春の湖畔
桜舞い散る4月のこと。
毎年この季節になると必ず行く場所がある。
電車で二時間の距離を揺られる。
そこから歩いて小一時間。
たどり着くのは小さな湖。
満開の桜と菜の花。
静かな閑かな空間。
ふわりふわりと風と遊ぶ蝶々たち。
全てが調和した一枚の絵画のような場所。
この季節に最も輝きを魅せる場所。
私はそっと湖を覗き込む。
水面に映るのは、毎日鏡で見慣れている私の顔。
派手な顔立ちではない。
少し垂れ目がちで大きめの黒眼、小ぶりな鼻、小ぶりな唇は色味をのせなくとも赤い。
童顔とも言われ、色っぽいとも言われる。
大人になって化粧をすればまた印象も変わることだろう。
この春には高校生になる。
受験戦争も無事に終わり、そこそこの進学校行きが決まっている。
そっと湖の端から立ち上がり、私は桜の合間にある細道へと歩む。
突然、木立が途切れ、視界が開ける。
そこには、お寺がある。
翠の屋根の古いお寺。
建立何年だとかは知らない。
ただ、このお寺には、私の叔父のお墓がある。
母の弟である叔父は、ちょうど、今の季節に死んだ。
交通事故に巻き込まれそうだった私を庇って、死んだ。
十年前のことである。
独身だった叔父は姪っ子の私のことをとても可愛がってくれたらしい。
二人で近所の公園へ向かう途中、歩道に突っ込んできた車。
前を歩く私に突っ込んでいく車との間に、見守るように後ろを歩いていた叔父が走って楯になった。
その時の記憶は、私にはない。
しばらく入院していた病院での記憶は鮮明だ。
白い部屋、薬品の匂い、しっかりと覚えている。
叔父がよく遊んでくれていたこともうっすらだが覚えている。
それなのに、事故の記憶だけはどこにもない。
きっと幼い私には耐えられなかったのだろう。
思い出せない記憶。
それなのに忘れてはいけない記憶。
叔父の命を犠牲にして私は今、ここにいる。
決して忘れてはいけない。