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【竜牙旋風】

 


「どうか、次は幸せな生命を」


 その言葉と共に、振り下ろされる刃。

 麻痺した感覚の中で己の死を見上げていたエリックは、微かな鈴の音を聞いた。


『深き、処に住まう者。あわいの世に、生きる民……』


 ──微かな声に、振り返る。瞳を震わせるエリックは、うつ伏せに倒れた養い子の指が、雪と共に鈴を掴んだのを目撃した。


「紫苑く──」


 養い子に伸ばした手は、清涼すぎる(・・・)星沁に触れ硬直する。


『風となりて水源(みなもと)より至り、我が祈りの言の葉を聞け』


 朔弥語で紡がれる翡翠色の祝詞は、紫苑の足元から花を咲かすように発光を広げていく。リン、リン、リンと加速する鈴の音が、同時に異様な気配を発し始めた。


「なっ」

「これは、あの時の」


 少女の異変に気付いたディアナが剣の勢いを緩めかけた、その瞬間。


渓流(かわ)を登れ巻き戻れ遡れ大いなる瀑布を克服し道理を超越(ちょうえつ)せよ天を覆い空を裂き祈りを聞き入れ此の地に清浄なる恵みの権現を(もた)らし給え嗚呼愛しき母なる龍よ卑小なる我が身に我が友にどうか清浄なる銀の鉾と盾の祝福を』


 語学に長けたエリックさえ聞き取れないほどの速度で紡ぎ上げられた祝詞が、鈴の音と共に急加速する。


『来たれ、大いなる始まりの風 我が身に宿れ 常世(とこよ)より至り、現世(うつしよ)道理(ことわり)を統べよ──』


 詠唱完結がもたらしたのは、一瞬の凪。


『舞い踊れ、竜牙旋風(りゅうがせんぷう)


 そして次の瞬間、摂理を超越した旋風が解き放たれた。


「ぐぁっ⁈」

「──ジョージ!」

 

 真っ先に吹き飛ばされたのは教会の二人。滑稽な姿で宙に浮いた黒い影は、エリックが見てる中で崖下に消えた。


 風はそのまま、遺跡の石柱や樹々をなぎ倒し、赤い痕を吹き飛ばし、悲劇に惨劇を重ねる事で消し去ろうとする。


 この場で風の被害を受けていないのは、風の中央にいるエリック達だけだった。


「まさか、この術は……」


 エリックは紫苑を振り返ると同時に、瞠目した。

 収束する風の中央にいる紫苑は、倒れ伏したイリスに覆い被さっている。

 イリスの顔は見えない。しかし、雪上に投げ出された獣の腕が、エリックの見ている中で少しずつ縮んでいく。


(周囲から集めた星沁を……他者の生命の欠片を、イリスくんに注いでいるのか!)


 原理としては、治癒と解呪の複合術式。

 しかし発現の規模が桁違いだ。学院の技術を集結しても希望が持てない──そう考えられていた呪いが、たったひとりの力で浄化されているのだから。


 それはまさに『星沁保存法則』の超越。世の理を無視した本当の『魔法』、本物の『奇跡』だった。


(しかし、奇跡を望んだ者の代償は……!)


 単純明快、術者の死。身に余る奇跡を望んだ先人が幾人も野に伏してきた事を、エリックは知っている。

 

「もうやめたまえ紫苑くん、それ以上は、君の身体も!」


 それに、紫苑の背中からはまだ鮮血が滴っている。普通であれば、術式を発現させるなど不可能な状態のはずだった。

 

(術式を、止めさせるには……)


 術式媒介となっている竜牙鈴を、取り上げるしかない。

 エリックは無防備な紫苑の手から、銀の鈴を取ろうと手を伸ばし──触れる直前で、躊躇した。


『これが貴方の選択の結果だ』


 血飛沫と共に叩き付けられたその言葉が、エリックの脳内で呪詛のように鳴り響く。

 

(鈴を取り上げた時点で、術式は停止する。紫苑くんは助かるが、イリスくんは……)


 そう。これもまた、エリックに突き付けられた選択。子供達のうち、どちらを生かすかという選択だ。


(何をどう選べと言うのだ。何故神とやらは、私にこのような選択を、繰り返し突きつけてくる……)


