【かつての記憶】
ぴちょん、と。
雫の跳ねる音で、私は目を覚ました。
「っ……」
まっさきに視界に映るのは、脈動する水晶の光。部屋の四方に配置された、結界用の『起点』だ。
「随分と長いお休みだったね。死んだかと思ったよ」
外からした声に首を動かすと、星読みのような紺青のローブをまとった女性が、格子ごしに私を見下ろしているのが見えた。
胸に垂れたおさげの色は、赤い、リセルト人の髪──
「──リセルト人ッ!」
地面を蹴って、突貫した。格子の向こう側にいるリセルト人に向けて、重い腕を持ち上げ振り上げる。
「やめろ、イリスくん!」
でも、聞き慣れた声が聞こえたと同時に、鼻先にバチっと火花が走った。火花に照らされ明らかになるのは、悲しそうに顔を歪めたエリック教授の表情だ。
驚倒する己の理性と、緩む速度。それでも火花は壁と為り、私を後ろへ弾き飛ばした。
「がっ⁈」「イリスくん!」
「──その部屋には結界が張ってある。基本的にはお前さんの呪いの進行を抑えるためのものだが、ある程度の障壁も付けさせて貰っているよ」
地面に転がる私に対して、リセルト人は淡々と説明する。私は身体の重さも忘れて、格子の向こうをにらみ付けた。
「誰よ、あんた」
「……一度会っているんだがね。覚えていないなら、改めて名乗らせてもらうよ」
自分の名前はクリームヒルト・オーウェル。術式文化学研究室のもう一人の教授なのだと、彼女は名乗った。リセルト人混じりの容姿で、瞳は琥珀色だ。その目に見つめられると、かつての記憶が蘇って気分が悪くなる。
「ここはどこ」
「学院は、坑道を由来とする地下道を無数に所有している」
格子の向こうから、エリック教授が膝をつきながら言った。
「ここは、そういった場所を利用して作られた部屋だ。その姿の君を、街の人間に見える場所に置いておくわけにもいかないからね」
「……? それは、どういう──」
起き上がりながら髪を払おうとして、私は違和感に気付いた。
おかしい。私の髪は、肩までの長さに短くなっていたはずだ。手で払えるほどの長さなんて──
「あ……」
銀の髪が流れて散らばる地面を、そして手元を見下ろし、私は短く息を吸い込んだ。
そして、たったいま取り込んだ空気がスイッチになったかのように、直前の記憶が頭の中に流れ込んでくる。
(私、商会に行った直後に呪いが進んで、逃げたんだ。逃げた先で、教会の息がかかった学徒に襲撃されて)
そいつらを倒した直後、目の前のリセルト人に襲い掛かろうとした。そして、その時に……
(ジェシカに……あのひとに、撃たれたんだ)
自分の思考に、鋭い痛みが胸を刺す。撃たれた肩には包帯が巻いてある。でも実際の痛みは全くなくて、支障なく動かせる。包帯を解くと、治療を受けた後がちゃんと残っていた。
「二、三日はここに居て貰うよ。いま、エリックの奴が本格的な治療のために、『施設』への手続きを行っている」
「施設?」
「そうだ。君を『地下施設』へ移送する、その手続きだよ」
雫がぴちょんと、床に弾けた。
「学院には、けものの『異形化』について研究する連中がいる。迷宮の魔物を捕獲して、元になったと思われるけものと比較する研究をしているのだ。だが、魔物を飼育するという特殊な研究のため、施設は公にされてはいない」
「……」
魔物と呼ばれるようになったけものは理性を失い、繁殖の仕方すら変貌している。
無差別に人や家畜を襲う、混沌と悪の代名詞だ。
そういうモノを街で育てていると公にはできないだろうし、そもそも街の近くでの飼育はリスクが高すぎる。となると……
「迷宮探索にやたら規制が付いてたのは、そういうワケなのね」
そう。考えられるのは迷宮内に施設がある、ということだ。
迷宮の魔物はそもそも、迷宮の外に出ると弱って死んでしまう。自分から迷宮の外に出ることはしない。
たとえ地下施設とやらから逃げ出したとしても、迷宮の外にある街に被害が及ぶことはない。
