【Recollection-2】
木洞で過ごす日々に、最初は焦燥感ばかりを抱いていた。
作戦は、無事に成功したんだろうか。
戦況は、どうなっているんだろうか。
部下は無事だろうか。丁重に扱われているだろうか。
早く確かめなくては。
早く戻らなくては。
妖獣がいなくなった隙を狙って術杖を探したり、少しでも早く動けるようにと星沁の体流を調節して。
疲れたら外の木漏れ日を眺め、私の『餌』を持って妖獣が帰ってきたら、大人しく『餌』を食べて寝る。
私の『餌』として妖獣が集めて来るモノは、主に果実や小ぶりのうさぎ、植物の根などだった。
うさぎは、キノコと一緒におき火で蒸し焼き。植物の根は岩塩で味付けした汁物に。
甘酸っぱい液果の数々は、例の花粉団子と一緒に混ぜてはちみつ掛けだ。
悔しいけれど、妖獣がくれる『餌』は、カビかけのパンや、しなびた野菜のスープなんかより、ずっと新鮮でおいしかった。
今後の野戦食の参考にする為に食材を聞くと、妖獣は調理前の物を先に見せてくれるようになった。
『はちみつ髪。今日は具合がよさそうだな』
『外はひどい雨だ。傷は痛まないか』
妖獣は木洞に戻って来るたびに、いちいち私に世話を焼いてきた。
図体は大きいのに、喜怒哀楽がはっきりした子供のような奴。
思慮深そうに見えて、その実なにも考えて無さそうな態度。
その生態以上に、よく分からない奴だった。
『はちみつ髪、お前の生まれはどこだ? 何を食べてきた。はちみつ髪の連中は、どうして赤髪より耳が小さいんだ?』
妖獣は私の出自についても聞きたがった。私の祖父母がヤギの毛から織物を作っていた、という話には特に食いついてきた。
妖獣がつくる服に織物はない。
獲物のなめし革を筋線維で縫ったもので、砕いた木の皮や岩石の粉で染められているのだ。
染める素材によって、持ちが良かったり虫に食われにくかったりするのだと、あいつは教えてくれた。
原始的だと思いつつも、その合理的な作品の数々に感嘆した。
あいつは私に縫い方を教えてくれたけれど、針で自分の指を刺すばかりでだめだった。
あいつは笑いながら、慣れた手つきでなめし皮を縫っていた。
木洞からは星空が良く見えた。
私はそれを『綺麗』だと言ったけれど、あいつはあまり目が良くないみたいで、『お前の目にはそう見えているのか』と言ってきた。
満天の星空を背景に、寂しそうに笑う顔は印象的だった。
日々は穏やかに過ぎていく。木漏れ日透かす緑だった森は、鮮やかな赤に染まりつつあった。
身体は順調に治ってきているはずなのに、私はいつの間にか、術杖を探す事を辞めていた。
身体の内側を制御しようと躍起になるのにも疲れて、ただぼんやりと木洞の外を眺める事が増えてきた。
魂が抜けたように過ごす日々は季節と共に移ろい、夏から秋へ。
秋から徐々に、終わりの季節へと移ろっていった。
♢♢♢
この木洞に来てから、どのくらいの時が過ぎたのだろうか。
外から吹き込んできた風が、残り僅かな紅葉を木洞の中に届けてくれた。
「……」
紅葉は朝露に濡れていて、ひんやりとしていた。早朝の光を反射して、宝石の原石みたいにきらきら光っている。
何を考えるでもなく、それを回して遊んでいると、あいつが声を掛けてきた。
「お前、だいぶ髪が伸びたな。そろそろ刈っても大丈夫そうだ」
「……」
私は手を止めた。ついに終わりが来たのだと知っても、心は思ったほど揺らがない。
私は、あいつに向かって声を掛けようとした──けれど、その前に。
「水浴びしに行くから、これを着ろ。この際だから、シラミも徹底的に取ってやる」
「え……」
膝にバサッと落とされたのは、なめし皮の服だった。
軍服を失ってから、ずっと毛皮を巻き付けていただけだったから、それを見て目を瞬かせてしまう。
「これ、作ったの? いつ?」
「おまえが寝ているあいだに、少しずつな。下履きと靴も作ったから履け。
お前たちには毛皮がないから、身の回りにはわしら以上に気を付けねばならんだろう?」
「そ、そうだけど……」
「はやく支度をしろ。お前、ひどいニオイなんだからな。身体を洗わねば」
「っ⁈」
身体を拭くだけだったから体臭が気になってはいたけれど、よりにもよって、けもの臭いこいつに言われるとは。普通にショックだった。
「早くしろ。わしとしては、素っ裸で連れて行ってもいいんだ」
