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ピンクの水底に沈む。

作者: 千羽稲穂

 ピンク。


 薄い色のリップを唇に塗って、きらきら輝く、カーペットを踏みしめる。唇、花びら、落ちゆく雪を模したピンク。全てがわたしの目に飛びこんできて、淡い思いが胸に押しよせてくる。風が吹くとさざ波のように世界にピンクが舞う。



 カシャッ



 その時、どこからかそんな音がした。

 はきなれないローファーは靴ずれでうまく歩けなくって、首だけをその音がした方へ向ける。

 そこにはわたしと同じく着慣れない黒色のブレザーを着てる男の子がいた。手には黒くかっちりとしたカメラ。カメラのレンズが大きく、ぎょろりとした魚の目をしている。


 その少年を見た瞬間、どっぷりとピンクはわたしを溺れさせた。息を吸うことも、目を開けることも、瞬きすることも、何をするのも許さない。深く息を吸うけど、ピンクが体の中を駆け巡り吸っているのが苦しい。体中に雷を受けたように衝撃を受ける。まるで今の一瞬で、わたしの心も体も脆く壊れやすいガラスになってしまったようだ。


 その日、その瞬間、わたしはピンクの水底へと沈んでいった。




『ピンクの水底に沈む。』




 入学式が終わると、休憩時間に入った。わたしはここぞとばかりに自身の席に居座る。手にはいつもの文庫本。ぺらぺらと紙をめくる。ざらついた紙の感触は好きだった。一枚一枚めくるごとにわたしの知識は蓄積されていって、心が平穏になる。そして文字をなぞって、活字に溺れていくとわたしの世界はいつにも増して狭くなる。ぱらぱらと活字が降りつもり、モノトーンの静かな空間に満足する。


 周囲の言葉なんて知らない。わたしは自分がここにいるだけでいい。ここにいて、そうして一人の世界を精錬していく。彩り豊かな世界よりも静かで落ち着きあるモノトーンが好きだった。


 近くの男の子の声がうるさい。わたしの世界がまだまだ縮まっていないのがわかる。もっと好きなものに浸っていたい。だから没頭する。ぺらぺらとめくって、活字を教室の中へと落としていく。

 だけどどういったわけか、その活字の中にひと粒のピンクが混ざっている。わたしは静かに黒色を辿っているのに、そのピンクの上に文字は降りつもらない。消えずに、埋もれずに、その場で淡い火を灯している。


 ほんのりと灯り続けるピンク。


米野よねや


 はっとなり、わたしは文庫本から手を放してしまった。男の子たちがタイミングよく窓を開けて、ピンクがなだれ込む。ページは風に押されてぺらぺらとめくれてしまう。


米野よねや、お前何もってんの?」


 男の子たちが喋っている内容が頭に染み込んでくる。


「これはカメラだよ。一眼レフ」

「へぇ、お前そういう趣味あんだ?」

「じゃあ、米野、この風景撮ってよ」


 わたしの視線はそのカメラの男の子にくぎづけになった。黒いカメラを手にして、窓の外のピンクへとシャッターをきる。口から零れ落ちる息づかいが聞こえてきそうなほどのがあり、男の子がふりかえる。カメラを真剣にのぞきこむ。


「見せろ見せろ」

「おおー、すげぇ」


 男の子のカメラに二人の男の子が群がっていた。


 どれぐらい凄いのだろうか。


 気になってしまっていた。遠い昔はこの空間の色すら薄らさむいと思っていたのに。


 わたしにとって春の色はいつも気がめいるものだった。慣れあうのも、群れるのも、人間としての共同活動をするのはどうしても億劫になる。嘘偽りをかざしているようで吐き気がした。

 それよりも暗がりの部屋の隅で凛とした空気の中、自分を保っている方が幾分か楽に思えた。だから、わたしは誰のおしゃべりも聞かない。誰の指図も受けない。

 春の季節は名簿順で大抵窓際になる。こういう教室の隅っこにいるわたしが、わたしは気に入っていた。


 なら、今の状況はいけない。これではわたしではないし、まるでピンクに陥ってしまっている女の子みたいだ。そういうものに、わたしはなりたくない。

 男の子がこちらを向く直前になり、わたしはようやく文庫本に目線を下ろした。


 これではまるでわたしがあの男の子に気があるみたいだった。これまでそんな色を見たことも話したこともないわたしが、こんな気持ちになっていいのだろうか。いいや、それよりも、これまでそういうことに対してあざ笑っていたわたしが、あの男の子を気にしていることがとっても恥ずかしかった。

