【ねむくまミンミン】
私がかいつまんだ事情を説明し終えると、ルークはぱちくりと瞼を上下させた。
廊下は静かだけど、武器や金属製品を取り扱う工房からは規則正しいハンマーの音が聞こえている。
「つまりお前、学徒になれるほど頭良いんだな。オレ、お前のこと冒険者が親なんだと思ってたよ」
「試験はまだ受けてないけどね。あの教授の計らいで、来月の最終試験を受けられることになったのよ。
……でも、最低限は稼がないとやってけないから。身を立てる手段が必要だって言ったら、あんたのとこを紹介されたってわけ」
「はぁ、なるほどな」
廊下の隅にできた影で会話する私たちの足元を、子供たちが笑いながら通り過ぎて行った。
陽光で観葉植物に付いた露がきらきらと光って、虹色の宝石のように輝いている。
それを眺めていた私に、ルークは言った。
「……お前、ちょっと雰囲気変わったな」
「そう?」
「おう。最初の死んだ魚みてーな目をしてた時とは大違いだぜ」
ふっと笑って、ルークは子供たちが消えた先の曲がり角を進む。
工房から遠ざかるにつれ植木鉢や、天井からぶら下がる花かごが増え、子供とすれ違う頻度も増してくる。
「……子供が多いのね。それも、混血の」
きれいに整備された中庭で、私は立ち止まる。
そこで遊んでいる子供たちは、全員が紫苑のような混血児だった。
オリーブ色の肌をした少年や、黒髪の少女たちが、一緒になって中庭を駆けまわっている。
「この商会じゃあ、親方の意向で孤児を拾って育てているんだ。オレは他都市からの弟子入りだけど」
「親方って、さっき教授と話してたイウロ人の?」
「いや、あの人はふつうにオレの先輩だよ。親方は……」
と、ルークがそこまで言いかけた時だった。
「ルーク。そいつがエリックのとこの嬢ちゃんか」
急に視界が暗くなる。ちょうど空いた扉から出てきた人物にぶつかってしまったらしい。
「ごめんなさ……」
言いかけた言葉が、途切れた。
「ぁ……?」
視界に映る、相手の足元。長靴からのぞいているのは小刀。
ゆっくりと顔を上げると、斜めかけにした旅布、それを留める太革のベルトが目に映る。
(まさか。まさ、か)
気付いた時には、身体が後ろに跳んでいた。
距離を取って改めて見つめた男の格好、容姿は、見慣れたものだ。
小刀を差した長靴。斜めがけにしてベルトで止めた旅布。
燃える炎のような赤銅色の髪。森の枯葉みたいな、茶色の瞳。
それから、それから。獣のように尖った、長い耳──
「リセルト、人……?」
忘れない。忘れられるわけがない。
リセルト人だ。私の街を焼いた民族であり、私が北東アナストリアで戦った、殺した、殺された──
「お、おいイリス。急にどうしたんだよ」
ルークが声をかけてくるけど、とっさに言葉を返せなかった。
私の意図に反して込み上げてきたかたまりが、喉の奥を焼こうとする。
「っ……!なんでも、ない……っ!」
ルークの手を振り払って、私は身を起こした。
ここは学院都市、異教徒が保護される街だ。リセルト人がいたっておかしくない。当たり前だ。
それに、私が今いるのは戦場じゃない。今の私は、目の前にいるこのリセルト人は、兵士じゃ、ない。
「……あなたが、ここの親方なの?」
なんとか絞り出した声に、リセルト人男性は片方の眉をつり上げた。
「その様子だと、わしの事をオードランから聞いていなかったようだな」
複雑に編まれたひげの隙間から、男は声を発する。
「わしがこの商会の長だ。名はコーマック」
「……イリス、です」
鞘に伸びそうになる手、震える手を押さえつけて会釈する。
そんな私を表情の読めない顔で見下ろしてから、コーマック親方はくいっと顎で奥を示した。
「……入れ」
声に従い、中に入る。途端に子供のキンキン声が耳を刺した。
広い部屋だ。様々な人種の子供が走り回っている。ざっと見ただけでも二十人はいるだろう。
「この子たちは」
「ここにいる子供は、ほとんどが孤児だ。
学都の門に置き去りにされていた子供を引き取り、職人として育てておる……だが、ここのところ子供が増えて、人手が足らなくてな」
子供が投げたボールを片手で受け止め、親方はそれを私に投げてよこす。
中に鈴が入っているのか、真っ白なボールは私の手のひらでチリンと音を立てて転がった。
「チビたちの相手をしろ。それがお前の仕事だ」
それだけ言って、親方は踵を返した。鍛冶場のススのにおいが、鼻腔をくすぐる。
