開始その三
僕の前にずかずかと出てきたのは、このメンバーの中では比較的知性の高さが伺えるショートカットの女子。
知性が高いと言っても、話をしっかりと聴いてあげる気は毛頭もない。薄情な奴だと思う? 強制的に教室に連れ込まれたんだから、お咎めなしだ。
それよりも。この先輩、壁じゃない。
二つの富士山が屹立しているよ。絶景絶景。平野と盆地しか視界に入れていなかった僕の目が嘘みたいに輝いていくよ。
これをさっき揉んだんだなー……最低だな僕。
「? どうしたのかな?」
「いえ、なんでも」
直視していると気づかれてしまうと、僕に汚名が付いてしまう恐れがある。これ以上意識するのはやめにしよう。
だが、いくら女子を良く思っていなくとも僕は思春期男子の端くれ。視線がそれに行ってしまうのは抑制できない。悲しい運命だ。
「えとー……体調悪いなら保健室連れて行こうか?」
「へ、平気です……てぇぇぇぇ!?」
声が裏返り、チュパカブラの叫び声みたいな奇声をあげる。それもそのはずだ。
なんでったって、先輩が、僕の、腕にそれを押し付けているのだから。
「熱とかあるんじゃないかな? おでこ貸してみ?」
ほわぁぁぁぁぁぁ!? 揉むとは違う感触が僕の腕にぃぃぃぃぃ!?
待て待て……冷静になれ僕。こんなシチュエーションはエロゲーで体験済み。
二次元の超絶美少女が抱き着くからこそ興奮するんだ。三次元の女子に抱き着かれたところで、僕の興奮ゲージは上昇しない――
意志を固めた瞬間、先輩のスラッとした華奢な指が僕のおでこに触れて、手のひらを押し当ててくる。
「んん~……熱はなさそうかな?」
「…………」
どうしよう。心臓の鼓動が治まらん。興奮しているのか? この程度で!?
エロエロな布面積少なめのマイクロビキニを着ているわけでも、個人的に大好きなフリフリのアイドル衣装を着こなしているわけでもないのにか!?
おかしい。おかしいぞ僕。さっきも平野と盆地にキュンときてしまったし、挙句の果てにはおでこを触られただけでドキドキしっぱなし。
甘い吐息と先輩の脈を打つ音が、僕の素肌に余さず伝わってくる。こんなの、耐え切れるはずがない。
「あの……もうそろそろ……」
「うんっ! 平気そうだね! 良かった!」
僕が言い切る前に先輩はパッと手を離して、微笑ましい笑顔で笑いかけてくる。
あ、危なかった……。後少し遅かったら、何かしてたかもしれない。僕の社会的立場は守られた。
少し名残惜しさを感じながらおでこをさすっていると、先輩は鈴谷先輩がプレゼンテーションに使った画用紙をひっくり返す。
「お待たせしました! 私、生物同好会動物担当の『狐坂紗音』っていいます! 気軽に紗音と呼んでください! 一応、部長としてみんなから委託されています!」
会ったときから薄々感じていたが、この先輩は生物同好会を牛耳っている……いわゆる部長という立場に立つ者のようだ。
のほほんとした雰囲気から、図り切れないようなカリスマ性を持っていると見た。このプレゼンテーション最大の山場ということか。
初めの二人によって瓦解した緊張の溝を埋めるように、出し抜けに不安の波が襲ってくる。
「紗音ならいけるはず! 頑張れ!」
「私達の代わりに頑張ってー!」
大敗した二人が紗音先輩を鼓舞すると、紗音先輩はガッツポーズを掲げて自信満々の表情で彼女らに意気込みを示した。
目下のところ、紗音先輩はカリスマ性とは無縁の存在だと思えるかもしれない。
しかしだ。部員数僅か三人という、廃部してもおかしくない現状に呻吟せず、前のめりに部員の募集に精進している。
努力どうこうで打破できる程優しい問題ではない。この先輩は、生物同好会を愛しているのだろう。
これほどまでに部長という肩書が似合う人を、少なくとも僕は見たことがない。それが、先輩にカリスマ性があると危険視している謂れだ。
「どーもどーも! では、誠也君! 私のプレゼンテーション始めるね!」
僕はあまり立場が上の人間を良く思っていない。
下の者が手の届かない場所から傲慢に振る舞い、不都合な事象が起きた際は濡れ衣を着せてくる。現代社会の黒い部分でもある。
ただ、その思想も小暮会長によって塗り替えられた。
上にいるのに相応しい人間は、上にいるからこそ下の人達を優遇し、リードしてくれる。決して権力を使って情け容赦に扱うなどない。
そして、重みのある言葉で下の者達に原動力を与え、何かを始めようとするきっかけをくれる。正に今の僕だ。
紗音先輩は、小暮会長と同じ雰囲気を感じる。彼女もまた、僕に何かを始めるきっかけをくれるのだろうか。
そうなったら、僕は一体どうすればいいのだろう。