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【まだ、約束の為に】

  

 ──慰霊塔の騒動から少し遡り、ここは〈術式文化学研究室〉。

 周囲が寝静まり、廊下も夜闇に包まれている中で、エリックとクリームヒルトは白衣の人物と共に卓を囲んでいた。


「……。つまり、彼女はヒトとしての寿命と引き換えに、爆発的な治癒力を得て生き延びた。そういう解釈で良いのかな、アルトくん」


 エリックにアルトと呼ばれた青年は、やや前のめり気味に相槌を繰り返す。

 アルト・クリアウォーター。彼は迷宮施設に務めている研究員であり、イリスの検査を行った人物だった。まだ若いが才気に溢れている彼は、この未知の症状の解明には適任として先人たちに推薦されたのだ。

 ……豹変した患者(イリス)に襲われるリスクを恐れた先達に、厄介事を押し付けられただけとも言うが。


 とにかく彼は、蒼色の瞳に情熱を灯しながら言葉を続けた。


「はい。彼女の頭部に、大規模な星沁回復の痕跡を見つけました。脳にまで及ぶ……普通であれば、即死するほどの損傷だったでしょう。他にも二か所……左の頸骨から鎖骨にかけてと、右の大腿部に」


「彼女の異形化が、特に進行している場所だね」


 長い赤髪を指先でいじるクリームが、合いの手を入れる。イリスの異形化が目立つ場所は、左頬、左肩、それに右足。過去に怪我をした場所から侵食が進んでいるという情報に、クリームは目を細める。


「彼女はその傷についてなんと?」


「肩と大腿部のものは交戦中に受けた傷で、妖獣に治療されたのだと言っていました。それ以上のことは、話してくれませんでしたが……」


 どれも致命傷だったはずです、と年若い医師は言った。


「オードラン教授、クリームヒルト教授。今回の事は、伝承で一般的に『異形化』と呼ばれているものとは異なり、なんというか、その……」


「待った」


 ふいに、クリームが医師の声を遮った。イウロ人よりも優れた聴覚を持つリセルト人の特性である尖った耳を揺らしながら、扉に手を向ける。


「そこにいるのは誰だい!」


 湧き上がる星沁と、触れられていないのに開く扉。

 バン、と内側に向かって開いた扉の向こうでは、ノックしようと手をあげたまま、硬直している少年の姿があった。

 風圧に怯えたように震えるアホ毛の色は、オレンジがかった明るい茶髪。いわゆるニンジン色だ。


「君は確か……商会の?」


「う、うす……ヴァレンシア商会のルーク・ハイヴリッジっす……」


 星沁のスポットライトに、自動で開いた扉。まさか舞台芸人のように華麗な登場をさせられるとは思っていなかったルークは、成人三人を相手に引きつった笑いを浮かべた。


「どうしたんだね、こんな夜中に。いくら近所とはいえ、こんな夜中に子供だけでうろついていては危ないだろう」


「あー、えっと……」


 エリック一人しかいないと踏んでいたルークは、あげたままの手を中途半端に上下させる。

 挙動不審な鍛冶師の少年に眉をひそめていたエリックだったが、やがて困ったようにため息をついた。


「……。彼女には、会えないよ」


 ややあって、エリックのつぶやきが部屋に落ちる。ランプの明りのみに照らされた部屋は、肌寒かった。


「わざわざ訪ねて来てくれたのに、すまないね」


 エリックが驚きつつも、平常に対応してくれたことにルークは内心で安堵の息をついた。


「……いえ。こんな夜遅くに訪ねてきたオレも悪いんで」


「商会まで送っていこう。親方には何も言わずにいてあげるから、早く帰りなさい」


「あ、はい。すんません」

 

 気まずそうに頭をかくルークと、嘆息するエリック。微妙な気配の中、最初に動いたのはクリームだった。


「……っ!」


 耳を揺らし、赤髪を翻して窓に飛びつくクリームヒルト。ルークたちイウロ人は、一歩遅れて窓の外を見る。その直後──街の郊外に、閃光が走った。


「なっ」


 一歩遅れて、とどろく轟音。冷たい銀色の光を纏った煙が森から立ちのぼるのを見て、ルークは瞳を震わせた。


「あの方角、慰霊塔がある辺りか?」


 普段なら怪訝な顔だけして終わりにするだろう。だがルークは、あそこに紫苑が向かっているという事、そしておそらくは、イリスもあの場所にいるのだという事をジェシカの言葉から察している。


