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【追憶の夜、そして日常】

  

 命を奪う感触というものがある。

 どう形容すればいいのかは分からない。形容したくもない。

 しかし、命を奪う瞬間に身体は確かに興奮していて、後になってから本能が恐怖と嫌悪感を訴えてくる。

 そんな感情を伴うモノなのは確実に言える事だ。


「……何度やっても、この感じだけは好きになれないわ」


 半ばから折れた樹にもたれかかって、私はため息をついた。

 目の前には倒れ伏した巨体。切り裂いた腹の傷から血が流れ出て、湯気が上がっている。

 『胃竜石』を取り出すのに消化器官を傷付けてしまったせいで、血と混ざった排せつ物のにおいが鼻を突いた。


「……」


 頬の返り血を拭って、立ち上がる。

 血塗れになったこの服装は目立つ。それに、今この死体に触れたら、せっかく収まっている『あの衝動』にまた突き動かされてしまうかもしれない。


「ごめんなさい」


 身体を突き上げる疼きから目を背けるため、足早に踵を返す。

 焼け焦げた樹の間を抜け、凍った川沿いに歩き、階段を上って門の前へ。

 崖の下、雪が降り積もる緑の森は、美しかった。


「……あーあ、嫌ね」


 箱庭のように美しい景色から目を逸らして、私は言った。


「この場所にいると、余計な事を思い出しそうになるわ」


 さっさと門をくぐり、湖岸を通り、薄暗い部屋の扉を開ける。

 荷物を降ろし、着ていた服を脱ぎ捨てベッドに倒れ込んだ。


「服……洗わないと」


 言葉では言いつつも、鉛のように重い身体を動かす気力は残っていなかった。

 月光が床に影を伸ばす。カーテンが子守唄を歌う様に、穏やかに揺れている。

 一気に押し寄せてきた疲労感に抗えず、私は夢に誘われるように眼を閉じた。

 


◇◇◇



 帝国辺境の町、アナストリア。

 それが私の育った町の名前だ。


 周囲を森に囲まれた、本当に穏やかな町だった。

 暖炉の火。揺れる祖母の安楽椅子。壁を彩るタペストリー。床に敷いたわらと、窓辺に吊るしたハーブのにおい。


 遊び疲れて家に帰れば、優しい祖父母が迎えてくれる。母親は私を生んですぐに亡くなったそうだし、父親は知らない。

 最初から両親の事を知らなかった私は、特段そのことを気にかけたりもせず毎日を送っていた。


 そんな生活が壊されたのは、私が六歳の頃。真夜中に放たれた火によって、町は大混乱に陥った。

 混乱する私を、祖父母は食器棚に隠した。何があっても出てきてはいけない。声を出すな。

 祖母の笑顔、部屋の扉を押さえる祖父の後ろ姿。窓の外の赤い色。全部鮮明に覚えている。


「どうか、あなたは生き延びて。私たちの大切な──」


 扉が壊された。侵入者の大剣が、短槍が、炎に刃を光らせる。

 彼らは全員、赤い髪をしていた。炎と同じ、刃を濡らす血の色と同じ赤い髪。

 彼らは異教徒だった。帝国の支配から解放されるべく、自らの力を示すべく、この町を見せしめのように燃やした。

 老人二人という簡単な獲物を前にして、奴らは、笑っていた。


『───!』


 奴らは一瞬で祖父母を殺したらしい。悲鳴はあっさり途切れた。

 戸の隙間から見ていた私は動けなかった。声をあげられなかった。


 恐怖からじゃない。怒りで、憎しみで感情が埋め尽くされ、他の事が考えられないくらい白熱していた。

 けれど頭は冴えていた。私は弱者だ。女で子供、社会的弱者の典型例。真正面から突撃して行っても、何もできずに終わるだけだ。


 それならどうする。どうするべきだ。腕っぷしに頼らず、生き残る為には。

 そんな事を考えている間に、家に入ってきた三人のうちふたりが出て行き、一人が残ったという事が声から分かった。


 三人の中で一番若い男。私は、そいつが食器棚を空けるのをひたすら待った。

 側面に掛けられた包丁を手に取り、息を潜めた。


 やがて好機は訪れた。そいつが扉を開け、身をかがめた瞬間。私は──。



◇◇◇

  

 

 もう朝だ。

 直射日光の照射で目を覚ました私は、けだるい身体を起こせないまま天井を仰いでいた。


「……」


 完っ全に寝坊した。

 鈍い痛みに支配される頭を抑えながら、何とか起き上がる。懐中時計を手繰り寄せて時刻を見ると、もう十の刻を回っていた。


「うっわ……」


 懐中時計を睨んだまま、盛大にため息。私は時間の浪費が好きじゃない。

 『休憩の為に何もしない』というならともかく、目的もなく時間がただ過ぎ去るのを待つのは信条に反する。


 さっさと起きて、浪費した時間の埋め合わせをしなければ。頭を抑えつつ、立ち上がったその瞬間だった。


(あれ……?)