「わ、わかった。着替えるわよ」
言いながら、傷に触らないよう慎重に革の服を着る。
それは思っていたより軽くて、柔らかかった。
袖なしの胴衣も長衣も、私の丈にぴったり合う様にしつらえてある。靴には魚の皮を使ったようで、銀色のうろこが鈍く光っていた。
「これ、作るの時間かかったんじゃないの?」
「まだ替えがないからな。それなりに頑丈なものを作っておかないと、保たせられないだろう……二着目は、お前が自分で縫うと良い。寒くなるから、冬物を作らねばならん」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
私は慌てて、あいつの言葉を遮った。
「なんだ」
「……あんた、私を殺す気がないの?」
こいつは私の髪を取る為に私をさらってきた。髪が伸びるまで飼われているのだと、そう思っていたのに。
呆然と問うた私に、あいつは言った。
「お前の祖父母は、毛を取る為に毎回ヤギを殺していたのか?」
「そんなことは」
「わしも同じだ。皮ごと欲しいというのならともかく、毛を取る為にけものを殺そうという気にはならん。
……ちょうどわしは独り身だからな。話し相手は、今後も欲しいと思っていたのだ」
「なによ、それ……」
声を震わせる私に、あいつは怪訝そうな表情をした。
「なんだお前、死にたかったのか?」
「そんな事はないわ!」
とっさに叫んだ。
私は死ぬのが怖い。街が焼けた夜、祖父母が閉ざしてくれた食器棚を飛び出した時から、私は死なない為にもがいてきた。
与えられたイングリッドの役割を忠実にこなしたのも、死なない為。必死で技術を得たのも死なない為。
「私は、自分が死にたくないから努力してきたのよ。今だってそう。死にたくないから、今だって……」
確実に危機に陥ると分かっていながら部下を逃がして、独りで戦って。
いつか殺されると思いながら、妖獣の住処から逃げずに、暮らし続けていたのも……
「今、も……?」
……あれ。なんで私は、逃げようとしなかったんだっけ。
いや、ちゃんと逃げようとはした。術杖が見つからないから、あきらめたってだけ。
術杖さえあれば。術師として動けるなら、私はきっと、逃げたはずだ。
「何を百面相をしているんだか。ほれ、早く服を着てしまえ。それと、これを返しておくぞ」
そう言ってあいつが渡してきたのは、傷だらけの蒼いナイフ。
間違いない。手入れされ、陽光を反射しているそれは、私がずっと探していた【星夜術刀七八式】だった。
「これ……」
「切れ味が良いんで、使わせてもらっていた。だが、お前ももう自力で獲物を捌けるくらいには回復しただろう。返しておかねばな」
牙を見せて笑うと、あいつは呆然とする私をひょいっと掴み上げた。
ぎしっ、と木洞に足を食いこませ、次の瞬間飛び降りる。
「わぁああああぁあぁ⁈ 」
術式を発動していない無力な状態で、こんな高所から飛び降りるなんて。
無茶だ。やった事ない。普通に死ぬ。
「うるさい奴だな……っと!」
私の悲鳴を鼻で笑って、あいつは着地。何食わぬ顔で私を地面に降ろした。
「歩けるか?」
久しぶりの地面。枯葉が積もって湿った地面は、柔らかかった。
「たぶん……大丈夫よ」
「そうか。なら行くぞ」
言いながら差し出されるのは、かぎ爪のついた大きな手。
「……」
その手を取るか数秒迷った後、私は自力で歩き出そうとした。そして。
「わっ⁈」
バランスを崩して、前につんのめった。
「まだ歩くのは無理か。どれ、おぶってやろう」
「は? 大丈夫よ、赤ん坊じゃあるまいし」
「子供でも大人でも、けが人はけが人だ。わがままを言うな」
「ちょ、離せ!はーなーせーっ⁈」
「耳元でわめくな、やかましい」
一瞬で背負われてしまった私はあいつの背中の上で暴れに暴れたけれど、あいつはびくともしなかった。
当然だ。あいつは人間よりずっと強い生き物で、私はただの子供なんだから。
「しっかり掴まっていろ」
それだけ言って、あいつは歩き出した。本人に急いでいる気はないのだろうけど、歩くのがとても速いから、景色が川のように流れていく。
空は水筆で描いたような淡い蒼で、綿のような雲が浮かんでいる。舞い散る紅葉が鮮やかで、湿った土とコケのにおいが濃厚に漂っていた。
(その気になったら……もう、逃げられる?)