(あいつら、あの爆発に巻き込まれて……っ⁈)


 ルークはとっさに駆け出そうとした。しかし直後、首根っこを後ろから引っ張られて盛大にせき込む。

 抵抗する間もなく、ルークはクリームヒルトに摘み上げられた。


「何すんですか」


「ここにいろ、ルーク・ハイヴリッジ」


 有無を言わさぬ表情。草食獣のものに似た、横向きの瞳孔を持つ瞳。その眼光に圧されたルークは、頬を引きつらせた。


「アルトくん。その子を見ていてくれ」


「街の出入り口を封鎖しなければなるまい。私は学院に戻り、風紀部隊を動員してくる。あの子の後はお前が追え、エリック」


「あぁ」


 それと同時に、エリックは自らの部屋に飛び込みロッカーに手を掛ける。星沁認証で開け放たれた扉の中に入っていたのは、最新式の星沁銃の数々だ。

 エリックはその中から拳銃型と小銃型を取り出し、銃剣を手早く取り付ける。その動きが素人の者でない事は、一目瞭然だった。


「ルークくん、我々が戻ってくるまでこの部屋から出るな、分かったね!」


 ルークが返事をする前に、エリック教授は外へ駆け出そうとする──が。


「おいエリック」


 ルークと同じく、首根っこを掴まれて引き止められた。げほぁ、というやや心配な咳払いがエリックの喉から落ちる。


「な、何事だクリーム」


「忘れものだ」


 ぽん、と投げ渡されたのは白布の包み。それを掴んだエリックは、目を見開いた。


「学院が不利益を被るような立ち回りをさせるわけにはいかないが、この緊急時ではやむを得まい……最善を尽くしてこい、エリック」


「……。ありがとう、クリームヒルト」


「その名は長いと言っている……気を付けて行ってこい、私もすぐ後を追う」


「頼むぞ」


 交わされる視線、逆方向に走り出す教授(おとな)たち。

 取り残されたルークは、アルト医師に肩を持たれたまま窓を食い入るように見つめた。


「いったい、何が起きてるってんだよ……」


 その呟きに、答えるものはいなかった。



♢♢♢



 目を開けるまでもなく、周囲は物の焼ける臭いと煙が充満していた。


「っ……かっ、がはっ!」


 ベッドを盾にしたおかげで直撃はしていない。だが、イリスは吸い込んだ粉塵が喉を焼くのを感じた。思わず咳き込み、支えたベッドから手を離す。

 倒れてくるベッドから這い出てみると、月光が周囲を照らし出している。周囲を覆っていた壁は、完全に崩れていた。


「まったく、しぶとい子なの」


 嘲笑に顔を上げる。瓦礫の上では、薄桃色のスカートを月光になびかせたジェシカが、冷然とイリスを見下ろしていた。


「でも、もう動けなさそうね。さっき投げた手榴弾にはね、銀聖石の破片が詰めてあったの……あなたの身体には、効果抜群でしょう?」


 銀聖石。それは星沁を蓄積、吸収する力が他の宝石を上回る人工の術石。妖獣を確実に仕留める『銀の弾丸』の材料として用いられるものだ。

 ひとたび妖獣の身体の中に入れば、身体の内側から星沁をかき乱す。


(身体がうまく動かせない……銀聖石の粉を吸ったせいか)


