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【とある聖休日・前編】

 

 イリスが来てからのヴァレンシア商会で、死闘のごときクマ追いごっこが行われるのが連日の恒例行事と化した──そんな頃、術式文化学研究室では。


「ふぁあぁあー。疲れたよう……」


 イリスと同じく学徒補である紫苑が、教科書の山に今日も突っ伏していた。


「〈Eo〉で星沁供給開始。供給方法の選択は〈Idy〉にして、物質変換のステージはⅡ。その内容が、えっと……」


 紫苑はイリスと違って、既に入学試験を受けた身だ。

 紫苑の順位は、第四回試験を受けた受験生の中での十六位。

 優秀な部類には属しているものの、合格者全体の順位として見た時には学費免除の大圏外だ。


(私は十位圏外だから、一位生の間は確実に学費負担が発生する。

 そして、その学費を払うのは養父であるエリックおじさん……うう、やっぱり申し訳ないよう……)


 この状況を、来年こそは回避したい。

 その為にはもっともっと勉強して、学徒になった時に巻き返せるようにしておかなくては。

 養父エリックに負い目を感じている紫苑がそう考えるのは、当然の成り行きだった。


「温風にするやり方も分かんないしなぁ。ただの風の式だと寒いし……んんん」


 頭を抱えながら唸っていると──


「なーに一人でぶつぶつ言ってんのよ」


 扉が開く音、呆れたような声。

 我に帰った紫苑は、慌てて顔を上げた。


「わっ!い、イリスちゃんいつの間に」


「今来たわ。あんたも飲むわよね」


 部屋に来るより先に、台所に行っていたのだろう。イリスは両手にカップを持っていた。

 ただよう湯気からは、ほんのりと柑橘類の匂いがする。レモナ入りの香り付き紅茶らしい。


「あ、ありがとう……」


「ん」


 無造作に肩をすくめて応えると、イリスは立ったまま紅茶を飲み出した。

 行儀が悪いけど、その手先は妙に綺麗というか、様になっている。

 

「イリスちゃん、今日は奉公がないの?」


「聖休日だから。部屋(うち)にいてもよかったんだけど、どうせやる事ないし」


 覇気のない声で言ってから、あくびをひとつ。

 来月ある最終の第五試験を受けると言っていたが、紫苑はイリスが勉強しているのを見たことがなかった。


 奉公帰りに研究室に寄っても、書庫にある本を借りて帰るだけ。

 二日後には本棚に戻っているから、ちゃんと読んではいるのだろうが……


(イリスちゃんが読んでるのって、術式にまったく関係ない本ばっかみたいだしなぁ)


 勉強しなくて大丈夫なんだろうか。

 そんな事を考えながらイリスの横顔を見つめていると、ふと視線が交錯した。

 金色の目に見つめられて、心臓がきゅっと萎縮する。


「なに? 私の顔になんか付いてる?」


「えう、えっと、違うの。そのぅ……」


 わたわたと両手を泳がせてから、書き散らかしていたノートを手に取る。

 怪訝そうな顔をするイリスにそれを突き出して、紫苑はその場しのぎの言葉を口にした。


「イリスちゃんに会った時、私が使った術式覚えてる?」


「あぁ、あのパンツ丸見えの」


「そうそう……って、違うよー!パンツは違くて」


「冗談よ。確か、祝詞で組み上げるタイプの朔弥術式だったわね」


「う、うん。それを、イウロ術式に直そうと思って、今書いてたんだけど……うまくいかなくて」


 紫苑がしゅんと俯く中、イリスは怪訝そうな顔をした。


「そのくらい、後で習うわよ。一位生の履修表見たけど、術式構築は後期の分野だったし。焦らなくていいんじゃない?」


「えう……」


 イリスの言葉に、紫苑はまゆを落とした。


 学院入学試験では、筆記試験、身体能力試験に加えて、星沁能力を見る適性審査が行われる。


 適性審査の内容は、すでに術式が登録された術石に自分の星沁を通すだけ。

 星沁の保有量や干渉能力を見るだけの審査なので、試験時点で術式を発動するやり方を知らなくても、入学は可能だった。しかし……


「わ、私はその……調節するのが下手なの。試験の時もね、やり過ぎちゃったんだ。石を光らせる術式なんだけど、全然光らなくて……ちょっと強く星沁を通したら、今度はビカーって閃光弾みたいに」


