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【半人前の苦悩】

 

 日差しが程よい朝の刻。

 ジェシカ・ペスカトーランは商会の前に立ち尽くしていた。


「いらっしゃ……あ、ジェシカさん。どうもっす!」


 ジェシカに話しかけたのは、店番をしていた褐色肌の少年──エヴァディだった。常連の顔を見たエヴァディは、手にしていた木箱を置いて笑顔を見せる。


「すんませんっすジェシカさん。実は『ろりろり☆ろーりえ』の新刊がまだ入荷してなくて」


「エヴァディくん、いくら周囲に客がいないからって魔導書(ウスイホン)の名を高らかに呼んじゃダメよぉ。風紀隊が近くにいたらどうするのぉ」


 ジェシカは苦笑すると、やりにくそうに頬をかいた。


「実はね、今日は買い物じゃないのよぉ。今日は、その……親方さんにお話し伺いたいのと、イリスちゃんの様子を見たくてねぇ。大丈夫かしら?」


「へ? じゃあ呼んで来ますよ、親方」


 エヴァディは怪訝そうな顔をしながら、奥へと駆けていく。黒地の服が影に紛れるのを見送ると、ジェシカはため息をついた。


(教会勢力と小競り合いを起こしてからそれなりに経ったけど、連中に大きな動きは見られない。最近の街は、まさに『日常』って感じよねぇ)


 だが、ジェシカは勘付いていた。イリスは、あの小さな子熊(ベルヒェン)は悠々と振る舞っているように見えて、常に周囲に怯えている。

 悪ふざけを装って抱きしめたジェシカに抱き着き返そうとしてから、照れを装い突き飛ばす。


(あの子はちゃんと理解している。学院側が、あの子を『様子見』している段階だという事を)


 エリック教授渾身の説得があったとはいえ、あの子の立場は非常に危ういものだ。対応によっては教会の介入を許してしまうし、学院都市の在り方を揺らがせかねない。


(学院の上部がイリスちゃんを受け入れたのは、あの子が教会に対する交渉材料になる可能性があるから。そして、あの子の受けている妖獣の呪いが、学院側には手の届かない貴重なサンプルだったから……)


 大人たちの私利私欲で世界は動き、無力な子供たちは翻弄される。分かっていても、ジェシカ一人にそれを覆すだけの力は無かった。


(でも、それでもね……)


 やれるだけの事はしてあげたい。ポケットに忍ばせた紙に手を触れながら、ジェシカは顔を上げた。


「ジェシカさーん。親方連れて来やしたよ!」



♢♢♢



「直接会いに来るとは珍しいな、ジェシカ」


「うちのイリスちゃんの様子を見に来たかったのよぉ。うちの可愛い子熊(ベルヒェン)が、いつもお世話になってますぅ」


 赤銅色の髪を持つ親方と、紅茶の湯気を挟んで向かい合う。通された場所は商会の応接室で、窓と扉はしっかり閉じられている。


「ルークと言いお前と言い、南国(ラフェンタ)の出身者にはロリコンの呪いでも掛けられているのか? まぁ……お主の姉に敵うやつはおらんがな」


「……あの変態の話なんか、聞きたくないわぁ」


 ジェシカは、嫌悪感を露わに顔を歪ませた。


 ジェシカが生まれたペスカトーラン家は商家であり、南国ラフェンタの市議会長を幾人も輩出している。

 荒くれ者の冒険者を御し、豊かな港を狙う外敵に備え、外交にも長けた人物のみが就ける名誉の座。ジェシカはそんな市議会長を務める姉を持ち、比べられながら生きてきた。


(シェスカ姉さまの事は嫌いだし、家にだって極力関わりたくない)


