【心臓を掴む記憶】
夕刻、はちみつ色の黄昏がヴァレンシア商会の看板を淡く照らしている。
「──やっほ、ルーク」
「よう、イリスか」
店の裏で槌に油を塗っていたルークに、イリスが淡々と声を掛ける。ルークは顔を上げると、真剣な眼差しでイリスを見据えた。
「……。うまく行ったのか?」
風が二人の間を吹き抜ける。ぶどう酒色のスカートが、金髪の端が揺れ──イリスの顔に、喜色が浮かんだ。
「うまく行ったわ!」
「よっしゃあ! やったじゃねえか!」
示し合わせたようなタイミングで手を繰り出し、ハイタッチ。静かな商店裏に、小気味良い音が響いた。
「いやー、ホント失敗したらどうしようかと思ったわ。構築式の中断発動とか、自分じゃ試しようがないもの。私は理論上の話しかできないから」
胸をなで下ろしたイリスは、資材の山に腰かけた。
──イリスは紫苑が悩んでいるのに気付き、隠れて朔弥術式を学んだのだ。子供達の相手をしながら技術書を読み、試行錯誤していた姿をルークは知っている。
「なんか手伝うことある? 今の私は機嫌いいから、時間外勤務も快く受けれるわよ」
「お前それ社畜体質ってやつだぞ。まぁそれはそれとして、中古で仕入れた品の確認してっからよ。箱から出すのを手伝ってくれるとありがてぇな」
「分かったわ」
頷いたイリスは、木箱の中に手を伸ばす。中身をルークが確認し、それをイリスがまた箱に戻す。淡々とした作業が続く中、イリスがぽつりと呟いた。
「……やっぱあの子、才能あるのよね。すごい羨ましい」
イリスは俯き、己の手のひらを見下ろした。
「前も言ったかしら。私、術師としては才能がない方なのよ」
「普通の学徒が使えねーっていう機巧杖を、使いこなしてんのにか?」
「そうよ。だって普通の術師は、そもそも機巧杖がなくても術式を使えるんですもの。でも、私に……そんな事はできない」
道具に頼らざるを得ない自分と、自覚がないだけで才能がある友人。どうしても比べてしまうのだと、イリスは語った。
「立場にしてもそうよ。外見的な苦労は勿論あるだろうけど、あの子の学徒としての地位は保証されてる。でも私は、教授推薦にしても、成績上位者の学費免除だとしても、『優秀』で在り続ける必要がある。学院が私を保護してくれた理由は、私が『優秀』だからだしね」
学院の人間に見えないところで努力するのは、自分がそれだけ優秀だと周囲に思わせたいから。今の己の立場は、完全に周囲の評価でなりたっているのだからとイリスは言葉を落とす。
「あーあ、馬鹿みたい。本当に優秀だったなら私……今、きっとここにはいないってのに」
イリスの事情を知らないルークにとって、その言葉の意味は分からない。しかし、見栄と気勢を張り続けている少女の奥底で、幼な子のような心が揺れている事を察していた。
「オレはよ、イリス。術師の優劣はよく知らねー。だけど商人として、いや、当たり前の人間の基準なら話す事ができらぁ」
「当たり前の人間?」
「才能があろうがなかろうが、足掻いて、工夫して、歩き続けた奴が最後まで残る」
最終的にはその道に残った奴が勝ち。一点集中の力が無くても、持てる全てを武器にした奴は生き残る。単純な事だとルークは語った。
「見栄張らなくても、きっとお前の先生たちは分かってんよ。お前が頑張ってるって事くらいはさ。隠れて勉強する以外にも、普通に勉強しておけよ。聞けることは全部聞いて、吸収しとけよ。今のお前って、地頭で勝負してるようなもんなんだろ。なりふり構ってんじゃねーよ」
「……」
イリスは答えなかった。不愛想にそっぽを向いて、箱の中に酒瓶を戻す。乱暴に見えて、実は慎重に瓶を持つ手つきを眺めながら、ルークは苦笑した。
(ったく、けものみたいな奴だよな。隙を隠して生きる事に躍起っつーか、強く見せようと背伸びしてるっつーか)
喧嘩っ早い性格も、強がりの一環なのだろう。学院都市の誰よりも少女と付き合いが長いルークは、学院に拾われ性格が丸くなってきた少女の頭を、わしわしと撫でまわした。
「まぁ、商会に働きに来てる間のお前は学徒じゃねえ。ただの奉公人のガキだからよ。ガキらしくしとけよ」
「……あんたと私、一歳しか違わないんだけど」
「年齢はともかく、性格がガキんちょなんだよお前は~」
「はぁ? いっぺん焦げてみる?」
軽口を叩きながら、作業を再開する。黄昏が徐々に闇を抱き、ランプの明りが路面を濡らし始める。