 でも反対に男の子の名前が「米野よねや」なんだ、と、カメラが好きなんだ、と知れた新事実にこみ上げる気持ちが止まらなかった。


 頬に手を当てると、手にじんわりと温かみが伝わってくる。教室の中でわたしのモノトーンをピンクに変えていく。発端は男の子だ。男の子だけ違う色合いで灯篭がともっているように淡く光っている。


 気を持ち直して文庫本へと視線を戻すと、栞代わりにピンクが挟まっていた。



 ◇



 しん、と静まり返った教室に窓際のわたしはふりかえることはしない。ふりかえれば、斜め後ろにいる男の子が、男の子を見るわたしを見てしまうから。

 教室の遠く遠く、右の列の一番後ろから数えた方が早いところに男の子は生息していた。


 見たらだめだ。

 必死ではやる気持ちを抑えて、またノートに文字を書きつらねる。先生が言った言葉を聞きとって黒板の文字を板書する。文字の海に溺れていく。それなのに字がまたほんのりと光りだす。『米』と『野』が淡く光りだす。


 『米』と『野』、それでヨネヤ。

 心の中で唱えると、ふふっと口元がほほ笑んでいた。胸の奥がちりちりと火花を散らし、心臓を絞ったように痛む。これがなんだか分からない。ぶくぶくと沸いた茶釜のように沸騰して零れだす、この溢れてくるような感情が分からないのだ。

 わたしはどこのどなたか知らないこの気持ちに名前なんてつけることはできない。


 板書をしようと再び黒板を見る。黒板の前には、もう既に寝ている大物生徒がいた。板書もせずに、腕を枕にして寝ている。そのうちその生徒のいびきがぐーぐー、と教室に響きわたった。それが息をするたびに大きくなってくる。

 途端、先生が彼の頭を叩いた。

 叩かれて起き上がる生徒。目をこすりつつ、きょろきょろと周囲を見た。


「お前、いびきかいてたぞ」

 シャッターを切ったような野次がとぶ。


 その声、重み、態度、全てあの男の子のものだった。それをきっかけにどっと教室中がわきあがる。くすくすと笑って、けらけらと嘲笑して、からからと陽気な気候を促すように、明るくなる。その光景はさきほどのしんと凍てついた教室とは大違いだった。色のついた言葉が溢れて、わたしの知らない生徒たちの顔をうきあがらせる。


 わたしは視線と視線が行きかうさなか、好機とみて男の子の方をちらりと見た。男の子は笑顔で一番前で寝ていた生徒と距離があるものの話していたし、その周囲の笑顔はとびっきりのものだった。男の子の周りは先日出会ったばかりだと思わせないぐらい仲が良く、笑みを見せあっている。


 モノトーン色の景色だ。

 わたしのいつも見ている景色と男の子の周囲は変わらなかった。わたしが活字で埋もれさせたものと寸分違わないもののはずなのに、わたしの胸は高鳴るばかりだった。


 こちらを見るといけないので、そっと元の視線に戻す。目と鼻の先にはわたしの前の席の子の背中がどっしりと構えられている。女の子なのに、逞しい体をしている子だった。その背中も小刻みに震えている。


「もう寝るなよ」ときつい先生のお言葉に、眠った男の子は「はーい」とおどけた言葉で返した。絶対次もやるな、と思わせる返事だ。


「そーだ、そーだ」と男の子は便乗する。


 寝ていた子と男の子はもう友達だった。入学式当日で知り合い、気心の知れたかけあいもする。そんな関係にもっていけるほど男の子は教室の主人公だった。教室のあぶれもののわたしでは釣りあいがとれない。


 だから、わたしはこの気持ちに名前なんてつけられなかった。ピンク色に染まる字の数々にひるみ、胸を弾ませることしかできない。


 教室の歓声が鎮まる。わたしは凍てつく窓を見た。この窓は日光を通し、外の景色は映しはするが、男の子との距離は縮めてはくれない。ずっと遠くの男の子が反射して映るが、わたしからは遠く、遠く。