……そして、その中に運び込まれた資料の行く末を、街の人たちが知ることはないのだろう。
「教会の連中が、『学院が狂気の組織だ』って言ってたの、あながち嘘じゃないんだなって思ったわ」
「倫理的配慮に徹底した施設だよ。今ではね」
私の推論が当たっているのかそうではないのか、肯定も否定もせずにオーウェルは続ける。
「これはお前さんの安全を確保し、今後の対策を考える為の手段だ。切り刻まれて、ビン詰めになるような心配はないから安心おし。だけど、まぁ……」
そこで言葉を切り、オーウェルは私を指差した。
「その左腕は、持っていかれるかもしれないがね」
私は自分の左腕──いや、私の腕だったものを見下ろした。
筋組織が不自然に隆起し。爪は鋭く曲がり黒く変色。けものの腕がミイラ化したような、みにくい肉のかたまりがそこにあった。
「……」
「異形化、妖獣を殺した報いか……連中が神の民と呼ばれるのも無理はないな。彼らは人の摂理など、簡単に超越してみせる」
「クリーム、やめないかッ!」
リセルト人の言葉に、エリック教授が声を荒げた。
「この子は、まだ子供なのだぞ。不必要に怯えさせるのは」
「生きた歳月が短くとも、その子の判断力は大人に負けないだろうよ」
現実を教えてやる方がよっぽど親切だと、女は鼻を鳴らした。
「お聞き、イリス・デューラー……いや、イングリッド・フォン・バルヒェット。まずは我々の判断ミスを謝罪しよう」
「……?」
淡々と話すリセルト人。うつむくエリック教授。事態が呑み込めない私に対して、リセルト人は言った。
「銃創が治っているのには、気付いたかい。お前さんの身体は今、常に治癒術式を発動しているかのような治癒力を有している」
だがその分、常人の数倍の星沁を欲している。それこそ、経口摂取や、空間からの供給では間に合わないほどに。
身体が変異し、呪いが進行しているのは、変異を抑えるだけの星沁が供給できなかったからだろう。女は淡々と言った。
「バルヒェット。お前さん、学徒補に推薦される前は、冒険者として迷宮に潜っていたのだろう? そしてその中で、魔物の血肉を食っていたと」
私は頷いた。冒険者時代の私は衝動に抗えず、魔物の血を啜る事があった。もともと抵抗があったし、学院に拾われてからは、全くそういう物を摂取しなかったけれど──迷宮に行きたい、血を飲みたいという衝動が会った事は、否定できない。
「……魔物の血が、私の呪いを抑えていたっていうの?」
「おそらくはな」
私の問いに、リセルト人は頷いた。
「迷宮に長くとどまりすぎた冒険者が、濃すぎる星沁に気が狂うのと同じように、お前さんの身体は現の空気に耐え切れず、狂ってしまったのだろう」
肥大した腕、伸びて変色した銀の髪。結界に弾かれ、地面に這いつくばる私はどんな風に見えているんだろう。
うつむく私の視界に映ったのは、革のコートを纏った男の手。エリック教授だった。
「すまない。本当にすまなかった、イリス君。君に手を差し伸べたつもりで、私は……」
薄闇に隠れて、教授の顔は見えない。でもその声は震えていて、丸まった背中は小さく見える。
その姿は、かつての部下に重なって見えた。死地に赴こうとした私のために泣いてくれた、いかつくて優しい、大人たちの姿に。
「……夢を、見れたんです」
ランプの光が揺れて、エリック教授が顔を上げた。私は笑えているだろうか。大人たちのために、感謝を示す顔ができているだろうか。
分からないから手を伸ばした。結界に阻まれない限界まで指先を伸ばし、空中で教授の顔の輪郭を辿る。
「焦がれてやまなかった、私だけの空を見た。隠れて学ぶしかなかった知識たちに、堂々と触れることができた。故郷ではぜんぶ失ってしまった、友達だって、たくさん……」
ルークのさわやかすぎてムカつく笑顔、紫苑の気の抜けそうな笑顔。そして私の言葉に歪んだ彼らの表情が脳裏をよぎり、だらりと手を降ろす。
彼らは私がいなくなった事に悲しむだろうか。困惑するだろうか……忘れずに、いてくれるんだろうか?