 何度も手を伸ばすが、選べない。誇り高いイリスは、紫苑の命を犠牲にした救済など求めないだろう。

 他者を強く想う紫苑も同様に、命を削って生み出した術式をふいにする事など許さないはずだ。

 何よりエリックは、目の前の子供達の命に優先度をつける事が、できなかった。


「……っ!」


 結果──パキン、と。エリックが触れる前に、銀の鈴は二つに割れた。

 主人の代わりに代償を支払ったとでも言うように、紫苑の手のひらから破片をこぼし、雪上に散る。


「っ⁈」


 直後、放たれる閃光。あまりの眩しさに閉じた目をゆっくり開けると、エリックは喉を震わせた。


「これは……⁈」


 紫苑に抱えられたイリス。彼女の腕が、元に戻っている。足も人間の形に戻り、雪と同化する色だった髪は、陽光を溶かしたような金色に。

 そして──緩やかに胸が上下するたびに、イリスの口元の空気は白く凍り付いていた。


「っ!」


 即座に、こちらに背を向ける紫苑を見る。乾いた血がこびりついた紫苑の手は、イリスの頬をゆっくりと撫でていた。

 微かに揺れる身体からは、細い声で、異国の子守唄が流れている。

 まるで、己の子を寝かし付ける母のような──およそ子供の持つ雰囲気とは思えない気配に、エリックは皮膚が泡立つのを感じた。


(だが、生きている……)


 もはや望みがないと思われたイリスも、背中を斬られ、しかもその上で術式を発動した紫苑も生きている。


 ふたりの傷は完治したわけではない。しかし、身体のあちこちから流れていた血は、乾きつつあった。

 紫苑の術式──まだ学徒にすらなっていない子供の祈りが、大人がどう足掻いても覆せなかった状況を引っくり返したのだ。


「疲れ、たぁ……」


 エリックが混乱していると、養い子はぽすんと腕の中に倒れてきた。膝に友人の頭を乗せ、己も養父の腕に抱かれながら、満足げに空を仰ぐ。

 その表情は、見知った紫苑のもの。甘えん坊で、臆病で、しかし誰かの為にならどこまでも強く在れる養い子の笑顔だった。


「……あのね、エリックおじさん。私、不思議な世界を見たんです」


 曇った真珠色をしていたはずの空には、翡翠色の極光(オーロラ)が揺らめいている。

 その極光(ひかり)に頬を濡らされながら、紫苑は翡翠色の目を細めた。

 緩慢に伸ばした手は、胸に抱き寄せた友人の頬へ。涙の跡をなぞって、はちみつ色(・・・・・)の髪をそっと横に払った。


「あの空みたいに綺麗な場所で、イリスちゃんが、迷子になってたんです。夢なのか、現実なのか……よく分からなかったけど、ふたりで一緒に帰ってきました」


 眠たげに手を伸ばした紫苑は、満ち足りた表情で目を閉じた。

 鈴のかけらは煌きながら散らばり、雪上に小さな星空を描いていた。


「だから、イリスちゃんは戻って来れます。次起きる時にはまた、私たちの知ってるあの子が、目を覚ましてくれるって……そう思います」


 細い声で紡がれる言葉は、歌うように雪上を流れる。

 エリックは紫苑の言葉が、確信に満ちている事に気付いていた。

 翡翠色の瞳は、天に揺れる同色の光を映して怪しく揺らめく。


「紫苑くん……」


「だから、ね」


 瞳を震わすエリックに、紫苑は大人びた──彼女の母親そっくりの表情で、微笑みかけた。


「皆で帰ろう、エリックおじさん」


 紫苑は目を閉じた。

 空には緑色の光の帯が音もなく揺れ、降り注ぐ光は紫苑や、地に伏せた金髪(・・)の少女の頬を優しく撫でるように流れていく。


「……そう、か」


 ぽつりと声が落ちた。


「君たちが危惧していたのは、この事だったのだな。ケイン、莉花」


 エリックは震えながら、今は亡き友、紫苑の両親の名をつぶやく。

 応える声はない。しかし、雪原に吹き荒れていた風は止み、エリックの肩に寄り添うように粉雪を降らせた。


「──あぁ、紫苑くん。勿論だとも」


 エリックはふたりの少女を抱え、背負い、立ち上がった。

 持てる限りの星沁を少女達に注ぎ込みながら、肩に当たる微かな吐息を頼りに、惨劇の痕を踏み散らしながら雪上を駆ける。


「皆で帰ろう。私たちの街、チチェリットへ」

 

 白銀の地面に足跡が刻まれる。力強く、しかし赤く汚れた足跡が。


 だが──その上から柔らかな光が降り積もり、赤い跡を緩やかに癒す。


 天上の極光は、地を駆ける者たちを優しく見守っていた。



まだ続きますよ

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