 目を細めて、男の子の瞳をのぞくが、どこを向いているのか分からない。次第に窓の外にあるピンク色の並木景色が際立ち、わたしを遠ざける。


 この気持ちはわたしを戸惑わせることしかしない。

 かき乱された気持ちはわたしの平常心も困惑させて平衡感覚を狂わせた。


 結果、ポケットに入っていたハンカチがいつのまにかなくなっていた。きっとどこかで落としてしまったのだろう。



 ◇



 今日は、わたしが日直の日だった。だから掃除が終わった後に教室に残って、夕日が陰る放課後にひとりゆっくりと日誌を書いていた。

 外の景色は既に見慣れたものになっていた。ピンクは落ちて、落ちて、今が春という頂点てっぺんだということをしめしていた。ゆるゆると流れる風でひらりと春の片割れを落とし、強くふきすさぶ風で春の終わりを告げる。木の枝に茂る色も衣がえを始めていた。垣間見える緑にわたしは自身のモノトーンをかぶせる。


 入学式で輝いていた男の子はより一層遠い存在になっていてわたしの気を沈ませる。それなのに世界はピンクの淡さを際立たせていく。するとそのピンクは見逃せないものになっていた。


 強烈なピンク。

 目に痛烈な印象を残すのに、わたしはこれも悪くないな、と思えてきている。

 

 悪くない。いつもいた世界では見れなかった美しい世界を男の子が見せてくれる。胸に来る痛みを煩わしく思うのに、切ないと感じてしまうのに、わたしはやめられない。以前は世界を狭めていたのに、今は男の子がいるなら見たい、感じたい、触れたい。どんどんわがままになっていく。


 日誌を書く。わたしの座る席から男の子の席は遠く、遠く。書いていたのに、誰もいないことを見はからい、立ち上がる。そして男の子の席に足を運ぶ。一歩、二歩、と数えていく。そうしたら歩数が案外少ないのがわかる。座る席は案外近く、触れる机の感触は指先からつん、と刺激的だった。


 男の子の席からわたしの席を見る。あの窓に反射して映る男の子をいつも見ている。あそこから見ると男の子が小さく見える。でも男の子の席からわたしを見るとわたしが大きく見える。


 こんなに距離は近く、近く。

 だから、わたしに気づいてほしい。視界にほんの少しでいいからいれてほしい。男の子の世界で息をしたい。

 ああ、ああ、と心の中でピンクが膨らんでいく。どぼんっと溺れたあの入学式の日からひた隠していた気持ちが止められなかった。


 深い水底に潜っていたはずだった。誰とも接触しない深い水底でわたしは息を潜めていたはずだった。そこで、ふと気ままに上を見上げた。一匹の魚が視界に入り、うららかな光がさしてしまったとき、わたしの深海はもはや暗くも冷たいものでもなくなっていた。ピンクが一滴、深海にたらされて、次第に海を艶やかに染めあげた。

 世界が豹変する。わたしの色は黒からピンクへ。深海に息を潜めて、日の当たる場所にいる魚を嘲笑していたわたしが、見上げて海の日光当たる場所が羨ましくなった。そこにいる()に手を伸ばしてしまう。見つめてしまう。


 もう戻れない。

 あの日、あの時、わたしの心にはピンクのシャッターが切られた。



 わたしのこれは、恋だ。



 名前をつけると、胸の鼓動が警鐘を鳴らす。

 ここから先へ行ったら、わたしは羨ましくて、心がかき乱されるかもしれない。戸惑い、困惑し、深海に身を潜めていた時の心を取り戻せなくなるかもしれない。

 もし、彼がわたしを好きでなかったら。そう考えてしまうとわたしはひどく不安に襲われた。同時に、もし、彼がわたしを好きだったらと考える。ピンク色の海がより一層赤に近くなり、体が温かくなる。ほぅっと一息つき、再び最初の戸惑いを思い出す。その繰り返しだ。


 さらっと撫でた彼の席には誰もいない。今、ここにいない彼を想像するだけでわたしはドキドキした。


 この気持ちを認めれば、これまでのわたしを悔いるかと思った。しかし結局のところ安心感が強かった。


 これがコイゴロコ。

 これがハツコイ。


 わたしの孤独心に色を与えてくれる言葉だった。

 知りたい、近づきたい。だからわたしは、明日、彼に近づけるよう何かしなければならない。そうしなければ、心臓がはちきれそうだ。


 くるりと体を回転させ、日誌を書くためにわたしは自身の席へ戻った。そこから見える窓に彼の机が映っていた。

 