「お、親方? 説明とかは……」
「後で人をよこす」
端的な回答だけ残して、足音が遠ざかる。
ルークが「なんだってんだよ……?」とつぶやきを落とす中、私は大きく息を吸い込んだ。
(エリック・オードラン。あなたは、本当に容赦のない教師ね)
異教徒を殺していた私に、異教徒の子の面倒を見ろだなんて。
あちこちで好き勝手に走り回っていた子供の無垢な瞳が、私を捉える。
……胸の奥を、小さな針で突かれたような気分がした。
「ルークにいちゃん、この人だれ? にいちゃんの新しいかのじょ?」
「ちげーよ!こいつは、その……お手伝いさんだ。いっしょに遊んでもらえ」
ルークの説明に、子供たちは沈黙し……突然、わっと沸いた。
「マジで⁈ やったー!」
「わーい!遊んでくれるおとなだー!」
「おねえちゃん、おなまえはー?」
スカートを引っ張る、よじのぼる、すがりつく。
あっという間に視界がガキで埋め尽くされた。重い。ていうかあちこち引っ張られて痛い。なんだこれ。
「ちょ、あんたたち離しなさい」
いちおう言ってみたけど、通じない。スカートが破かれそうな勢いだ。
とりあえず護身用の短刀杖だけは取らせるわけにいかない__と、太ももに隠したホルスターに手を掛けた時だった。
「あー!」
もこっ、と尻に何かが当たる感触。混乱に乗じて、スカートの中にガキの頭が潜りこんでいる。
「……は?」
どうしよう。燃やそうかな。
ホルスターに伸びた手に、思わず力がこもった。でも。
「お姉ちゃん、『ねむくまミンミン』のキーホルダーしてるね! ねぇ、ミンミン好きなの⁈ 」
無邪気な声と共に揺れた赤髪に、手が止まる。
赤髪、くりくりとした茶色の目。そのリセルト人の女の子は、満面の笑みと共に私のスカートから顔を出していた。
「……ねむくま、ミンミン?」
「うん、お姉ちゃんが太もものかばんに付いてるやつ。
っていうか、なんでそんなとこにかばん付けてるの? 面白いね!」
女の子は目を輝かせている。
どうやら、スカートに潜り込んだ際に私のホルスターを見たようだ。
そして、ホルスターに付けているくまのキーホルダーに目を付けた。そう言うことだろう。
「あ、それ『かばん』ってか『ほるすたー』って言うんだぜ」
「え、冒険者とかが付けてるやつじゃん!おれも見たい!」
「私も! 見せてお姉ちゃん!」
「ちょ……あんた達、当たり前のようにスカートに潜ろうとするんじゃないわよ! 誰の教育よ!」
「「「ルークお兄ちゃん」」」
真顔での即答が返ってきた。
スカートを押さえた状態で睨むと、ルークの喉がヒュッと音を立てる。
「燃やすべきはあんただったみたいね、ルーク」
「おい待てって、これには理由があるんだ」
短刀杖を指先で回し始めた私の前で、ルークは両手を泳がせる。
よし、弁明は聞こう。念のため。
「ふぅん。で、その理由とやらは?」
「スカートには浪漫が詰まっているがオレがスカートめくりをやると犯罪になる。しかしチビどもならふべふしゅっ⁈」
最後まで聞く必要がないクソ弁明だった。
私は短刀杖の峰を使って、ルークの額を軽く打った。ちなみに微小に抑えた静電気付きで。
「うぉ、ビリッと来た……」
「教育方針を即座に変更しなさい。次は燃やすわ」
短刀杖を指先で回して、鞘に収める。
足元に群がっている子供たちは瞬きしたあと……また、賑やかな歓声をあげた。
「すげー!姉ちゃん術師なの⁈ 」
「ねぇ、今のあたしにもできる⁈ パリッてやつ!」
「杖だよね、さっきの杖だよね? お願い見せて!」
「み、見せるわよ。外してから見せるから、一回離れなさい」
手を振って子供を下がらせ、太ももからホルスターを外す。
革製で、最低限の機能だけを備えたそれには、木彫りの小さなクマがぶら下がっている。
女の子が言っていた『ねむくまミンミン』というのは、たぶんこれの事だろう。
「ん? お前、キーホルダーとか付けるんだな」
「放浪民の雑貨屋で売ってたのよ。いちおう護符だって言ってたけど」
背を丸めて眠るクマの木彫り。護符をつける習慣があるわけじゃないけど、なんとなく気に入って買ったものだった。
「あのね、ねむくまミンミンはね、いつも眠くてうとうとしてるクマさんなの。
でもね、起きるとすごいの! それでね、ミンミンはね」
「おい姉ちゃん、そんな事より術式は? パリッてやってよ」
「そ、そんな事って何よう」