肥大した腕を胸に抱いて、私は言葉を継いだ。
「だから、もう良いの。良いのよ、先生。亡霊が心残りを果たしたら、もう、現に留まる理由はなくなる。小さな奇跡で現に留まり、願いをかなえた亡霊は、私たちが『星沁界』と呼ぶ夢の世界に還っていく……私もきっと、同じだったのよ」
「イリス君……」
「あんたにも悪い事したわね、オーウェルさん。良いわよ、こんなクソ生意気なガキなんて、ほっといて」
ふたりの顔を見ずに、私は踵を返した。貼り付けた笑顔が剥がれる前に、シーツに顔を埋める。
急遽整えられたらしいベットの下には、さびで汚れた黒い鎖がしまい込んである。
「……後で、施設から派遣された医者が来るからね」
投げかけられた声を無視して、私は入り口に背を向け続けた。
頑丈そうな石壁は、うっすらと濡れた感覚を身体に伝えてくる。壁の隙間から差し込む月明りさえも、氷のように冷えていた。
やがて足音が遠ざかる。一人は淡々と規則正しく。もう一人は、何度も立ち止り、きっとこちらを振り返りながら。
それらの音が消え去り、世界が沈黙したとき。
「は、はは……あはははは!はははははは!」
喉から勝手に、壊れた笑いが漏れた。
急場しのぎの家具が置かれた地下牢。できる限り快適になるようにしつらえてあるみたいけど、においまではごまかせない。
錆びた鉄、血のにおい、教会の人間が焚く香のにおい。
まだ倫理観の確立されていなかった学院都市で、かつては『そういう』用途で使われたであろう部屋。
そこに今は私がいて。もっと先、きっと戻れなくなるであろう場所まで、進もうとしている。
「はは、は……はふ、ふ、ふぅう……っ!」
身体の奥から突き上げて来る感情に、私は敷布を握りしめた。
感情に突き動かされるまま学院都市まで来た時には、空の青さに感動して、涙がこぼれた。
迷宮に入るようになってからは、自分の体質に混乱して、孤独を感じながらも、心の奥底にあるしこりが穏やかに解けて行くような気がした。
そして、紫苑と出会って。
それからは。それからは……
未来に、希望を持てたような気がしていたのに。
「っ……ぐ、ぅう……!」
黒光りするかぎ爪が食い込んで、敷布が破れた。
飛び出したわらのカビ臭さが、鼻腔を強烈に突き抜ける。自分を守り続けていた堅固な壁が、崩れ落ちて行くような気がした。
(そういえば、この傷……)
滲んだ視界の中、自分の腕の──付け根を見る。
筋肉が隆起した腕の上部。肩から鎖骨上部にかけて、白銀色のうぶ毛が無数に生えていた。
それは過去に、私が短槍で貫かれた創の位置だった。
今はもう残っていないそれを起点として、この変化は始まっている。
「……こんなもの仕込むくらいなら、あのまま見殺しにしてくれればよかったのに」
自分の腕を、現実を見たくなくて、まぶたを閉じる。
それでも、追憶の景色から逃れることまではできなかった。
苔むした樹々。ベリー類の甘酸っぱい匂いが漂う森で、木漏れ日にきらめく白銀の毛並み。
──そして。逆光に隠れるあいつの笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
(あぁ、でも、そうか。これがあんたなりの復讐なのね)
呟きながら、私はうつらうつらとまぶたを下げる。
これから見るであろう夢が、過去の追憶となる事を予感しながらも、睡魔に抗えなかった。
意識が沈む。湿気った闇の中に。
やがて夢の形をとった追憶が湧き上がり、身体の制御を奪い取られたその瞬間。
私の口は、そいつの名前を呼んだ。
「ごめんなさい、『 』……」