 視界が急に暗くなる。意識が揺らぐ。反射的に突き出した手が壁を捉えると、奇妙に歪んでいた視界がゆっくりと回復を始めた。


「……?」


 どうやら、立ちくらみを起こしたらしい。夜型とはいえ、あまり貧血にはならない方なのだけど……。


(日に当たりすぎたみたいね)


 ため息をついて、一旦カーテンを閉じる。戦闘の直後は、日に当たりすぎると体調を崩す事があるのだ。

 これは例の『衝動』と併せて、私が所有する厄介な『体質』のひとつ。

 誰にも言っていない、言うわけもない秘密だ。


「長袖あったかしら。あと帽子も……」


 そんな事を呟きながら、私は昨日着ていた服を洗い、帽子を目深に被って部屋を後にした。


 宿屋を出て真っ先に見えるのは、清々しい蒼穹と黒々とした山脈の峰。急峻な斜面を蛇行するように作られた道を、湖岸通りの方に向かって下っていく。


 焼き立てパンのにおい。古本屋の古書のにおい。かぎ慣れてきたにおいを楽しみながら進む。


 薄暗い路地裏に散らばったごみ。すれ違った観光客の服から漂う香水のにおいは、あんまり心地いいとは言えないにおいだ。


 それでも。どの景色もどのにおいも、『当たり前の日常』の中にいて初めて感じられる世界だ。

 平和な景色が目の前に広がっている状況というのは、心地よい。


 ……たとえ私が、この街の『日常』の中に加われていない部外者だとしても。


「さて、と」


 さぁ、そんな事を考えているうちに湖岸通りについた。

 風で湖面が揺れている景色は、いつ見ても気分がすっきりする。


 湖岸通りにいくつも並ぶ喫茶店の中では、観光客や学徒たちが洒落たケーキを前に談笑しているようだった。


「……」


 空腹で、しかも久しく甘味を食していない身体が勝手に反応して、口の中につばが溜まってくる。


 でもがまんだ、がまん。ケーキを食べなくたって、死にはしない。

 きらびやかな世界を隔てる窓から視線を逸らして、足早に湖岸通りを歩き出した。


 目指す場所は学院のすぐそばに店舗を構える『ヴァレンシア商会』、その店頭。店番であるその少年は、私を見つけると手をあげて挨拶してきた。


「よう、イリス」


「ん。コレでいつものちょうだい」


 私が差し出した銅貨を見て、少年は眉をひそめた。


「まーた乾パンに瓶詰野菜かよ。マズかないけどよ、冒険者が仕方なしに食うようなもんだぞ。街の中にいる時くらいは、ホカホカの焼き立てパンをだな……」


「その焼き立てパンは、あんたの店では売ってないでしょうが。良いから早く包んで貰える?」


「へーいへい、まいどあり」


 店番の少年──ルークは、両腕を頭の後ろで組みながら店の中に入っていった。

 鍛冶師見習いとしてこの商会で修行してるというコイツの態度は、わりと生意気だ。

 差し出された缶詰の包みを受け取って、私は銅貨をルークの手のひらに落とす。

 チャリン、とどこか侘しい音が、日に焼けた手のひらで踊った。


「……そうだ、お前が来たら渡そうと思ってたもんがあるんだ」


 銅貨を数えていたルークは、ふと思い出したようにポケットを漁り出した。


「なに? 前のと同じような、くだらないびっくり箱とかだったらぶん殴るけど」


「まぁ見てろって……じゃじゃーん」


「なにこれ。『跳ね兎亭、ケーキセット特別無料引換券』……?」


 ケーキ。無料。その単語に目が釘付けになった。

 思わず動きを止める私に対して、ルークは得意げに引換券を見せびらかす。


「商会のツテで、たまに貰えるんだよなー。ほれ、やるよ」


「い、いいの⁈」


 反射的に答えてしまってから、はっと冷静になる。

 待て待て、お菓子につられるなんて子供っぽい真似をしてはいけない。

 私にも最低限のプライドというものは……


「気に入ってもらえたようで何よりだぜ」


「卑怯よ食べ物で釣るなんてっ!」


 尊厳など知った事かとばかりに、私の手はがっしとルークの手ごとチケットを掴んでしまっていた。空腹には勝てない。


「食べ物につられるような不健全な食生活してる方が悪いーんだよ」


 この展開を予想していたらしいルークは、けらけらと楽し気な笑い声をあげながら湖岸通りを指差した。


「跳ね兎亭は、そこをまっすぐ行った先にあるぜ。看板で分かるはずだ。

 報酬は……そうだな、今度ともヴァレンシア商会をよろしくという事で」


 ほうきを手にした見習いの少年は、さわやかな柑橘類を彷彿とさせる笑顔でそう言った。


「……言われなくても、あんたの店は気に入ってるから使うわよ。ありがと」


「おう。うまいもん食って来いよ。オレの勘が、お前はしっかりメシを食えば豊満ボインのステキ体型になると告げてグボァっ⁈」


「私も看板を見た覚えはあるわねー。ありがとルーク、行ってみるわ」

 

 何気なく胸に手を伸ばしてきたルークを肘鉄で撃墜、ついでに投げ飛ばして湖に着水させる。

 昨日の少女を湖に投げ飛ばしてしまったのは、こいつのせいで培われてしまった私の悪癖だ。


「さて……と」


 貰ったものは使わないと。

 空腹を訴えてくる腹部をさすりながら、私は鼻歌交じりで歩き出した。


 

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