【箱庭の景色】
「じゃあ、オードランせんせーは放浪民の一座を追いかけて行っちまったって事か?」
ルークくんの言葉に、私は頷いた。
「うん。付いて行きたかったけど、けっこう長期の調査になるって言っててさ。だから、今回はお留守番」
「でもまぁ、お前が街の外に出るのはちょっと……危ないよなぁ。イリスならともかく」
木箱を店先に並べ終えたルークくんは、振り返りながら眉をひそめる。声変わりが始まった彼の声は、少し聞き取りにくい。
私の声も変わってたりするんだろうかなんて思いながら、私は腕組みをした。
「えー。私、防御術式なら得意なんだからね。みっちり一年間、イリスちゃんに鍛えられたんだから」
「あ、そうなの? オレはてっきり、湖にダイブする練習だと思ってたぜ」
「ルークくん。春先の雪解け水って冷たいんだよ。泳ぐ?」
「へい紫苑。満面の笑みで杖を構えるな。ようやく見習いを脱却したばっかなんだからよ。心臓麻痺ごときで昇天したくねぇ」
たわいの無い会話をしながら、小銭と紙袋を交換する。
ルークくんの手から紙袋を受け取った直後──手の甲に、薄桃色の花びらが落ちてきた。
「チェリンの花、満開だね……良い匂い」
商会の隣に植えられた桜花を見上げ、透き通った青空に目を細める。
……あの迷宮での出来事から、もう一年の時が経った。
迷宮で派手に暴れた教会の人たちは、結局捕まらなかったらしい。
私やジェシカさんが緊急搬送された事件は、イウロ人純血派の過激派学徒の犯行ということで片付けられたとか。
学徒の大半が休暇中でいなかったからか、それとも風紀組織の活躍があったからなのか……この事件は、街の人たちの話題からは自然と消えていった。
『過激派組織』の事件よりも話題になったのは、アナストリア内戦の完全鎮圧と、『小さな英雄』の行く末について、教会が正式に声明を出した事だ。
教会は、さまざまな憶測が飛び交っていたイングリッド・フォン・バルヒェットの戦死を伝え、内戦鎮圧の祝いを兼ねた盛大な葬式をあげた。
内戦での負傷から感染した、熱病で亡くなったという設定。
盛大に行われた葬式の結果、『イングリッド』は教会の英霊として祀られるようになったらしい。
新聞を手にしたイリスちゃんが、ぼんやりと窓の外を眺めていた時の横顔は今も忘れられない。
学院が密かに接触したバルヒェット家──イリスちゃんの実家の人たちは、イリスちゃんの親権を放棄した。学院には戸籍に関する書類と、小切手だけが送られてきたらしい。
きっと私たちの与あずかり知らないところで、学院、教会、バルヒェット家の間で、さまざまな取引があったんだろう。
大人の都合の、箱庭の外の薄汚いような交渉が。それを分かっていても、私の口から罵声を吐き出すことなんてできない。
(世界ってきっと、そんなもんなんだ)
人の命を幾百も簡単に捨てるような世界なのに、子供一人の為に、こんなに大げさに動く事もある。
どうしようもなく理不尽で、不公平で……でも、なんだか今は、清々しい気持ちだ。
「……私、そろそろ学院に戻るね」
紙包みを鞄にしまって、私はルークくんに手を振る。私がいつもより急いでいる事に気付いたルークくんは、首を傾げた。
「もっとゆっくりして行っても良いんだぜ? 忙しくなるまで、時間あるしよ」
「うーん。そうしたいのは山々なんだけど……」
私が事情を説明すると、ルークくんは歯を見せて笑った。
「あぁ! そういえばお前ら、今日なのか! どうしてあの凶暴女が面見せねぇのかと思ったら」
「今のルークくんの発言、イリスちゃんに伝えておくねー。じゃあ!」
「やめてくれ命が惜しい。じゃあな!」
振り返らずに手を振り、走り出す。
この街で二度目の春は、去年よりも少し暖かい。
(エリック先生は、今頃どの辺りにいるのかなぁ)
そんな事を考えながら湖の対岸を臨む。どこまでも透き通った蒼穹と、街を囲む山脈の峰。
手を伸ばしても届かない空と、周囲をふさぐ箱庭の壁。そんな想像をして、閉塞感を覚えないわけではない。
