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【萌えの極致】

 

 

 こんなに美味しいものを食べたのは、いつぶりだろう。

 舌の上でとろける甘い香りを絶やさぬよう、私は無心でフォークを動かし続けた。


「おー、おいしそうに食べるねぇ」


「だっておいしいもの」


 私が頼んだのは、アプリコンナと呼ばれる果実のタルト。

 元がめちゃくちゃ酸っぱい果物だけど、砂糖煮にしてあるおかげで程よい酸味だけが残り、チョコレートを練りこんだ生地に調和している。


 おいしい。一番削りやすい食費をケチっていたぶん、その芳醇な味わいは暴力的だった。

 食べて、食べて、紅茶を飲んでまた食べて。皿が空になった時、私はようやく対面でニヤニヤ笑いを浮かべるジェシカの視線に顔をあげた。


「私の顔、何かついてる?」


 視線が妙に熱くて気持ち悪いな、と思いながら眉をひそめる。

 そんな私に、ジェシカはため息で応えた。


「いいえ、でも……あなたの髪、ずいぶんとボサボサねぇ。服もあちこちほつれてるし、しかも男物でしょお? けっこう目立ってるわよぉ、それ」


「別に、死にはしないわよ」


「とは言ってもねぇ……よし、決めたわぁ!」


 んー、と私の身体を舐めまわすように見たジェシカは、にっこりと満面の笑みになって頷いた。


「私と紫苑ちゃん、これから買い物に行くところだったのよぉ。あなたにも一着買ってあげるわぁ」


「さすがに悪いわよ、それは……帰るわね」


 私の経験論的に、話がうまく進みすぎる時には、たいてい良い事がおきない。

 引換券と店員用のチップを置いて立とうとした私の手を、ジェシカがつかんだ。


「キミの事は、紫苑ちゃんから聞いたわぁ。いじめられてたところを、助けてくれたそうねぇ。そのお礼ってことでどお?」


「……別に、助けたってほどじゃないわよ。ペンを拾っただけだわ」


 答えると、ジェシカは「それでもよぉ」と笑いながら言った。


「昨日の紫苑ちゃんったら、ずーっとキミの事を話してたのよぉ。紫苑ちゃんには、同い年の友達がいなかったからねぇ」


「じぇ、ジェシカさんっ⁈」


 赤面する紫苑を微笑ましげに制して、ジェシカは言った。


「君にはぜひ、これからも紫苑ちゃんと仲良くして欲しいわぁ」


「……お言葉だけど、この子と私は昨日偶然喋っただけの間柄よ? 友達ってほど交流してきたわけじゃ」


「じゃあ、これから『友達』って言えるほど交流すれば問題ないわねぇ」


 __随分あっさりと言ってくれる。

 眉をひそめかけた私に、ジェシカはにい、と目を細めて笑った。ついほだされそうな、穏やかな笑顔に顔が引きつってしまうのを感じる。


「まぁ、とにかくね。さすがに服を買わせるわけにはいかないわよ。生活まわすだけで手一杯だから、私には返すあてなんて」


「イリスちゃん」


 ジェシカは、ゆっくりとした口調で私を遮った。その声を聴いた瞬間、私の背筋にゾクッと悪寒が走る。


「私はね、キミの事が気に入ったのぉ。

 だからキミを勧誘……ううん、『誘惑』する為に『本気を出す』って決めたのよぉ」


 本気出すってそういう意味か。悟る私の手を取って、ジェシカはぐっと顔を近付けてきた。近い。距離がものすごく、近い。

 熱い吐息が頬にかかり、私は自分の肌がゾッと粟立つのを感じた。


「商家ペスカトーランの名にかけて、かわいいの選んであげるから。ね、ね? 一緒においでよぉ」


 まるで発情した犬の如く、はぁはぁと熱を孕んだ吐息を漏らしながらこっちを凝視。

 何だこの人マジで怖い。戦闘では味わった事のない悪寒が、ゾクゾクと私の背筋を舐め回し続けた。


「し、紫苑……」


 私は咄嗟に紫苑を見る。

 なんとかしてくれ、この状況。なんとかしてくれこの人を。

 

「あー、えっと、その……」


 紫苑は私の意図を察してくれたようだった。

 ふわふわの髪を揺らし、チリンチリンと鈴を鳴らし、額に指を押し付け俯き。

 次に彼女が顔を上げた時、その顔に浮かんでいた表情は。


「わ、私も良いの選んであげるからっ!」


 ──満面の笑みだった。

 『旅は道連れだよっ!』という言外の言葉が、キラキラと輝きながら脳内に響いたような気がした。


 そうか。紫苑(このこ)だってジェシカと二人きりで買い物は怖いか。うんそうだよね、私だって怖い。


 根拠は分かんないけど、純粋に楽しめなさそうな妙な恐怖はとりあえず感じる。

 一人より二人が良いと考える心理はまぁ当然だろう。くそ、不可抗力とはいえ援軍に満面の笑みで泥沼に引っ張り込まれるとは。


 憤懣(ふんまん)極まりない。地面に足ダンして怒りと苛立ちを表現したい……っ!


 そんな感情をなんとか押し込めて、私は歯の隙間から呻いた。


「……紫苑に言われたからよ。別に、あんたに頼まれたから行くってわけじゃないんだからね!」


 今の私にできる、せいいっぱいの虚勢。

 なけなしの一矢を撃って眉をひそめさせようとしただけのに、ジェシカは「はぁうっ⁈ 」と仰け反って倒れた。

 椅子が床を打ち据え、ガターンと大きな音が店内に響き渡る。


「え、ちょ何」

「ジェ、ジェシカさん⁈ 大丈夫です……か……」


 どん引くだけの私とは対照的に、わざわざ倒れたジェシカの元へしゃがみこむ紫苑。

 地に伏せた学徒に手を伸ばした彼女は、ジェシカに触れる寸前で手を引っ込めた。

 

「ふへ、ふへへへ……っ! またツンデレ発言頂いちゃったぁ……幸せだわ、幸せの極致だわぁ……!」


 両腕で自分をかき抱きながら、床の上でビクンビクン。よだれを垂らしながら悶えている。

 

「え、やだキモい」


 思わず後ずさろうとした時、ちょうど振り返った紫苑と視線が交錯する。


 潤んで震える碧の瞳には、『この状況でひとりにしないで……』という切ない祈りの言葉が滲み出ている。

 路傍に打ち捨てられた仔犬のようなその視線。無視して逃走できるほど、私は薄情にはなれなかった。


「い、行くから……ちゃんと一緒に行くから、その目やめなさいよ……」


「ありがとう、イリスちゃん……」


 船上の獲れたてエビみたいな物体を間に挟んで、頷きあう。

 まことに不本意ではあるけど、このエビ女のせいで紫苑と妙な絆ができてしまった事……


 私は、自覚せざるを得なかった。


 

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