 それはほんのり灯ったピンク。

 わたしを恋に落とした色だった。



 ◇



 文庫本を読む。教室には誰もいない。静けさがわたしの心をつっつく。中身は血みどろの後悔だけだった。

 放課後にゆっくりと自分の世界に浸るために、本を読んでいるのにも関わらず、黒い文字はどこか知らない他人事ばかり並べ立てているので、現実味がない。読もうと思っているのに、文字をなぞっているだけで頭に内容が入らない。


 ぺらり、とページをめくる。

 今日も嫌な日だった。彼に話しかけようにも、とっくの昔に友人ができている向こうにわたしが入り込む隙はない。

 それにこれまで群れたことがないわたしが、突然話しかけたら、彼は驚いて逆に遠まきにしてしまうかもしれないと思うと、なかなか声がかけられなかった。


 まだ読んでいないのに条件反射でいつものペースを保ち、ページがめくられる。


 班分け、委員会決め、部活決め、どれもわたしは彼の周囲のモノトーンにやられて近くにいけなかった。

 では大勢いるところではなくひとりの時を見計らってはどうか、と思い教室移動で声をかけようとするけれど恥ずかしくなり声がでなかった。


 ページがめくられて、いつのまにか十数ページ。もう嫌になりすぎて、文庫本を机に放り投げてしまった。


 ため息。

 吐息が熱をまといねばっこい。きっと今のわたしの頬は火照っているはずだ。

 触れなくっても自分のやるせなさと、だめだめさの怒りで頭がオーバーヒートしている。


「米野」と口にして、また心が浮足立ち、かーっと熱せられる。慌てて「……くん」と付け足した。



「米野くん」



 その名前が胸にすとんと落ちるたびに、わたしの脳内会議は紛糾する。


 「次はどうする?」

 「これで何度目だ」

 「昨日も、そのまた昨日も話しかけられなかったではないか」

 「もうあきらめるべきだ」


 黒い色のわたしが会議を踊らせるが、最後にはピンク色のタキシードを着たわたしが断固として拒否する。


 「この感情をあきらめるなら、遠い昔にあきらめている」


 放り投げた文庫本はしわしわになっている。手には冷汗。眺めていると本に影が伸びる。もうすぐ日が落ちるから影が濃くなっている。


 そこでわたしはきょろきょろと誰もいないことを確認した。くんくんと犬のような臭気探知もおまけにする。いろいろな生徒の色と新しいまっさらな白色の匂いが鼻腔をくすぐる。


 いないことを確認すると、なかば投げやりに立ち上がる。

 放課後の寂しげなさび色とあか色が教室中を満たす。机の間隔は狭く、歩くたびに腰に当たった。丁寧に一つ一つ直して男の子の席に到着する。


 さらり、と指先で机をなでた。

 ここに彼が座っていた。匂いがこびりついている。彼の匂いは、機械のようにまっさらな匂いだった。さらぴんの文庫本を、開けたあの匂いに近い。白く甘い、彼の匂い。思い出して甘さを確認する。


 甘い何かを鼻に留まらせていると、教室中にその匂いが満ちてくる。


 匂いが伝える。普段の彼はそこにいた、と。

 彼は窓の前でいつも男の子たちとしゃべっていた。黒板の前に来て、委員会を決めていた。昼休みは戻って他の男の子たちと一緒に購買部へ向かう。そうして帰ってきたらパンの柔らかい香りをまとわりつかせて、教室の真ん中で楽しそうにパンを頬張る。


 その手にはいつもぎょろりと魚の目が覗く黒いカメラがあった。カシャッとスイッチがきられる音がして、上手く撮れているかカメラを覗き込む。ぷらんっとたらすのはカメラから伸びる黒い紐だ。


 あのピンクの舞い散る日も、彼は首に紐をかけていた。


 あ、と気づく。


 机の引き出しから紐がたれていた。あのカメラから伸びているあの紐だ。


 わたしは知りたかった。彼の匂いがするものを、何かひと粒の欠片でも触れたかった。いつしかピンクに染まりきったわたしの周囲は、それを受けいれてしてしまう。


 手が紐に伸びた。


 息をのむ。

 出てきた手のひらにすっぽりと収まるサイズのカメラは重い。今は文庫本の重さよりもこのカメラの重さに親しみを覚えてしまう。

 どこにスイッチがあるか確かめる。どれがどのスイッチか分からない。それでも中身が知りたい。いつも撮っているものを、わたしはこの目にしたい。だから、適当にボタンを押してしまう。