 人間には効かないはずの鉱物は、呪いに侵されたイリスには明確に作用した。

 これ以上粉塵を吸わないよう、袖で口元を覆いながら、イリスは女を睨みつけた。


「……あんた、ジェシカじゃないわね」


 柑橘類を彷彿とさせる清涼なにおい。それは紛れもなくジェシカのものだ。だがその中に、嫌なにおいが混ざっている。

 濡れて苔むした石と、錆びた鉄のにおい。このにおいの持ち主を、イリスは知っていた。


「ジェシカに化けるなんて悪趣味よ、クソ〈烏〉。とっとと正体を現しなさい」


「貴女、私が幻惑術を使ってると思ってるのね」


 クスクスと嘲笑。

 小馬鹿にした笑みを浮かべたまま、『ジェシカ』は瓦礫を降り始めた。


「なに……?」


「あのように穢れた異教徒の技、聖なる使徒が使うには不向きなの。だから」


 停止。うずくまるイリスを、ジェシカが見下ろす構図。そしてふたりの間は──



「この身体と、ここに記されている記憶は、ちゃんとジェシカ・ペスカトーランの持ち物よぉ」



 ──無情な銀の銃口が取りなした。イリスは自分の喉が、銀聖石ではない別の要素で呼吸を止めるのを感じた。


「さようならなの、哀れな亡霊さん」


 イリスは動こうとした。引き金に掛けられた指が、死を発射する前に。肥大化し、かぎ爪がついた腕を振り下ろすだけで、目の前の顔は砕けた肉片に変わるだろう。

 しかし腕を振り上げられない。目の前にいるのは教会の烏だ。それは間違いない、確信がある。だがこの身体が、本当にジェシカのものだとしたら?


 一瞬の迷いに、銀聖石の粉塵が致命的な追い討ちをかけた。


「がっ……!」


 腕を振り上げようとした姿勢のまま、身体が硬直する。限界までつり上がった唇の笑みが、イリスの眼球に焼きつく。

 眼前に突き付けられた銃口が、いま火を放とうとした──その時。


「に、げ……て」


 『ジェシカ』の瞳から、涙がこぼれ落ちた。放たれた銃弾は、イリスの頬をかすめて後ろに抜けた。


「逃げてイリスちゃん、私、から……にげ、てっ!」


「っ!」


 イリスは動いた。身をそらして倒れ込み、二発目の銃弾を回避する。息を止めたまま、真上を見上げ。


「──っ!」


 足を振り上げ円月蹴り。蹴り上げられた拳銃は、満月に照らされてきらりと輝いた。


「くっ……!」

「邪魔っ!」


 素早く反転して起き上がり、跳躍して拳銃を掴み取る。

 そのイリスの動きに対応できず、たたらを踏んだ『ジェシカ』を見てイリスは確信した。


(このジェシカは本物だ。教会の〈烏〉が、何か私の知らない術で操ってるんだ)


 だが完全ではない。そもそもジェシカは、戦闘訓練とは縁のない一般人。星沁干渉力も高くない。

 

(これなら……!)


 身体を麻痺させられていても、まだ勝機がある。

 イリスは強奪した銃を、即座にジェシカの足に撃った。だがその弾丸は光の壁に弾かれる。

 伸ばされたジェシカの腕には、精巧な機巧が組み込まれた腕輪が見える。一時的に空間を歪ませる事で装備者を守る、星沁防護壁の機巧だ。


「ちっ!」


 舌打ちして、腕輪をした手を直接狙う。機巧式の星沁防護壁は万能ではない。

 持ち主の意思で発動するという点では術師の防護壁と同じだが、『誰にでも使える』事を目的にした術式が組まれているため、術式に無駄が多い。つまり、発動に僅かなタイムラグが生じるのだ。


(相手の中身は術師だから、自分の星沁で張る方法に慣れてるはず。けど、使ってるのは非術師(ジェシカ)の身体だから……!)


 防護壁を張るタイミングが、遅いはず。速射を防ぐと同時に蹴りを入れれば、おそらく入る。


 仕込長靴から飛び出した刃を、身を沈めて回避、即座に襲ってきた短剣を鷲掴みにして強引に止める。


 〈烏〉が短剣を手放した瞬間、イリスは引き金を引こうとした──が。


「……っ⁈」


 乱暴に蹴り上げられた紺色の紫苑(かたまり)が、イリスの動きを鈍らせた。

 とっさに銃口を上に向けて紫苑を庇うと同時に、イリスはよろめき勢いを失う。

 殴られる頬、横を向く頭。勢いよく掴んだイリスの顔を、〈烏〉は壁に打ち付けた。


「貴女、甘い。本当に甘いの。神の恩恵と賞賛されるだけの実力を身に付けているのに、周囲の人間に振り回される甘さによって、全てを台無しにする」


「がっ……⁈」


 何度も壁に打ち付けられて、視界が揺れる。銃が手から落ちる。

 壁に半ばめり込んだ唇は切れ、血の味がしていた。


「以前私に負けた理由も、その子だったの。貴女が強かったのは、守るべき者がいなかった間だけなの。貴女は仲間想いだけど、その他者を想う気持ちで自分を殺してきた。

 ……呪いを受けた時も、そうだったんでしょう?」


「うる、さい……」


 私はこの任務を受ける前に、貴女の行動についての記録を読んだ、と〈烏〉は語る。


「部下を庇って死にかけて、一ヶ月以上行方知らずになった。そこで妖獣に助けられたんでしょう。

 彼らは子供が好きなの。人間の村から子供をさらって、育てる習性もある。きっと、あなたもその一人だったの」


「黙れ……」

 

