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【後の事は】


「後の事は、君も知っている通りさ」


 来客用茶器からコーヒーを(すす)りながら、エリックは目を閉じた。


「私がふたりを連れて迷宮表層に出た時には、君の指揮で教会支援者の残党狩りが開始されていた」


 エリックの前には赤髪を背に流すクリームヒルトがおり、無機質な白い机を挟んで向かい合っている。

 窓のない空間では白衣の人々が行き交い、ガラス越しにこちらを見ている犬は、けだるげに丸まっていた。


「重傷でかつ、極度の星沁疲労を起こしていた紫苑くんは救急搬送へ。

 イリスくんは、そのまま……この魔生物研究所で、治療と検査を受ける事になった」


 来客を胡乱げに見ていた犬は、餌を持ってきた研究者を見つけて飛び上がる。

 ガラス戸を開けた瞬間、尻尾を振る犬に飛び掛かられた研究者は、怒りつつも笑っていた。


「……教会の連中は、迷宮の中で行方をくらませたまま出てこない」


 エリックは、空になったカップを置いた。己のカップにミルクを加えたクリームは、黒と白が混ざる様子に目を細める。


「我々が迷宮を封鎖した時には既に脱出していたか……考えにくいが、迷宮のどこかに未だ潜伏している可能性もゼロではないね。

 お前が連中の生死を確認していれば、ここまでややこしい事態にもならなかったが……」


「それに関しては耳が痛い」


「だがまぁ、お前は教え子の命を最優先に行動したのだ。責めるわけには行くまい」


 ぐしゃ、とカップの中にスプーンをぶち込み、クリームは苦笑した。


「だが、教会の連中が、交渉の際にその話題を出さなかった事を考えると……」


 と、そこまで言ったときだった。


「オードラン先生ーっ!」


 ペタペタペタ、というスリッパ特有の足音を立てながら駆け寄ってくる影。

 そのまま獣もかくやという身軽さで飛び付いてきた少女を、エリックは苦笑しながら抱きとめた。


「どうしたんだイリスくん。まだ今日の検査は終わっていない時刻のはずだが?」


「だっておかしくない⁈ あの人達おかしくない? 変態じゃん? どう見たってヤバい人達じゃん!」


「目上にタメ口は使わない」


「小官与えられた任務をこなすべく奮戦いたしましたが対抗勢力の変態性により戦力の彼我が激しく対処不可能に陥りました至急応援を求めますっ!」


「頼むから落ち着け、落ち着きたまえイリスくん。敬語を使えとは言ったが、私は君の上官ではないぞ」


 クリームからの生ぬるい視線を浴びながら、エリックは少女を引き剥がした。


 紫苑の発動した術式と研究チームの献身的な治療のお陰でイリスは回復したが、全てが元通りになったわけではない。


 まず、イリスの爪は妖獣と同じ黒々とした色に変色し、戻らなかった。

 それから髪。肩下で揺れる髪ははちみつ色だが、顔の横にある一房だけが、雪のような白銀に染まっていた。


「……髪は、本当にそのままで良いのかね」


 唐突なエリックの質問に、イリスは瞬きをした。

 やがて顔の横にある一房の事を指摘されていると気付き、若草色の瞳を細める。


「これは……そのままで良いんです」


 若草色の瞳の中で、森の木漏れ日のような金色がきらめく。

 黒く染まった爪を見下ろすイリスの表情は、年齢を忘れた老人のように穏やかだった……のだが。


「イーリースちゃーん。お注射の時間だよー」


 背後から現れた研究者たちの声に、イリスが文字通り飛び上がる。

 エリックの背後に回ったイリスは、研究者の一人に向かって吠えた。


「無理無理無理! 無理でしょ! どう見たって人間に刺す大きさじゃないわ、注射は千歩譲って許すから、大きさは人間規格にしてよ! あと子供扱いしないで⁈」


 イリスが指差した先にあるのは、魔物用の大型注射器だ。距離があるのに針の穴がはっきり視認できてしまう時点で、いろいろとおかしいのは確かだ。


「まぁ、どう見ても子供に刺す大きさではないね」


 注射器に威嚇するイリスに同情するように、クリームが助け舟を出す。

 その言葉にイリスが反応する前に、研究者の一人がひらひらと手を振った。


「ははは、すまんねぇ。どうも君は薬が効きにくい体質になっているようだから、こちらもいろいろと工夫をしなければならないんだ……で、逃げない」


「だ、大丈夫。腕には刺さないよ……刺すのは尻だから」


 そっと差し出されたアルトの手を、イリスは勢いよくはたき落した。


「それ、七割増しで嫌だから!」


 噛み付きそうな勢いで吠えられたアルトは、困ったようにエリックを見やる。

 苦笑まじりに頷いたエリックは、がるるると唸る教え子の頭に手を置いた。


「イリスくん。今日そのえげつない子供特化武器(リーサルウェポン)に耐え切ったら、退院していいそうだよ」


 イリスは、弾かれたように顔を上げた。


「本当……ですか?」


「イリス・デューラー。お前さんの身体はもう、人間とほとんど変わらない組成に戻っているそうだよ。お前さん自身が理解している通り、後遺症(・・・)はいろいろと付随しているようだが」