 だけど、と。ジェシカは紅茶を飲み干し、前を向いた。


「今日はそいつの話をさせてほしくて来たのよぉ、コーマックさん」


 言いながら、机の上に封筒を乗せる。正式な書類であることを示す封蝋の紋章に、親方は目を細めた。


「コーマックさん。あなたは近々、ラフェンタで行われる商会議に参加されると聞いたわぁ。その時、この手紙を私の姉……シェスカに手渡して欲しいの」


 国の郵便には頼みたくない。信頼がおける人物にこそ託したいのだとジェシカは告げる。ジェシカの話を聞いていたコーマックは、つむっていた目を片方だけ開けて言った。


「手紙の内容は、イリス嬢ちゃんに関することか」


「……」


「まぁ、構わん。この国で商売をする上で、ペスカトーラン家には世話になっているからな。そのぐらいの役割は担ってやる」


 親方は手紙を取り上げると、懐に慎重にしまった。見届けたジェシカは、思わず安堵のため息をこぼす。しかし。


「……イリス嬢ちゃんは、昨日の夜なんともなかったか」


 親方の言葉で、時が停止した。


「え?」


「ルークの話だがな。昨日の夕方、あいつの作業を手伝っていた嬢ちゃんが突然うわごとを言い出して、おまけに吐いたんだと。それに、普段なら商会に来ている時刻なのに、今日はまだ来ていないようだ」


「そんな……朝会った時には、なんとも」


 昨日。昨日のイリスは湖畔で無邪気に笑っていたはずで、体調の悪さなんて全く分からなかった。それに例の事件以降、ジェシカはイリスの呪いが侵攻していると思った事はなかった。

 昨日の夜、彼女に何があったのだろう。呪いが進行している? 何かトラウマを呼び起こす物があった? それとも、それとも──可能性と共にあふれ出す嫌悪感に、ジェシカはうなだれた。


(見ているつもりで。気配りできているつもりで、私は何も見れていなかったのかしら)


 嫌いな姉に連絡を水面下にするだけで、こんなに時間をかけてしまった自分に腹が立つ。裏にいろいろ手を回したところで、手元が見えていないんじゃ元も子もない。


「強がりを暴けというのは、お前さんにも嬢ちゃんにも、酷な事なのだろうな」


 コーマック親方は、茶色の目を哀しそうに細めた。


「だが、ジェシカ・ペスカトーラン」


「……?」


「お前は、お前だけはあの哀れな娘の『味方の大人』でいてやれ。お前にできて、エリックやわしにはできん事だ」


 立場や利益を顧みず、ただ私情で愛してやれ、と。多くの子供たちにとっては当たり前で、でも、とある少女にとっては手が届かず儚いもの。立場が薄いお前なら似たものを授けてやれるだろうと、尖耳のリセルト人は静かに言った。


「……当たり前ですよぉ」


 ややあって、ジェシカは唇をつり上げた。スカートを握り締め、弾かれたように顔を上げる。


「私は、あの子の事が大好きですから」


 ジェシカは笑顔を見せた。鞄の中に入った重い道具のことは……考えない。差し込んだ朝日が居室の空気を揺らし、ジェシカの笑顔は白く彩られた。


「ジェシカ……」


「っていうかぁ! 親方も知ってるでしょお、イリスちゃんのぷにぷにほっぺに、ふわっふわなはちみつ色の髪! あのパンケーキみたいな外見は、食べちゃいたいくらい愛らしい!

 紫苑ちゃんと一緒に居るところはもう天使だし? ツンツンツンデレなあの態度だって、私情挟まず愛さずにいられる要因なんて皆無なのよぉ!」


「数秒前の己のセリフを台無しにしおったなお前さん」


 半眼になった親方の発言に、ジェシカは笑った。つられた親方も苦笑を纏い、部屋は和やかな空気に包まれる。そして──


『ごっ、ごめんなさい寝坊しギャーっ!』


 裏手から聞き慣れた少女の声が響いてきた。きっと大慌てで駆けてきて、バケツか何かを蹴っ飛ばしたのだろう。絶叫から数秒遅れて、わらわらと職人や子供たちが裏手に集まる気配がする。

 

「お前さん、嬢ちゃんの様子を見ていくだろう」


「ええ。お邪魔させて貰うわぁ」


 親方の言葉に、ジェシカは満面の笑みで頷いた。深々と頭を下げ、廊下に出ていく少女の髪がコーマックの視界で揺れる。数秒遅れて響くのは、再びの絶叫と何かを蹴り上げる鈍い音。ややくぐもった、お子様の教育に良くなさそうな甘い悲鳴。

 

「……コレさえなければ、ペスカトーラン家の人間は完璧なのだがなぁ」


 コーマック親方の嘆息は、ジェシカの甘い悲鳴と職人たちの喧騒によってかき消されたのだった。


 

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