「ははー、それであの時も風の調節が効かずパンツ丸見えに」


「ぱ、パンツは忘れてって言ってるでしょー!」


 顔が熱くなるのを感じながら、紫苑は悲鳴じみた声をあげた。

 同時に『イリスちゃんみたいにズボン履いて練習すべきかな』などと頭の隅で考える。

 そんな紫苑の反応をひと通り楽しんだイリスは、空になったカップをテーブルの隅に追いやった。


「ま、いいわ。そんなに勉強したいんなら、とりあえず見せてみなさいよ。さっきノートに書いてたでしょ」


「え、で、でも」


「やらなきゃ上達しないわよ」


「わ、私下手だし、ここ室内だし……」


 うまく制御できず、書類を巻き上げてしまうかもと懸念する。

 そんな紫苑の逡巡(しゅんじゅん)が面倒くさくなったのか、イリスは少し離れたところで作業するジェシカの方を向いた。


「ジェシカ! 何かあったら私がすぐ防ぐから、発動させるわね。いい?」


「いいわよぉ。あ、でもやるなら外でやった方がいいわねぇ」


「分かったわ。紫苑、外行くわよ」


「えうぅ〜っ⁈ 」


 がっしと腕を掴まれ、ノートも取られ引きずられる。

 男子と間違えられるほど体格のいいイリスは、紫苑を片手で引っ張ることを苦痛に思っていないらしかった。


「あ、イリスちゃん待ってねぇ。鍵閉めるから」


「ってジェシカ、あんたも来るの?」


「キミたちは、あくまで学徒補。候補生だからねぇ」


 鍵束を使って扉を閉めつつ、ジェシカは着ていた白衣のボタンを外した。


高位学徒(わたし)が責任者ってことにしとかないと、術式を使っちゃいけないのよぉ」


「え、そうなの? 今までなんも言われなかったけど」


 子供の相手をする為に、日常的に術式を使っていたイリスは肩を揺らす。

 そんな彼女をちらりと見て、ジェシカは肩をすくめた。


「まぁ、そもそも学徒補はイリスちゃんみたいに完璧な術式を使える前提じゃないからねぇ。試験で見るのは、あくまでイウロ術式に対しての適性だけだから」


「あ、あのジェシカさん、研究の邪魔しちゃってごめんなさい……」


 紫苑は身を縮こまらせた。自分ごときにふたり分もの時間を取らせている事が申し訳なかったのだ。


「いいのよぉ、どうせ集中力切れてたから。

 それに……幼女の絡みが見られるんだからそれもチャラよぉ!

 ふふ、美しいわぁ、まさに聖なる休日って感じよぉ! 休日に求められるのはやっぱこういう光景よねぇ」


「あんた、あいかわらず発言がキモいわね」


 夢見心地なジェシカを見て、イリスは鼻にしわを寄せた。


「ええ? だって好きなものを隠すなんてつまらないじゃないのぉ」


「いや、まぁそれはそうなんだけど。

 対象が自分に向いてるとなんかね……あんた達には世話になってるけど、それとこれは話が」


「あぁんもう!やっぱりそのツンデレ具合がたまらないわぁ!」


「抱きつくんじゃないわよ気持ち悪い!」


 ジェシカに抱きつかれたイリスの身体から、叫ぶと同時に光が弾けた。

 それが地味に痛い電気攻撃である事を知っている紫苑はヒヤヒヤとしてしまうが、ジェシカは痺れた手を頬に当てながらうっとりと語る。

 

「んー、たまらないわぁ。最近この刺激にもゾクゾクしてくるようになっちゃったのよねぇ。ねぇ、もう一発」


「絶対イヤよ!」


 イリスはがるると唸ってジェシカから離れる。

 ふたりの会話に取り残されていた紫苑の横に回り込むと、イリスはひそひそと言った。


「紫苑、ちょっとあんたの必殺スカートめくり発動しなさいよ。ジェシカもちょうどスカートだし」


「す、スカートめくりじゃないよう……」


「あらぁ、イリスちゃんったら私のパンツが見たいのぉ?

 今日は明るい気分で行きたかったから、レモナの花をレースの模様にあしらった橙色とクリーム色の素敵パン──」


「いや解説は求めてないから!ちったぁ恥じらいなさいよ!」


 突っ込みを入れるイリスをかわして、ジェシカは「にゃはは」と楽しげに笑う。

 完全におちょくられてるなぁ、なんて思いながら紫苑はその後をついて行った。


 廊下に落ちた、色硝子(ステンドグラス)の虹色の影。

 その中で、ジェシカの影とイリスの影が交差しては離れ、また交差する。

 後ろを静かに歩く紫苑の影は、静かな青色に染められていた。


  

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