘のように消える。

 それを見届けたルルティアナは自分を抱きしめるたくましい腕に身を任せ、きつく目を閉じたのだった―――――――

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