「鎮圧軍に救助された時、貴女はたいそう錯乱していたそうなの。鎮静剤が切れた直後に駐屯地を抜け出し、森を抜けて、兵と戦闘していた妖獣に走り寄った。その姿は、襲われていた兵を助けようとしたように見えた。でもそれは間違い」


「黙れと言ってる!」


 視界が揺れるのも気にせずに、イリスは腕を振り上げた。赤く染まった瞳から、透明な雫が散る。


「……恩人を、助けたかったんだよね」


 ドンッ、と。

 静かな声と同時に、腹に伝わる鈍い音。イリスは、自分の腹を貫いた銀の短剣を凝視していた。


「っ……あ、」


「でも、結果はどうなった? 貴女は呪われたの。陽の下に出られず、血を欲し、闇夜を駆けるだけの、みにくい獣に成り下がって行く……いい加減に認めなさい」


 私たちは、女神アラディルの子である我々は、邪神の子とされる妖獣とは分かり合えない。姿かたちが似ていたとしても、彼らと私たちの在り方は根幹から違う。

 だから。たとえ似た姿に共感を覚えようと。瞬間的に意思が通じたように思えたとしても。



「……私たちは、(あだ)し民とは分かり合えない。交わえない。共に生きる事など、決してできない」


 

 淡々とした言葉と共に、桃茶の髪が鼻先に落ちてくる。ほのかに香る、柑橘の香り。

 はらわたがかき乱される激痛に襲われながら、イリスは、目の奥が別の理由で熱くなるのを感じた。


「さようなら、なの。次生まれる時は、どうか幸せに」


 身体から抜かれた剣が、再び振り上げられる。月光が淡く反射している。

 心臓がうるさい。本能が、動けと身体に叫んでいた。


(次生まれる時は幸せに……か)


 イリスは、『魂は転生する度に幸せになる』という話を信じていない。もし、その話が本当なのだとしても、命を終えた先に希望を抱くことはできない。


(死んだら、全部忘れる。それで、次の人生とやらで幸せになるのかもしれないけど……それは、もう『私』じゃない)


 つまり私は。『イリス・デューラー』という名前の存在は、最期の瞬間まで救われない。

 

(……でも。それでも私には)


 待ってくれている人がいる。生きる事を諦めないと、宣言した相手がいる。だから。


「……まだ」


 迫り来る終わりを前に、イリスは動いた。

 肋骨の隙間に差し込まれかけていた短剣を左手で鷲掴みにして、顔を上げる。


「まだよ。まだ、イリス・デューラーは死なない……!」


 叫んだ瞬間、銀色の光が奔流のように湧き上がった。媒介を身に付けていないにも関わらず具現化した星沁に驚く間もなく、イリスは(まなじり)を開く。


「……っ! どうして」


「私は、紫苑(このこ)に言った。次会う時を、楽しみにしてるって」


 はらわたの傷は急速に回復していく。手のひらの肉は、短剣を押し返さんばかりに肥大化する。


「だから、この子が起きた時に……私がただの肉片になってるわけにはっ、いかないのよ!」


「っ!」


 イリスの宣言を受けて、〈烏〉は歯ぎしりの音を鳴らす。

 いまだ再生途中の腹部を蹴り飛ばし、膨れ上がる肉に絡め取られそうになる短剣を引き抜いた。イリスは身をかがめて突きを回避、背後に回り込み踵を地に沈める。


 再びの激突が、始まらんとした瞬間だった。



「よくぞ言った、イリスくん!」


 

 ふたりがハッと顔を上げた直後に、銃声。

 鋭い光と化した弾丸が、ジェシカの頬をかすめて消える。


「──その物騒な短剣(もの)を捨てなさい、ジェシカくん」


 闇の深い樹々の向こう側。小銃を構えたエリックが、眼鏡の奥で緑玉色の瞳を冷たく光らせた。


 

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