「通常生活に、支障はないだろう……地上に戻ったら、君の退院を紫苑くんやルークくんに伝えておこう。定期的な検査は、これからも受けて貰うがね」


 クリームの淡々とした言葉を継いで、エリックは微笑んだ。

 

「詳しい話は後で良いだろう。これまで学べなかった分を、この街で大いに学びなさい」


 エリックの言葉を聞いた数秒後、状況を理解したイリスの顔に喜色が浮かぶ。

 彼女の瞳が感情をたたえて潤みかけた、その直後。


「というわけで、あと半刻ほどの辛抱だ。頑張りなさい」


 彼女が泣いてしまう前に、現在の状況を思い出させる。

 ハッと肩を揺らしたイリスは直後、机の下を潜り一目散に走り出した。


「……あー、すまないな。彼女は少し、元気がありすぎて」


 あっという間に視界から消えた少女を追う気もせず、エリックは机の横に残った医師──アルトの師匠に当たる男に声をかけた。


「たぶん、大丈夫ですよ。見ての通り辛気臭い所ですから、賑やかになって皆も喜んでいたんです」


 慌てて追いかける研究者たちの足音、掛けてきた少女に驚く声、「施設内を走るなイリス・デューラー!」という怒鳴り声が、施設中に乱反射する。


「本当に……良かったですよ」


 騒動に苦笑していた医師はふと、視線を遠くに飛ばしながら言葉を落とした。


「石部屋であの子を見た時には……もはや、希望を持てないと思っていましたから」


 医師の言葉に、机を囲む全員が沈黙する。

 月明かりも僅かにしか届かない地下の部屋。大人をろくに見もせずに(うずくま)っていた少女の姿は、全員の瞳の中に焼き付いていた。


「彼女は、呪いに打ち勝った……我々は、そういう解釈をして良いのですか」


 とうとう捕まったのだろう、ぎにゃーっと叫ぶイリスの声で我に返ったエリックは、身を乗り出して問うた。


「ええ。あの子は多くを語ってはくれないのですが、意識の混濁や、星沁の変質はもう見られなくなりました」


「それは良かった」


 嘆息したエリックは、背もたれに身体を預ける。

 隣のクリームは、コーヒーカップを見下ろしながら呟いた。


「呪いが祝福、祝福が呪い……か」


「クリーム。いま、何か言ったかね?」


「なに、独り言さ」


 ミルクが完全に混ざり切ったコーヒーを飲み干し、クリームは顔を上げた。


「しかし、教会側がこうも簡単にあの子から手を引くとはね。

 妖獣の呪い……その解呪方法を知る事は、連中にとっても悲願であったはずだ」


 唯一とも言える成功例であるイリスを簡単に手放すとは思えない。裏があるように思えてならない。

 クリームの指摘に、エリックは頷いた。


「それについては、後で詳しく話そう。今後の交渉においても、対策を練る必要がある」


 だが今は、と。エリックは背後を振り返った。

 背後ではちょうど、アルトに捕獲されたイリスが引きずられていく所だった。

 大変不本意そうな膨れっ面だが、大人しそうにしている所を見ると、アルトはあの利かん坊の説得に成功したようだ。


「課題も、疑問も、雪崩を起こすほどに残ってはいるが……まずは祝福しようではないか。あの子達の門出を」


「……あぁ」


 心地よい沈黙が、大人たちの間に流れる。立ち上がったエリックは、クリームを見据えた。


「では、私は先に失礼するよ。何かあったら手紙をくれ。すぐ戻れるようにする……すまないが北の対応を頼むよ、クリーム」


「任せておけ。私はあの子に嫌われているようだから、お前のようにはいかないかもしれないがね」


「オードラン教授、どこかへ行かれるのですか?」


「ああ。紫苑くんが使った術式と、教会の連中が言っていた『恵みの御子』という言葉に少し……思い当たる節があってね」


 エリックは、懐から一枚の絵を取り出した。ちぎった画用紙に白黒で描かれた絵を見下ろし、眼鏡を光らせる。


「どうやら私の方も、過去に向き合う必要がありそうだ」



もう一息。続きます

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