(それでも……)
もう、この閉じられた街を呪うような事にはならないと思う。根拠のない確信を抱きながら、私は踵を返した。
校門をくぐり、草地の中央に据えられた噴水の横を抜けようとしたところで。
『こっち……じゃないですね。この地図どうなってるんですか?』
『早くしろよティルー、遅刻するだろー』
『じゃあ君も探してくださいよ⁈』
地図を見ながら、ふたりの男の子が首を傾げているのに遭遇した。
ふたりとも真新しい制服を着ていて、識別バッチはまだ付けていない。今年度入学の、一位生だ。
「……講堂を探してるの?」
後ろから声を掛けると、男の子ふたりは飛び上がった。
私にも、先輩が先生よりも強い存在に見えていたから、彼らの気持ちは分からなくもないのだけれど。
「私も講堂に行くところだから、良かったら案内しようか?」
「あ、えと、えっとその……良いんですか?」
眼鏡をかけた子が、戸惑いながら首をかしげる。
私は安心させる為に微笑むと、歩きながら手招きをした。
「私も入学式に顔を出そうと思ってた所だから、大丈夫だよ。ついて来て」
「あ、ありがとうございます。あの……お名前と学年をお聞きしても?」
「紫苑・アスタリス、学年は二年位だよ。君たちは?」
「僕たちは……」
と、眼鏡の子が話しかけたところで。
「俺、チチェリットに朔弥人の学徒がいるって思わなかった。お姉さん見てびっくりしちゃったよー」
頭の後ろで腕組みしながら歩いていた男の子が、廊下を物珍しそうに眺めながら呟いた。
「えっと、それはね」
「レルお前、先輩に対して失礼すぎるだろっ!」
私が言葉を返すより前に、眼鏡の子のげんこつが炸裂し男の子は吹き飛んだ。
「わわ⁈ しょ、『招鬼』……」
頭を打ったら一大事。私は慌てて風を呼び起こした。
でも、男の子が吹き飛んだ先に立っている人物を見て、術式の発動を止める。
「イリスちゃん、その子受け止めてー!」
声を掛けると、通りすがった少女は片手で男の子を受け止めた。
「入学当日からバカやるなんて、良い度胸のガキどもね」
「ひっ……⁈」
金髪碧眼、筋骨隆々の肉体、胸筋に支えられた圧倒的たわわ。
威圧感たっぷりの上学年に睨まれた男の子は、目に見えて縮こまった……でも。
「教師に目ぇ付けられるから、やめといた方が良いわよ。バカやるのは、逃げ足と知恵がついてからにしなさい」
頭をぽんと撫でられて、拍子抜けしたように目を瞬かせる。
金髪の尾を翻したイリスちゃんは、私の方を見てニヤリと笑った。
「さっそく先輩してるわね、紫苑。頼んだものは買って来てくれた?」
「うん。でも、そろそろ材料が切れるから取りに行こうぜーって、ルークくんが」
「面倒くさいわね……まぁ、了解したわ」
そんな会話をしながら、私はイリスちゃんに紙袋──爪用塗料入りの瓶を渡す。
袋を覗き込んだイリスちゃんは、満足げに頷いた。
「急に頼んで悪かったわね。ったく、新入生への体裁が悪いから何とかしろって……早く言いなさいよって感じ」
「まぁ、先生たちも忘れてたんじゃないかなぁ」
「そういう事にしとくわ。じゃあ、また後で」
「うん」
互いに手を振り、逆方向へ歩き出す。私はそのまま講堂へ。イリスちゃんはクリーム先生に呼ばれて、応えながら職員室の方へ。
「あの……今の人、バッチから判断するに三位生ですよね。二年位の紫苑さんとは、その……?」
「イリスちゃんと私は同い年だよー」
恐る恐る聞いてきた後輩に、私は肩を竦めた。
「入学時期は一緒なんだけど、あの子は飛び級してるから」
「と言うと、彼女が噂の……!」
「おいティルー、講堂着いたんだし、そろそろ静かにしろよなー」
男の子のひそひそ声に、眼鏡の子も口をつぐむ。
学徒全員を収容できる講堂の中は、通常よりたくさんの照明に照らされている。
重厚な扉をくぐり、講堂の中に入った私は……その照明の眩しさに、目を細めた。
さぁさぁラストスパート