そろそろ終わりにするか、と。ルークが立ち上がった時だった。
「ひっ……!」
喉を絞るような悲鳴と共に、がしゃんと木箱が地面に落ちた。
「んおっ⁈」
慌てて振り返ったルークの瞳に映ったのは、真っ青な顔で地面を見下ろすイリスだった。手は中途半端に胸の位置で浮いていて、小刻みに震えている。
「あーあー、壊しちまったか? 勤務外だからって弁償になったりはしねーから、安心して良いぞ」
言いかけた言葉は、地面に落ちた商品を見て止まった。箱からはみ出ていたのは、酒瓶やたばこのような嗜好品ではない。それは、ランプの光で鈍く照らされる鉄の筒だった。
「軍の型落ち品か。ったく、嗜好品と同じとこに投げ込みやがって。ややこしいよなぁ」
ため息をついて、鉄の筒を拾い上げる。ルークが予想した通り、それは型落ちの銃だった。一般的な武器より高価な上に、火薬装填式の銃は術師相手に効果が薄いため、商会では取り扱いの少ない商品だ。
別に壊れてはいないようだ、と。銃を拾い上げたルークが安堵した時だった。
「あ……ぁ、あ」
「……イリス? どうした」
「いや、だ。それは嫌いだ」
両手で頭を抱え、後ずさる。その表情は抜け落ち、動きは糸で引かれたからくり人形のようにぎこちない。ランプが作る暗がりの中で、イリスの金眼はやけに明るく見えていた。
「いや、いやだ。嫌い……それは痛い。それは肉が裂ける。におう。におうんだ」
震え、おびえ切った少女の声音が、次第に抑揚を失っていく。どんよりとした視線に射抜かれて、ルークは皮膚が粟立つのを感じた。
「爆ぜるにおい。焼けるにおい。濃厚すぎる、死のにおい。あぁ、鼻が曲がってしまいそうになる……」
「い、イリス」
「いない。誰もいない。焦げた肉の中に、誰も残ってはいない。『わしら』はここだ、ここにいる。あぁ、あ、寒い。さむい寒い寂しいさびしいよ。ここにいる、私は、わたしは、わた、わし、わた」
「イリスッ!」
銃を持たない方の手で、ルークはイリスの肩を掴んだ。年頃の少女としては頑丈な、しかし細いイリスの肩を、全力で掴んで揺らす。
すぐにイリスの表情が歪み、ランプの光が金眼に映った。ルークの頬を、冷や汗が伝って落ちる。
「ど、どうしたのよ? そんな顔して」
「お前……いま」
言いかけた言葉は、イリスが背中を丸めた事で遮られた。
「うっ、ぁ、おえ……ッ!」
痙攣した少女の口から、胃の中身がぶちまけられる。びちゃびちゃと、生々しい音が石畳に響く。ルークは銃を投げ捨て、叫んだ。
「誰か! 誰か来てくれ! イリス……イリスの様子がおかしいんだ!」
ルークの声を聞きつけた職人たちが、ばらばらと商会裏に出てきては驚きの声をあげ駆け寄って来る。元気いっぱいの姿を知る職人たちは混乱しているが、一番困惑しているのはイリスのようだった。口をぬぐい、顔を上げた少女の顔は蒼白だ。
「待ってろ。お前んとこの教授か先輩を呼んで……」
「や、やめて。必要ない」
イリスはよろめきながら立ち上がった。顔色は悪いが、生意気そうな瞳にはちゃんと光が灯っている。
「ちょっと気分が悪くなっただけよ。変ね、もう拾い食いはやめてるんだけど」
「ふざけてる場合かよ。とりあえず、学院まで送るから」
「送るったって、門は目と鼻の先でしょ。問題ないわよ」
言いながら、イリスは石畳に短刀杖を向けた。バチっと閃光が光り、ぶちまけられていた流動体は即座に消える。
「ごめんなさい、騒ぎにしちゃって。また明日」
「お、おい……」
ルークや職人たちが声をかけても、イリスは振り返らなかった。足早に、しかしたまにふらつきながら、門の中に姿を消す。
「おい、ルーク。何があったんだ?」
「さっきまでは普通だったんだ。でもよ、そこにある銃を見た時、顔色が変わって……」
「マジかよ。銃見ただけで吐くって……普通ねぇよな。戦災孤児ってウワサは本当って事なのかね?」
集まってきた職人たちがざわつき、ルークの周囲は各々が持つランプの光で満たされる。その光はあたたかい。あたたかいはずなのに、ルークは背骨が氷柱に替わってしまったような感覚を覚えていた。
(さっきのは……本当にイリス、だよな?)
普段のルークなら、自分で自分の思考を笑い飛ばしただろう。しかし、粟だった腕の感覚、金の目に射抜かれた時の感覚は、夜闇のように纏わり付いて消えなかった。