「これか」とボタンを押すが反応がない。


「じゃあ、これ」と隣のボタンを押すが、全く反応がない。


「もう、このカメラつぶれてるんじゃないのぉ、米野くん」


 やけくそで、もうひとつボタンを押した。するとレンズが突き出してきて画面が表示される。


「わっ、ちょっと……」


 思わずカメラから手を放してしまう。あっちへこっちへとわたしの左手から右手へ。

 これを落としてしまったらきっと彼に嫌われてしまう。そう思うと、地の底に突き落とされたような心境になりゾッとした。


「えいっ」と声をふりしぼりカメラをなんとか床に落ちる前にキャッチした。

 手にしっかりとした重さを確認すると、ほぅっと一息つく。


 そこで画面に映る写真に目がゆく。何の変哲もない教室だ。ピンク色がちょこまかと配色されている。花と教室の風景が印象的だった。


 カメラを見つめていると、そこに男の子の残り香を感じた。こんな写真撮ってたんだ、と感嘆の息を吐く。そうしたら、次々と見たくなった。

 画面の横に小さな矢印ボタンがあったので、わたしはそこを悪いと知りつつ押す。ピッと短い音が鳴ると今度は教室の日常風景が流れてくる。そこに写る生徒はどの子も笑顔だった。スイッチを押し続けたが、たいていは男の子の友達と遊んでいる風景ばかりだ。そういう光景にほっこりと胸を温めた。次第にもっと見たいと衝動が抑えられなくなる。


 次の写真を見る。

 今度はピンク色の蕾が写る。ぽんっとふっくらふとった蕾の後ろには、花開く大きな薄ピンクがあった。そのピンクが次々に写しだされてゆく。隣で息づいているようだ。


 次の写真を見る。

 それはあの時のピンクのカーペットだった。


 わたしは瞬きをする。

 ピンクのカーペット。地面を染める。降りつもる。その世界はピンク一色。そしてその上に黒いローファー。するりと伸びる足。風が吹き、カーペットが舞い散る。濡羽色の髪が風にあおられる。目を細めて笑う、わたし。


 はっとなる。


 あの時のシャッター音。

 舞い散るピンク。

 溺れそうだった。

 ううん、溺れてしまっていた。


 この淡い色を見たあの時から、わたしは彼をずっと見ていた。話しかけようと、わたしは必死だった。それでも彼は、遠く、遠く。

 でもそれは違っていたのかもしれない。


 溺れそうなほど黒い瞳の彼は、ピンクに溺れるわたしをじっと見つめていた。わたしの心が痺れていくのも知らず、彼はカメラにわたしを写して待っていた。その時間を切りとり待っていた。


 カシャッ

 あの時、カメラのシャッター音が聞こえた。


 目を開けると、世界は夕陽の色に染まっていた。

 教室のドアを開けて入ってくる彼の影が視界にちらつく。


 あ、と気づいたときには遅かった。この場の立ち位置と、手に持っていたカメラはそのままに、教室に入ってくる彼のことを見てしまう。

 彼が教室のドアを開けた瞬間、目をそれはそれは大きく開けた。


「遠藤」萎れた声が続ける。「……さん」


「ごめんなさい」わたしはカメラをぎゅっと握りしめた。


「遠藤さん、あ、俺、カメラ忘れちゃってさ、それで、戻ってきたんだけど。えっと……」ちらりと彼がこちらを見て、「そっか、見ちゃったんだね」


 彼は恥ずかしそうにうつむいた。

 着慣れないブレザーはもう既に型にはまっている。するりと伸びたネクタイ。しわがよっている黒いブレザー。彼のうつむいた先にはポケット。ポケットにはわたしが落としたハンカチ。

 彼の黒い瞳がきらりと光る。真剣そのものの光が宿っていた。

 わたしもその瞳を見て、息を吸った。


 男の子の口が、あの……と動く。

 わたしの口が、あの……と動く。


 同時に動いた口に、わたし達は照れくさがって、また再び見つめあった。赤い世界が濃く深く黒く染まっていく。でもわたしのモノトーンはもうそこにはなかった。

 照れた彼の頬が熟れてあの色に変わっていたのだ。


 あの日に見た、美しいピンクの頬に。

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