「ただの人形だろ? ミンミンだかメンメンだか知らねーけど」
そのままミンミンの話をしようとする女の子を押しのけて、男の子が短刀杖を突っつこうとする。
「こら、不用意に触っちゃダメよ。いちおう刃物なんだから怪我するわ」
慌てて、ホルスターを子供の届かない位置に持ち上げる。
飛んだり跳ねたりしてそれを取ろうとする男子、その傍らで……
「ひ、ぐす、ミンミンは、ミンミンはぁ……」
押しのけられた女の子が泣き始めた。
まずい、状況にいろいろと対応が追いつかない。
「ちょ、待っ……」
まずは女の子か。それとも術式を見せて男子を大人しくさせてから対応を、いやそれとも──
頭を最大限に回転させて、子供の群れの攻略方法を見出そうとした時。
「あー、喧嘩すんな喧嘩すんな」
パンパン、とルークが手を叩く音で子供達が静かになった。
「おいイリス。お前、このミンミンっての好きなのか?」
「えっ?」
「わざわざ付けてるんだもんな、嫌いじゃないんだろ」
「え、えぇまぁ……嫌いじゃないわよ」
なんでそんな事を、と首を傾げる。そんな私を見て軽く頷き、ルークは言葉を続けた。
「マルロ、お前は『ミンミン』の事を馬鹿にしたけどよ。
それってつまり、このイリス姉ちゃんの好きなものを馬鹿にしたって事なんだわ……これってどうよ?」
「うっ……」
ルークに見つめられた男の子が、肩を揺らした。
それを見て、鍛治師見習いはさらに言い募る。
「人の好きなものを、興味がないからって馬鹿にしちゃあいけねぇな。
自分の好きなものしか肯定できない奴は、視野が狭くなっちまう。他の人に、嫌な思いもさせちまうから。
ほれ、ちゃんとアルバとイリス姉ちゃんに謝りな」
「はぁい……イリス姉ちゃん、アルバ。ごめんなさい」
ルークに背中を押されて、男の子は肩を縮こまらせた。
「どうよイリス、アルバ。マルロのこと、許してもらえるか?」
「……うん」
「ゆ、許すも何も……怒ってないわよ、私」
言いながら、私は目を瞬かせた。子供に対するルークの手慣れた対応に、感心するしかない。
「助かるぜ」
ニカッと爽やかにきらめく笑顔を見ると、単に言いくるめられたような気がしないでもないけど。
(……まぁ、良いわ)
子供の相手を『仕事』として与えられた以上、こなすしかない。
やれるだけの事は、やってみよう。
「あんたは私とクマの話がしたくて。
そっちのあんた達は、星沁術式を見せて欲しいんだったわね」
私は子供を下がらせて、短刀杖【星夜術刀】を静かに構えた。
「……」
まずは深呼吸。吸い込んだ息が、星沁が、全身を巡ったその瞬間に──『世界』を、切り替える。
「〈ダェグ:マンナズ〉」
命令序式を編むと同時に、身体が黄金色の光に包まれた。
短刀杖の刃は武器であると同時に、術式を記録する〈術石〉としての役割を果たしている。
日常的に使う術の〈定型文〉を組んで記録しておけば、その場で術式を組む手間を省略する事ができるのだ。
「〈エオ:イディ/フィレル〉〈オブジス“ヌム”〉……」
だけど、命令式を刻める数には限界がある。
普段は使わない命令式、その場ですぐ組み立てられるような簡単な式は、その場で構築する事になるのだ。
星沁界への干渉手段、干渉の内容、星沁の具現化、操作方法。
術式を即席で練り上げ、式の完成した結果を想像しながら目を開ける。
真っ先に見えるのは、日向のように暖かい金色のぬくもり。
私はそれを抱きしめて、起動式と共に、星沁を吹き込んだ。
「……〈ハガル :ヌム リヒティ〉」
名前を与えたその瞬間。光は子グマの姿を取り、宙に飛び出した。
「うぉっ⁈」
「ミンミンだぁ!」
驚く男の子の頭に乗り、はしゃぐ女の子に頬ずり。
金色の子グマは部屋をひと通りまわり終えると、光の粒になって陽だまりに溶けていった。
「これでどうかしらね?」
術式を見せつつ、ねむくまミンミン──と言われてもよく分からなかったので、取り敢えず子グマの姿を演出。
我ながらいい案だと思ったんだけど……なぜか部屋は、沈黙に包まれていた。
「「……」」
子供たちもルークも、子グマが消えた陽だまりに視線を向けたままこっちを見ない。
何か変な構築式を混ぜてしまっただろうか。妙な式が混ざるほどの構築量でもなかった気がするけど……
そんな風に、私が不安に駆られ始めた時だった。
「す……すげーっ!」
「もう一回、もう一回やって!」