探す事すら諦めていたのに、唐突に舞い込んできた星夜術刀。手元に最強の切り札が回ってきたというのに、私は喜ぶどころか困惑していた。
(星夜術刀の機巧は壊れてない。今なら、不意をついて術を発動する事も……)
そんな事を考えながら、私は妖獣の背中を見下ろした。
あいつの白銀の毛皮からは、けものの臭いがした。湿気た土と、麝香と、甘酸っぱい木の実を混ぜたような、けものの臭い。
……その下にある、筋肉が盛り上がった背中の温かさも一緒に伝わってくる。
力強い足が一歩を踏み出すごとに、振動が頬に伝わってきた。
(今は……やめておこう)
さっき地面に下りた時、私の足はふらついた。
という事は、少し不意をついて振りほどくことができたとしても、唐突な動きに足が耐えられない可能性があるという事だ。
(もっと確実な隙を……こいつが昼寝してる時みたいに、私と十分距離がある時を狙った方が良いはず)
そうだ、それがいい。今は逃げるべきじゃない。
自分の中で言い訳を並べて、私はあいつの毛皮に頬を埋めた。
……樹々を透かした木漏れ日が、白銀の毛皮に反射して雪のようにきらめいていた。
「さぁ、着いたぞ」
あいつはそう言って、湿地の池に私を降ろした。
池、と言ってもその大きさは相当なもので、水面には鮮やかな紅葉が錦のように浮かんでいた。
しかも、その表面からはほんのりと湯気が上がっている。
「これ、温泉?」
「おんせん? 知らん響きだ」
耳をぱたりと揺らして、あいつは肩を竦めた。
「とりあえず、皮を脱げ。洗ってやるから」
「え、平気よ。自分で洗……ぎゃー!剥くな変態!」
「借り物の皮を脱いでも問題はないだろうが。お前自身の皮はちゃんと着とるだろうに」
「人間は、常に自分の皮以外も身につけておくものなのよ!」
「……? お前、ここに着てからずっと裸だっただろうが」
「それは不可抗力だったからで……って待った! ふつうに自分で脱ぐから、剥くの待った!」
怪訝そうにしているあいつを制止して、私は自分で服を脱ぎ始めた。
秋の風はさすがに冷たいから、服を脱ぐと身震いしてしまう。
「さ、さむ……」
「お前たちの皮はつるつるだからなぁ。まぁ、そこの水は温いし、怪我によく効く。安心して入るといい」
そう言うとあいつは、私をひょいっと持ち上げ池に投げ込んだ。
「にぶしゅっ⁈ 」
空中を舞い、水面に不時着。叩き付けられた衝撃の後に、生ぬるい水が身体を包み込む。
『……!』
目を開けると、たゆたう濃緑の藻と銀色の小魚が滲んで見えた。
黒々とした岩の隙間からは、熱い湯が吹き出している。
それが水と混じって、生ぬるい温度になっているようだ。
「ぷはっ⁈ 」
「どうだ、温いだろう」
「そうだけど、投げ込まなくたって良いじゃない」
ぬるぬると滑る藻を踏みながら、岸の近くまで歩いて戻る。
あいつは、その辺で捕まえたらしいカニを噛み砕きながら、私の身体に丸い葉の草を押し付けてきた。
「それ、何?」
「アワフキクサだ。葉をこすると泡が出て、身体が洗える」
あいつの言葉の通り、丸い葉からは石鹸のように泡が溢れ出してきた。
石鹸の清涼感あるにおいには程遠い、青臭さはあったけれど。
「いやー、お前汚いな。垢がすごい」
「……」
否定できない。背中を流されるのが気持ち良かったので、特に反抗せずに身体を洗われることにした。
背中や首、けがをして拭けなかった足の付け根まで、丁寧に洗って汚れを落とす。
やがて髪の先まで洗い終えると、あいつは私を陸地にあげて、ぽいっと布を手渡してきた。
「それで身体を拭くといい。どれ、わしも水浴びをしてこようかな」
にやりと笑って、あいつは池に飛び込んだ。
「うぇふっ⁈ 」
盛大に水を被り、私はとっさに顔をそむけた。
目を擦ってから水面に視線を移し……目を、見張る。
「わ……」
池の中のあいつは、初めて会った時の姿に戻っていた。
白銀の毛皮に覆われた、クマとオオカミを混ぜたような獣の姿。ふたつの姿を持つ妖獣族の、もう一つの姿だ。
『…………!』
黒い爪が付いた腕で水をかき分け、潜っては顔を出したと思えば、今度はあおむけに浮かんで、両前脚で器用に顔を洗い始める。
そんなあいつを眺めながら身体を拭き、服を着て……私は、草地に転がる星夜術刀に視線を落とした。
(今だ。確実な隙は、きっと今しかない)
術式を起動。地理関係を掴み、身体強化を施して逃げるには、十分すぎる程の隙がある。
(今、逃げるしかない)
私は、星夜術刀を拾い上げた。慣れた重さに視線を落とし、柄に突き出た起動ボタンに指を掛ける。
(逃げて、それから……)
──それから、どうするの?