「なんつったっけ、『だぇぐ まんなず』……」
ある瞬間に、わっと子供たちの歓声が湧き上がった。
ぽかんとする私の前で、ふたたびはしゃぎ始める。
「こ、こら。知識もないガキが私の式を使うんじゃないわよ。下手したら死ぬわよ」
杖を勝手に触って詠唱しようとした子供を引きはがしつつ、私は冷や汗を垂らした。
まったく、油断の隙も無い。
「えー、なんでー?」
「なんでって、物理法則を書き換えるのには星沁運動保存の法則が……」
「せーしんうんどーほぞん?」
「せーしんってなぁに? 魔力ってこと?」
「昔でいう『魔力』ね、確かに。でも、おとぎ話みたいに、なんでもできる万能の力ってワケじゃないの」
子供たちの視線に包まれながら、私はなんとか術式の危険さを伝えようと言葉を連ねた。
「本来、物理法則を歪めるくらいの事象を起こす力は、私たちの身体にはないのよ。
だからこそ術杖がある。曖昧な『イメージ』だけで起こせる現象でも、無駄を省き消費を抑える為に術式を構築するの」
「じゃあさ。杖を持って、姉ちゃんと同じことばを唱えたら、俺にも同じことできる?」
「たぶん無理ね。構築に使う言葉そのものに意味はないから」
首を振り、私は説明を続ける。
「術式に使う〈術式言語〉は、単語を組み合わせる事によって、曖昧なイメージを明確化する為に使うの。
意味を理解しないで使ったら、本来の力を発揮しない」
「えー、じゃあどうすれば良いんだよー!」
「単純明快。勉強するしかないわね」
私の言葉に、子供たちは「うぇえ……」と吐くフリをする。
これでひと段落か──と胸を撫で下ろした時だった。
「わ、わたしベンキョーする! だから教えて、お姉ちゃんっ!」
リセルト人の女の子が、長い耳をぴこぴこと振りながら縋り付いてくる。
それを皮切りに、俺も僕も私も、と、いっせいに子供が群がってきた。
(もう!キリがないわ)
どうすれば静かになってくれるのか、頬をつねられながら考える。
……静かになっているのは、自分が興味ある物についての話を聞き入っている時だけだろう。
術式は扱いが難しいし、そもそも術杖がいるからそこまで詳しい事は教えられない。
ほかに子供が興味を持ちそうな──別の物に、気を逸らせよう。
「術式の扱いには体力がいるわ。身体をしっかり鍛えとかなきゃいけないのよ……だから、訓練って事で〈クマ追いごっこ〉しましょ」
ルールは簡単。一人が〈クマ〉になって、〈逃げ手〉は手を繋ぎクマの周りで歌う。
遊び歌が終わったら、〈クマ〉は〈逃げ手〉を追いかけ捕まえる。子供がよくやる遊びの一つだ。
「私が〈クマ〉をやるわ。あんた達のうち一人でも逃げ切れたら、術式の触りを教えてあげる。範囲はこの中庭よ」
「ほんと⁈ 約束だぜ!」
「えぇ」
よし、かかった。笑みを抑えつつ、私はルークに懐中時計を投げた。
「ルーク、十分間カウントしてもらってもいい?」
「おうよ……あんまり本気出すなよ?」
私が迷宮に潜っていた事を知っているルークは、渋面を作る。
一方の子供達はやる気満々だ。手を繋いで円を作り、〈クマ〉の私が中央に座る事を待っている。
「中途半端な遊びは時間の無駄よ、ルーク」
ニヤリと笑って、私は子供達が作った輪の中に入った。手で目を覆い、地面にしゃがみ込む。
「「クマさん、クマさん、冬のクマさん。まどろみとろとろ、夢のなか。その胃はからっぽ、春はすぐそこ……」」
子供達が歌いながら周囲を回る気配がする。
〈クマ追いごっこ〉をやるのはいつぶりだろう。あの家に引き取られてから、子供らしい遊びからはすっかり遠のいていた。
「「ほら見て春の風が吹く。ほら見て若葉が空仰ぐ。
クマさん、クマさん、春来たよ。目を覚ましたら。目を覚ましたら……?」」
子供の歌が完成する。目隠しを外し、脚に力を込め──私は、本気で咆哮した。
「オマエの事を、食べちゃうぞぉおおおおぉおお!」
逃げるはずの子供達が硬直し、手を繋いだまま無防備な姿を晒す。
一回の跳躍で四人を捕まえた私は、満面の笑みで子供達を見下ろした。
「どうしたの、みんな。〈クマ〉が目を覚ましたけど?」
沈黙。ひくっと喉が痙攣する音。そして──
「……びぇえええぇえぇええっ⁈」
子供達は、散り散りになって逃げ出した。
「さーてと……」
最初に捕まえた四人──運動神経が良さそうな年長組を地面に降ろして、私はゴキッと手を鳴らした。
「せっかくだし、本気出しますか」