こころの中から湧き上がってきた問いに、私は反射的に身をこわばらせた。
──ここから逃げて、戻って、戦線に加わったとしても。
また恐怖に怯えた獣のように毛を逆立てて、星沁を削り、脳裏に焼き付いた死者の瞳に追いかけられ続ける毎日に戻るだけだ。
(……それでも、故郷の為にはなる)
──いや。守るべき人は、もう死んだ。祖父母も、友達も、みんな焼け焦げた土の下だ。あそこには、もう、守るべき故郷なんて残っていない。
死んだ人間の為に死んで、何が残るというのだろう。
(まだ死んでない奴もいる。部下が残ってる。私には、部下が……)
──でも、既に別れは済ませている。私はあの時点で、死ぬ気だった。彼らもそれを分かっていた。
あの戦いから、二週間以上たってる。これで戻らないのだから、みんなも既に悟っているはず。
『イングリッド・フォン・バルヒェット』は死んだ。『イングリッド』の役割は終わったんだと。だから、今ここにいる自分は……
(イングリッドじゃない、他の誰かとして生きられるかもしれない)
あいつは私を生かすと言った。
それはつまり、私は今の生活を続けられるという事だ。
価値観の違いに戸惑う事はあるけれど、不自由はないし、あいつと暮らす生活は、正直悪くない。
それなら……今ここで、死にに行く必要はあるんだろうか。
──私の迷いを忠実に反映した星夜術刀は、起動ボタンを押しても沈黙し続けた。
「……」
私は星夜術刀を降ろして、草地に腰を下ろした。
死にたい、死にたくない。帰らなきゃ。帰りたくない。
矛盾した思考が頭をぐるぐると取り囲んで、自分が何をしたいのか分からない。
(私はいま、どうしたいんだろう……)
膝を抱えて唸っていても、結論は一向に出てこない。
全く起動しない星夜術刀の代わりに、私は足元の黄色い花を掴んで、むしり取った。
くしゃくしゃになったはなびらは、風に乗って、空へと舞い上がる。
淡い色の空に黄色が溶けた。
紅葉が頭上で揺れている。
陽光に輝く水面を弾いて、白銀の獣が踊っている。きらめきに乗じて水鳥が水に飛び込み、リスは木の実をほおばり走っていく。
(すごく……綺麗だ)
私はそう思った。
でも、死んでいった人たちはこの景色を見る事はできない。
私も、『イングリッド』にならなければ、この景色を見る事はなかった。
腿が痛い。肩が痛む……でも、それ以上に胸が苦しい。
多くの人々を見送ってきた、手にかけてきた自分だけが生きていて、こんなに美しい景色を眺めているという事が……どうしようもなく、苦しかった。
(じいちゃん、ばあちゃん……みんな。私は、これからどうすればいいんだろう)
悩んでも、死者は応えてくれなかった。
応えのない問いに囚われた私は、膝に顎を乗せて、ただ魂が抜けたように水面を眺め続ける事しかない。
……水浴びから戻ってきたあいつは、私に触れる事も話しかける事もせず、ただ隣で同じ空を眺めつづけていた。




